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No.1746) 初めまして (no name)(Fri Jul 1 22:48:12 2005) |
さて。この度書き込ませていただいたのは、iwatam様のオタク関連のコラムを拝見していて少々個人的な疑問がわいたからでした。
その疑問というのは、iwatam様の個人的な部分に触れてしまうのですが、以下のようなものです。
<質問>
・ずいぶんとつまびらかにオタク(マニア)関連の批評をなさっていますが、 iwatam様は実際にマニア(ないしはオタク)と、世間一般でカテゴライズ されるような人物なのでしょうか(つまりコラム内で語られている
オタクやマニアの行動(歴史)を実体験として経てきたのでしょうか)。
ということです。要するに、経験者が書いたのか否かを個人的に知りたいなー……ということです(それによって、私個人としてのコラムに対する評価(視点)ががらりと変わってきますので)。
もちろん、著者の個人的来歴はコラムの内容とは、まるで関わりがないではないかという場合は、お答えいただかなくとも結構です。
それでは、唐突かつ不躾な初書き込みとなってしまいましたが、此度は
これにて失礼いたします。
あ、ちなみに私はオタクです(とは言ってもオタクの世界をあまり知らない人間なので、iwatam様のコラムに教えられる部分も多かったのですが)。
No.1754) 少し迷いましたが回答 iwatam(Sat Jul 2 23:35:27 2005) |
No.1761) ご回答ありがとうございました。 (no name)(Sun Jul 3 08:32:24 2005) |
No.1746の質問は、ぶっちゃけ「あなたは、マニア(もしくはオタク)ですか」と聞いているので、我ながら「失礼な質問をしてしまったかな。答えてもらえなくても当然かな」と思っていたので、こうしてお答えいただけたことは、望外の喜びです。
それでえっと、私が(プロフィールから察する以上にはっきりした)著者来歴をちょっと知りたいな、と思ったのは、たとえば海外のすぐれたSF小説やノンフィクション作品に触れた際に、著書の中で展開されている知識(や見識、価値観)などに感心した後、さらに納得(あるいは賞賛)するための心理だったりします(つまり、自分では及びもつかないような発想や、知識に触れられると「なぜこの人は、こんなに博識なんだろう。……ああ、複数の博士号を持ってる(勉強した)人が(もしくは過去に外交官を歴任したとか、世界中を旅したなどの過去があって)書いているんだ。だからこんなにも厚みのある知識や描写、観察力が展開されているんだな」ということです)。
私も、書いた人間が誰であれ、「正しいことは正しい」と主張する人の気持ちは分かります。ですが、同時に人間はやはり発言にはそれにふさわしい発言者の背景を無意識に求めるものだと思っています(たとえは悪いですが、たとえば連続殺人犯が(一般的に述べられている)人道や正義について語った(他人に対してこうしなければならないと説教した)としても、ほとんどの人は聞く耳を持たないと想像できるのと一緒です)。
特に経験を重視する人、もしくは経験からしか語らない人からすれば、経験もないのに語ること自体が笑止な限りであり、その分析力や思考力には感心すれど「ああ、経験してない(やったことない)のに書いてるのね」と一笑にふされる(あるいは割り引いて考えられる)のがオチではないでしょうか(「まあ、言いたい奴には言いたいことを言わせておけ」(相手しないけど)という心理と一緒です)。
長くなってしまいましたが、要するに私個人がより深くiwatam様のコラムに感心したいがゆえにさせていただいた質問だったのでした。
お答えいただいた内容は、想定の範囲内といえばいえるのですが、これ以上立ち入ったことをお伺いするのも失礼かと思いますので、この度はこれにて失礼させていただきます。
ほんとうにありがとうございました。
それでは、これからも楽しくコラムを執筆なされてください。
影ながらご期待申し上げています。
No.1771) iwatam(Mon Jul 4 00:21:53 2005) |
No.1773) えっと…… No.1746(Mon Jul 4 20:10:59 2005) |
確かに、何らかの情報を得て判断することも決断することも、自分自身の責任(能力)においてなされなければならないでしょう(iwatam様のコラムやここの返信に「自分の言葉で」という一言が付け加えられているところから、「何事も自分の頭で考えて答えを出してください」のようなiwatam様の考え方は伺えます(それ自身は、正論だと思いますけど))。
でもまあそれとはべつに、私個人の考え方として、「どんな価値観も情報も、処理する知性(能力)の器を越えることはできない」というのがあります。器は訓練次第である程度は深さや広さを増すことができるのでしょうが、正直なところ他者の考えを一〇〇パーセント理解できない(もしくは共感できない)のと一緒で、一定の限界があると思ってます(そうでなければ、誰もがアインシュタインやモーツァルト(は適切じゃないかな)にだってなれているはずですから)。
で、自分の知性を越える価値観や見識、知識を提示された場合、何によってそれらの情報の妥当性を判断するかということになるのですが、まあその手段の一つとして「経験」があるものだと、私は思っています(それの対極にあるのが「想像力」でしょうけど)。
経験がないことを書くのであれば、その妥当性を証明するために、他人の「経験」を借りてくる必要がでてくるでしょう。他人の経験とは、その人とかわした会話(意見ないしは視点)であったり、その人の著作であったりするわけです。
一般的な意見から申し上げれば、たとえ他人の経験(つまりは著作中の言葉や内容)であっても、それを自分の頭で考え、咀嚼した時点でそれは自分の言葉(もしくは知性)になるといわれるでしょうが、他人へ提示する場合はほんとうにそれだけでよいのでしょうか。
確かに「自分の言葉」にはなるかもしれません。しかし能力を超えた部分は、どうなるのでしょう。欠落はしないでしょうか。矮小化されてはいないでしょうか。
それらを総合的に判断するためには、著作の内容に対してどこからどこまでが著者自身の言葉で、どこからどこまでが他人の経験からのアレンジであるか見極める必要が出てきます。
著者自身の言葉は、その人の経験(見聞きしたこと、あるいは行動したこと)が(基本的に)もとになっていると思いますので、(自然な読者の感情として)まあ大きな誤りはない(またはそういったこともあったのだな)と判断できます(無批判に全面肯定する行為は、かなり危険ではありますが、それはまたべつの話、ということで)。ただ問題は、重ねて申し上げるとおり、(他者の経験としての)著者の言葉です。
著者来歴や資料名の提示などは、読者がそれらを総合的に判断するために必要な情報ではないかと、私などは思っています(もちろん必須ではないですし、それはむしろ著者の良心的な部分からくるといえばいえるのですが(公的な著作に関しては、基本的に必須ですけど))。
でもまあ、長々と書いてしまいましたが、私自身上で述べた内容で、著者来歴や提示された資料などをいちいち当たったりすることが少ないのですけど(つまり総合的な判断を言うほど下してはいません)。あればあったで安心ていどの心づもりなのです。
だからダメもとでiwatam様にお伺いを立ててみたのです。
あ、それから、たしかに著者来歴によって失望したからといって、感心した意見のすべてを捨てることはないと思います。ただし、感情的な反発はまぬかれないでしょうね(人間の自然な心情として)。
昔から西洋の哲学では、感情の上に理性を置こうと四苦八苦してきましたが、未だ多くの人間は人間足り得ず、動物レベルなのかも……知れませんね(もっとも、哲学者の言う前提を肯定すれば、の話ですが)。
またまた長文にて返信をしてしまいましたが、お返事をありがとうございました。それでは今宵は失礼させていただきます。
No.1783) iwatam(Wed Jul 6 01:45:11 2005) |
No.1789) うーんと……。 No.1746(Thu Jul 7 01:11:34 2005) |
うーん……でもなんといおうか、iwatam様のお考えは、一つの価値観として承っておきますが、お返事を拝見していて自分以外の他人を基本的には信用なさらない方なのかな、という印象を強く持ちました(私も大抵、猜疑心は強いですけど)。
妥当性を判断するということは、「まあ概ね正しいだろう」と結論づけることで、それは言い換えると発言者を信頼するということにほかなりません。
安易に信頼することは、確かに危険ですが「まあ概ね正しいだろう」と結論づけるのに、個人の経験が説得力を持つのは、それが実際に行われてきたことだから、という一点につきます(その点で、自分自身の経験が矮小化されていようが欠落していようが関係ありません。なぜならば基本的にその人が「見てきたことだけ」を語ることになるからです(重ねて申し上げる通り、矮小化と欠落が問題になるのは「他人の」経験を自分流にアレンジして語ることです))。
「安易に他人を信じちゃいけないよ」というのは、人生訓としては確かに間違ってはいないと思いますが、一方で社会システム(人間関係)は基本的に(他人への)信頼性をベースに構築されていると思います。ですので、理解できないことまたは、経験していない(できない)こと(の情報)に遭遇した場合、すべては自分自身で行えない(確認できない)以上、他人が何をやってきたかを知ることによってその人の発言を信頼するというのは、べつだん特異な考え方ではないと思うのですが、いかがでしょうか(そうでなければ、そもそもマスコミ(今では信頼性は低いですが)という職業も、学者という職業もほか、大抵の職業は成り立ちません)。
むろん、安易な思考停止におちいる危険や、それは全面的な他人への依存であって、自分で判断していることにはならない、などの反論が成り立つことは、充分に承知しております。「科学者は基本的に自分の目で見て確認したこと以外信じてはならない」といった訓戒もあることも承知しています(実際、科学では他人が追試を行い証明するまで、どんな優れた学説でも仮説にしかすぎませんが)。ですが可能性ばかりを言い立てて、「危険だから信じない」「わからないから必要ない」では、穴蔵の中に閉じこもって一人で一生をすごすことと同じような気がするのは、気のせいでしょうか(騙されるくらいならそっちの方がマシだろう、というのであればもはや何もいいませんけど)。
ちなみに、私がiwatam様ご本人にご自身の来歴をお伺いしたのは、単純に「自分のことは自分が一番よく知る」という一般通念からであり、またiwatam様の数々のコラムを拝見していて感心すると同時に、教育のことを雄弁に語っていらした際、「教育者ではないですよ」という一言があったからです(それでは、マニア(オタク)のことはどうなのでしょうか、という疑問です(むろん、HP上のプロフィール自体は拝見しているので、勝手な推測はしていますがあくまでも私的推測ですので、ご本人自身から(より確実な)なんらかの裏付けがとれれば、その方がましかなというていどです)。
「騙すほうにしてみれば、そういう人がもっとも騙しやすい」のであれば、いくらでも偽りを語ればいいです。ただし嘘がばれた場合は、次からは信頼もしないし、相手もしなくなる、それだけのことですから。
以上のようなところでしょうか。正直なところ議論はあまりやったことも、やろうとも思っていないので矛盾点があったり見苦しかったりするところも多々あるかも知れませんが、ご指摘ないしはご容赦いただけましたら幸いです。
それでは長々となりましたが、これにて失礼します。おつき合いくださいましてありがとうございました。
No.1790) iwatam(Thu Jul 7 01:38:43 2005) |
No.1796) shiono(Fri Jul 8 17:15:10 2005) |
No.1797) 書かないつもりでしたけど…… No.1746(Fri Jul 8 20:30:53 2005) |
実をいうと私が問題にしているのは、「文章内容の信頼性」だったりします(客観視できるか否か、人間関係を構築するとかは、まるで関係ないです)。
ある「事実」を元にした文章の場合、その内容を(あるていど)信頼(実際にあったことと判断)するためには、その文章のどこからどこまでが、著作者自身の経験で、どこからどこまでが他人の経験(言葉など)からの引用か、見極める必要があると思うので、質問させていただいただけのことです(べつに厳密である必要はないです。ただおおざっぱでも、他人の経験の部分がわかるのであれば、なにかで調べた際より豊かに内容を把握(つまりは理解)できるかな、と思っただけで)。
まあでも、コラムページの注意書きや、今回のiwatam様の書き込みを拝見していて、そもそもの前提が違っていたことに気づかせていただきました。要は「(内容が)間違っていようがいまいが、自分の言葉で言いたいことを書いているだけ」なのかな、と。そして「読者はそれについて勝手に考え判断してください」、と(iwatam様は必ずしも「事実」を伝えたいわけではないらしいのだな、と(思い違いの場合はすみません))。
確かに、著者の内情を知らなくても、何かを感じる言葉、内容はあります(私も大抵は、その場における文章の内容のみで考え、判断してます)。ただ、色々考えて自分なりの結論を出すためには、著者の立場や周囲の状況、その人柄に由来する物の見方がわかれば、より深くなるのではないか、と勝手に考えているだけで(まあ、こんなネット上の不特定多数が見る場に書く方が、どうかしているのですけど)。
印象を悪くするかも知れませんけれど、私は自分のことを「観察者」だと思っています。他人の言葉も、(私自身を含めた)すべての事象も私にとっては観察する対象にしかすぎません(逆に他人から観察されたとしてもべつにどうこういうつもりはありません)。
なのでより深く把握したいがゆえに、させていただいた質問ということで、お許しいただけましたら幸いです。
それでは、ほんとうに失礼しました。これにて最後にさせていただきます。
No.1742) 確信犯について はるゆき(Fri Jul 1 21:36:16 2005) |
No.1744) iwatam(Fri Jul 1 23:30:50 2005) |
No.1764) はるゆき(Sun Jul 3 19:03:48 2005) |
No.1765) iwatam(Sun Jul 3 20:50:36 2005) |
No.1736) (no name)(Fri Jul 1 05:30:09 2005) |
ちょっとコラムで説明されているものとは違う意味合いで使われているので違和感を持ちましたのでご紹介しました。
http://www.burikko.net/people/otaku.html
No.1738) ご紹介ありがとうございます iwatam(Fri Jul 1 10:29:55 2005) |
No.1728) 「こころを強くする」 あだち(Thu Jun 30 21:52:30 2005) |
失礼します
「勝手書き込み」をお許しください。
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No.1724) コラム『漢の不在』読みましたが… ゲロニモ(Thu Jun 30 05:05:25 2005) |
No.1718) はじめまして 蟲森真(Mon Jun 27 01:05:52 2005) |
No.1719) こんにちは iwatam(Tue Jun 28 02:11:45 2005) |
No.1705) はるゆき(Tue Jun 21 21:53:22 2005) |
結論から申しますと、やはりiwatamさんは思い違いをされているように思います。
iwatamさんは「的を射ていない」とされていますが、やはり「確信犯であるには犯罪だと認識している必要はない」のです。確信犯とは本人が自分について言う言葉ではなく、裁く側がいう言葉だからです。
iwatamさんの「確信犯とは、社会のルールと自分の正義が違う結論を出している時に、社会のルールより自分の正義を優先すること」という定義ですが、はっきり申し上げてこれはiwatamさんが勝手にそう思い込んでいるだけで、正しい定義ではありませんよ。なんというか、わざわざ文化庁が誤用と指摘しているのに、どうして頭がそこから離れないのかが不思議でなりません。
No.1706) iwatam(Wed Jun 22 12:23:36 2005) |
No.1708) はるゆき(Thu Jun 23 21:49:35 2005) |
No.1709) 違法性の錯誤 iwatam(Thu Jun 23 22:34:24 2005) |
No.1712) はるゆき(Sat Jun 25 08:59:52 2005) |
No.1713) それは特例です iwatam(Sat Jun 25 19:39:40 2005) |
No.1714) はるゆき(Sat Jun 25 20:09:23 2005) |
No.1715) 話がずれてませんか? iwatam(Sat Jun 25 21:26:53 2005) |
No.1716) はるゆき(Sat Jun 25 21:55:15 2005) |
No.1717) 確信犯とは何か iwatam(Sat Jun 25 22:20:49 2005) |
No.1741) はるゆき(Fri Jul 1 20:56:00 2005) |
No.1743) iwatam(Fri Jul 1 22:09:29 2005) |
No.1711) 補足 iwatam(Fri Jun 24 03:08:19 2005) |