はじめに
フリーウェアとかフリーソフトという言葉は一般に広く使われていますが, 「タダで使えるソフトウェア」となんとなく考えていませんか? この問題は実は難しいので多くの人が「なんとなくタダ」というだけで終わらせてしまっています. (フリーのソフトウェアの作者ですら!)
フリーの問題はソフトウェアに限りません. 文書だって, 音楽だって, 単なるデータだってフリーにすることができます. ソフトだけでなく, 何かを作る人,使う人, それぞれに考えて欲しい問題なのです.
注意
ここで目的としているのはフリーウェア/文書/絵/データとはどういうものかの解説です. できるだけ偏りなく両論併記で行くつもりでいますがどうしても心情的にフリーウェア作者に味方した内容になってしまうのは避けられません. それについてはご容赦下さい.
それからこの問題にはいわゆる「宗教論争」も絡んでいることを覚えておいて下さい. いろんな人が「フリーウェアはこうあるべきだ」と言ってそれが論争を引き起こしています.
こういう論争についての私の意見は「フリーウェアの作者が好きに決めればいい」というものです. 自分が作った物なんだからそれをタダで配ろうとどうしようととやかく言われることはありません. ただこれについての今までの論争は知っておくべきだと思います. 自分が損をすることになりますから.
この文書はGNU FDLに従います. もしこの文書について何か間違いや過度の省略などがありましたらご指摘いただきたいと思います.