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No.802) 798(Sat May 21 10:00:58 2005) |
作家の井沢氏はエロゲを批判してるうちに
自分の「女性を誘拐して、監禁・調教して、最終的には女性を殺しちゃう気持ちが悪いとしかいえない」小説を必死に宣伝しまくりだし
知事の“知障のロリ娘を集団レイプして売り飛ばした挙句にブッ殺す”の小説もオッケーだし
エロゲマはロリ調教ゲーアニメマンガで満足し、
一般人はAV、リアル児童ポルノ、官能小説、ミステリで満足し、
新聞が扇情的に書きたてたジャックザリパーのころと変わってないね
W小林は犯罪やらかして、好奇心の赴くまま実際に起こった事件を貪るマスゴミと読者がいると。
No.810) どれのことだかわかりませんが iwatam(Sat May 21 10:49:15 2005) |
No.823) 言い訳みたいですね あやのこーじ(Sat May 21 17:03:13 2005) |
18禁という年齢制限をしているのですから、18禁という表現の場を活かした嫌悪感抱く表現をしてもかまわないとは思います。
記事の理論で行くとヒーローモノ(戦隊シリーズやアンパンマン等)の方がよっぽど危険です。
こういうのを見て育つと正義感が強い子供が育ちますが、そういう子供に限って、自分が間違ってるとは夢にも思わないものです。
(アメリカとかマスコミがいい例でしょう。奴らは自分が間違ってるとは思ってませんから)
No.916) バッシングになっていると思いますが iwatam(Sun May 22 15:32:13 2005) |
No.801) エロゲーの異常性 (no name)(Sat May 21 09:57:07 2005) |
No.806) これはなぜですか? iwatam(Sat May 21 10:31:03 2005) |
No.817) 通りすがり(Sat May 21 11:21:04 2005) |
あのコラムを読んで私が思ったのはエロゲーが悪いのではなく異常なシチュエーションが悪いんじゃないの?ということです。
シチュエーションが悪いならエロゲー、AV、写真集、風俗とかのジャンルは関係ないはずですが、「嫌われている」に特化して考えると全てが同等とは思えません。
その中で世間一般の人が一番嫌悪感をおぼえるのはやはりエロゲーでしょう。そこにはシチュエーションではない違う原因があるのではないでしょうか。
私はその原因はやはりキモイというイメージとマスコミ報道だと思っています。
No.819) (no name)(Sat May 21 12:30:41 2005) |
「自主規制強化のおかげで早く嵐が過ぎました」
レベルの効果すらないだろうね。
健全と不健全とは、最終的に決める権力はポルノのアンチに属する、iwatanさんとユーザーには関係無いだ。
No.842) その通りです iwatam(Sun May 22 01:58:06 2005) |
No.799) 798 Administratorじゃないぞ(Sat May 21 09:27:21 2005) |
違うぞ
一般人にとっては、すべてのエロゲは不健全である。
No.804) そんなことはありません iwatam(Sat May 21 10:18:57 2005) |
No.798) Administrator(Sat May 21 09:16:30 2005) |
異常を肯定したら、リアル絵すればいい
アニメにする必要はないだろ
No.800) リアルかアニメかは問題ではない iwatam(Sat May 21 09:56:17 2005) |
No.789) 『ゲームとは何か』について。 kuon[HOME](Thu May 19 22:06:25 2005) |
今回、すこし考えている点があるのですが、
iwatamさんは『ゲームとは何か』というコラムで
ゲームの言葉の意味という点において、ゲームとは
>・相手との勝ち負けを争う。相手に勝つことが目的である。
と定義なされていますが、これが私にとっての悩みの種なのです。
例えば、シムシティのようなゲームには勝つという要素が
特に取り立てて見当たらないような気がするのですが、
このようなゲームはゲームとして認められないということなのでしょうか?
製作者のウィルライト自身がシムシティを玩具だと公言しているので、
確かに、ゲームではないのかもしれませんが。
なんだか、私からすると、シムシティもゲームの一種かなと思えてしまうのです。
他にも魚を見るようなアクアノートの休日もゲームではないのでしょうか?
iwatamさんはこのような自称『ゲーム』こそがゲームをダメにしたとお考えでしょうか?
ゲームの可能性を問うために、これらのゲームはあえて勝ち負けをなくしたような気もするのですが。
確かに、iwatamさんのおっしゃるようにゲームがゲームを見失った要因とも考えられますが。
私は遊戯(遊び)とゲームの境目がうまくつけられないでいるのかもしれませんね。
なんだか、書いているうちにiwatamさんの意味もより理解できたように思えます。
いつも楽しくて、素晴らしいコラムの方、ありがとうございます。
ゲームの方のコラムもたまに書いていただけると、うれしいです。
当方、非常にためになっており、一介のゲーム好きとしてうれしく思っています。
では、このあたりで。ありがとうございました。
No.790) ゲームでなくてもダメなわけではありません iwatam(Fri May 20 01:22:04 2005) |
No.782) No.682からの一連の流れ(特にNo.712)について 風花(Wed May 18 17:18:38 2005) |
ただ,読んでみたところ最終的にやりとりが完結してないように思えたので,私なりにまとめてみました。
蛇足になるかもしれませんので,そのときは私の読解が足りないのだとお叱りください。
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では,No.712より抜粋
では、まとめますね。なお私は、紅井林檎さんが一般的だとする定義ではなく、iwatamさんの言っていることに基づいて話を展開しています。そこに注意してください。
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さて、利己主義には以下の2種類があります。
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バカな利己主義・・・自分の利益を最大限に保つ。他人は関係なし。
利口な利己主義・・・自分と他人の利益を最大限に保つ。すなわち功利主義。
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ここで“利口な”というのは、応報の原理に従っていることです(ゲストブックより)。
また、以下も成り立つはずです(サトーが発見)。
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バカな利他主義・・・他人の利益を最大限に保つ。自分の利益は関係なし。
利口な利他主義・・・他人と自分の利益を最大限に保つ。すなわち功利主義。
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このように、利口な利己主義も利口な利他主義も功利主義となりますから、両者は同一です。
すなわち、応報律に基づくならば(利口ならば)、利己主義も利他主義も同じとなり、区別が無意味になります。
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このようにして、「コラム:利己主義のすすめ」は破綻します。
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引用終わり
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ここから,いろんな論が展開されてますが,私は「利己主義と利他主義も利口であれば功利主義であり,区別が無意味」=「コラム「利己主義のすすめ」は破綻」という結論部分が違ってるのだと思います。
何故かと言いますと,私はコラム「利己主義のススメ」の趣旨を「『利己主義であるよりも利他主義であるべきだ』という考えを否定する」ものだと読んでいるからです。
これは,「利他主義であるよりも利己主義であるべきだ」と証明しなければいけないわけではなく,「利己主義も利他主義も差はないから,特段利他主義を強要する必要はない」とさえ言えればいいのだと解しています。
つまり,「利己主義も利他主義も同じとなり、区別が無意味に」なるなら,コラムの言わんとするところに沿ってると思うのですが・・・。
どうでしょうか。
No.784) もう時効だと思いますので iwatam(Thu May 19 01:23:29 2005) |
あなたの「読み」については、おそらく私の言いたいことが伝わっていると思います。なのでここではそれについて詳しく言うのはやめます。一つ認識が違うとすれば、この論のどこが違っているかです。
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まず、「応報の原理」について。
これを「自分が相手のために善い事をすれば、相手も自分に善い事をする」としましょう。
これが成り立つには前提条件があります。一つは、相手もまた利己主義であること、そして相手もまた応報の原理を認めていることです。つまり、応報の原理そのものが利己主義が存在することを仮定しています。ですから、利己主義の存在を否定するための論法として使うのはおかしいのです。
つまり、コラムで私が言ったのは、「全員が利己主義者でも、応報の原理を認めるならば相手の利益も考えて行動する」ということです。
相手が利他主義であれば、善い事をしなくても自分に善い事をするので、応報の原理があっても利己主義者は相手に善い事をする必要がありません。ですから、利己主義者は利他主義者に対して善い事はしません。こうして、善い事は利他主義者から利己主義者への一方通行になります。だから、利他主義者がいくら利口でも、自分の利益は大きくなりません。
ではもし全員が利他主義者だったらどうなるか。この場合については、紅井林檎さんが書いておられます。利他は利己の存在なしには存在できません。利己がない場合、利益の概念が存在しなくなってしまうので、利他もまた定義できなくなってしまうからです。
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上で書いたように、私のコラムの結論は「全員が利己主義者でも、応報の原理を認めるならば相手の利益も考えて行動する(=利己主義であってよい)」というものですから、これを否定するには「全員が利己主義者で応報の原理を認めていても、相手の利益を考えて行動するというわけではない(=利己主義であってはいけない)」を示さないといけないわけです。
これ以外の何を言っても、それは私のコラムとは無関係な何かを述べているにすぎません。
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ついでに「区別は無意味」の話をしますと、「区別」の「意味」は、観点があって初めて成立するものです。つまり、区別は客観的に存在するものではなく、人間が「する」ものです。
人間が何を言いたいかによって、区別は意味を持ったり無意味になったりします。ですから、何を言いたいのかをまず明確にしないと、区別が無意味になるとは言えないはずなのです。
ここでおそらく多くの人が「何が言いたいのかわからない」と感じたのだと思います。
No.785) 利他主義者とは? 風花(Thu May 19 12:30:50 2005) |
「利他主義者」というのは,どういう人でしょうか。
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利他は利己の存在なしには存在できません。利己がない場合、利益の概念が存在しなくなってしまうので、利他もまた定義できなくなってしまうからです。
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というのは,利他という考え方,利己という考え方のことではないですか?
私の考える利他主義者は「利己」という考え方を理解することができます。どのように行動すれば,「利己」に繋がるかもわかっています。でも,それを自分の行動決定の基準にしないということだと考えます。
つまり,利他主義者だけの集団においても,「利己的な考え方」そのものがなくなるわけではなく,利益の概念もなくならないのでは?
このような考え方のもとでは,全員が利他主義者だった場合,自分自身の利益のことには無頓着でも,周りの人間が勝手に自分のことを「利益ある状態」にしてくれます。
結果,自分も周りもともに「利益ある状態」になります。
ということになりませんか?
No.786) ずっと気になっている点なんですが エリー(Thu May 19 15:08:36 2005) |
No.788) 行動と意図 風花(Thu May 19 16:00:38 2005) |
No.791) 何となくしてしまった行動は? エリー(Fri May 20 10:01:59 2005) |
No.792) 行為とその成功・失敗 風花(Fri May 20 13:00:55 2005) |
No.793) 利益とは iwatam(Fri May 20 18:54:51 2005) |
そして、「客観的な利益は定義できない」ということも前提にしています。何を利益とするかは個人が好き勝手に決めることです。
No.794) 言葉の定義 風花(Fri May 20 22:48:54 2005) |
No.796) 堂々巡り iwatam(Sat May 21 01:30:44 2005) |
No.797) 頭がこんがらがりそうですが、ほぼ納得。 風花(Sat May 21 06:02:05 2005) |
No.781) 成果主義 アムロ(Wed May 18 09:32:23 2005) |
成果主義に対する私の考え方も少し書いてみましょう。
成果主義は、仕事の結果に対して報酬を出すシステムです。
そして能力主義はやった仕事に対して報酬を出すシステムです。
従来のやり方としては能力主義が主流でしたが、成果主義がもてはやされるようになってきて導入し始めた会社も多いということです。
しかし能力主義でも成果主義であっても仕事の結果について評価はしているはずです。どうして違いが生じるのでしょうか。
つまり能力主義では仕事の結果に対して直ちに金で報いるのではなくて、仕事の内容や質によって報いているということでしょう。
つまり今回良い仕事をしたと見なせば、次はさらに難易度の高い責任ある仕事をさせていき、それでさらに良ければいずれは昇格させる。そういう形で報いていたわけです。
これだと労務費という面からすれば必ずしもすぐに余計に金がかかるということはないので(もし余力がないとしても必ずしも金で報いなくてもいいから)メリットも大きいわけです。
つまりコラムの中にもあったように、能力主義では仕事に対して金を支払うというシステムのように見せて実際にはそこで仕事を続けるための代価を支払うという意味合いが強いので、やめない程度に支払っていればとりあえずは大丈夫という一面があるからです。
しかし成果主義だと結果に対しては直ちに金を支払わないといけないので労務費という面では当然ながら余計にかかることが予想されます。
もし結果を出しているのに金を支払わないという事態になると成果主義はそこで破綻するわけで、本来の成果主義では企業側としてはたいへん大きいリスクを背負っているということになるでしょう。
要は、仕事で報いるか金で報いるかという問題なわけで企業としては金で報いるよりも仕事で報いた方が無難だという考え方も成り立つのではないかと考えています。
もっとも成果主義が絶対にいけないということではなくて、業績が右上がりで成果主義を適正に運用できて、社員からも不満が出ない状態を続ける事ができるのであれば結構なことだとは思うのですが、これはたいへん難しいことでしょう。
No.783) コメントありがとうございます。 iwatam(Wed May 18 23:17:35 2005) |
1)
私のコラムでは、「やった仕事に対して報酬を出す」というのは(最終的には)努力主義という言葉で表しています。能力主義は「仕事をやる能力に対して報酬を出す」であり、極端なことを言えば、仕事をしないでブラブラ遊んでいてもデキる奴には報酬を出すということです。そんなバカなと思われるかもしれませんが、研究職ではそうあってもおかしくありません。
2)
成果主義の場合、結果に対して金を払えないということは起きません。なぜなら、結果が出ているなら儲かっているはずだからです。結果とは、その仕事によってどれだけ金を儲けられたかであると定義すべきです。成果主義の利点は結果が客観的に出てくることにあるのですから。結果としてそれ以外の指標を使うと、おっしゃるような問題が出てくるでしょう。
だから、成果主義は営業職ではしっくりきます。営業が売り上げた分は必ずお金になるからです。いくらでも作っただけ売れる商品なら、製造工程でも同じことが言えるでしょう。直接お金に結びつかない仕事では成果主義を導入する意義はないと思っています。
3)
仕事の結果をお金ではなく他の事で報いるべきだというのはその通りです。そして、それは評価とは独立した話でしょう。つまり、仕事の評価に対して何主義をとるにしても、その結果に対してお金以外のことで報いることはできるわけです。ノーベル賞をとった田中耕一さんの話を思い出しました。
しかしこの話には一つ落とし穴があります。それは逆に「社員がお金以外のもので何かをもらったとして、報いられたと感じるだろうか?」という問題です。最近の風潮を見ていると、金以外の評価基準を持てないのはむしろ社員の方ではないかと思うのです。
つまり、今までは仕事で報いることで無難に回ってきたのに、社員が金以外のものを報酬として認識しなくなってしまったがためにこのような問題が起きたということです。
No.787) ははあ、なるほど・・・ アムロ(Thu May 19 15:49:54 2005) |
2)についてですが、金を払えないということは本来は起きないように思うのですが、実際には起きたりします。
個人レベルでは成績が上がっていても部署単位では結果が出ていないというときに部署単位での独立採算制を採っていると基準になる査定が低くなって、それに上乗せされるとしても成績の上がっている個人にまで結果としてはしわ寄せがくるような仕組みの場合にこういう事が起きます。
そうなると大変な不満が発生します。
これはシステム上の欠陥でしょうけど。
まあ、成果主義の場合は本来ならば労務費はよけいかかるのに、実はけちるための言い訳にしている企業が多いのが現実だからこういう事が起きるのでしょうが。
3)金以外で報いるべきだというのは成果主義の場合はやはり通らないでしょうね。
成果主義は金で報いるのであって金で報いないのは成果主義とは言えないでしょう。
金以外で報いるというのは、成果主義を言い出さない時代なら通用したように思うのですが・・・。
あなたのおっしゃる "それは逆に「社員がお金以外のもので何かをもらったとして、報いられたと感じるだろうか?」という問題です。最近の風潮を見ていると、金以外の評価基準を持てないのはむしろ社員の方ではないかと思うのです。
つまり、仕事で報いることで無難に回ってきたのに、社員が金以外のものを報酬として認識しなくなってしまったがためにこのような問題が起きたということです。"ということになると確かに問題ですね。
金以外のもので報いるというのは仕事で報いるのが普通の考え方でしょう。
それ以外にも人事面で報いるということがあるでしょう。
まあ、これはいろいろ意見の出るところで、金よりも自由な時間だという人もいるし、上記のような人も確かにいるでしょう。
でも今までは仕事で報いてきて、うまくいけばやがて昇格させるということでやってきたと思うし、私の感覚ではそれで納得できるのですが、それでは納得できない人が多くなってきたということでしょうかね。
おそらくは年功序列制に対する反発がきっかけだったのかなという気もしますが。
しかしあなたのいうとおりだとすると目先の事にとらわれすぎる人が多くなったということになるのでは・・・。
このあたりの問題が今回の成果主義についての最大の問題点で本質的な問題ではないでしょうかとも思います。
今度はこの切り口から議論すればおもしろいのではありませんか。
No.795) iwatam(Fri May 20 22:51:59 2005) |
金以外の報酬の話は、あなたの意見を見てふと思ったことですが、ここ(ゲストブック)で語るには少し深すぎる内容だと思います。また改めてコラムの方で考えたいと思います。といってもいつになるかわかりませんが……
面白い問題提起をありがとうございました。
No.826) アムロ(Sat May 21 19:14:41 2005) |
まあ、私が本当に言いたかった問題はあなたが言及していらっしゃるように、仕事の結果に対して金でしか報いることができないのだろうか、元々は直ちに金で報いるやり方ではなかったのにという点です。