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No.1582) 山吹次郎丸(Sun Jun 5 13:12:49 2005)
iwatamさん。
あなたはヤバい宗教にでも嵌っているのではないですか?
全てが順調ではないにせよ、まともに生きていると信じている自分にとってみれば、神に救われたいと思う時点で、その人はかなりテンパってます。
神が父親なら、パパにすがるまえにやるべきことがあるでしょう?
神やドラッグや消費者金融にすがる前に、上司と友人と職業相談所と市役所の相談窓口と弁護士と家庭裁判所とカウンセラーに相談しましょう。
巷で話題の電車マンのように2chに相談するのもいいかもね。
自分に言わせれば、救いは欲しいけど、それは幸運と努力と人の良心と自らの明るい方向を向こうとする心と不思議な縁のなせるわざであって、神ではない。
神は公正であり、したがって手出し無用なのだ。
サッカー選手が審判に救いを見出すなど、聞いたことがない。
『どうすれば救われるか』を真摯に考えている人に対し、『なにもする必要はない。あなたはもう救われている。神を信じなさい』と言われたら、こいつサタンの手先だな、としか思えないのですが。
神にすがるのは死んだ後で十分です。生きてる間は人間同士でなんとかしましょう。
大体、神ってたくさんいますけど、どの神のことを言っているんです?
好色でドジで恐妻家なゼウスなんて、私は好きですねえ。
ところで、日本には、『信じるものは救われる』より、もっといい格言がありますよ?
『人事を尽くして天命を待つ』
No.1589) あなたは救いを勘違いしておられます iwatam(Sun Jun 5 14:51:10 2005)
「どの神のことを言っているんですか?」という質問から、あなたの言う「神」が、私の言う「神」と異なっていることがわかります。
あなたの言うことはその通りで、私はそう言ったのです。それが「神の救い」なのです。きっと「救い」という言葉を違う意味でとったからでしょう。
サッカー選手は、サッカーというゲームが公正に行われることを望みます。ズルをして勝っても面白くもなんともありません。だから、審判が公正であることが「救い」なのです。
「救い」というのは、現実の生活の具体的な状況がどうにかなることを意味してはいません。ですから、「神にすがる」というのは間違いです。「すがる」ということ自体、神を疑っています。「神にすがる必要はない」と考えることが、本当の信仰です。
最後に。「信じるものは救われる」というのは、「人事を尽くして天命を待つ」とほぼ同じことを言っています。
No.1591) (no name)(Sun Jun 5 14:56:24 2005)
>「どの神のことを言っているんですか?」という質問から、あなたの言う「神」が、私の言う「神」と異なっていることがわかります。
あなたの言う「神」と山吹次郎丸氏の言う「神」が異なっているとしても、その違いを説明しなければ質問に答えたことにはならんのだが。
あなたの言う「神」はどれだけの人が同じ認識をもっているのかな?
あなたにしか通じない「神」であるならば、それを一般化するのは間違っている。
あなたが「これこそが本当の信仰である」と考えるのは問題ないが、それを以って他者の意見を否定するのはただの独善だよ。
まぁ循環論法を問題ないという人だから論理的な思考ができるとは思えないけどね。
No.1599) (no name)(Sun Jun 5 16:28:42 2005)
あいやMr.noName、信仰する神は答えたくない場合は答えを強要するべきではありません。
イスラム教徒に対して、スンナ派かシーア派かを尋ねてはいけないのと同様です(彼らにとって、それを公言することは死を招きかねないそうです)。
Mr.noNameのおっしゃることは、議論の理を求める姿勢としてもっともだと思いますが、iwatamさんの返答は、充分に私の疑問に答えるもので、不足はありません。この際、神の名は重要な論点ではないのです。
おそらく、iwatamさんと私・次郎丸とで意見が(というか、生き方が)異なるのは、物事に対する姿勢ではなく、その先なのでしょう。
iwatamさんは、尽力の先にある理不尽な結末や、人力の及ばぬ領域での不幸へ無力感、そういった納得できないもろもろに対する救いを、全てを神の手の内と認識することで見出しておられるのでしょう。
対して次郎丸は、それはそれ、どうにもならぬ事、と考えて受け入れるべく努力しています。
私にとって『人事を尽くして天命を待つ』の意は、『信じるものは救われる』ではなく『あとは野となれ山となれ』なのです。
人事を尽くした者にとって、人事を尽くしたそのこと自体が、非情な現実へのせめてもの救いとなるのであって、神がどこかでバランスをとってくださる必要はどこにもないのです。
どのような形であれ、人生の結末は10中8・9、悲惨な死。野垂れ死に。そうあることを受け入れ、自身が根本的に間違っていて人生が全く無意味に終わることを覚悟する。
どこかに正しい事というにはあるかもしれないし、それを探そうともするが、それを神に求めることはしない。それが私の『無信仰』です。(言うまでもありませんが、無信仰と無神論者は違います。無信仰は、神様がいたとしても『神は神、俺は俺』といいうる事です)
独り山に登るとき、独り海に向かうとき、自分の小ささと、小さな自分を生かしておいてくれる世界の大いなる存在感を感じることが出来ます。
が、それもまた自身の感覚、自身の判断であり、全くの間違い勘違いである可能性を否定するのは、次郎丸としては不誠実にあたるのです。
 信仰をもっている方々は、どうもこの辺の『信じる対象の確実さは、信じる自分の判断力に依拠する』という法則をわきまえず、自分の信仰の対象が侮辱されると、侮辱されているのは神ではなく自分の判断だというのに、神が侮辱されたと思ってブチきれる傾向があるようなのですが。次郎丸はこの辺を『狂信者』とひそかに呼んでいます。
無信仰は一生、自分は間違えいるのではないか、いや、おそらく間違えているのだろう、という認識と付き合い続けるのです。それは、虚無であることを恐れるあまり、判断力の一部を信仰に預けてしまう事を不誠実と思うが故です。
他者の作品からの引用で気が引けますが、ひとつ紹介させていただきます。
「…少年よ。…荒野に独り立つことを恐れるな」(『錬金術師ゲンドウ』より)
No.1606) iwatam(Sun Jun 5 22:56:37 2005)
あなたの言い方で言えば、私は人生の結末は10中8・9が野垂れ死にであるとは思っていません。10中10までが野垂れ死にであると思っています。「人生がまったく無意味に終わるかもしれない」ではなく、「すべての人生はまったく無意味である」ことを受け入れます。すると、今度は「無意味」という言葉自体が無意味になります。ここで、我々が普段「意味」だと思っているものとはまったく違った別の「意味」を定義できるわけです。神を信じるということは、人間が理解できる範囲を超えた意味を認めるということ、言い換えれば、真の意味は人間には理解できないのだとすることです。
神様のとる「バランス」は、人間には完全に理解することができません。神様が何を「バランス」と呼ぶかがわからないからです。だから、それを気にする必要はありません。「神は神、俺は俺」でいいのです。
こうしたことを受け入れれば、「悲惨な死」「覚悟」と気負う必要がなくなります。あなたの言うことが間違っているという意味ではありません。死を悲惨に思う必要もなければ、当たり前に起きることに対して覚悟する必要もないということです。「自身の判断が常に間違いである可能性がある」というのも、当たり前のことなのでわざわざ言及する必要はなくなります。
しかし、あなたと一つ違うのは、上記のことを「正しい」と受け入れているということです。無信仰では、「判断力の一部を信仰に預けてしまうのは不誠実である」という思いすら、間違っている可能性があります。
そうなると、判断力の一部を信仰に預けてしまうべきだという狂信者の方が正しいのではないかと常に思い続けることになります。だからこそ、狂信者に恐怖を覚えるのです。それは、狂信者の言うことを否定できないからです。
信仰を持つ人は、信仰とは判断力の一部を預けるようなものではないことを知っています。そして、判断力は誰にも預けることができないということを「正しい」とします。だからこそ、狂信者には堂々と「お前は間違っている」と言えますし、無信仰者には「これだけは疑う必要はないんだ」と言えます。
No.1609) ひとつだけ (no name)(Sun Jun 5 23:27:30 2005)
>そうなると、判断力の一部を信仰に預けてしまうべきだという狂信者の方が正しいのではないかと常に思い続けることになります。だからこそ、狂信者に恐怖を覚えるのです。それは、狂信者の言うことを否定できないからです。
違うよ。
狂信者に恐怖を覚えるのは、狂信者を理解できないが故にだ。
人間は理解できないものに恐怖する。それは例を挙げるまでもないだろう。
そして狂信者の言うことを否定できないのは、あなたがNo.1596で「どうしようもないバカの誤解を解くのは無駄な努力」と言っているのと同じ理屈だ。
狂信者が怖いのはけして「狂信者が正しいかもしれない」からではない。
No.1628) いや、ホント長くて申し訳ない 山吹次郎丸(Mon Jun 6 20:08:10 2005)
なるほど。いまだ消化不良な部分はありますが、いつまでも沈黙しているのも失礼にあたると思い、返信します。議論の白熱するBBSでは、沈黙もひとつの意思表示ととられてしまいますので。まあ、その誤解を受けることをおそれていては、iwatamさんが以前のコラムでとりあげらた話のように強迫観念に追われて気疲れしてしまいますが。
さて。
『神を信じるということは、人間が理解できる範囲を超えた意味を認めるということ、言い換えれば、真の意味は人間には理解できないのだとすることです。』
という一文、無信仰たる私にもよくわかります。というか、宇宙の果てに思いをめぐらす物理学者はだれしも人間の理解力の稚拙を感じていることでしょう。『人間の定義』に踏み入って論じたいところですが、それは自分の中でも確たるビジョンがないところなので、いまだ議論には耐えないものとして沈黙します。
だいぶ深く立ち入ってうかがうこともできましたし、そこで提示されたiwatamさんの信仰観も納得のいくものでした。不誠実な盲信とは程遠いあり方とお見受けしましたので、私としては、私のような無信仰な輩とも共存しうるものと信じます。
人間、その対象が神でないにせよ、どのみちどこかで何かを盲目的に信じているものだと思いますので(というか、そうでもなければどんな刹那主義者でもやってられないと思いますので)、これ以上信仰の問題には踏み込むのをやめにします。たとえ根拠がなくとも、家族とはまた無事に会えると疑うことなく家を出ますし、明日に核ミサイルが降ってこないとも限らないといっても、慌てて穴を掘り始める人をみればたわけと思います。どこかで盲信がなければ、それは一種の狂者なのだろうとおもいます。
最後に、私にとって神と出会ったという人、また神を信じている人がどのように見えるかという話をさせていただけば、それは「私はUFOを見た」という人とは区別されるべきものと考えています。「UFOを見た」という人は、その体験に関して、真か偽かが問題となります。
しかし、神と出会った人というのは、そうではないのではないかと、無信仰たる次郎丸は考えます。実のところ、「見えている」事と「それを認識する」事とは違います。『群盲象を撫でる』のことわざどおり、たとえ触れていても、その本質が理解できないことというのは良くあることです。人間が、自分が素粒子で出来ていることを知るのにどれほど時間がかかったかを思えば、「まだまだ」でしょう。おそらく、神に出会った人というのはある時「それが神である」事に気づいた人なのだろう、と次郎丸は考えています。
一人の盲人が象を撫でまわしつづけて、ある時それが象だと気づくように、ある人が何十年と人生を過ごしつづけて、ある日ある瞬間にそこに神を実感するのだろうと考えています。その切欠は「啓示」と呼ばれるかも知れず、「悟り」と呼ばれるかもしれません。その意味で、『神をなぜ信じられるのか説明しろ』という事は、『あんたのこれまでの人生をことごとく言葉で述べきって、更にプラスアルファを示せ』というくらい無茶なことなのだろうな、とは思います。まあ、無信仰な次郎丸の想像ではありますが。そんなわけで、信仰の理由は(ひっじょーに興味はありますが)聞かないことにしているのです。
ただ、ひとつ言わせていただくなら(長くなって申し訳ない)、私のような無信仰者が最もうさんくさく思うのは「真の」とか「本当の」という文句なのです。なんだその「真の」って?と反射的に感じ、考えれば考えるほど胡散臭くなるのです。というのも、私は先ほど「人は誰しも盲信なしではやってられない」と述べたように、自分の理性がどこか盲信の上に成り立っていると感じています。そこに自信マンマンのキリスト者がやってきて「あなたの本当の幸福について」とかぶちあげると、「うわー!うさんくっせー!なんでそんなに自信マンマンなの?!鏡見ろよ」と思ってしまうわけです。私は自分の土台がいいかげんなものであり、人間みんなそうだと思っているので、「自分は真実を知っている」というツラを見ると「ウボァー。遠くで幸せになりたまえ。シッシッ」という気になるのですね。
最初の投稿の時は、いささかならず刺激的な表現を使ってしまったことを反省します。申し訳ありませんでした。ではまた。
No.1635) iwatam(Tue Jun 7 02:40:56 2005)
まず、「神をなぜ信じられるのか説明しろ」というのは、そもそも言葉の矛盾であることを指摘しておきます。説明のできないことを正しいとすることを「信じる」というのですから。だから、そういう質問をする限り「あなたは信仰というものの本質をわかっていない」と言われるでしょう。「無茶」なのではなく「原理的に不可能」なのです。
ただ、多くの人は自分の体験に即して何かを語ってくれるでしょう。それは、私もあなたも同じ人間なのだから、私と同じようなことをきっとあなたも思っているはずだと思っているからです。色々とヒントを出せば「ああ、あれのことか」とわかってもらえると思うから、あれこれ語るのです。
これは「説明」ではありません。だから、相手がわかる努力をしないことには、思いは伝わりません。例えて言えば、ジェスチャーゲームのようなものです。相手がジェスチャーで答えを伝えようとしている時、確実性や普遍性を求めていると答えはわかりません。相手が何を表現しているかを必死になって考えていると、あるとき突然ピンときます。これがコミュニケーションです。理屈ではないのです。
上で述べたようなコミュニケーションは、相手が聞こうと思っていない限り伝えることができません。だから、こうした話は「聞きたくないならば聞かない」「聞きたくない人には聞かせない」のが正しい態度です。これをわかっていない人がたまにいて、問題を起こします。
「真の」とか「本当の」という言葉を嫌っておられるようですが、「真の」がどこにもなければ、それは無意味になってしまいます。「すべてのものは完璧ではない」というのはその通りですが、逆に「すべてのものには真実へ至るヒントが隠されている」と見てはいかがでしょうか。「真の」を「一片の真実を含んでいる」と読むなら、うさん臭さは消えるでしょう。
人間は、自分が見たことや感じたことは、特に理由がない限り本当のこととみなします。もちろんそれは時には間違っていることもありますが、それを否定してはすべてのものの意味がなくなってしまうからです。
例えば、山歩きに行って、遠くの方に鹿がいるのを見つけたとしましょう。見つけた人は「あ、鹿がいた」と言うでしょう。これに対して「なぜ鹿がいると言えるのか」とか「なんで自信満々でそんなことを言えるわけ?うさんくせー。鹿なんているわけないじゃん」と言っても意味がありません。実際にいたのを見たのですから。相手は「だって本当にいたんだよ!」としか言えません。そして、もしそれを信じて目を向ければ、あなたにも鹿が見えるかもしれません。しかし、目を向けなければ、永遠に見えないままです。
No.1608) 追伸 iwatam(Sun Jun 5 23:20:41 2005)
神様は一人しかいないので、「どの神か」という質問は愚問です。神様は一人しかいないため、区別する必要はなく、従って名前もついていません。
「どの神か」という質問をすること自体、「神は唯一である」という根本理念を否定したことになります。
No.1610) おいおい (no name)(Sun Jun 5 23:41:26 2005)
じゃあこれはなんなんだ?
>「どの神のことを言っているんですか?」という質問から、あなたの言う「神」が、私の言う「神」と異なっていることがわかります。
山吹次郎丸氏の言う「神」とiwatam氏の言う「神」が異なっていて、なおかつ「神は一人」だって?
可能性として一番妥当なのは「どちらかの神は神ではない」だろうが、どちらの神が本当の「神」なんだい?
>「どの神か」という質問をすること自体、「神は唯一である」という根本理念を否定したことになります。
そして基本的なことを聞くが、何故「神は唯一」なんだい?
神は一人だって誰が決めたの?
No.1611) (no name)(Mon Jun 6 00:17:29 2005)
お前が馬鹿だということはよくわかった。
No.1612) (no name)(Mon Jun 6 00:57:26 2005)
唯一神iwatamイエスが正しいのです
反論する人間は神の存在に気づけないかわいそうな人達なのです
そのような物たちはこの唯一神iwatamイエスが天国に放り込むべき者達なのです。

iwatam氏は既に凡人には一生理解不能な真理に到達した最後の預言者なのです。
凡人を相手にするのはバカバカしく、幼稚な理論の展開と言葉遊びには辟易しています。

・・・まぁ・・・実際氏は自分なりの真理らしきものに到達してるようなので今更凡人が何言っても無駄だよね。
No.1614) senri(Mon Jun 6 01:34:38 2005)
それは貴方が自分で考えて出した結論ですか?
誰かの話を鵜呑みにして、それをそのまま言っていませんか。
No.1558) 神が存在するとして senri(Sat Jun 4 02:20:01 2005)
はじめまして。
コラムを読みました。
そこでひとつ、質問させてください。
「全知全能の神は自分でも持ち上げられない大きな岩を作ることができるか?」
No.1559) 神波(Sat Jun 4 04:01:31 2005)
持ち上げてしまうと全知全能を失う岩を作る。
多分全知全能のアイツもこれは持ち上げられないでしょう。
・・・とかダメですかw
No.1570) (no name)(Sat Jun 4 19:50:19 2005)
持ち上げられない岩がある時点で全知全能ではないわな。

銀英伝で似たのがあったな……

No.1578) 山吹次郎丸(Sun Jun 5 12:08:42 2005)
解答は『できる』
作った時点で全能ではなくなるにせよ、作る前は全能である以上、作れるに決まっている。
で、作ってほしいんですか?
No.1562) (no name)(Sat Jun 4 07:07:51 2005)
No.1563) 又吉(Sat Jun 4 07:32:15 2005)
ここにいる者達に告ぐ。

iwatam氏の言う事は既に証明されている。それは自明な事である。
senri・神波・風花らは腹を切って死ぬべきだ。
 また、彼らはただ死んで終わるものではない。
 唯一神又吉イエスが地獄の火の中に投げ込む者達だ。
 彼らの支持者も同様だ。
 理由は岩を持ち上げるなら自分が持ち上げるべきだからだ。
 詳しい理由はコラムで熟知すべし。」

No.1566) 神波(Sat Jun 4 08:15:07 2005)
むしろ全知全能の神キターーーーーーー!!w
しかも全知全能のうちでもかなりヤバい方面の神降臨ペタワロスww
No.1572) senri(Sat Jun 4 23:31:50 2005)
又吉さん。
貴方が何を言いたいのかさっぱりわかりません。
何か勘違いをしていませんか。
No.1574) 名無し(Sun Jun 5 01:20:23 2005)
「又吉」でググれ
No.1579) iwatam(Sun Jun 5 12:28:40 2005)
全知全能の神はそんな無意味なことはしません。
No.1588) (no name)(Sun Jun 5 14:26:51 2005)
何故あなたが神の行動を規定できるのだね?
我々には無意味に思えることでも神にとっては意味があるかもしれないだろう。
あなたは神よりも上位の存在なのか?
No.1594) 規定しているわけではありません iwatam(Sun Jun 5 15:33:27 2005)
単に、神様ならそう思うだろうと言っているだけです。
それ以上に確実なことを聞きたければ、神様に直接聞いてください。
No.1597) (no name)(Sun Jun 5 16:00:10 2005)
>単に、神様ならそう思うだろうと言っているだけです。
お得意の後出しじゃんけんですか?
>全知全能の神はそんな無意味なことはしません。
あなたはこのように断言してるんだよ。
あとから言い訳するくらいなら、最初から考えて発言することだね。
これはあなたのコラムにも言えることだけどね。
No.1600) (no name)(Sun Jun 5 17:43:08 2005)
人間に、神の出来る出来ないがわかった時点で、それは神ではなくなるって。それこそ神にお伺いを立てて回答を得ない限りわかるわけがない。質問自体が無意味だよ。
No.1605) (no name)(Sun Jun 5 22:05:09 2005)
それはどうかと思うよ。
仮に神を「全知全能」だとしたら、人間が思いつく程度のことはできなければならない。でなければ「全知全能」とは言えない。
神を「全知全能ではない」と仮定すれば、お伺いを立てなければわからないけどね。
No.1613) senri(Mon Jun 6 01:09:12 2005)
私は神にではなく、貴方に尋ねているのです。
貴方の答えを聞かせてください。

それからもうひとつ。
私が投げかけたこの問題を、
貴方は今までに一度も誰からも尋ねられたことがなかった?
もしくは、一度も答えがあると考えたことがなかった?

No.1615) iwatam(Mon Jun 6 01:47:13 2005)
私の答えは先に書いたように、「本当のことは直接神様に聞いてみないとわかりませんが、問い自体が無意味だと思いますよ」という回答です。なぜなら、神様はそんなことは「しない」だろうからです。
私の周りには、本気であんな質問に意味があると思っている人はいないので、まだ誰も尋ねた人はいませんね。
No.1624) (no name)(Mon Jun 6 16:53:06 2005)
じゃ尋ねてみたら?
尋ねなければわからない事は尋ねなければわからないんだよ。
人間ごときが勝手に判断しないで神にお伺いを立ててみるといい。
No.1633) senri(Tue Jun 7 01:49:09 2005)
矛盾に満ちた回答をありがとうございます。

「全知全能の神は自分でも持ち上げられない大きな岩を作ることができるか?」
この問いは、無神論者が全知全能の矛盾を指摘した、とても面白い問題です。
岩を作ることができなければ全能ではないし、
持ち上げられないのならばやっぱり全能ではありませんね。
しかし「それでも、全知全能の神はいる」と信じることはできます。
それが信仰というものではありませんか。

もちろん「信じる」という以外にも問題を解いたといえる答えはいくつかあります。
しかし、貴方はそのどれも答えることができなかった。
どうでしょうか。貴方は本当に神を信じていますか?

No.1520) ていうかさ(Thu Jun 2 03:45:27 2005)
いい加減、ここに反論を書き込むのを止めないか?
2週間ほど議論を追い続けてきたせいか、馬鹿馬鹿しいと思いつつもついつい確認しちゃうんだよな。
いやさ、勝手な理屈だってのは分かってるけどさ。
No.1522) そうですね (no name)(Thu Jun 2 04:23:22 2005)
臭いとわかりつつも、ついつい靴下の臭いをかいでしまう心理と同じですね。
No.1536) 名無しにもどります (no name)(Fri Jun 3 02:56:33 2005)
つーか、正直飽きちゃいましたね。もうついていけません。
最近になってやっと、管理人さんは自分とは決して相容れない別物の価値観の基に生きており、
理想とする人間像や世界も全く違うため、いくら議論を重ねても結論の一致はありえなく
結局は無意味な押し問答にしかならないのだと理解しました。
神うんぬんに関するコラムはその決定打になりましたよ。
自分勝手なのは承知の上で、個人的なコラムを読んでの疑問や苦情はあらかた吐き出してスッキリしましたし、
もうどんな無茶な事を言われても、私には反論する気力はありません。
まだ続ける気力がある方々は、とことんどうぞ。
管理人さんを始めとして、主張自体は同じでもその根拠が自分とは完全に異なった人たちなど、
多様な価値観や考え方をもった人間の存在を身をもって実感することができたことは、収穫だったと思います。
みなさんお世話になりました。
No.1551) チキン野郎だなあ (no name)(Sat Jun 4 00:16:08 2005)
ぶっちゃけ、埒があかないと思うなら捨てゼリフでぐだぐだ行を重ねるまでも無いんじゃない?
自分に正義があると思うなら、そんな文句で話を打ち切るんじゃないよ。
No.1560) 神波(Sat Jun 4 04:09:38 2005)
ん。確かに。
でも実際飽きがきてるんだよなぁw
次の長文レス、やればいいのか悪いのか。しかし他人様に思いを伝えるいい訓練場所になっているから管理人にえらいこと感謝しているのですわ。
No.1503) (no name)(Wed Jun 1 10:42:41 2005)
神がいようといまいと、結局はそれを広めた人がいるわけですよ。
そしてどこの宗教もシェア拡大と資金調達と、そのための異端排斥に走ったっていう歴史を考えると、もー宗教も神もちょっとどうでも良くなりますよ。
経済でてから宗教書読んでみてください。
あーって思いますよw
年月も規模の桁違いの一大ビジネスですから。信者開拓のために戒律変えたり、うまく他人種にも通じるように趣旨を合わせたり。
妄信してれば見えないかもしれませんが。そういう面。
無神論者ではありませんが・・・。
No.1501) (no name)(Wed Jun 1 08:51:17 2005)
で、ここが閉鎖に追い込まれるのは何時なんですか?

毎日楽しみにしてるんですけど、コラムじゃなくて404を

No.1504) (no name)(Wed Jun 1 12:02:17 2005)
むしろもっとオオゴトにしたいなぁw
どこか大きい会場借り切って、何百人動員して堂々朝まで生テレビやりましょうよwテレビ局呼んでwもうその位してもいい時期だと思いますよ。
No.1512) (no name)(Wed Jun 1 21:11:38 2005)
これだけ反応が返ってくるとiwatam氏も大喜びだと思いますよ。
いや、冗談じゃなく。

閉鎖に追い込みたいなら、何も反応しないことです。

No.1528) (no name)(Thu Jun 2 18:59:30 2005)
個人的にはiwatam氏の電波が読めて面白いので、続いて欲しい。
が、どうにかしてくれという心情もなきにしもあらず('A`)
No.1481) 信仰について (no name)(Tue May 31 14:52:03 2005)
感心しました、内容はともあれよく書けたなーっと。
No.1480) 「信仰とは」について チラ見(Tue May 31 11:31:44 2005)
まずはじめに、文章が汚いことをお詫びします。

>自分は今幸せなんだと思えば、幸せになれる。幸せとはそういうものだ。
これはつまり、幸せと思わなければ幸せではないってことと受け取ってもいいのでしょうか。
それならば神様を信じても、いてもいなくても救われていませんよ。

欲しいものをねだる子供に関しても、それは大人になってから分かることであり
その瞬間は自分は不幸だと思っているでしょう。
>すべての人間はもう救われている。
というのはこの子供には当てはまらないでしょう。何故なら「もう」ということは
その時点、その前から救われていなければならないからです。

>人が信じる信じないにかかわらず、神様はいるのだ。
>目には見えないし声も聞こえないけれど、それはいないという証拠にはならない。
これは言わなくても分かると思いますが「悪魔の証明」ですよ。
「神様はいるという証拠にはならない。」といわれたらどうするんですか。
自分は証明されていないものは信じません。あるかもしれないと模索すること自体は良いことだと思いますが。

最後に:生後すぐに死んでしまった子供の両親に「全ての人間はもう救われている」なんて言えますか?

No.1486) 丸投げ ななし[HOME](Tue May 31 23:40:40 2005)
返信があるってことは議論していいんだよね.

「与えられた不幸が将来のために必要なこと」と考えられることが信仰である,って主張してると思うので,
そう思えない人は信仰を持ってないってだけになるんじゃないかと.

最後のも,信仰持ってる人になら言えそう.
「その不幸を乗り越えて幸福になることが神の望みですよ」とか.胡散臭い宗教の信者っぽいw
そんなの受け入れる人は,はっきり言って狂信者だと思いますけどね.

子供の時点で宗教に達観してれば,欲しいものを買えない事を
「これが神の与えた試練なんだ」とか思って救われてると思って救われてるとか思うんじゃないかと.

蛇足で言うと,あなたの意見は全部コラムからずれてるよw

単純に感想.
神様は居るのだって主張は,頂けないです.
前の文脈の流れからだと完全な主張になっちゃうので.
「居ると思うのは自由だ」とかなら,「居ないということは証明できない」でいいけど,
「居る」って言うなら,居ることの証明が必要だと思います.

文章全体は信仰に対する1論として面白かったです.
新興宗教でも作るときには,こういったことを信者に信じさせるんでしょうねえ.

No.1491) 信じないのは勝手 iwatam(Wed Jun 1 01:03:02 2005)
もちろん、信じないのは勝手です。
しかし、それが「悪魔の証明」だからといって、それは否定にはならないのです。
だから、あなたが何を言おうと、「神はいる」ということを否定することはできません。
No.1493) そんな滅茶苦茶な (no name)(Wed Jun 1 02:00:14 2005)
信じる信じないではなくて、貴方の主張が真実であると証明できるかどうかの話をしているんですよ。
皆さんの言っている悪魔の証明とは下記のようなものです。
ここから引用↓
「あることの証明」は、特定の「ある」事実を一例でも提示すれば一瞬で完了する容易なことだが、その反面、「ないことの証明」は調査範囲が限定されたケースを除き立証は困難である。なぜならば、この世の全ての存在・可能性・森羅万象などを完全に調査しなければならないからである。

そのため、一般的には、公平の見地から証明責任は「ある」と主張する側が負うことになっており、存在を証明できなければ無いものと見なされその主張は排斥されるとするのが妥当である。
↑引用ここまで
引用元:wikipedia「悪魔の証明」

この場合はiwatamさんの「神はいる」という主張はiwatamさんが証明しなければなりません。
「私がいると言ったら居るんだ」なんて主張は子供が駄々をこねてるのと同レベルですよ。

正直、以前のコラムと同一人物の方が書いているものとはとても思えません。
どこぞの新興宗教の教主でももっとましな理論展開をしますよ?

No.1496) 信仰とは何か 風花(Wed Jun 1 03:12:17 2005)
今度のコラムは「信仰とは何か」についてですね。
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「神がいる」ということは確かに証明できないと思います。
ただ、「信仰」してる人にとっては、証明のあるなしにかかわらず、「神はいる」というのは大前提だと思います。
そういう意味合いにおいて、「信仰」にとって証明は必要ではないと思います。
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どこぞの新興宗教の教主がもっとましな(ように見える)理論展開をするのは、証明がないと信じないと考えるような人々にまで、その宗教を「信仰して欲しい」からじゃないですか?
No.1498) えーと ななし[HOME](Wed Jun 1 03:32:53 2005)
「神はいる」って主張は,神を肯定してるよう見えやすいんですが,これは神を肯定している訳ではないってことですか?
もしそうであれば,否定は出来ないって主張だけになるから証明は必要ないですけども.

で,更に言うなら,前後の議論は
「神はいる」って意見を肯定することは出来ない
ってことを議論してそうなので,
永久に平行線になりそうですね.

それとも「神はいる」ことを否定出来ないって主張が「神はいる」ことの肯定になって,
その肯定を覆すには「神はいない」って主張を肯定するための証明が必要になるってことですか?

No.1514) 証明はできない iwatam(Thu Jun 2 00:11:06 2005)
肯定、否定どちらの証明はできません。しかし、「証明ができないものは存在しない」というのもまた変な話です。
おっしゃるように、永久に平行線になりますが、「平行線になるから間違い」とは言えません。世の中には、永久に平行線になる問題もあるのです。
平行線になった場合、どちらが正しいか、それは自分で判断すべきことです。
No.1516) 判断するのは自分。されど・・・ 斜めの人(Thu Jun 2 02:27:24 2005)
存在と非存在を証明する場合、存在側が証明するのは他にも言っておられる人がいるようにある種の常識です。
非存在を証明しろというのは明らかに常識はずれであることは肝に銘じた方がよいかと。

自分で判断するべきことではあれど偏った意見を垂れ流し反論に対して自分で結論を出せとはあまりに乱暴で無責任な理屈です。

あと反論の際に論点のすり替えが多すぎるので避けたほうがよろしいかと。
No.1518) それは単なる思い込みですね iwatam(Thu Jun 2 02:48:00 2005)
私は「証明しろ」とは言っていませんよ。
No.1523) hayawo(Thu Jun 2 05:57:32 2005)
「神はいる」っていってる貴方は証明しなくてはいけませんけどね。

つーか露骨な論点のすり替えだねこのレスw

No.1524) (no name)(Thu Jun 2 08:01:48 2005)
>存在側が証明するのは他にも言っておられる人がいるようにある種の常識です。
はい、これに対して
>思い込みです。
という反論が来ました。
>「神はいる」っていってる貴方は証明しなくてはいけませんけどね。
これじゃあ会話が成立しませんね。
「常識です」を証明しないといけないんですよ。あなた。
No.1545) 言葉遊びって楽しい? (no name)(Fri Jun 3 19:19:22 2005)
>「常識です」を証明しないといけないんですよ。あなた。

hayawo氏がそれを証明しなければ「いけない」のは何故かな?

と言葉遊びに付き合ってみる。w

少なくとも「悪魔の証明」に関しては議論する上での「常識」と呼んでも差し支えないと思うけどね。
でなければ「常識とは何か」「議論とは何か」あたりから始めなきゃならなくなるがそんなのがお望みか?

No.1565) (no name)(Sat Jun 4 08:03:03 2005)
そう、あなた達がやろうとしているのは「言葉遊び」なんです。
わかってるじゃないですか。ちゃんと私の言う事に突っ込みが入れられたということは。

つまり、あのコラムに対して「神がいるかどうか」を議論するのはどうか、ということです。

No.1571) (no name)(Sat Jun 4 23:00:12 2005)
>つまり、あのコラムに対して「神がいるかどうか」を議論するのはどうか、ということです。
すまん、何を言っているのか良くわからん。
iwatam氏はコラムで次のように言っている。
>人が信じる信じないにかかわらず、神様はいるのだ。目には見えないし声も聞こえないけれど、それはいないという証拠にはならない。神様の存在が感じられないのは、人間の能力が完璧ではないからである。そして、自分には理解できないから信じないというのは、「なぜあんな鉄のかたまりが飛ぶのかわからない」という理由で飛行機に乗らない人と同様に、滑稽でかつ悲しいことなのである。
これに対して「神の存在を信じない者を馬鹿にしたような言い方をするのは、神の存在を証明してからにしろ」と言うのはどこが悪いのかね?
「神はいる。その存在を信じられない奴らは哀れだ。これに対する反論は許さん」
ということですかね?
No.1575) iwatam(Sun Jun 5 11:18:15 2005)
議論の基本スタンスが「バカにされたから反論」であるということが、バカの証拠です。
そして、反論を許したり許されなかったりするものだと思っていることが、議論がわかっていない証拠です。
No.1584) (no name)(Sun Jun 5 13:59:28 2005)
「人をバカにするのならそれだけの根拠を示せ」というのは「バカにされたから反論」なのかね?
それじゃ他人をバカにし放題だな。
その根拠を求められても「それがバカの証拠です」で済ませられるもん。w
それに反論は「許したり許されたり」するものだよ?
反論するのは自由。しかし反論される側がそれを受け付けなかったら、それは実質的に「反論が許されていない」状態だよ。
君は反論をことごとくスルーする態度も「議論」のうちだと思っていないかい?
No.1585) (no name)(Sun Jun 5 14:02:36 2005)
「許したり許されたり」って変だな。
「許されたり許されなかったり」か「許したり許さなかったり」だ。
No.1590) iwatam(Sun Jun 5 14:47:22 2005)
反論される側がそれを受け付けなかったからといって、なぜそれが「反論が許されていない」状態になるのですか?
反論を「ことごとく」スルーする態度は議論のうちではありませんが、まったく反論になっていないものをスルーする態度は議論のうちです。
最後に。バカは何でもないことを勝手に「バカにされた」と勘違いします。だから、「他人は基本的にバカにし放題」ということにしておかないと、何も言えなくなります。
No.1592) (no name)(Sun Jun 5 15:11:09 2005)
>反論される側がそれを受け付けなかったからといって、なぜそれが「反論が許されていない」状態になるのですか?
「反論が許されていない」と「反論ができない」はイコールではない。
また「反論が許されていない」とは「倫理的または法的に許されない」という意味の「許されない」ではない。
「反論してもいいですか?」とお伺いを立てるとかいう話ではないのだよ。
>反論を「ことごとく」スルーする態度は議論のうちではありませんが、まったく反論になっていないものをスルーする態度は議論のうちです。
当然だね。
で、「反論になっていないものをスルーする」と「反論を許す/許さない」にいったいどういう関係があるんだい?
「反論になっていないもの」をどうしようとも「反論」に対する態度とは全く関係ないのだが。
>最後に。バカは何でもないことを勝手に「バカにされた」と勘違いします。だから、「他人は基本的にバカにし放題」ということにしておかないと、何も言えなくなります。
「バカにしたと誤解される恐れがあっても主張する」と「バカにする」は全く違うのだがね。
前者は誤解を解く努力をするし誤解が解ければ問題はなくなる。
対して後者は誤解ではないのだから問題は膨らむばかりだ。
iwatam氏がどちらかはともかく、あなたは明らかに後者であり人間性に問題ありと言わざるを得ないな。
No.1596) iwatam(Sun Jun 5 15:42:46 2005)
世の中には、すべての誤解を解く努力が無駄になる「どうしようもないバカ」が存在します。
どうしようもないバカに対しては、誤解を解く努力は無駄なのでやりません。
もちろん、あなたが勝手に私を「人間性に問題あり」と思う分にはかまいませんが、私はそれを「どうしようもないバカが何か吠えてるなぁ」くらいにしか思ってない可能性があることも付け加えておきます。
No.1598) (no name)(Sun Jun 5 16:18:13 2005)
まずお詫びを。
iwatam氏本人だったんだね。
基本的に発言者より発言内容を重視するんで、iwatam氏か名無しか、あるいは他の誰かかなんて気にしてないんだよね。
だから「iwatam氏がどちらかはともかく」と言ったんだが、不必要だったようだ。
お詫びすると共に「iwatam氏は人間性に問題あり」と訂正させていただく。申し訳ない。
>世の中には、すべての誤解を解く努力が無駄になる「どうしようもないバカ」が存在します。
>どうしようもないバカに対しては、誤解を解く努力は無駄なのでやりません。
「あなたに反論する者」と「どうしようもないバカ」の関係を教えてもらえるかな?
あなたに反論する者=どうしようもないバカなのか?
「反論を許す/許さない」と「反論になっていないものをスルーする」の関係にも答えてないよな。
そうやって論点を拡大してうやむやにするのがあなたの議論スタイルだってならやはりあなたは「議論」をわかっていない。
>もちろん、あなたが勝手に私を「人間性に問題あり」と思う分にはかまいませんが、私はそれを「どうしようもないバカが何か吠えてるなぁ」くらいにしか思ってない可能性があることも付け加えておきます。
どうぞご勝手に。
「どうしようもないバカ」にどう思われようとなんとも感じません。
むしろ「どうしようもないバカ」に肯定される方が迷惑です。
No.1527) 風花(Thu Jun 2 14:16:25 2005)
証明が必要なのは,「いる」派の人と「いない」派の人の間で,「いるかいないか」についてどちらかに統一された見解を持とうとする場合だと思います。
そういった場合は,「いる」と存在を主張する側が証明をし,証明できなければ「いない」とみなすという処理になると思います。
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今回の場合は,いると思ってる人はいると思ってて,いないと思ってる人はいないと思ってて,分からない人は分からないと思ってていい。つまり統一の見解を持つ必要はないのだから,証明などしなくても「神はいる」と言えると思いますよ。「いる」と言うためには証明が必要だと思う人は「証明されてないから,いない」と考えておけばいいだけの話で。
No.1532) Latte(Thu Jun 2 23:05:43 2005)
ということは、やはり「いる」と断言してしまってはいけないということですよね?
「いると思う」ならそれでいいのですが「いる」と断言してしまっている以上は、
証明が必要なのではないでしょうか?

でないと、「いないと思っている」人達はそう考えていても、決定的に否定されてる訳ですから証明して頂かないと納得出来ないと思います。

No.1535) iwatam(Fri Jun 3 01:41:24 2005)
なぜ、「いる」と断言してしまってはいけないのですか?
なぜ、証明が必要なのですか?
なぜ、あなたが納得できないといけないのですか?私は別にあなたが納得できなくてもかまいませんけど。
No.1539) 風花(Fri Jun 3 10:33:03 2005)
私は,断定口調の語りには,それが語り手の考えを述べている場合と,証明された(証明できる)事実を述べている場合があると思います。
「証明された事実だけを断定口調で語るべきであって,個人的な考えは断定口調で語ってはいけない」というのがLatteさんの主張でしょうか。
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つまり私の読み方だと,
「神はいる」という発言を見て,「ああ,この人は『神はいる』と考えてるんだな」としか思いません。私がそれに納得するかどうか,自分では神はいると考えるかいないと考えるかはその発言には全く関わりません。
Latteさんは,
「神はいる」という発言を見て,「この人は『神はいる』ということを証明された(証明できる)事実として語っているんだな」と思い,「それならその証明を知りたい,証明を提示されない限りその意見には納得できない。」と考えるということですよね。
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証明は多分できないし,するつもりもありませんが,私は「自分の読み方が正しい」と(勝手に)考えています。
自分の読み方を誰かに納得して欲しいわけでもないですし,他の人が他の人なりに「自分の読み方が正しい」と考えていても差し支えありません。
No.1549) 荒くてすみませんが・・ Latte(Fri Jun 3 23:54:43 2005)
「証明された事実だけを断定口調で語るべきであって,個人的な考えは断定口調で語ってはいけない」ということですが、そうは、言ってませんよ?出来る限りそうするべきだと私は思います。

たとえば、路地があり「そこに猫がいる」では路地(そこ)にいないと成立し得ない言葉ですよね?そこにいないのに「いる」と言われても「いない」としか思えませんよね?
しかし、そこに「猫がいると思う」ならばいなくても勘違いや思想の範疇で収まります。

{「神はいる」という発言を見て・・発言には全く関わりません。}も{証明は多分できないし・・差し支えありません。}
も、やはり自分は「そう思う」という結論で、貴方の意見に賛成だという人もいれば、また違う意見の人もいる訳です。万人が同じ答えや意見を持っているわけではありませんよね?
ならやはり、断定する限りはその理由や、何故そうなのかと思う意見があってもそれは不思議なことではありません。その意見に対して、「これは、こうだから断定できるのだ」という万人が及び大多数が納得出来る証明が無いと、万人には伝わりにくく、反論や異見が出るのではないでしょうか?

ということは、iwatamさんや風花さんの言う「納得してもらわなくても構わない」という意見は、「納得したい」と思う人にとっては、逃げにしか見えないのではないでしょうか?

そんな、人達を納得させてこその「断定」だと私は思います。

No.1553) iwatam(Sat Jun 4 01:40:12 2005)
万人には伝わりにくいだろうし、反論や異見が出てもいいと言っているのですが。
なぜそれを「逃げ」だというのですか?どこから逃げているというのですか?
「そんな、人達を納得させてこその断定」というのはあなたが勝手に思っているだけです。
No.1561) 風花(Sat Jun 4 04:51:17 2005)
少し確認。
「人たちを納得させなくても断定口調で語っていい」というのもiwatamさんが(私もですが・・・)勝手に思っているだけで、
それはそれでどっちの立場もあっていいけど、
「納得させなくても断定口調で語っていい」と考える人たちに対し「納得させてこその断定」と考える人たちが「断定するなら(証明するなどして)納得させろ」と求めたところで、その求めに応じて納得させる(証明する)必要を感じないというようなことですよね?
もし違ってればご指摘下さい。
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あと、「逃げ」に関してですが。多分、iwatamさんも韜晦してるだけなんじゃないかな、とは思いますが(^^;
蛇足として。
「納得させてこその断定」と考える人たちにとっては、「納得させないのに断定」することは「納得させる」ことから逃げているように感じられるのだと思います。
No.1616) 蛇足に対して言うのも何ですが iwatam(Mon Jun 6 01:58:59 2005)
だいたいそうです。
相手の求めに応じなければならない義務はありません。だから、「逃げ」という言葉も本当は当てはまらないはずなのです。
No.1629) (no name)(Mon Jun 6 23:43:44 2005)
Iwatam氏はどうだか知らないけれど、
他の方々は議論をやっていると思っているのでしょう。
だから、「いるって断定するなら証明してみろよ」
「いるって言ったらいるんだーい。証明なんかしらねーよ」
って流れはIwatam氏に「議論から逃げている」という評価を与えるのは当然。
相手の求めに応じなければならない義務はないけれども、
それがIwatam氏(及び、氏の持論)への評価を変化させることはお忘れなく。
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まあIwatam氏はチラシの裏に書いてるが如きで、
そもそも議論をしてるつもりはさらさら無いのでしょう。
だから「逃げ」なんて評価はあてはまらんと言うのもわかるけれど、
それならそれで別の評価が与えられるでしょう。
Iwatam氏にとってはどんな評価が与えられようとどうでもよいでしょうが。
No.1525) (no name)(Thu Jun 2 09:31:09 2005)
みなさんがツッコんでいるのは、
「いないとは言えない ≠ いる」
ってことでしょ。
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「いる」と主張するなら、明確な根拠を示せと。
「いないとは言えない」では根拠になっていないと。
No.1509) あなたが信じる必要はない iwatam(Wed Jun 1 19:35:59 2005)
あなたがそれを信じる必要はありません。信じられないのなら、信じなければいいのです。それだけのことです。
きっと、まだ時が来ていないのです。神様が「こいつに教えるにはまだ早すぎる」と判断しているのです。
最後に一つ。あなたの言ったことの正当化はいいですから、あなたが結局何を言ったのか、自分でよく考えてみることをおすすめします。
No.1499) 「信仰とは」について LPit(Wed Jun 1 04:30:47 2005)
 このコラムは「信仰」というもののメカニズムについて解説しているのですから、「自分はそうは思わない!」と反論しても意味はないのでは。
「そこはこう間違ってるのではないか?」という指摘はありでしょうけれど。
>自分は証明されていないものは信じません
 という意見がありましたけれど、神の存在が「証明」されたとすれば(どのような手段によって証明されたのかが問題になるでしょうが)、あなたが信じていようと信じていまいと神は「存在する」ということになるはずです。

 自分は宇宙人や地球外宇宙船を見たことはありませんが、地球以外にも知的生命体は存在すると思います。自分の信じる信じないに関わらず。また、「霊」は存在すると思っています。
自分自身が霊を見たことはありませんが。
”世間の大半の人が正しいと思っている事”としての「常識」と「事実」は必ずしも一致はしていないわけで、「自分はそれを信じないとおいうことと「何らかの手段によって証明された」ということには関連はないと思うのですが。

 某アニメーション映画に「生きていこうとさえ思えば、どこだって天国になるわ。だって、生きているんですもの」という台詞がありましたが、「信仰」とはそういうものだ、ということでしょうか。

No.1530) 少しだけ iwatam(Thu Jun 2 19:50:30 2005)
少しだけコメントします。
「地球外生命体は存在する」と「神は存在する」は違います。前者は証明することができますが、後者は証明することができません。
それから、最後の台詞の話は、私は知らないので詳しいことは言えないのですが、同じことを言っているのだと推測します。
No.1546) (no name)(Fri Jun 3 19:28:59 2005)
>「地球外生命体は存在する」と「神は存在する」は違います。前者は証明することができますが、後者は証明することができません。

何故後者は証明できないのでしょうか?
神に出てきてもらって奇跡でも起こしてもらえばいいんじゃないですか?
その程度じゃ神の存在は証明できないというのなら、地球外生命体の存在はどのように証明できるのでしょうか?
まさか出てきてもらって地球上にない物質でも見せてもらう程度で証明できると思ってないでしょうね?

No.1552) iwatam(Sat Jun 4 00:20:57 2005)
神様は、我々が「出てきてください」と言っても出てきたりはしません。特に、神の存在を証明しようなどというバカげたことをすると余計に、神様は存在を隠そうとします。
「あなたの神を試してはならない」とあります。神様の存在を証明しようというのは神様への冒涜です。残念ながら、そういう人には神様の存在はわからずじまいでしょう。哀れなことです。
No.1569) (no name)(Sat Jun 4 19:04:22 2005)
>神様は、我々が「出てきてください」と言っても出てきたりはしません。特に、神の存在を証明しようなどというバカげたことをすると余計に、神様は存在を隠そうとします。
「地球外生命体」は我々が「出てきてください」と言えば出てくるんですか?
「べんとらべんとら〜」ってやつが成功したって話は聞いたことありませんが。w
>「あなたの神を試してはならない」とあります。神様の存在を証明しようというのは神様への冒涜です。残念ながら、そういう人には神様の存在はわからずじまいでしょう。哀れなことです。
「あなたの神を試してはならない」と言ったのは誰ですか?
「神がそのように言った」と主張するのは「ただの人間」ではありませんか。
あなたは「神の声を聞いた」と主張する人を無条件に信じるのですか?
そちらの方が哀れに思えます。
No.1573) (no name)(Sun Jun 5 01:10:20 2005)
>特に、神の存在を証明しようなどというバカげたことをすると余計に、神様は存在を隠そうとします。

すごいですね!
なんでそんなに神様について詳しいんですか?
直接会ったんですか?w

No.1580) 会ったことないんですか iwatam(Sun Jun 5 12:33:03 2005)
あなたは会ったことはないんですか?
かわいそうに。
いつか会えるといいですね。
大丈夫、信じてさえいれば会えますよ。
No.1586) (no name)(Sun Jun 5 14:11:32 2005)
で、iwatamさんが神に会ったことがあるかどうかには全く答えてませんね?
会ったことあるの?ないの?
こう聞くと「私が会ったことがあるかどうかがあなたに関係あるんですか?」とか言って逃げるんだろうけどね。w
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