議論のしかた

ネットで議論をするにはルールがあります。いえ、ネット以外で議論する場合も同じですが。

議論の種類

議論を始める時にまず考えなくてはならないのは「何のために議論するか」という問題です。つまり議論の目的です。これを参加者全員が把握していないと問題のもとになります。これは大別して次の3種類になります。

討論

「議論」と聞いて皆さんが真っ先に思い浮かべるのが、ある問題について賛成派と反対派に分かれて行う「討論」でしょう。「朝まで生テレビ」がいい例です。まずはこれについて話をしましょう。

討論の目的は何でしょう?参加者にとっては相手側を言い負かすことです。そして観客にとっては双方の言い分を聞いてどっちがより正しい事を言っているかを判定することです。最終的には観客による判定によって勝ち負けが決まります。

あなたはテレビの討論番組を見ていて、「なんでこいつらは決着のつかない話を延々としているんだ」と思ったことはありませんか?そう思った人は少し思い違いをしているようです。あそこで言い争いをしている人達は決着をつけようなんてはなから思ってはいません。決着をつけるのはテレビに出ている人たちではなく、それを見ているあなたなのです。

討論では勝ち負けを決める審判がいないといけません。討論番組では審判は観客であり、テレビを見ているあなたです。審判はどちらの意見にも偏りがない公平な立場で、どちらの言い分がより正しいと思ったかを判断します。そして審判の判定に対して討論者が文句を言ってはいけません。[1]

審判は単に「どっちの勝ち」と言うだけではなく、その理由も言わなくてはなりません。理由がなければ説得力がありません。両派が納得するだけのきちんとした理由をつけて勝敗を宣言しないといけないのです。

もし審判の宣言が納得のいかないものだったら、そこから第二ラウンドが始まります。「賛成派」「反対派」がまたお互いを攻撃するのです。審判は攻撃対象ではありません。なぜなら審判が「あなたの負け」という結論を下したとしても、それは審判が悪いのではなくあなたが悪いのだからです。あなたが意見を的確に伝えられなかったのが問題なのです。それを反省し、欠点を補強して相手を攻撃しましょう。

実際のところ、これだけの条件を整えているまともな「討論」は多くありません。これらの条件が整っていないと討論は単なる言い争いに終わります。ほとんどのネット討論では審判がいませんが、これではルールのないサッカーのようなものです。ハンドだろうがファウルだろうが殴り合いだろうが何でもありのデスマッチになってしまいます。

「討論」のルールをまとめましょう。

  • 参加者は「賛成派」「反対派」「審判」の3つに分かれる。兼任はできない。

  • 賛成派・反対派はお互いを言い負かすために全力をつくす。

  • 審判は両派の言い分を聞いて、どちらが勝ったかを判定する。

  • 審判の判定は絶対である。審判への攻撃は許されない。

  • 審判は公正でなくてはならない。意見の偏りがあってはならない。

議決

討論のように公平な審判を置くことはなかなかできません。そのため、多くの場合はある問題に対して参加者全員で採決をし、多数決で勝ち負けを決めます。これが「議決」です。国会などはこのタイプです。

議決の場合は全員が賛成派であり反対派であり審判です。自分で賛成意見と反対意見を両方述べて、その上で公正な立場に立ってどちらの意見が正しいと思うかを判断します。討論でいう三役を一人でこなすのです。だから「勝ち負け」は出た意見に対して決まるものであって、人に対して決まるものではありません。

このように議決の場合には参加者は公平でなくてはなりません。賛成派の方が正しいと思えば賛成に、反対派の方が正しいと思えば反対に投票するのです。決して正しくないと思っている方に投票してはいけません。当たり前だと思われるかもしれませんが、この原則はなかなか守られません。

参加者は事前に「賛成派」「反対派」に分かれてはいけません。一人でどちらもこなすのです。ある問題について賛成意見を言うことも反対意見を言うことも自由です。「意見をころころと変えやがって。お前はどっちの味方なんだ」と言われるかもしれませんが、議決の場でどちらかの味方につくのはルール違反です。参加者は公正でなくてはならないのです。

ある問題について直接の利害関係にある人は議決に参加してはいけません。例えば「村に原発を造るべきか」という議決には、電力会社の社長も住民も参加してはいけないのです。こういう利害関係のある人は自分の利害に縛られてどうしても公正に判断する事ができなくなってしまいます。こういう場合は「議決」でなく「討論」にすべきです。自分たちでは公正な判断ができないから第三者に判断してもらうのです。

「議決」のルールをまとめましょう。

  • 参加者は「賛成派」「反対派」「審判」の3つの役を一人でこなす。

  • 参加者は公正でなくてはならない。意見の偏りがあってはならず、判断が自分の考え以外の要素に左右されてはならない。

  • 参加者は問題についての直接の利害があってはならない。

対話

討論や議決はある問題を解決するためのものでした。それに対して、問題を解決するためのものではない議論をここでは「対話」と呼びます。対話の目的は同じテーマで話し合ってお互いに理解を深めることです。

討論や議決と違い、対話では勝ち負けはありません。「どちらの意見が正しい」という判断はもちろんしても構いませんが、しなくてもいいのです。ただ単にいろんな意見を聞き自分で考えてみるのです。

違う考えの人を見つけたらなぜそういう考えをするのかを理解してください。お互いに意見を言い合い、違う人の意見を受け入れるのが「対話」なのです。理解した上でやっぱり意見が違うのであれば、それはそれ。別に意見を合わせる必要もありません。対話は全員で何かを決めるためのものではないのですから。

対話は結論を決めるためのものではないのですから、結論が出なさそうな話題でもかまいません。例えば「神はいるのか」という話題です。これを「そんな問題に答えが出るわけはねえだろ」と言う人はいませんか?答えは出ます。ただ全員が納得する統一された答えは出ないだろうから、終わりのない議論になってしまうというだけです。別に議論に終わりがなくたっていいじゃありませんか。

参加者は自由に自分の意見を変えることができます。誰かがいい事を言ったら「確かに自分の考えは間違っていた」と考えを改めればいいのです。そしてそれは悪い事でもありませんし、議論に負けたわけでもありません。対話には勝ち負けはないと言ったはずです。

「対話」のルールをまとめましょう。

  • 参加者は自分の意見を自由に言い合う。

  • 相手の意見を聞くのが目的であり、何かを決めるのが目的ではない。意見に勝ち負けをつけるのは無意味である。

  • 結論を出すのが目的ではないのだから、結論が出ないような話でもいい。

  • 相手の意見が自分とは違っていたとしても、相手の意見を変えようとしてはいけない。あくまで意見を聞くことが目的である。

  • 自分の意見は変えてもよい。むしろ変えた方がよい。

まとめ

議論には「討論」「議決」「対話」の三種類あり、それぞれに違ったルールがあります。そしてこのどれにも当てはまらないのは議論でも何でもない単なる言い争いです。見ている方は面白いかもしれませんが、有益な結論は出るはずもなく単にエネルギーの消耗で終わります。

残念なことに正しく議論するのは難しい事です。それはどのタイプの議論にもそれなりに厳しいルールがあるからです。議論は誰にでもできるわけではないのです。ルールを守れない人は退場していただく、これもルールの一つです。

討論では勝ち負けがはっきりしますが、議決や対話では発言者に勝ち負けはありません。相手を言い負かすのが目的ではなく相手の意見を聞いて考えるのが目的なのです。だから「攻撃」「論破」「理論武装」というような戦いをイメージする言葉は討論以外では不適切です。

議決や対話は自分たちのためにするものですが、討論は審判(観客)のためにするものです。討論では、技術的(「相手のあの論理に穴があった」とか「ここはこう攻めるべきだった」という)な知見は得られても、その問題に関する理解はまったく深まりません。だから「○○について理解を深めたい」と討論会を開く時には自分たちで討論を始めてはいけません。識者に(時にはギャラを払って)来てもらって、自分たちは観客になるべきです。

というわけで、討論とそれ以外では性質がまったく違いますからここではこれ以上討論についての話はしません。以降「議論」という言葉を使う時には討論は含まないものとして考えて下さい。


  1. もっともほとんどの場合では討論者が観客に文句を言う機会はないのですが。 ↩︎