旧ゲストブック

旧ゲストブックは閉鎖しました。投稿には新ゲスト ブックをお使い下さい。ここは閲覧専用です。

編集や削除のご要望がありましたら個別にやります。遠慮なくおっしゃって下さい。


No.229) 時々 kumainu(Sun Dec 28 22:05:45 2003)
読ませていただいております。
私は、機械屋なので、プログラムのことはあまりよく分かりません、ただ、古代の遺物のリレーシーケンスは読めます。
UML、ですか、何のことか分かりませんが、
多分、我々機械屋でも、非常に図面において、製図法にうるさい人がいます。
ただ、図面はある機能を満たすために、みなに分かるように書くためのものであるからして、厳格に書かねばならぬという理由はすごく分かります。
しかし、えてして、このことにあまりにもこだわる人の中には、目的である、機能を十分満足する、ということ忘れている人がいます。本当に大事なのはその思想なんです。私は、仏教徒ですが、わりと皆本当に大事なことを忘れているのではないかと思ってます。教典に書いてあるのは文字です。そういう意味では機会の図面はよくできてると思います。
最後に、とても興味深く読ませていただいております、今後もご活躍を期待しております。
No.230) いらっしゃいませ iwatam(Tue Dec 30 01:40:57 2003)
いわゆる「道具に使われる」というところでしょうか。図面も文章も(UMLも)「人に伝える」というのが目的ですから、わかりやすく書くのを目標にすべきですね。ある程度までは「わかりやすく書く」イコール「正しく書く」ですが、「正しく」には際限がないので、そのうち必要限度を越してしまいます。何事も目標を見定めて必要十分を心がけよう、というところでしょうか。
宗教の話が出たので、私の宗教のスタンスも書いておきます。私はまともな宗教ならどれも(もちろん仏教も含めて)いい事を言っているので、どれも等しく学びたいと思っております。でも仏教はキリスト教などに比べてなかなか難しくて……いまだにきちんと思想を理解できていません。
最後に、あまり更新頻度は高くありませんが、ぼちぼち更新しますのでよろしくお願いします。
No.223) ちゃいぱ(Mon Dec 15 15:41:20 2003)
はじめまして、ちゃいぱと申します。

『ソフトウェア開発の落し穴』を全読させてもらいました。
大変すばらしいコンテンツだと感激いたしました。
特に上位開発工程に重点をおく視点には、共感いたしました。

しかし、引っかかったところがあります。
UMLは単なる記法で、あくまでも対象とする世界を理解するためのもので、
UMLからのコード自動作成を否定されていたと思うのですが、明確な理由を教えてください。
私は、UMLのみ作成で、コード自動作成されるのが良いと思ってるのですが…。

No.224) ありがとうございます iwatam(Mon Dec 15 23:31:30 2003)
お誉めの言葉大変嬉しく思います。
ところで、UMLからのコード自動生成についてですが、否定するのには2つの理由があります。
 第一は、UMLでモデル化するのは対象とする世界であり、プログラムそのものではないからです。コード自動生成を使うと、どうしても「コードにするためのモデル」になってしまいます。コードの事は考えないでモデルを書かないといけないのですから、そこからコードが出来てしまってはおかしいのです。
 第二に、プログラムコードというのは決して書きにくいものではないということです。VBなどは論外ですが、C++やJAVAやLispなどのまともな言語ならば、プログラムを書くのならばUMLで書くよりずっと書きやすいはずです。
 ちょっときつい言い方をすると、Javaですらプログラムが書けない人はUMLでもやっぱり書くことはできないだろうということです。プログラムを作りたいならプログラムの作り方を勉強しなくてはなりません。そしてそれはUMLやモデリングとはまた別物です。それを素人に勘違いさせる「コード自動生成」という言葉はまさにタイトル通りの「落し穴」だと思います。
 「コード自動生成」ではなく、UMLという言語からマシンコードへのコンパイラだと思っていただければわかると思います。JavaがUMLになっただけでは、結局のところ何も変わらないのです。
No.225) ちゃいぱ(Tue Dec 16 10:15:36 2003)
回答ありがとうございました。

>否定するのには2つの理由があります。
2つともおっしゃる通りだと思います。
しかし、できれば、UMLの一つ(実際は複数図)のメンテナンスが魅力です。

>JavaがUMLになっただけでは、結局のところ何も変わらないのです。
一次元的(コード)なものが2次元的(図)になっていると思うのですが…。

あと、「オブジェクト指向とはクラス・継承・多態性だ」は間違っていると切り捨てていますが、なぜ間違っているのかを教えてもらえますか?
ちなみに、私は、間違っていないと思うのですが…。

No.227) 継承とは iwatam(Tue Dec 16 11:31:33 2003)
「オブジェクト指向にはクラス・継承・多態性がある」というのは間違っていません。「オブジェクト指向とはクラス・継承・多態性だ」というのは間違っています。継承というのは道具であって本質ではないということです。
 オブジェクト指向の本質は世界のモデル化とにあり、これがないものはオブジェクト指向とは呼べません。しかし、継承がなくても立派にオブジェクト指向になります。だから「オブジェクト指向とは継承である」とは言えないわけです。(多態性も同様です)
 オブジェクト指向の本質が継承にあると勘違いしてしまうと、「継承はした方がいい/しなくてはならない」と間違って解釈してしまいます。継承はただの道具です。使いこなすのはいいですが道具に使われてしまってはいけません。必要な所にだけ使い、必要のない所には使わなければいいのです。
 余談になりますが、道具と本質を見間違えるのはプログラマの悪い癖です。何をするかではなく、何であるかを見極めなくてはならないというのもメッセージの一つです。
No.226) プログラミング言語とは iwatam(Tue Dec 16 11:37:47 2003)
JavaとUMLでは、1次元か2次元かという違いがありますが、1次元か2次元かという違いしかありません。本来は「プログラム」と「対象世界」という、もっと本質的な違いがあるはずなのです。
 世の中には2次元で記述するプログラミング言語もいくつか存在します。しかしそれはあまり流行っていません。その理由は、たいして便利ではないからです。マウスという入力効率の悪いデバイスが必須になってしまうというのも欠点の一つです。
 実際のところ、UMLのコード自動生成というのはここで強く非難するほど悪いものではありません。便利な道具であり、うまく生かせば手間を大幅に省くことができます。しかしそれでも敢えて非難するのは、そこに目を向けてしまうと本質を見失ってしまうからです。
 UMLというのは、Javaを2次元にしたという程度のちっぽけなものではなく、もっともっとすごいものなのです。それを理解した後で使うのならいいと思うのですが、その頃にはコード自動生成は本質ではなく、あると便利だがなくてもかまわない、と思うでしょう。
No.228) ちゃいぱ(Thu Dec 18 00:04:19 2003)
『本質を見極める』ですね!
ご指導、ありがとうございました。

しかし、『本質を見極める』は、難しい...。
すなわち、オブジェクト指向は難しい...。

No.221) 読者(Sun Dec 14 09:40:54 2003)
 感想
 結局あなたは、まあまあ、なあなあで議論を収めようと考えているようにかんじられます。
 議論がこれではまったく面白くありません。
No.222) 感想ありがとうございます iwatam(Sun Dec 14 16:02:07 2003)
感想をいただきありがとうございます。
 ところで、「議論がこれではまったく面白くない」というご意見ですが、その通りです。そして、議論自体が面白いものであってはいけないという主張でもあります。
 議論はあくまで手段であって、目的ではありません。目的は「理解すること」です。議論をすること自体に面白さを感じてしまうと、議論のための議論になってしまいます。それはここで言うところの「議論」ではなく「討論」です。
 議論と討論は別のものであるということをご理解いただけたらと思います。そして討論をしたいのであれば、ここで述べていることは無視していただいて結構です。
No.219) 活字離れ考 ばぐ[HOME](Thu Dec 11 20:41:40 2003)
はじめまして。ばぐと申します。

「コラム:活字離れ」を拝見いたしました。私も「活字離れ」という言葉について考えていたのですが、大変参考になりました。そこで勝手ながら引用して論評させていただきました。

私の思い違い等がございましたら、ご指摘いただければ幸いです。(これは手動トラックバックのようなもので無視していただいても削除していただいてもかまいません)

よろしくお願いいたします。

No.220) ばぐ(Fri Dec 12 21:07:35 2003)
基本的なところで大きな誤解をしていたことに気づきました。「活字離れ」とは読み手の問題、すなわち、受容側の態度の問題であるという視点が抜けていました。

つまり、「活字」とは「まとまった文書」という意味だというのは誤りで、「活字」とは「まとまった文書を読むこと」と考えたほうが、良いことに気づきました(ちょと解りにくいので、表現を変えて、「活字離れ」とは「まとまった文書を読まないこと」と定義します)。

政府の白書の例でいくと、同じ白書でも、「パラパラとページをめくって図を見るだけ」は「活字離れ」、「全体をきっちり読む」ことは「活字離れ」でないと考えたほうが適切です。

そこまで考えて、「一方的」か「双方向」かに拘っておられた理由がやっと判りました。双方向の場合は時間的に「まとまった文書を読む」ことは不可能で、「細切れの文章を読む」ことになる。つまり、「双方向」は必然的に「活字離れ」を引き起こすことになるということですね。

ありがとうございました。

No.216) コラム:国家は悪かについて トニー(Sun Dec 7 21:10:52 2003)
はじめまして、トニーと申します。いつも楽しく拝見させていただいております。
 
 さて、コラム「国家は悪か」について反論があります。あなたは個人の権利より公共の福祉が優先されるべきとし、その根拠を憲法の条文に求めていますが、これには反対です。そもそも憲法とは何のか理解してない人によく見られる主張です。憲法は国が個人の権利を侵害しないために定められているものなのです。憲法尊重擁護義務は公務員にだけあるのです(99条)。一般国民には憲法を尊重する必要など全くないのです。ここがポイントです。ですから、一般庶民が公共の福祉(とかいう訳のわからんもの)が個人の権利より優先するという考えには反対する、と主張することも自由なのです。もっとも、個人がなんと言おうが現実には国家が強制的に個人を押さえつけ、時にはペナルティーを課します。ただそれだけのことです。
 そもそも公共の福祉とは何なのか。これにハッキリ答えられる人は法学者でもいないと思います。これは国の利益と個人の利益が衝突した場合、個人の権利を押さえるために法令上用いられている用語で、具体的な内容はハッキリしません。とにかく、公共の福祉に反するんだからガタガタ言うな、ということです。
 ところで、日本の左翼人権派がおかしいのは、社会福祉を国民の権利として要求するくせに国家が嫌いなことである。国に対してもっとも頼っている人間が国を嫌うのはおかしな話である。福祉を優先し弱者を救おうとするならお金が要る。国はその分、増税をしなければならない。しかし、左翼は増税にも反対なのだ。何たる矛盾。個人の自由が絶対である。国家は個人に干渉するな、というのであれば、それこそ生活に必要なインフラも、何もかも自分で作って何とかします。自分は国家には頼りません。だから税金も払いません。外敵が侵略してきても自分は猟銃なり日本刀なりで自分の家を守ります。ならず者国家に家族が連れ去られたら自分で取り返しに行きます。だから国家は干渉しないでね。と、主張しなければならない。
No.217) その通りですね iwatam(Sun Dec 7 23:21:02 2003)
私もまったくもってその通りだと思います。「個人の権利より公共の福祉が優先されるべき」の主語は「国」で、「自分勝手な事をする」のは国民です。国は国民が自分勝手な事をするとそれを押さえつけて結局は自分勝手な事ができないようにします。そして、押さえつけられた人は「国は個人の自由や権利を守ってないじゃないか」と文句を言います。これが筋違いです。国は自分から「公共の福祉のほうを優先する」と言っているわけですから。
 要するに、国民は何をするのも自由だが、その結果どうなっても知らない、ということでしょうか。そしてその結果に対して「国がおかしい」と文句を言っても誰も聞いてはくれない、ということです。
 左翼人権派の話もその通りだと思います。ただ、こういう人は年々数は減ってきたのかなぁと思います。そういう人たちのための党ももはや風前の灯ですし。そろそろ逆の事も言わないといけない時期に来ているのかもしれません。

 ところで、貴重なご意見をいただきありがとうございます。確かにあのコラムを書いた時には上に述べた「主語の問題」をはっきりさせていませんでした。非常に参考になりました。

No.211) コラム:「ルールを守れ」という発言 キット(Wed Nov 26 00:13:04 2003)
コラム『「ルールを守れ」という発言』に対する反論です。

iwatamさんの持たれた「無意味な注意書き」が目に付く、という考えには同意します。しかしながら、このコラム中では意味のある/なしの境界が明確でなく、また、一般化された「意味のない注意」の定義もされていないので、結論としての、無意味な注意書きは一掃しよう、には賛同できません。

現在では、通信環境さえ整っていれば、人生の初心者たちも掲示板に出没します。彼らは本当に一般常識を知らないのです。私やiwatamさんにとって当たり前で、読む必要がないからといって、そうでない人がいることは否定できません。一般常識とは、生まれながらに会得している人はおらず、それぞれの人が、それぞれの機会に、人生を通じて学び、修正していくものでしょう。その機会が張り紙や掲示板の注意書きであってもよいのではないかと思うのです。

常識(価値観も同じ)は後天的なので、人々の間で同一でない場合がありえます。ですから、自分にとって当たり前の内容だからといって、他人の書いた注意書きにも掲げる必要がない、という主張は誤りだと思います。

ここでは注意書きとルールを区別して考えようと思います。掲示板にはルールがあります。注意書きとは、管理人が考えている掲示板のルールと、管理人の想定する他人の常識との違いを掲げたもの、と私は考えます。書かれていないのは、書く必要のない「暗黙のルール」です。「法に触れる発言は禁止」と書くのは、読み手の中に「法に触れた発言をしてよい」という、掲示板のルールに反する常識をもった人がいると管理人が思っているにすぎません。書き手に責める点があるとするなら、そんな他人を想定したことでしょう。また、書いていないことは、暗黙のルールに従うのであって、発言内容の自由とは関係ありません。書き手と読み手の双方が「いけない」という常識を持つなら、やはり「いけない」のです。

前段によって、利用者にとって掲示板のルールとは、自分のもつ常識を注意書きで修正したもの、とも言えます。管理人にとっては、想定した他人の常識を注意書きで修正したものです。この違いから、ある発言が、誰かにとってルール破りになることが起こりえると思います。

注意書きの想定する常識を逆手にとって、困った発言をする人がいることは否定しませんが、ルール破りの発言をする人のすべてが「ルールを破ってもいい」と思っているわけではありません。

No.213) ご意見ありがとうございます iwatam(Thu Nov 27 04:13:13 2003)
iwatamです。ご意見ありがとうございます。
ご意見を読ませていただきましたが私も同意見です。自分にとっては意味がなくても他の人には意味のある注意書きもありますし、それは必要だと思います。
 もし人生の初心者たちのために掲示板のルールを書くなら、掲示板の注意書きではなく、「掲示板の楽しみ方」みたいなタイトルで別コンテンツにすべきでしょう。それは非常に意味のあることです。そういう文書をきちんと用意できて、掲示板を使い始める子供(やおじさんおばさん)たちに読んでもらえるようであればとってもいいことだと私は思います。
 意味のあるなしの境界は、書いた本人が意味があると思っているかどうかです。書き手が「普通の人にとっては一般常識だけど、知らない人もいるかもしれないから書いておこう」というのは立派に「意味のある注意書き」です。書いた本人ですら「これは意味はないんだけどなぁ」と思っているような注意書きは書くな、ということです。
 私はこのコラムで「書くこと」が問題だと書きましたが、より正確に言えば「クレーム処理に使うために書くこと」が問題だという意見です。問題は書く内容ではなく書き手の意図です。だから「自分でも意味がないと思っているような注意書きを書くな」であり、「自分でも意味がないと思っている」という所が重要なのです。
 おっしゃるように、ルールや常識は人によって食い違っていることも多々あります。そしてそれはその都度話し合って直せばいいことです。「それはこうこうこうだからルール違反ですよ」「ご注意いただきありがとうございました。これからはしないようにします」でいい話です。それをしないで一方的に「ルール違反だ。出ていけ」と言う事を問題視しています。
 世の中にはルールを破ってもいいと思っている人も、ルールを守らなくてはいけないと思っている人もいます。そして「ルール違反にはその都度存在理由も含めて説明する」という方針でいれば、どちらの人も納得できます。一方的に文書で書いてあとは知らないという態度では納得できない人もいますからよくありません。

と、私はこういう事を言いたかったのです。ご理解いただけますでしょうか。
あなたの意見に反論しようと思いましたが、残念ながらあなたの意見は私にとってすべて正当な意見であり、反論の余地はありませんでした。すみません。

No.214) 説明技術 キット(Sat Nov 29 21:01:44 2003)
なるほど。理解できました。しかし、もう一点だけ意見を言わせてください。

私は、説明には技術が要る、と考えています。説明技術は、たとえば、教育学を修め、教職に就いている人は高く、少人数と、わずかな時間しか接触しない人は低い傾向にあると思います。「説明できるなら理解できている」とはよく言われることですが、ある物事を同程度に理解している人々のうち、より説明技術の高い者のほうが、よりうまく説明できるということです。

曖昧でないルールを策定できても、理由を説明する段階で筆が止まってしまう、あるいは、つい解りにくい比喩や遠まわしな表現をしてしまい、誤解や曲解をされてしまうという人もいます。そんな管理者が、掲示板が荒れるのを防ぐという目的のために、無意識に、あるいは悪いと意識しつつも「無意味な注意書き」や「出て行け」といった手段をとっている、という可能性も考慮してください。説明上手をめざすことを含めた「ルール違反にはその都度存在理由も含めて説明する」という方針ならば、正しいと思います。「下手な説明でも、しないよりはよい」かどうかは私にはわかりません。

No.215) なるほど iwatam(Sun Nov 30 16:52:17 2003)
よくわかりました。私の話には「説明できない」人については述べていませんでしたし、そういう人もいると思います。
 「理由を説明する」という言葉はちょっと言い過ぎたかもしれません。私がここで言う「理由を説明する」とは、例えば「○○という法律に違反している」とか「それは他人を侮辱することにあたります」といった説明です。つまり、世の中にあるどのルールに違反しているかを言うことです。注意する時には世の中にあるどのルールでも自由に適用していいのだから、わざわざ自分用の「無意味な注意書き」を用意する必要はありません、ということです。
 私は「なぜ人を侮辱してはいけないのか」とか「なぜ猥褻物を陳列してはいけないのか」といった説明までしなくてはならないという意見ではありません。そういう意味では「存在理由」という言葉は少々不適切です。これについてはよい表現を考えてみます。
 読み返してみると、コラムの最後の段落だけは少し論点がずれています。最後の段落で言いたかった事は、ルールをわかっていて破る人は「意味のない注意書き」が書いてあってもやっぱり破るから、それは無駄だということです。
 そして、ルールを知らないで破っている人にはその都度ルールを教えてあげればいい話です。つまり、ルール破りに対してそういう注意書きは何の効力もないので、「ルールを知らせるため」ではなく「ルールを守らせるため」にそういう注意書きを書く事は意味がない、ということです。
No.218) 手直ししました iwatam(Mon Dec 8 18:24:41 2003)
該当コラムを手直ししました。
「無意味な注意書きとは何か」の定義について問題提起をしていただけたのがきっかけです。この掲示板では何やらいいかげんな回答をしてしまいましたが、「同語反復」というキーワードで(自分の中では)はっきりしました。中身についてはコラムをご再読いただけたらと思います。

 ご意見をありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

No.210) はじめまして。 kuon[HOME](Mon Nov 24 23:47:02 2003)
はじめまして、iwatamさん。
私、kuonと申します。

いつも楽しくコラムを拝見させてもらっています。
特にゲームのコラムは納得させられるというか、
非常に感心させられています。

最新コラムの

>万人に気に入られる事は不可能だ。善人には気に入られ、悪人からは憎まれるようでなくてはならない。

というのは非常に感銘いたしました。まさに正論ですね。
なんだか胸をすくような清涼感を抱かせるコラムであったと思います。

それと事後報告ですが、ゲーム関係のリンクとして、
私のサイトからリンクを貼らせて頂いてます。
iwatamさんの正論を楽しみにしていますので、
また寄らせていただきますね。では、失礼致します。

No.212) はじめましてこんにちは iwatam(Wed Nov 26 02:31:17 2003)
kuonさんこんにちは。
最近ちょっと更新が滞りぎみです。すみません。
忙しいのもありますけどゲーム関連でちょっと長めの文章を用意しているとこでして・・

そちらのページもいろいろと見させてもらいました。ゲームの話はうんうんとうなずきながら読みました。やはりなんかこう今の日本のゲーム業界には活気がありません。このままでは将来は・・・

それよりなにより、ちゃんとゲームを作っていらっしゃるのを見て感心しました。私は作ろうと思いたっても3日で放り投げてしまいます。つくづくダメ人間。

過去記事はこちらから: [0] [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54]