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No.1704) 「宗教」と「宗教性」 風花(Tue Jun 21 15:57:36 2005)
今月号の文化庁月報(株式会社ぎょうせい発行)に「日本人と宗教性」というテーマで文化庁長官と東大大学院教授の対談が載ってたんですが、コラム「宗教とは」と関連のありそうな部分がありました。
「日本人は無宗教だと言うけれども、その生活習慣などを見れば、むしろ宗教性は深いように感じる」というようなことです。
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初詣に行ったりだとか、お盆の行事に参加したりだとか、家の中に神棚や仏壇があったり。
日本人はそれを「宗教」と言いたがらないけれど、「宗教的」と言ってもおかしくないほど宗教性がある。
「宗教性」が日常の中にうまく組み込まれているので、教祖が誰で、教会があって経典があって・・・というようないわゆる「特定の宗教」は必要ないと感じているのではないか。
その「日常の中の宗教性」のことを「宗教」と呼べればいいのだけど、「宗教=特定の宗教」という風な意味を持ってしまっているので、日本人は「宗教」という言葉とうまくいっていないように感じる。
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というような内容で、「宗教」という言葉を「特定の宗教」と「宗教性」という2つの意味から捉えていました。
文化庁長官は、対外的に使う際には「宗教=特定の宗教」、「宗教性≠宗教」という使い方で割り切っているようです。
東大教授は「宗教=宗教性」という意味で使いたいけれど、日本の現状では「宗教=特定の宗教」が一般的になってしまっている。「宗教=宗教性」という意味で使えればいいんだけど・・・、というスタンスで語っているようでした。
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だからどうだ、という私の意見があるわけではないですが(^^;
コラム「宗教とは」を連想したので、ご紹介しとこうかと思い書き込みしました。
では。
No.1710) ご紹介ありがとうございます iwatam(Thu Jun 23 22:25:00 2005)
私が言いたかったことも、ほぼ同じことです。
その上で、文化庁長官のように割り切るのがいいのか、東大教授のような考えを貫くのがいいのか。文化庁長官のように公の立場で何か言わなければならない人は割り切らなくてはいけないでしょうし、逆にある程度好き勝手なことが言える立場にある人は、ちゃんと主張していかないといけないのだと思います。
No.1690) ユウヤ(Fri Jun 17 23:21:53 2005)
あの、お聞きしたいんですが
「コラム: なぜエロゲーオタクは嫌われるか 」って大真面目に書いた文章なんですか??
No.1691) 1688(Fri Jun 17 23:59:05 2005)
斜に構えつつ真面目なんじゃね?
少々、いやかなりえげつなく強調されてる部分もあるけど、
(首輪をつけてご主人様vなんてオタクでもぶんなぐるし、
 ロリコンで中高生、果ては小学生とまで円光するサラリーマンもいる
 首輪などは「ありえない」からこそ「二次元」でも「ネタ」になる。
 おもしろい事件のおこらない小説がおもしろい小説になるか?)
一般人がギャルげーしてる人間見て(内容知ったら余計)思うのは「きもい」だ。
そりゃ普通の恋愛の駆け引きを楽しんでいる人間に女性ばかりが従順なゲームみせたら「ありえない!」だろう
人を「物」として認識しているという点は同意だ。
特に匿名のネット上だと、ゲーム感覚のオタクをよくみかける。
だが、「コミュニケーションが得意になれば、オタクでも嫌悪されないと思うのはきっと間違いだ」と
「昔の風俗やエロ関係にはこうした節度があった」には疑問が浮かぶ。
ある程度コミュニケーションが取れる、職のあるオタクは、
「実は俺アニメとか見ててー」と言っても「マジ?あ、それっぽいかも」と笑い話になるだけだし、
昔の風俗は今の蛍光板を出すまでもなく「町全体がそれ」で、昼間っからお偉いさん相手に踊っていたし、
今のでこでこ蛍光板&目に毒な案内所はメッセサンオーの街頭テレビと「はって」いる。
目立つ時間が違うのはそれぞれの使用者の時間に合わせてだろう。
電気街に行っていきなりギャルげーのOPを見せられるのもきついが、
ただ飲み屋を渡り歩いているだけで目に入るでっけー広告もいらん。

…と、同人原画ーの一人が申して見ました。
No.1698) もちろん iwatam(Sun Jun 19 00:05:14 2005)
もちろん大真面目ですよ。ふふふ。
No.1701) 返信 ユウヤ(Sun Jun 19 04:28:00 2005)
ありがとうございます。
どうもさらっと見た感じだとトンチンカンにしか思えなくて。
No.1722) 嘘のつきかた (no name)(Wed Jun 29 17:34:36 2005)
ただ単に嘘のつきかたを研究しているコラムなので、あまり相手にしないほうがいいですよ。
No.1688) なんかすげーことになってますが、下 (no name)(Fri Jun 17 22:47:16 2005)
漫画かきですが、オリジナルで
ネーム切った当初自分を投影しまくりだった作品をテストにかけてみたのですが、5点でした。
いろんなのを入れても、最高で15点・・・。
二次創作は、オリキャラ入れることないから採点しようがないしな…。
創作漫画の採点は無理なんでしょうかね。

ちなみにハリポタは35点でした(笑

No.1692) どうなんでしょう…… iwatam(Sat Jun 18 01:54:55 2005)
設問を見るとなんとなく感じると思いますが、一昔前に流行ったSF/ファンタジー物を想定して設問が書かれていますので、他のジャンルだと当てはめにくいかもしれません。
それから、点数は結構いい加減なのであまり信じないように。といっても5点は少ない方だと思います。
なお、私はハリポタはよく知らないので、それについてのコメントはしないでおきます。
No.1696) (no name)(Sat Jun 18 20:41:57 2005)
SF/ファンタジー物…なんですけどね…。
未来世界から少年ロボットが!とか、私の学校が突然モンスターだらけの異世界に?!とか。(…ホラーか。)
一昔前の…というと、エルフとか緑色髪の毛とか天使とか悪魔とか、そういった系ですか。
でも逆にここの設定使うと、今時のアニメ向けのマンガができそうだ。
No.1700) そうでしたか iwatam(Sun Jun 19 02:01:43 2005)
もしそうだとすれば、純粋に点が低かったのでしょう。
「一昔前の」と書いたのは、最近、学園モノが多くなって、SFやファンタジーが下火になりつつあるように見えるからです。
まあ、「あそこの設定をつなぎ合わせたようなヤツ」と言えば、あとはそこから想像されるとおりのものを想定していると思っていいでしょう。
No.1687) (no name)(Fri Jun 17 00:37:12 2005)
コラムの数々、興味深いです。なんとなく思っていたものを改めて言葉にするとまた新たな発見がありますね。
ところでこういう体裁になれていないからかちょっと見づらいと思うのは私だけでしょうか。
No.1689) ご意見ありがとうございます iwatam(Fri Jun 17 22:58:26 2005)
ちょっと見づらいという話は、たぶん行間とか幅とかいった話だと思うのですが、多少いじってみてもあまり見やすくならないのでそのままにしてあります。
アドバイスなどいただけると助かります。
No.1681) non(Tue Jun 14 18:22:39 2005)
ガチガチの赤は赤以外敵だよ。
No.1686) “赤”も敵 サトー(Thu Jun 16 00:11:13 2005)
それどころか、修正主義も裏切りでしょうね。
 しかし、コミュニズム以外にも左はあるでしょう。“リベラル左派”とか。
No.1679) 野暮なツッコミ (no name)(Tue Jun 14 12:10:36 2005)
コラム「宗教とは」に記述のあった
「絶対唯一のものはない」を信じている=仏教徒
って、定義も乱暴だなぁ。この定義だと仏教徒の方も迷惑ですよ(苦笑)

宗教の信徒かどうかを規定するのは、別にその教えを信じているかどうかが問題ではなくて、本人が○○教徒であることを信じているかどうかだと思いますけどね。
その部分に明確な線引き&本人への納得性を持たせるために
「洗礼」とか「入道」とかそれぞれの宗教の儀礼があるわけで。

ただ、「宗教とは」や「信仰とは」のコラムで本来言いたいことは非常に同意。

以上、野暮なツッコミでした

No.1682) 乱暴ではありますが iwatam(Tue Jun 14 23:31:08 2005)
確かに乱暴ではありますが、日本の場合、明確に○○教徒という名前がついていないせいで、宗教というものをヘンに誤解することがあります。
つまり、日本人の場合、本人が△△であることを信じているのですが、その△△が「宗教」というカテゴリに入ることを知らないだけだ、というわけです。
初節句も七五三も成人式も葬式もお盆も初詣もやっているわけで、そういったものを儀礼だとすれば、立派に宗教でしょう。
No.1671) コラム「信仰とは」について senri(Mon Jun 13 01:47:20 2005)
キリスト教や一神教にとっての「信仰」「信じる」とは、神の教えを実践することになります。
神が人間を守る条件として、人間は神の命令…律法…を守らないといけないのです。それが契約です。
私自身に思い違いがあって、説明がだらだら長くなってしまったことをお詫びします。ごめんなさい。
 
では、この「信仰」についての考え方がすべての宗教に通じるのか、というと、答えは否です。
 
例えば神道。神道は一言で言えば、日本人のルーツです。多神教で、八百万の神さまがおられます。
神道を信仰する条件は、日本人であることです。日本人であれば神道の信者とみなされ、日本人でなければ信者にはなれない。
神道で言うところの神さまは「尋常ではないもの」「すぐれているもの」すべてです。
人間であるとか、動物、自然、いいもの、わるいものやこと、関係なく人間の目から見て尋常でないものすべてが神さまです。
ご先祖さまも神さまです。例えば電子レンジも、電子レンジが一般的でなかった頃は神さまでした。
神道を信仰するということは、そういうありとあらゆる神さまに感謝することです。
日本人は祭り好きですが、祭りはそもそも神に感謝をあらわすことでしたから、当然といえば当然ですね。
もっとわかりやすい例を挙げれば「いただきます」という言葉です。これは「ありがとうございます」という意味です。
 
神道の神とキリスト教の神を同じように扱うことはできません。信仰も全然違います。
それは一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教についても言えますし、
キリスト教内だけに限定しても同じことが言えます。
私が言いたかったのは、こういうことです。宗教や信仰はひとくくりでは説明できない、と。
説明するのならば、どの立場から言っているのかを明確にする必要があると考えます。
私にとっての宗教及び信仰とは、今のところは そんなもんはクソくらえ です。
No.1677) iwatam(Mon Jun 13 20:04:28 2005)
その通り、キリスト教の神と神道の神は違うものです。違うものなので本当は別の漢字を使わなければならなかったのですが、当時の日本人がそこまでよくわかってなくて同じ字を使ってしまったに過ぎません。
だから、神道の神とキリスト教の神を同じように扱うことはできません。今回のコラムのような、キリスト教でいう「神」の話は、神道の神の話とはまったくの別物として考える必要があります。
つまり、ここで神道が云々と言うこと自体が間違いなのです。あのコラムが神道の神のことも言っていると思うのが間違いなのです。
よく読めば、このコラムは一神教の立場から書かれていることもわかると思いますし、前半で出した神道の例は単に「違う概念だ」と言っているだけで、それ以上の何もいっていないことがわかるでしょう。
その上で、あなたがもし、「宗教も信仰もクソくらえ」と言うなら、もちろん止めはしません。しかし、それは非常にもったいないことだと思います。
まず、なぜあなたがそんなに宗教や信仰を嫌うのかをじっくり考えてみるといいと思います。
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