私はエロゲー擁護派ですが、「ルールに違反しなければ何をやってもいい」
とは考えません。ですからiwatamさんがおっしゃる
”エロゲー擁護派にある共通の考えが見えてくる。「ルールに違反しなければ何をやってもいい」という考えである。”
という主張は間違っていると断言できます。
私も自分だけの道徳(自ら正しいと感じる道)を守ることは重要と考えます。
自分で「これはいやだ、自らの道徳に反する」そう感じたことはやらないように気をつけます。
たとえ法に反していなくても、自ら正しいと感じる道に反することは
自分を殺す(自我を殺す)ことになると考えているからです。
あと私にとっては、妄想は妄想でしかないのですが、
iwatamさんにとっては妄想はそんなに恐ろしいのですか?
エロゲーがそんなに恐ろしいのでしょうか?
私はしょっちゅうエロゲーをやりますが、
エロゲーを恐ろしいと思ったことはありません。
エロゲーで感じることと、現実で感じることは違いますから。
最近やったゲームでエロゲーでヒロインが嫉妬に駆られて、
主人公と付き合っている女の子の首をノコギリで引き裂いて殺すシーンがありました。
しかもフルアニメーション。私はそれを見て万歳三唱しました。
それをネタにして某掲示板で遊びました。
でももし現実でそんな場面を見たら……
おそらくショックのあまりどうにかなるでしょう、一生のトラウマとして残るでしょう。
女性と付き合うこともできなくなってしまうかもしれません。
でも何度も言いますが私にとって妄想と現実は区別するまでもなく別物です。
ですから妄想でなにが起ころうとたいしたことはありません。
私が妄想で感じることと現実で感じることは全く異なるからです。
なぜなら両者は別物だから。
そうでない人ももちろんいることでしょう。
たとえばゲームでの感じ方と、現実世界での感じ方が同じ人もいるかもしれません。
そういう人は大変です。エロゲーに限らず小説やTVを見るにも注意したほうがいいでしょう。
映画も要注意です。
ただこういった人にも利点はあると思います。
それは妄想を現実にリンクすることができるということです。
これは大きな欠点でもありますが大きな利点でもあると思うのです。
現実世界で妄想に振り回される危険性がありますが、
逆に妄想を利用して、現実世界に活力を与えることも可能なのではないでしょうか。
(誤用すれば大変ですが)
ただ私個人の意見として、こういう人にはあまりエロゲーに関わって欲しくないです。
妄想と現実がリンクする人の一部にはイタイ人もいますから。
あと「たとえそれが派手に失敗したとしても、最悪殺されるだけで済む」
という文章を見てちょっと心配になりました。
人間、本当にあっけなく死にます。
現実世界では死はすぐ隣にあります。
私が大学在学中、友人と「大変だけど死にはしないよ」と笑って話していた翌日、
その友人が目の前で救急車で病院に運ばれました。
しかも「大変だけど……」と言っていた事が原因で。
三週間後、友人は意識を取り戻すことなく亡くなりました。
私はそういうことがあって以来、すぐ隣にある死を受け入れた上で自分を通して生きる。
そういう生き方をしたいと感じるようになりました。
自分がやってはいけないと感じることは
たとえルールで禁止されていなくてもやらない。
これは大切なことです。
ただ私の場合、その感じ方が妄想と現実では異なります。
妄想? エロゲ? それがどうした。
私にとっては現実のほうがもっと怖いです。
iwatamさんはどうですか?
はじめまして。いくつかコラムを読ませていただきました。日本では、一般にこのような道徳を説く種類の論はあまり多く出てこない気がしますが、そのように思える状況の中でiwatamさんは果敢にチャレンジなすっているので、立派だと思います。偉いと思います。
意見そのものについては、20%ほど同意できるもので残りはあまり首肯できませんでした。
先にも述べましたが、このコラム群の多くははiwatamさんが、こうするべきだという道徳論、道徳試案であると思いますから、エロゲーなどに関して強く反発されるというのは、どうしてかなと思います。自分もエロゲーをいくつかしたことがありますし、楽しんだこともあります。しかしながら、ゲームに限らず、すべての趣味でアンチが生じないものなど無いと思います。盆栽などは、人畜無害に見えていたのですが、一部の外国人等には虐待に映るようです。論自体がやや性急であるでしょうから、反発もやむを得ないのですが「嫌う人がいるよ」という話が骨子ですから、これに反するにはエロゲーの実際やらをレポートするのが議論の経済ではないかと考えます。若い人に多いという話ですが、論拠がないと、根拠がないと受け入れないという傾向があります。学問や実証的作業については正しいのですが、そこで抜け落ちるのが道徳であります。私自身は道徳の時代は終わったと考えておりまして、政治的な判断がなされるのみではないかと思われます。ただ、先だっての学力低下報道については極東ブログさんが詳しいのですが、国際的に見て、〜するべきだ、という考え方を日本人があまり持たないということが言われています。むしろ、くだらなくてもてないというのだそうです。
リンクです
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/12/post_4.html
私の見た限りでは、iwatamさんの姿勢は一貫していて、キャラクターがわかりやすいと感じましたので、思うところを書いてみました。私自身はこういった道徳を考えることに興味が無いのですが、やはりこの果敢さに対して行動してみたく思った次第です。
コラム: ルールと自我
>こうした意見を眺めてみると、エロゲー擁護派にある共通の考えが見えてくる。
>「ルールに違反しなければ何をやってもいい」という考えである。
>これと同根のものに、「自分がやっていることの善悪と、自分自身の善悪とを区別できない」という傾向もある。
>「エロゲーは悪」と言われると、まるで「お前は悪」と言われたのと同じようなショックを受ける。
>「人間どこかしら悪いところはあるさ」と思えない。
ここのコラムを眺めてみると、管理人の文章にある共通の考えが見えてくる。
「嫌いなものに理由はいらない」という考えである。
これと同根のものに、「自分が書いているものの論理的整合と、自分自身の感情とを区別できない」という傾向もある。
「論理がおかしい」と言われると、まるで「お前はおかしい」と言われたのと同じようなショックを受ける。
「人間どこかしら間違えることもあるさ」と思えない。
(以下略
人に"なるほど"と思わせるコラムを書きたいのならば、
現実と虚構の区別は出来きすぎてはいけない
http://umi.no-ip.com/simple/pdone.html?id=373
↑の文章のように論理的に結論を導いてもらいたいものです。
そうでなければ、長々と書かれた駄文でしかありませんよ。
エロゲをするだけの人畜無害なオタクを、自分が嫌いだからという理由で「正常でない人間」なんて書けば、バッシングされて当たり前だと思うがな……
とりあえず、
○俺はエロゲをする人間が嫌いだ
×エロゲをする人間は正常でない
ここがバッシングのボーダーラインだな。
>バッシングに対して怒っている多くの人は、「エロゲーをやることによって犯罪行為に走るから」非難されているのだと思っている。これがそもそもの間違いだ。人々が非難するのは、犯罪行為やその予備軍が現れることへの懸念ではなく、エロゲーをやること自体なのだ。
この記述に対してははっきりNOといえると思います。くのエロゲヲタは一般の人がエロゲヲタを気持ち悪いと思っているのは仕方ないと思っていると思うし、少なくともバッシングに対して怒るっていうのは「エロゲはすばらしいんだ! 気持ち悪がるな!」なんて思ってることじゃないと思います。さすがに。
んで、普段エロゲヲタが憤りを感じているのは、「エロゲーをやることによって犯罪行為に走る」かのような報道をするマスメディアや、規制を進めようとする一部の政治家に対してではないでしょうか。