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No.458) もう一つ 焼鳥(Wed Sep 15 14:52:32 2004) |
> これはゲーデルによって論理学的に証明された「定理」であり、もはや議論の余地なく正しい事柄です。これに対して「いや、俺はそうは思わない」というのであれば、世の中にたくさんあるゲーデルの不完全性定理の解説書をお読み下さい。これがどうにも納得できないという人は、こう言い換えるとわかりやすいでしょうか。
> 論理体系、言い換えれば「考え方」をどう規定しようと、正しいとしても間違っているとしても矛盾が出る問題(パラドックス)を作り出すことができる。そしてその逆として、正しいとしても間違っているとしても矛盾の出ない問題(トートロジー)も作り出すことができる。
> この定理が証明される前までは、パラドックスが出てくるとしたらそれは考え方がおかしいのだと思われていました。
第一不完全性定理で言っていることは
「ある条件を満たすを体系Tとして、集合{A|TからAが導かれる}∪{A|Tから¬Aが導かれる} の補集合が空集合とはならない」ということですよね。つまり空集合にならないことを指して不完全だといっているわけです。
さらに第二不完全性定理「体系が無矛盾のとき、“体系は無矛盾”という論理式もその否定も導けない」では、“体系が無矛盾”およびその否定が補集合の中に入ってしまう。やはり不完全である。
ところで、iwatamさんの文章では“論理体系、言い換えれば「考え方」をどう規定しようと、正しいとしても間違っているとしても矛盾が出る問題(パラドックス)を作り出すことができる。そしてその逆として、正しいとしても間違っているとしても矛盾の出ない問題(トートロジー)も作り出すことができる”を第一不完全性定理の言いかえとして述べているわけですが、「作り出す」という表現は微妙で、単にsyntax的に構成するという意味ならば、不完全性とは何一つ関係ありません。よって言い換えになってはいない。では定理として出てくると考えたらどうか。不完全性定理の方では定理として出てこない論理式が在ることを主張しているわけで、やはり言い換えになっていない。
また、“この定理が証明される前までは、パラドックスが出てくるとしたらそれは考え方がおかしいのだと思われていました”と書いておられますが、この書き方だとまるで不完全性が原因となって矛盾が出てくるように思われます。しかし矛盾している体系が不完全であることはありえません。なぜならある論理式とその否定が同時に定理として成り立つ性質(=矛盾性)を持つならば、任意の論理式が定理となることが証明できるからです。つまりこれは、上で述べた集合の補集合が空集合になることを言っています。この証明は容易だし、この結果は有名でもあるのであえて証明法には触れませんが。
ここの話は第一不完全性定理についてのものでしたが、第二不完全性定理を考えても、これは無矛盾な体系では矛盾もその否定も導くことができないと言っているだけで、矛盾が出たらそれは単なる矛盾した体系です。不完全性とは関係ない。
No.462) 矛盾とパラドックス iwatam(Wed Sep 15 23:08:55 2004) |
No.464) 焼鳥(Thu Sep 16 02:28:23 2004) |
で、なぜ何を書いているのか分からなかったかというと、パラドックス文がいわゆるゲーデル文のことであるならば、それは確かに導けない文ですが、
導けない文がすべてゲーデル文であるという証明は見たことも聞いたこともないため(というか、第二不完全性定理の導けない論理式の存在が反例になってますよね)、文Aがゲーデル文(パラドックス)であるとはTからAも¬Aも導けないことをさすという理解のもと書かれた上記の言明を理解できなかったといったところでしょうか。
ちなみに、ゲーデル文を少なくとも明示的には用いていない証明法もあり(もしかしたら深いところで用いているのかもしれないが、わからない)、私がこちらの証明法に親しんでいたという極めて個人的な理由も分からなかった原因かもしれない。
また、手元のどの教科書(すべてが数理論理学の教科書ではなく、帰納的関数の教科書も混じってますが)を見ても、完成された定理の形はゲーデル文については直接言及していません。
つまり集合論的な記法に訳すと「集合{A|TからAが導かれる}∪{A|Tから¬Aが導かれる} の補集合が空集合とはならない」と書いてあります。
つまり「不完全性定理で言っていることはパラドックスが存在するということ」というのは言いすぎなわけです。確かに不完全性定理のゲーデルによる証明の構成法を考えれば、ゲーデル文というパラドックス文が存在することは事実ですが、多大な誤解を招きかねない。ゲーデル文(パラドックス)だけが導けない論理式と考えてしまうと、第二不完全性定理が間違えていることになってしまう。
正しくは「不完全性定理のいっていることはTから証明も反証もできない論理式がある」であり、かつ「そのなかの一つとしてゲーデル文というパラドックス文がある」とすべきでしょう。
ところで私は、不完全性定理についての議論の中で、パラドックス文と言う言葉を使うことに強い抵抗を感じます。
ゲーデル文という言葉を使いたい。
No.466) おっしゃることはわかりますが iwatam(Thu Sep 16 23:06:35 2004) |
No.465) 一応補足 焼鳥(Thu Sep 16 22:46:54 2004) |
No.445) コラムの感想をいくらか 焼鳥(Sun Sep 12 19:44:33 2004) |
> 公務員試験でよく「暗号問題」というのが出されるらしい。例えばこういうやつだ。
> 「いまかえる」が「0160100382」に変換されたとしたら「あいしてる」はどう変換されるか?
> 筆者にはなぜこうした問題が毎年平然と出されるのか不思議でならない。
公務員が必ずしも解の一意性が保証されている中で仕事をするわけではないという事実を考えれば、
このような問題を出すことも妥当だと考えられます。
解の一意性の問題を徹底的に突き詰めたら、それはいずれクリプキのプラスとクワスの論法へと突き当たります。
十分厳密に構築されていると思われている数学の世界での議論についてすら、そうなります。
しかし数学者はそのようなことは気にも留めずに、今日も数学を行えている。
これはなぜか。
それはすべての議論には論理的側面の他に、社会装置的側面があるからです。
ここで社会装置的側面とは、明確な根拠なくある種の社会的雰囲気によって「まあ、こんなものだろう」という風に結論を決めさせてしまう側面を意味します。
iwatamさんの論の主張は、どうも議論の社会装置的側面を軽視しているように思われる。
しかし実際の議論の場にて論理的側面のみを重視してしまうと、プラス・クワス的な方向に行ってしまい面白くない。
注:上でiwatamさんの論の“主張”とわざわざ書いたのは、iwatamさんは実際に論を組み立てる実践的場面では社会装置的側面を用いているからである。
議論のしかたのなかの10.1の囲み:
> 北朝鮮はテロ国家である。日本人拉致問題など数々の問題を起こし、条約を破棄して核開発を進めている。過去に言った事は何一つ守らない。
> こんな国家は放っておくとのさばるだけだ。このような国は先制攻撃で叩き潰すべきだ。
このように文章のごく一部を切り出すことは、文脈を無視する危険性があり良くないことは承知しているのですが、
話のたたき台とするために、あえてこのような形で引用いたしました。
本題。
この文章が論理的であるとするためには、この議論が「このような国は先制攻撃で叩き潰すべき」ということそれ自体を公理とした上でなされているとするか、
あるいは他の公理系から推論規則によってこの言明が導き出されたとするしかありません。
前者の場合、この言明が真であることは明確ですから、今後この議論はそれを導き出した論理体系が良いか悪いかという方向へ移っていくしかないでしょう。
しかしこの方向は、結局無限退行に陥っていきます。
では後者の方ですが、他の公理系から言明が導かれたとするには、まずその公理系を特定しないとなりません。
で、公理系を特定していく道程において、それが前者の場合のようなものであることもあるでしょう。そしてそれは無限後退へと陥る。
しかし多くの場合、この公理系に当たるものは個々人の感情であると思われます。
このようなとき、さらにどのような議論の発展のさせ方がありえるか。
例えば前者の場合よろしく視点をメタに移して「お前の感情は正しくない」と言ってみても、言われた本人にとっては自身の感情は絶対的(変化しないという意味ではない)なので、どうしようもない展開なってしまいます。
ではどうするか。結局それ以上議論を進めるためには、依拠する公理系を変えようとすること、すなわち感情を揺さぶるしかないのではないか。
そうして感情としての公理系(例えば上記の北朝鮮についての議論ならば“ミサイル打ち込まれて自分が死んだら嫌だ”など)をある程度互いに揃えた上でなければ、
実際のところ有効な議論などしえないのではないか。
ここでの私の主張はすなわちこうです。
逆説めくが、感情を無視しては論理的な議論は始められない。
以上長文失礼しました。
No.446) ちょっと補足 焼鳥(Mon Sep 13 01:58:40 2004) |
↑は前半後半に分かれていて、 議論のしかたのなかの10.1の囲み: の部分から後半になっており、内容的に前半と連続してはいないです。 一応空白の行を入れて通常モードで投稿したのですが、改行が削られすぎてしまったようです。
No.449) 感情論について iwatam(Mon Sep 13 22:23:31 2004) |
私が「感情論だ」と言ったのは、個々の言明についてではなく、言明同士のつながりについてです。前の言明と後ろの言明がつながっているかどうかです。個々の言明がどうか(そしてその真偽)というのは問題にはしていません。
「このような国は先制攻撃で叩き潰すべき」という言明が問題になるということは、議論が進展しているということであり、感情論でない証です。「感情論だ」と書いた方の意見はその中のどの言明も他とはつながっていないので、どれかを否定しても全体が否定されたことにはなりません。だから批判する側もどこを問題にしていいかわかりません。反論ができるからこそ感情論ではないのです。
「無限退行に陥る」と書かれていますが、その通りです。しかし、無限退行に陥るのは悪いことではありません。死ぬまで無限に議論を繰り返していけばいいのです。逆に、議論が途中で止まってしまうということは、それがもともと簡単な問題であったか、あるいは既に議論にならなくなっているかのどちらかであるということを意味します。
No.451) そうではなくて 焼鳥(Mon Sep 13 23:36:08 2004) |
> 「無限退行に陥る」と書かれていますが、その通りです。しかし、無限退行に陥るのは悪いことではありません。死ぬまで無限に議論を繰り返していけばいいのです。
実際の議論の場でもメタな方向へメタな方向へと議論を進めていく人をたまに見受けますが、
大抵はほどほどのところで止めないとくだらなくなってしまう。
> 逆に、議論が途中で止まってしまうということは、それがもともと簡単な問題であったか、あるいは既に議論にならなくなっているかのどちらかであるということを意味します。
これはレトリックとして受け取っておきます。まともに受け取るには飛躍がキツ過ぎ。
最後に一応私の立場の表明。
議論というのはそれが人間によってなされている以上は物理現象であり社会現象です。
ゆえに、議論とはその地平に立って理解しなければならない。
これはすなわち、議論とはある種の装置として考える立場になります。
No.454) iwatam(Tue Sep 14 22:25:49 2004) |
No.456) う〜ん 焼鳥(Tue Sep 14 23:43:27 2004) |
以上の理由で私はこの件からおります。本当はこの返信も書くか迷ったのですが。以上のようなことを書くこと自体、ルール違反を犯しているかもしれない。だから以上の部分については削除しておいてもらってもかまいません。
ちなみに、
> 「議論とはある種の装置」とおっしゃっていますが、何の装置でしょうか?
についてですが、これは単に“世界のなかに在って他の社会現象と相互作用するもの”といった意味で装置という言葉を使っただけです。
つまり、議論は社会とか人間とかの性質と切り離して論じることは本来はできないもので、とは言え、議論を語ろうと思えば便宜的にある程度切り離して語らざるを得ない、その場合は必ず細心の注意を払うことが要求されるということを言いたかっただけです。
この部分に関しては完全に説明不足でした。申し訳ありません。
最初は“道具”と書こうとしたのですが、そうすると“何の道具?”ってことになるだろうと思って“装置”にしたのですが、結局同じことでしたね。
“世界内存在”とでも書けば良いのかとも思いましたが、この言葉はすでに多くの議論の文脈を背負いすぎていますね。
No.457) 訂正 焼鳥(Tue Sep 14 23:49:03 2004) |
「論理の飛躍も多過ぎますがそうですが、ちょっと誤読が多すぎる」→「論理の飛躍も多過ぎますが、ちょっと誤読も多すぎる」
No.461) 残念ですが iwatam(Wed Sep 15 22:39:08 2004) |
No.450) 解の一意性と帰納法 iwatam(Mon Sep 13 23:09:26 2004) |
No.452) 焼鳥(Mon Sep 13 23:56:39 2004) |
それが公務員試験の試験中だということまで考慮すれば常識非常識の問題でもあります。
もちろんサンプル数の少ない問題から帰納された結論というのは脆弱ですが、しかし脆弱でもある程度その状況で可能性の高そうな結論を導けることは重要。
自然科学の研究の現場だって、まずは大掴みからはじめて、それが本当に妥当かどうかの検証に移っていくわけですから。
そういうわけで、私は件の出題は“あり”だと考えるわけです。
ただし、確かにもっと検討を要する出題ではありますが。文章で解答者に解答させるのが一番良いのでしょうが、現実的には難しいんでしょうね。
No.455) 穴埋め問題 iwatam(Tue Sep 14 22:55:04 2004) |
No.444) 『議論のしかた』のページについて 焼鳥(Sun Sep 12 07:39:55 2004) |
> ゲーデルによって、どんな主義にも「どちらともいえない」と言わざるを得ない問題があることが証明されました。
> だから、「『どちらともいえない』なんていう答えはおかしい」とは言ってはいけません。
> そしてその逆である「どちらともいえる」という問題も存在するのです。
> だから「『どちらともいえる』なんていうあいまいな答えはおかしい」とも言ってはいけません。
上記の“どんな主義にも”というのは正しいのでしょうか。
例えばペアノ算術の論理式の中には真偽を確定できないものが存在することが示せますが、
これはペアノ算術が十分に強力(ペアノ論理式で表せる述語は算術的述語に一致し、これは算術的階層の一番上に位置する)だからこそ示せることであって、もっと弱い体系だったなら、例えば原始帰納的述語を考えたならば、これは原始帰納的関数で定義されるわけですから、
このクラスの述語は決定可能なのではないでしょうか。
私は数学基礎論を専門としているわけではないので
もしかしたら誤解に基づく部分があるかもしれません。
もしそのような部分があったならばご教示ください。
それから大抵の議論は人間が自然言語を用いて行うわけですから、
ゲーデルの不完全性定理があるから「『どちらともいえる』なんていうあいまいな答えはおかしい」という言明は
誤りではないですがあまり意味がない。
No.448) 不完全性定理の話 iwatam(Mon Sep 13 21:51:33 2004) |
No.453) 不完全性定理 焼鳥(Tue Sep 14 00:02:42 2004) |
No.443) はじめまして なかやん[HOME](Thu Sep 9 03:08:36 2004) |
No.447) 功利主義の話 iwatam(Mon Sep 13 21:22:39 2004) |
No.468) 回答ありがとうございます なかやん[HOME](Fri Sep 17 21:46:24 2004) |
No.470) 経済学と利己主義 iwatam(Thu Sep 23 16:04:28 2004) |
No.438) リクエストさせて頂いてよいですか? アルフィン(Tue Aug 24 12:31:57 2004) |
最近ネットゲーム関連(リプレイ等)があまり追加されていないのが寂しいです。今はプレイされていないのでしょうか?
もしお願いできるのでしたら、プレイヤーキラー(PK)システムというものについてiwatamさんがどのようにお考えなのか、ぜひひとつのコラムとして拝見したいと思います。
多少自分にも意見と呼べるかどうかわからないですが考えるところはあるのですが、iwatamさんの論説を拝見したく思っておりますので・・・もちろん無理にとは申しません。
No.440) お久しぶりです iwatam(Wed Aug 25 00:18:39 2004) |
リクエストありがとうございます。書いてみようと思います。ただよく考えてみると私はそもそもMMORPGをほとんどやったことがありませんでした。いいのかなぁ・・・まいいか。
No.441) 「MMORPGは何をするゲームか」について アルフィン(Wed Sep 8 18:12:17 2004) |
「MMORPGをするなら、せめて「プレイヤーの行動」と「キャラクターの行動」を分けて考えなくてはならない。」には全く同感です。残念なことに、現在のMMRPGではそもそもRPGに対しての正確な理解がされているとは言いがたいがため、「分けて考える」ことについて一般的には受け入れらていない様子です。
ただこれはやむを得ないと思います。すなわち、本来のマンツーマンでのRPG(テーブルトークRPGと日本では一般的に呼称しています)を経験したことのあるプレイヤーの方が少数であるからです。
複数キャラクターを簡単に切り替えて遊べるMMRPGにおいて、別キャラクターをどう扱うかについても実は同様で、プレイヤーが一緒だと同じ反応をするのが一般的なようです。私は「それは違う」と思ってますが・・・。
ロビー形式がすべてに勝るかどうかは私には分かりませんのでそれについては論じられませんが・・・。
No.442) MMORPGとは何なのだろう? iwatam(Thu Sep 9 02:02:04 2004) |
「好きな作家」の欄に清水義範と有栖川有栖の名前を見つけて欣喜雀躍してリンクしたのは内緒です。
今は友人の薦めとココを見てハヤカワに手を出しつつあります。
機会があれば是非本の話をしてみたいところです。
もし気が向けばどうぞ宜しく。
No.439) こんばんは iwatam(Wed Aug 25 00:09:41 2004) |
No.435) zin(Tue Aug 17 12:59:13 2004) |
No.436) ありがとうございます iwatam(Wed Aug 18 03:29:56 2004) |