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No.394) こんにちわ Hannah(Wed Jul 7 16:21:37 2004)
あなたのウェブサイトは非常によい。
http://gowayo.co.kr
No.384) プリント基板製作についてお尋ね 岡村 直(Fri Apr 2 21:42:46 2004)
突然のメールを差し上げるご無礼をお許しください。
Googleで「プリント基板」を検索していて,偶然貴兄の「プリント基板を作ろう」を拝見しました。
電子回路のプリント基板作製のため,感光剤を探しています。
(サンハヤトの塗布済み感光基板は高過ぎます)
感光剤入手の方法をご存知でしたらお教えいただけませんでしょうか?
ご返事いただければ幸せです。
よろしくお願いいたします。
No.385) いらっしゃいませ iwatam(Sat Apr 3 00:31:14 2004)
サンハヤトの基板って結構高いですよね。
私もそう思って、アキバで感光剤を漁ったことがあります。残念ながらメーカまでは失念してしまいました。1つは塗料タイプのもので、もう1つはスプレータイプのものです。ラジオデパートのどこかで買いましたが、かれこれ10年近く前のことですので今もあるのかどうかはわかりません。
ところでそれを使ってみて私の出した結論は「サンハヤトはやはり高いだけあって良い」というものです。自分で塗るタイプの感光剤はどうしても塗りムラが出てしまい、パターンが切れてしまったりつながってしまったりしがちです。価格分のメリットは充分あると感じました。
もし同じ基板を大量生産するのであれば、最近では基板屋さんに発注というのも考慮に入れていいくらいの値段になってきたそうです。(伝聞なのは私自身は使ったことがないからです) CADデータを直で基板屋さんに持っていけば、わりと安い価格でプロの仕上がりになります。
そのものずばりの回答ではなくて恐縮ですが、何かの足しになればと思います。
No.382) mind[HOME](Tue Mar 30 04:11:15 2004)
ジャンケンが、
<1人gameかどうかについてですが、
ランダム戦略の「最強」さは、おっしゃるとおりです。
これを前提に、playerが自らランダムに徹せられるか否かをplayする、というのでは1人gameとなってしまいます。
 ただ、ランダム戦略の弱点は、(確率的な期待値以上には長期的には)絶対に勝てないこと、とくに、
明らかに相手がへまをしていると解っているときにも、それを利用して勝つことが出来ないことです。
これでは勝つchanceを予め放棄していることになり、その意味で最強とは言えません。
というわけで、自分の側は、ランダム戦略を採らずに、相手の採る戦略を推測してそれに応じた戦略を探す実益があります。
しかも、相手が真のランダム戦略を採る場合には、こちらは期待値以上の負けという損害を被りません。
――ランダム戦略を採るのは、なんか、相手がジャンケンの神様であると認めて"降参した"って感じがして好きじゃないんですよ

<無情報gameかどうかについてですが、
 ジャンケンゲームの公的ルールが明確にされているのかどうか知りませんが、
すくなくとも、繰返しのジャンケンについては、過去の履歴をDATAにしてはいけないというルールは無いはずです。
むしろ、「100回勝負」というときは、それを利用するのが普通でしょう。
ちなみに「繰返しの囚人のジレンマ」というトピックにおいても、そのことは当然視されていて、
その履歴をplayerたちがどう解釈して次の選択をするかに議論の焦点があるようです。
 ルールにやってよいと書かれていることしかやってはいけないのだとすると、
勝つための創意工夫の余地が減り、面白みが減ると思います。
反対に、ルールで禁止されていること以外は何でもやって良いとするのもアレですが。。。

予備知識なしに試していただくためとはいえ、
あやしい.exeを実行させてしまい、恐縮の限りです。
iwatamさんがランダム戦略を実行したのか、どれだけ時間をかけたのか、解りませんが、
対して、このprogramはランダムという要素を全く取り入れておりません。
ソースにして2KB程度のprogramが、これだけの複雑な振舞をします。
タネを明かすと、相手の手のシーケンスだけをDATAに、"最長一致法"で相手の次の手を予測しています。
知らない相手にこのprogramの指示どおりに手を出すと、お友達にも勝てますよ。相手がサイコロを持ち出すまでは。
さらに、相手がこのprogramを分析し尽くすと、100戦100敗の連続と言うことになります; ;
つまり、こちら側についての予備知識がなく、ランダム最強論を採る、人間に対してこのprogramは、
短期 確率的期待値どおりの勝ち負け。 ――DATA不足あるいはランダムの成功
中期 確率的期待値以上に勝てる。 ――人間が飽きてパターン化
中長期 確率的期待値どおりの勝ち負け ――サイコロなどを持出される
長期 完全に負ける。 ――分析ずみ、完全に予測される
ということになりそうです。。。
私は作成者なので、いつもパターン化して負けてしまいます♪

No.383) おっしゃることはよくわかります iwatam(Wed Mar 31 16:05:31 2004)
「ランダム戦略」は負けない戦略であって勝つ戦略ではないこと、そしてそれは「降参した」という感じがするというのもその通りだと思います。これについては難しい議論になりますので、また改めて書きたいと思います。
なお、「DATAにしてはいけない」と言ったのは過去の履歴ではなく、相手の性格や思考パターンのことです。「相手が自分のことをよく知っているのに自分は相手のことをよく知らない」というだけでゲームにハンディを負うのは厳密にはよくないことです。なお「厳密には」ということで、本当にやってはいけないことだとは思っていません。ただ、それを頼りに「ゲームである/ない」を論じるのは少し無理がある、ということです。過去の履歴はゲームのルール内だと思います。
なお、ゲームのルールにない「創意工夫」とはすなわちイカサマの創意工夫であり、麻雀でつばめ返しや積み込みがいかに創意工夫の産物で面白いものであったとしても、やはりゲームとしてはやっていけないことです。
なお、下の私の対戦成績は複雑なことをやったわけでも何でもなく、いただいたEXEファイルで自分で遊んでみただけです。というわけで、「こちら側についての予備知識がなく、ランダム最強論を採る人間に対しての結果」であると見ていただければよいと思います。
(で、後の方が対戦成績が悪いのも「人間が飽きてパターン化」というのにかなり当てはまっていると思います)
No.380) mind[HOME](Sun Mar 28 11:14:54 2004)
たしかに、自然を相手とした1人gameは、修行のようであまり面白くありません。
しかし、ここにジャンケンgame programが相手としてあるとしましょう。
computerは、意思を持たないようですが、何も「考えて」いないと言っても
何かしらの意味で「選択」をする事は可能です。
すくなくとも、programmerはcomputerに採るべき戦略を与えています。
とするとこれを推測しようとすることもできるわけで、
おっしゃるところの狭い意味のgameと考えることも出来るでしょう。
この場合、傍若無人な自然を相手とする1人gameと同列に考えないほうが素敵な感じがします

また、ジャンケンは無情報gameとありますが、
一回限りのジャンケンでも、
 相手が人間なのかcomputerなのかとか、相手の性格・思考パターンとかを知っていれば、若干情報が有ると言えるでしょう。
繰返しのジャンケンでは、それに加えて、
 それまで両者が出した手のシーケンスが双方に共通の情報と言うことになります。
その他にも、かかった時間などが付随情報として考慮できるかもしれません

先の投稿の妙ちきりんなところにつきましては、
ぜひ拙作(for windows)を試していただけると嬉しいです:-p
http://mrmind.hp.infoseek.co.jp/programz/janken/MockJunk.exe

No.381) ランダム戦略が最強な訳 iwatam(Sun Mar 28 14:16:09 2004)
繰り返しで申し訳ありませんが、ジャンケンでは「ランダム戦略」が最強です。何をもって「最強」かというと
1) たとえ自分がランダム戦略をとると公表しても、相手に有効な反撃策がない。
2) 過去の履歴も相手の情報も一切見なくてよい。
という2点からです。
確かに「人間は完全にランダムにはなれない」というご指摘もその通りです。ですからプレイヤーは完全にランダムになることを目指します。これは相手がいてもいなくても関係なく、自分の中だけで閉じこもった行為です。そしてジャンケンはゲームではなくなってしまいます。
コンピュータの戦略を推測しようとすることもできますが、ジャンケンではその必要はありません。ただランダムに出せばいいのです。相手がランダムでないという保証はどこにもありません(むしろその方が多い)ので、相手の戦略を推測しようとする行為は時間の無駄に終わる可能性があります。そして、相手が優秀なジャンケンプレイヤーであればあるほど(パターン化されていないランダム戦略をとるため)推測は時間の無駄になってしまいます。
ジャンケンを「無情報」と呼んだのは、純粋にゲームのルールとしての話です。ゲームのルール上は相手の性格も思考パターンも過去履歴も関係なく、単に双方が出した手によってのみ勝敗が決まります。そしてその結果は次回には影響を与えません。ゲームのルールにない情報を使うのはプレイヤーにとって不公平であり、厳密に言えばイカサマにあたります。

補足として、ご提示いただいたソフトの対戦成績を書きます。
CPU-自分
34-35
33-39
37-27
29-40
40-22

No.378) ジャンケンgame mind[HOME](Sat Mar 27 05:40:27 2004)
友人と面白いカードゲームを作ろうという企てを話してて、ここに来ました。
ゲームに対する真面目な取組み、共感するものがありました。

ところで、実際のジャンケンgame、捨てたものではないですよ
なぜなら、人間は、ランダムには振舞えないからです!
100回も繰返せば出す手の規則性が顕著になってしまい、
そこをcomputerで分析すると、勝率5割以上をあげることが可能になってしまいます。
人間は、「「相手」がランダムに振舞っている」と信じて、
「ランダム」に応えようとすると、負けてしまいますー
このgameに短時間で勝とうとするのは極めて難しいです。

No.379) ジャンケンについて iwatam(Sat Mar 27 16:00:41 2004)
ゲームデザイン論のところではジャンケンは「ゲームではない」と言いました。
ゲームのゲームたる所以は、プレイヤー同士の意思のぶつかり合いにあります。お互いに意思があるからこそ「読み」が存在するわけです。「相手が何を考えているのか」を推測するのがゲームであり、「相手が次に何を出すだろうか」を推測することとは違うことです。
何も考えてない相手とジャンケンをするのは自然を相手に戦うことであり、考えることは多いかもしれないし面白いかもしれないけれどそれはゲームではありません。
ここでの文書はすべて(対人)ゲームの観点でものを言っていて、世の中で言われる「ゲーム」より狭い意味であること、そしてここで「面白くない」と言っているのはこの狭い意味のゲームではないと言っているだけで一般的に面白いかどうかとは別問題であることをご理解いただきたいと思います。
もしご意見がありましたらまたお聞かせください。よろしくお願いします。
No.375) 客観的根拠とは? デビル(Tue Mar 16 16:43:40 2004)
こんにちは。「議論のしかた」拝読しました。

ところで、ある主張に対して、反論をするのではなく、いわゆる「何時何分何曜日」論(?)で、根拠の無効性を指摘し、それをもって自分を正当化する人がいます。

私は今、違法行為についての議論に参加しています。
私が「この行為は違法だ」と主張するのに対し、その人は、根拠を崩すこと一辺倒で「だったら違法だとは言えない」と主張します。
「だったら違法だとは言えない」であって、「違法ではない」とする主張がありません。
そのため、私は反論もできないまま、結果として「違法だとは言えないから、違法ではない」となってしまうのです。
なんか、フェアじゃない気がします。

「客観性」とは、なんでしょうか。
「ある人物がとった行動(事実)」と「法律」と「過去の判例」を用いて(照らし合わせて)、「したがって違法である」と論理的に述べるのですが、

相手・「それは結局お前の主観でしかなく、お前がそう思っているだけ。つまり妄想でしかない」
私・「『事実』『法律』『判例』は、客観的根拠になりませんか」
相手・「では、『事実』である客観的根拠を挙げよ。『法律』に抵触する客観的根拠を挙げよ。『判例』を今回のケースに用いる客観的根拠を挙げよ」
私・「『法律』で禁止されている行為をした『事実』は、誰が見ても明らかでしょ。同じことをした人の『判例』は参考になります」
相手・「では、『誰が見ても明らか』の根拠を挙げよ。それは客観ではなく統計だ。国民調査の結果を明示せよ。別件である『判例』を持ち出すのは、すり替えでしかない。ひきょうだ。別件を持ち出すならまず、別件と今回のケースが同じである客観的根拠を挙げよ。」

以下、
私・「それは、○○だから」
相手・「では、○○という客観的根拠を挙げよ」
…こういった調子で延々と続きます。一言一言、「その客観的根拠は?」で、それがないと「お前の妄想」。

そうして、「結局、お前の主張は、みんなが納得できる客観的根拠がない。つまり、お前の主張は通用しないってことだよ。フフフ」と勝利宣言(?)するのです。
「根拠も示せないのに、妄想だけでひとを犯罪者呼ばわりするな。お前がやっているのは差別だ」ということになってしまいました。

こういった場合、どのように対応すれば良いのでしょうか。意見を主張したくても、この論法で出鼻を挫かれると、本当に困ります。

No.376) 質問をすべきだと思います iwatam(Sat Mar 20 03:09:42 2004)
心中お察しします。こんな風に議論どころかまるで話のできない人がまだまだたくさんいます。

私は、まず「本当にこんな人と議論をする必要があるのか」から考える必要があると思います。極端な話、「はい、あなたの勝ちです。おめでとう」で済ませて二度とその人とは議論しないという手が一番現実的ではあります。

それは議論からの逃げだという話もありますが、私は別に逃げていいと思います。
それは議論に負けたことになるという話もありますが、議論に勝ち負けはありません。

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とはいっても、やはりどこかフェアでないものを感じます。れはなぜかという
と、相手が質問をしてあなたが答えるという一方的なやりとりだからです。疑問
に思ったところはあなたも質問してみてはいかがでしょうか。

例えば「お前の妄想」と言われた時に「なぜこれが私の妄想だと言えるのですか?」
と質問すればいいのです。相手が「○○だから」と言ってきたら、「○○だという客観的証拠を挙げよ」と言えばいいのです。
「つまりお前の主張は通用しないってことだよ。フフフ」といってきたら「なぜ通用しないのですか?」と聞いてみればいいのです。

基本的に、納得のいかない個所を質問すればいいのです。
ただし、この展開ではおそらく有益な結果は生みませんから、するのはエネルギーの無駄ではあります。

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なお、このように低レベルな相手に合わせて同じ論法を使うと自分も相手と同レベルになってしまうと思われるかもしれません。その通りです。そして、議論では相手と同じレベルに立たなくてはなりません。違うレベルで話していては議論がかみ合うはずもありません。相手のレベルに合わせるというのは大事なことです。

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こうした構図がなぜ問題なのかというと、相手は意見を変えるつもりはまったくないのにあなたが相手の意見を変えようとしているからです。議論には強制力はないので、相手が自分から変わろうとしない限りあなたは相手の意見を変えることはできません。
逆に、相手より自分の方が正しいと思っているなら、相手の意見を無理に取り入れる必要はありません。相手の意見を取り入れたいと思うのはそれが自分の意見より優れているからであるはずです。

つまり、なぜフェアでないと感じるかというと、本来議論にはないはずの強制力を勝手に感じてしまうからです。議論は相手の意見を変えるのが目的ではありませんし、自分が間違っていると思う方向に自分の意見を変える必要もありません。

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私はあなたの問題の背景は知りませんので、ここで述べたことは的外れかもしれません。しかし、議論で起きるトラブルの多くには、そもそもなぜ議論をするのかという目的を見失っていることが往々にしてあります。
私が気になったのは最後の「意見を主張したくても、この論法で出鼻を挫かれると本当に困ります」という一文です。意見を主張するのではなく、疑問をぶつけ
てみるというスタンスでいれば得るものがあると思います。例えば「客観性とは何でしょうか」とずばり相手に聞いてみてはいかがでしょう
か。

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以上、批判めいたことも書きましたが、私が思ったことを卒直に述べました。
ご参考になりましたら幸いです。

No.377) ありがとうございました デビル(Sat Mar 20 18:59:11 2004)
お返事ありがとうございました。

きちんとした反論であれば(「それは違う」など)、相手の考えていることが見えて良いのですが、このようなやり取りの繰り返しは、おっしゃる通りエネルギーの無駄ですね。

相手は、私の論を検証しようともせずに、ただ困らせようとしているだけのようです。
(質問の際、「それではこれでどうだ。答えられないだろうアハハ」と書いていますので)

最初は「知ろうとしているから、質問しているのだな」と、いろいろ説明してきましたが、そうではなく、ただ困らせるためだと分かったので、もうやめにするのが賢明ですね。

>疑問をぶつけてみるというスタンスで

了解しました。
ただ、彼に対しては、もう関わらないようにします。(苦笑)

No.373) 文系か理系か 山吹次郎丸(Wed Feb 25 22:46:56 2004)
はじめまして。
20代も半ばを過ぎた会社員(男)です。
iwatamさんのコラムの明快で理路整然たる論理の展開に、楽しませてもらうと同時に多くの啓発と思考材料をいただき感謝しています。

文系と理系の区別に関して考えたことなのですが、
文系学問は人間がいるがゆえのものを対象とし、理系学問は人間のいるいないとは無関係にそこにあるものを対象にする、というような区別を聞いて、なるほどと思った記憶があります。
もっとも、量子力学だの人間原理だのを聞くと、その区別も曖昧になってきますが、究極的には文系の命題も理系の命題も同一の理論から説明できるようになれば、科学も終わりが見えて来るということでしょう。
「科学の最終目的はただ一つ、人間とは何か、を説き明かすことである」
という主張を私は支持してます。

とはいえ、文系人間と理系人間の違いという事になれば、それはまた違った議論になるのでしょう。

一つの案として、こんな区別はいかがでしょう?
「理性に重きを置いてこそ人間」と思うなら理系。
「感情に重きを置いてこそ人間」と思うなら文系。

No.374) 少し恥ずかしいような iwatam(Sat Feb 28 02:20:48 2004)
「文系と理系」の話は、まだコラムの書き始めの頃だったこともあって、今見るとちょっと恥ずかしいようなところもあります。一番恥ずかしいのは、ずばり「文系と理系とは何か」を書いていないことです。
 文系と理系は、あなたのおっしゃるように、文系は人間(あるいは考える葦)から生まれるものを対象とし、理系は人間がいなくてもあるものを対象とするという区別が明確でよいと思います。
 そして、心理学とか人間機械論などは理系に傾いた文系で、人間原理などを含む宇宙論は文系に傾いた理系なのでしょう。
最終目的でいえば、理系は「世界とは何か」で、文系は「自分(人間)とは何か」になるのかなと考えました。なにやら面白そうなテーマではあります。
 で、理系人間と文系人間の区別ですが、2つではなく、「体育会系」も含めて3つに分ければいいんじゃないかとも思いました。そして「体育会系=バカ」と。でも、感情というのも文系というより芸術系ですよね。うーん、難しい。
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