結論の種類
次に結論の種類についてお話ししましょう。結論というとすぐイエスかノーかということだけにこだわりがちですが、実際には結論はそれだけではありません。いろいろな結論の種類とその注意点を見ていきましょう。
断定
最もポピュラーな結論です。イエスかノーか、あるいはいいか悪いかというものです。断定によって明確に結論が出るなら、これほどすっきりした議論はありません。
しかし、議論で結論が断定できることは決して多くはありません。なぜなら、断定できるほど簡単な問題は多くの場合議論の余地がないからです。逆に、議論が生じるとしたらそこには明確に結論づけられない何かがあります。それを無視して断定することは避けましょう。イエスかノーかだけが答えではないのです。
回答不能
時として、「それはわからない」というのが答えになる質問もあります。例えば「次のロト6の当たり番号は?」という質問です。これは、単に参加者の誰にも結論が出せないのではなく、「この世の誰にも結論づけることができない」ということが証明された時に出る結論です。
さあ、ここで一つ難しい問題があります。「誰にも結論づけることができない」と証明するのは難しい事です。あなたには予知能力者がいないという証明はできますか?それができなければ、「ロト6の当たり番号は誰にもわからない」という証明はできないのです。
多くの場合この問題にぶちあたり、「誰にも結論づけることができない、と結論づけることは誰にもできない」という結論になってしまうことがあります。これはまた堂々巡りです。困ったことになってしまいました。
この問題は高度に哲学的な話になるので深入りはしません。その代わり一つ提案をしましょう。全員が正しいと思う事柄は深くつっこみを入れるのをやめましょう。「すべての事柄は証明されなければならない」という態度は上のような困った事態を招きます。参加者全員に異論がないのならそれでいいではありませんか。
「回答不能」のもう一つの問題は、難しい問題の答えをこれで済ましてしまいがちだということです。「悪を倒すためなら暴力に訴えてもいいか」回答不能。「戦争は悪いことなのか」回答不能。これらは単に思考の停止です。「回答不能」という答えを出すならそれなりの理由がなくてはなりません。
まとめましょう。「回答不能」という結論はあり得ます。しかし、それは「参加者の誰にもわからない」というのとは違います。この世の誰にもわからないという事が証明されないといけないのです。しかし、それを証明しようとすると堂々巡りにはまることがありますから注意しましょう。
両論併記
両論併記とは、「良い事も悪い事もある」というのが答えになる質問です。「ダム建設は善か悪か?」という質問には「良い面も悪い面もある」というのが答えです。これは「個別のダムについてはいろいろと意見はあろうが、総論としてはいちがいに言えない」という結論と、「(個別の)ダム建設には良い面と悪い面の両方がある」という結論の2種類あります。
参加者が「絶対賛成派」「絶対反対派」にわかれていると、両論併記という結論すら受け入れられません。こうした人達は本来なら議論の場には上がってはいけないのです。こうした困った人達がいない場所では、「両論併記」という結論は容易に受け入れられる結論でしょう。
しかし、両論併記というのはあまりいい結論ではありません。なぜなら、良い面と悪い面の両方があるからこそ皆で議論しているのです。片方しかなければわざわざ議論なんてしません。どういう事が良い面でどういう事が悪い面なのかを議論しているのです。
両論併記の結論、つまり「いちがいには言えない」という結論が出たら、ではどういう時にはイエスでどういう時にはノーなのか、という問題を考えましょう。それが本来考えるべき問題です。
質問が不明確
「質問が不明確」というのは、議論で結論として出されることはなかなかありません。しかし実際にはこのケースはとても多いのです。不明確な質問を皆で真面目に考えて、結局結論が出なかったり意見の相違で終わってしまうことがよくあります。それは参加者が悪いのではなく質問が悪いのです。
例えば「神は存在するか?」という質問がこれにあたります。なぜ良くないかというと、「神」という言葉の意味を定義していないからです。「神」って何でしょう?これに答えられない限り、「神は存在するか」という質問には答えられるはずもありません。「神は存在する!」「いや、しない!」と言い争っている人達は、何が存在する/しないと言い争っているのか実際のところわかってはいないのです。
質問が不適切だと感じたら、「質問の意味がわかりません。この質問でいう『神』って何でしょう?」と質問して下さい。そしてそれに誰も答えられなかったら、質問が不明確だったという結論にして議論は終わりです。
質問が矛盾/同語反復
時には質問自体が矛盾していたり同語反復だったりする事もあります。これには議論の余地はなく「質問が悪い」という結論になります。
例えば「相応の理由があれば差別をしてもいいか?」という問いは矛盾しています。相応の理由なく区別することを差別と呼ぶのです。だから理由のある差別は存在しません。
こうした矛盾した質問のほとんどは質問者のトリックです。参加者に無理やりイエスまたはノーという答を言わせるための質問です。例えば上の質問では、「(相応の理由があれば)差別をしてもいいか?」にイエスと答えさせたいわけです。そして半ば意図的に前半のカッコの中を取り去ってしまいます。こうしたイカサマに引っかからないようにしましょう。
まとめ
質問の答はイエスかノーかだけではありません。時には質問自体に問題があることだってあります。だからどちらかの答を出す前によく考えて下さい。
しかし「わからない」と「いい面も悪い面もある」という答は安易に使ってはいけません。なぜならこの回答では得るものがないからです。重要なのは答えではなくその理由です。「わからない」ならわからない理由、「いい面も悪い面もある」という答えならどんないい面と悪い面があるか、そこまで答えられて初めて意味のある回答です。
そもそも質問が矛盾していたり、意味が定義されていない言葉を使っていたりすることもよくあります。このような質問では、質問自体に意義を唱える人が誰もいないと議論がいわゆる神学論争になってしまいます。議論が噛み合わない場合にはそもそも質問自体が間違っていないかどうか考えてみて下さい。