そ・・・そーかなー・・・・?
むしろ評価すべきは腐ったアニメ、超・オタクアニメの方ですよ。
なんでかというと、「芸術は腐ってないと価値が無いから」。
もはやグローバルな言葉となった世界に誇る日本語『HENTAI』です『HENTAI』。『変』を超えた、超・変。腐敗臭すらただよう食中毒を起こしそうな『変』。それが『HENTAI』。一度HENTAIの味を覚えれば、朝日に輝くような健全な作品なんぞ、具の入っていないお好み焼きも同然。食えたものじゃありません。
娯楽ってのは、刺激物なんですよ。刺激物になれると、健全な作品なんて耐えがたいです。
熱い作品は、「健全だから」受けるのではなくて、「刺激が強いから」受けるのです。
その点では、「甘々な作品」も同じ理由で受けるのです。いくらなんでも、女の子とイチャイチャするだけの作品は誰にも受けません。「事件」が起こってくれないと刺激がないからです。刺激が無い作品は、受けない。ガンダムが受けたのだって、そんなに健全な理由からじゃないですよ。
『文部省推薦』より『有害図書指定。18歳未満お断り』の方が良いのです。
最早異性との恋愛すら拒絶し、同性愛に走ったり、婦女子が「キャーッ」てな胸毛ナッシングな殺し屋が受ける時代なんですよ。「この作品はヤベェぞぉ!」というような狂作が海の向こうで「ブラボージャパン!」の喝采を浴びるわけですよ。
はっきり言って、頭のイカれていない主人公やヒロインなんぞノーサンキューというのが私でして、その点、オタクアニメはまだまだ健全すぎです。
ドラゴンボールなんて、主人公の危険思想(オラもっと強い奴と戦いてえ!)がなければあそこまで受けなかったと思います。999やヤマトだって、有人惑星ひとつがぶっ壊れるのを見ながら「当然の末路よ」ってな一種のアウトローぶりというか、頭のネジがぶっ飛んでるのがいい感じだと思うのですが・・・。累々たる屍山血河を築いて渡り、得られるのが『主人公の成長』って、あんたそりゃメチャ黒いですよ。
はっきり言って、999やヤマトなんぞ友達が死んでも来週には忘れている連中が主人公なのであって、だからこそ「熱」く「逞し」く「見てて爽快」わけなのです。ハイ。
999なんぞ、主人公さえ来なければ死なずに済んだ人達がたくさんいるわけなのですが、そんなもの全然気にしないのです。
ブラボーHENTAI!ブラボー日本アニメ!児ポ法断固反対!
iwatamさん、初めまして。
端的にちょっとした反論をひとつ。
2.2. ゲームの相手
この内容ですが、ドラクエはまあ納得するとして、「スーパーマリオではカメ達と戦っているのだ。」はおかしいと思います。
完全に決められたルーチンで動く敵が「お互いが相手に勝とうと方針や策略を考えている敵」だといえるとはどうしても思えません。
STGでも同様のことが言えます。
これについてどうお考えになりますか?
過去のやりとり(No.1709)を読み直してやっとわかったのですが、ひょっとして刑法38条の「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」というのを「本人が悪いと認識していない行為は罰しない」という意味と勘違いしてませんか?
38条は故意について定めたものです。ここでいう「罪」とは裁く側にとってのものであって、当人がどう思っていたかは関係ありません。
38条3項「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない」は、「悪いことをしている」と認識している時点で知らなかったという言い訳はできない、という意味ではなく、「法律を知らなかったとしても、故意がなかったとはいえない」という意味です。
。
「むささび・もま事件」でいうと、「むささびを捕獲してはいけない」という法律を知らなかったとしても、もま(=むささび)をもまと認識して本人の意思をもって捕獲した以上は、故意がなかったとは言えない、ということです。「もまを捕るのが悪いことだとは思っていたが、法律に書いてあるとまでは知らなかった」ということではありませんし、ましてや「本当は法律に書いてあることは知っていたが、知らないと嘘をついている」わけでもありません。
あの、「漢の不在」というコラムに対してツッコミいれても宜しいでしょうか?
と言うか、詭弁が多いので言わせて貰います。
>もともと、「オタク」というのは侮蔑語だった。
>オタクという言葉はもともとアニメファンの造った言葉だったが、これはアニメファン全体を指す言葉ではない。
>当時のアニメファンが、アニメ好きの中に自分たちとは本質的に異なる人々がいるのに気づいて、そういう人達を侮蔑的に呼んだ言葉だ。
確か「オタク」が侮蔑語になったのは、宮崎事件で各マスコミがこぞって「オタク」と言う名称を使ったからだと思いますが。
>(たかがアニメの話で)
その言葉、今アニメ製作で飯を食っている全ての人に言ってもらいたいものです。
>お互い「俺の方が正しい」と言って譲らなかった。
>そうやって疲れ果てるまで大論争をした後、仲良く肩を組んでアニソンを熱唱した。アニメファンとはそういうものだった。
>そうしたアニメファンの中に、いつの間にか、そうした交流を嫌う人々が現れた。これがオタクである。
そうなんですか、仲良くアニソンを歌うオタクっていなかったんですね。
じゃあよくカラオケでアニソンを歌う私はオタクでは無い、と。
>「オタク」という言葉の由来には諸説あるが、きっとそれは同時発生的だったのだろうし、だからどれが正しいかという話はどうでもいい。
>しかし、有力な説の一つに、「マクロスの主人公の口ぐせ」という説がある。
>これはかなり信憑性が高い。
>なぜなら、マクロスはここでいう「マニア」的ではなく、「オタク」的だからだ。
(中略)
>オタクアニメは、主人公はかっこ良く、敵は間抜けな存在に描かれている。
>「マクロス」が典型で、ゼントラーディは文化を知らないバカということになっている。
(中略)
>敵は悪い人間、卑劣な人間、劣った人間で、正常な人間は感情移入できないような曲った根性を持っている。
まずオタクの語源が全然違う、はてなダイアリーかウィキペディアで検索して欲しい。
次にマクロスが「オタク」的とは言いますが、マクロスが「オタク的」である理由が滅茶苦茶。
「ガンダム」でも間抜けな敵役と言う奴はいるし(赤鼻)、マクロスでもエゼキゼル辺りは良い奴だと思うんですが。
マクロス7では立派に補佐官として存在していた彼が、「悪い人間」「卑劣な人間」「劣った人間」「正常な人間は感情移入できないような曲がった根性」と思っているんですか?
そう思うのは勝手ですが、間違いなくマクロスファンの怒りを買うでしょうね。
それ以前にマクロスがオタク的である理由の説明が遠すぎ、普通はすぐに付け足すものでしょう。
これでは「正常な人間は感情移入できない曲がった根性」としか思われませんよ。
>ここで言う「マニア的」なアニメのストーリーと配役を見てみると、ある特徴が浮かび上がる。
>それは一言で言えば「若者が大人になるストーリー」である。
では「マクロス」で、一条輝君は「若者から大人」になっていないと。
>マニア向けのアニメでは、かっこいいのは主人公ではなく、その敵だった。敵に共感し、敵の方をよく覚えていた。
その手合いのアニメ、に関わらず、漫画やゲームでも、「カッコいい敵役」と言うのはたくさん出ていると思うんですが。
>これらのアニメのテーマは、どれも「正義」だ。
>主人公は、正義を信じて、正義のために行動する。途中どんなことがあっても、自分や仲間を信じて進め。これがこうした作品のメッセージだった。
作品のテーマと言うものは個人個人によって差異があると思いますが。
第一に「ガンダム」のテーマって「正義」だったのか?、ガンダムファンは口を揃えて「戦争」と言うと思うが。
>オタクアニメでは、視聴者は画面の外にいて、登場人物の誰にも感情移入しない。
>自分は主人公を脇から眺めている。
>主人公が次々と素晴しい能力を発揮しているのを「かっこいい」と羨望のまなざしで見る。
>対象が異性なら、これは「恋愛」のメカニズムである。
>主人公の魅力に魅かれるわけだ。
>こうしたアニメでもし主人公を自分(視聴者)と同一視してしまうと、これはナルシシズムになる。
>オタクアニメでは、主人公の強さを演出する。
>そして、強い敵を倒すことで強さをアピールする。
>そして、主人公の正しさと、相手の悪をアピールする。
>主人公は絶対に強くて正しくてかっこいい。
>こういうメッセージである。
>そして、視聴者はそういう主人公に対して「愛」を感じる。
「登場人物の誰にも感情移入しない」「視聴者はそういう主人公に対して「愛」を感じる」
視聴者がそういう主人公に対して「愛」を感じているのなら、登場人物に感情移入していると思いますが。
「主人公が次々と素晴らしい能力を発揮している」
ガンダムでも北斗の拳でも主人公は「素晴らしい能力を発揮」していたと思いますが。
「オタクアニメでは、主人公の強さを演出する。」「そして、強い敵を倒すことで強さをアピールする。」「そして、主人公の正しさと、相手の悪をアピールする。」
主人公の弱さを演出して自分の未熟さ、不甲斐なさ、そして敵の強大さを演出する手法は、今でも存分に使われています。
「主人公は絶対に強くて正しくてかっこいい」
じゃあ、主人公を強いとも正しいともカッコいいとも感じられない「君が望む永遠」あたりはオタクアニメではありませんね。
と言うかこれは個人の感性では?
個人個人で差異があるものを基準にするのは詭弁以外のなにものでもない。
>マニアアニメとオタクアニメの違いに、主人公の能動性が関係してくる。
>マニアアニメの主人公は自分から行動するが、オタクアニメの主人公は自分が望まないうちに戦いに巻き込まれていく。
それだと、「ガンダム」の大概はオタクアニメになりますね、ファーストガンダムは勿論、Gガンダムも。
ドモン・カッシュは、望んでガンダムファイターになった訳ではないし、望んで師匠と殺し合った訳ではないんですが。
>マニアアニメの主人公は、自分の信じるもののために生命をなげうって戦う。
>自分の信じるものを否定する敵に対して、「それはおかしい」とノーを突きつけるのが戦いだ。
それは先程オタクアニメの定義で言った「主人公は強くて正しくてカッコいい」と言う事そのものだと思いますが。
>ゲームというもう一つの文化ができ、マニアはすべてそちらに流れていってしまった。
>そしてアニメにはオタクだけが残り、オタク的なアニメばかりが作られるようになった。
「魔法少女リリカルなのは」だと、主人公のなのはは自分から戦う事を決意するのですが。
と言うか自分から戦いを決意するアニメなんて、今年に入ってからもたくさん作られているぞ。
そろそろいい加減、「マニアアニメ」と「オタクアニメ」の明確な定義をつけて欲しい。
・・・最近のアニメを少なくとも10本くらいは見て欲しいものです。
>オタクには、「大事なこと」の存在が理解できない。
>だから、漢と漢が大事なものを賭けて戦っていることを理解できず、「頭が空っぽのバカ共が殴り合っている」としか見ることができない。
>「なぜ戦っているのか」を考えることができないのである。
「大事なこと」の存在を理解しているアニメって、かなりありますが。
月詠とか。
「何故戦っているのか」を考えるアニメなんて、それこそ今年に入ってからもたくさん作られていますが。
>むしろ、理由があって相手を攻撃する方が無邪気で単純だ。
>「相手にも相手の理由がある」ということがわかってないのだ。
では。
>オタクは戦いを良くないもの、してはいけないものだと思っている。
と。
>マニアアニメの主人公は、戦いに赴くかどうかを自分で決める。
が完全に矛盾しますね。
「相手にも相手の理由がある」のなら、マニアアニメの主人公は戦いに赴くかどうか自分で決められるわけが無いと思うのですが。
例え敵でも相手のことを気遣うが故、簡単に戦いに持ち込めない、戦いに赴くかどうかで悩む。
逆に「相手にも相手の理由がある」と言う事が分かっていないのなら、オタクアニメの主人公は自分から戦いに赴くと思いますが。
敵でも平気で倒せるんだから、簡単に戦いに行ける。
>人に譲れないもの、戦ってでも守るべきものを何も持っていなくて、
>人生という戦いの場で「自分には何も来ませんように」と隅っこでうずくまっているのがオタクだ。
キラ・ヤマト「それでも、守りたい世界があるんだ!」
あれ?、ガンダムSEEDって、マニアアニメ?
だったら最近でもマニア的なアニメって作られたと言う事では・・・?
>マニアの物語では、主人公の気持ちや考えは語られない。
>それは、視聴者が自分で考えるべきものだからである。
>そういうことを考えることのできないオタクが、主人公の気持ちがあえて語られていないのを「主人公は何も考えていない」と勘違いする。
小説だと、マニアだろうがオタクだろうが主人公含め、登場人物の心象が説明されている作品はかなりありますが。
大体、アニメでも漫画でもゲームでも、主人公の気持ちや考えが語られない作品はかなりある。
オタクアニメのファンでも「その時その人は何を思っていたか」と言う事を考える人はたくさんいると思いますが?
事実私がそうですし。
>さて、最後に本当に言いたかったことを言おう。ファーストガンダムとそれ以降のガンダムはまったく違うんだ。
>わかったか。だが、Gガンダムは許す。あれは漢のアニメだ。
ファーストガンダムと以降のガンダムが全く違うのは当たり前、だって全く別の作品なんだから。
で、Gガンダムは確かに漢のアニメですが、許すって何よ。
第一ドモン・カッシュは物語当初、平気でルール違反をするような人物だったのだが・・・。
そんな人間が「相手にも相手の理由がある」と考えているわけではないと思うが。
更に言うと後半でもウルベにレインを返さなければ「死んでもらう」と向こうの都合そっちのけで言ってくれた勇者なのだが。
ちゃんと原作見てくれ。
>そして、男なら、熱い漢のアニメを見ろ。女も見ろ。
人の趣味嗜好に定まった形を与えるのはあなたのコラムで散々苦言を呈している「オタク」そのもの。