ソフトウェア仕様の策定にあたって
先に「パソコンではなくノートと鉛筆でやれ」と言いましたが、確かにこれは 極論であって、実際にはそう提案しても契約が解除になるだけのことでしょう。 ここではアマチュアユーザーを顧客にしたプロジェクトで、ソフトウェアの仕 様を決める上での注意点をお話しします。
ユーザーの質を見極めよ
まず相手がプロユーザーなのかアマチュアユーザーなのかを見極めるのが大事 です。ここでいうプロ/アマチュアというのはパソコンの技術とはまったく関 係がない事に注意して下さい。パソコンを触ったことがなくてもノートに家 計簿をつけ慣れている人は「家計簿のプロ」なのです。
残念ながらあなたの元にやってくる依頼はアマチュアユーザーがほとんどです。 プロユーザーは自分たちで何とかしてしまうことが多いですから。昔なが らのノートと鉛筆で何不自由なく仕事できているならわざわざあなたの所に依 頼したりはしないでしょうし、もしパソコンを導入したとしてもExcelで何と かしてしまうでしょう。 プロユーザーは例えパソコンには素人でもあまり問題にはなりません。なぜな ら何をすべきなのかがわかっているからです。
一番問題なのがパソコンは使えるが家計簿のつけ方は知らないアマチュアユー ザーです。こういう人をプロユーザーと勘違いしてしまいがちだからです。し かし、パソコンが自作できたりWebのいろんなページを知ってたりフリーソフ トをたくさん持ってたりするのは家計簿をつける上では何の関係もありません。
こうした知識はできたソフトを使いこなす上では有意義な知識ですが、仕様策 定の段階ではかえって邪魔になります。なまじソフトの事をよく知っているた めに、家計簿のつけ方の本質を考えようとせず出来てくるソフトのイメージを 話したがるからです。こうした人に欲しいソフトのイメージを語らせてその通 りのソフトを作ったらまず失敗します。
ビジネスプロセスを隠すな
相手がパソコンに慣れていない場合「簡単に」というのがキーワードになりが ちです。しかしこれはよくない徴候です。もし相手が「わしはパソコンの事は よくわからんから、できるだけ簡単に操作手順だけ教えてくれんかのう」と言っ てきたら用心して下さい。あなたがすべきことは操作手順を簡単にすることで はなく、説明を理解してもらうことなのです。
パソコンを知らない人ほどパソコンは何だか難しいものだと思っています。そ してそれは自分には到底理解できないものだと思っています。しかしユーザー が本当に覚えなくてはならないのはソフトの使い方ではなくビジネスプロセス なのです。家計簿とは何かということでありどんな目的で何をどうするかとい うことを覚えなければならないのであり、それはパソコンとは関係がないので す。
「簡単に」がキーワードになると、「家計簿とは何か」という難しい話を隠し て「ほら、ここに支出の種類と金額を入力すればいいんですよ」と操作手順だ けを知らせがちです。しかしここに勘違いが一つあります。ソフトを作る側に とっては「家計簿とは何か」という話が難しい話で、テキストボックスに入力 する方法というのは簡単な話です。しかしユーザーにとっては逆なのです。だ から隠すべきは家計簿のつけ方ではなくウィンドウの閉じ方やボタンの押し方 や入力の仕方なのです。
相手が「操作が難しすぎてよくわからない」と言ってきた場合、まずパソコン や画面という言葉を抜きにして説明をしてみて下さい。それがビジネスプロセ スです。パソコンと聞いただけで無条件に拒否反応を示す人も、パソコンとは 全然関係のないビジネスプロセスの説明なら聞いてくれるでしょう。そしてそ の説明が自分で言っててわかりにくいようでしたら、それはビジネスプロセス の構築に失敗しているのです。わかりやすいビジネスプロセスの下で素直にソ フトを作ればその操作がわかりにくいなんて事はないはずです。 [1]
ソフトウェアを使う人にはソフトの使い方よりまずビジネスプロセスを説明し ましょう。
ビジネスプロセスを売れ
ソフトウェアはビジネスプロセスを達成するための手段です。だからビジネス プロセスを前面に出し、そこにユーザーを誘導するものとしてソフトウェアを 作りましょう。 いい例が「確定申告ソフト」です。「給与所得はいくらですか?」「自営業で すか?」「給料を二箇所以上からもらっていますか?」などの数々の質問に答 えていくことで自動的に確定申告の用紙が印刷されるようなソフトのことです。
さて、このソフトはいったいどこがありがたいのでしょう? 計算はたいした事はないはずです。(よっぽどお金持ちでなければ)数ケタの数 を何回か足し引きすればできる計算であり、電卓で十分なはずです。出てくる 数々の質問も税務署に行けばタダでもらえる「確定申告の手引き」という冊子 に全部書いてあることであり、わざわざお金を払ってソフトを買う必要はない はずです。
こうしたソフトの意味はプロセスを強制するところにあります。「上から順番 に金額を埋めていってください」というのがプロセスです。そしてその都度 「ここの金額が0ならここは入力する必要はありません」とか「ここの金額が0 でないならここも入力してください」と教えてくれます。つまり何をすれば いいかを教えてくれるところに意義があるのです。 この意義を認識していないと、単に確定申告用紙と同じフォームを作って入 力された値を基に自動計算するだけのソフトウェアを作ってしまいます。こん なソフトに意味はありません。人が確定申告の時に困るのはどこにどう書けば いいかわからないからであって、計算が難しいからではないのです。
ビジネスプロセスを前面に出しましょう。そしてユーザーをそのプロセスに誘 導するのがソフトウェアです。
操作を簡単にするな、直感的にしろ
前項でも少し言いましたが、「操作が簡単」と「わかりやすい」というのは両 立させることはできません。なぜなら本来あるべき手順をいろんな特殊な方法 でショートカットさせるのが「簡単な操作」だからです。本来入れなければな らない情報をソフトウェアで補完してくれたり、複雑な手順を1アクションで 行えるようなショートカットキーやボタンを用意したりすると、当然のことな がらわかりにくくなるでしょう。「操作が簡単イコールわかりやすい」という のはよくある誤解です。
ただ「簡単な操作」と「直感的な操作」はまた違います。直感的な操作はわか りやすいのです。「直感的」というのはわかりやすいビジネスプロセスがあっ てその通りに操作ができるインターフェースのことです。つまり、「直感的」 というのはプログラムがいいのではなくプロセスがいいということなのです。
前項の確定申告ソフトの話で、順番に「○○所得の金額を入れて下さい」とダ イアログが出てくるソフトと、入力スペースが縦に一列に並んでいて数字をど んどん入れていけばいいソフトとどちらが「簡単」でしょうか?数字を入力す ることだけが目当てならダイアログなんていちいち出てこない方がずっとやり やすいでしょう。しかし次にすべき事を明示するのが利用者にとってはわかり やすいのです。
どっちがいいかは一概には言えません。一長一短があるからです。そのソフト の目的や対象ユーザーを考えてどちらを取るかを考えて下さい。
ビジネスプロセス構築は必須
ビジネスプロセスを作るのは面倒で、しかもその労力は理解されない事がほと んどです。やりたくない仕事です。時には顧客の側から「そん な面倒なことはやらなくていいよ」と言ってくることもあるでしょう。しかし その言葉に甘えてプロセス分析の作業をサボると大変なことになります。
例えばよくある事例が「今まで紙でやってたこの○○伝票をパソコンで出力し たいんだ」という話です。こう言われると「ああ、単に○○伝票をプリントア ウトするソフトを作ればいいんだな」と思いがちです。しかしこれは大間違い です。なぜなら、伝票が単に紙からワープロ印刷に置き替わっただけでは見栄 え以外に何も進歩していないからで、さらに一般的には紙にボールペンで書 く方がパソコンに入力するより手軽だからです [2] 。きれいな伝票を出すためだけにわざわざ大金を出して面倒な思いをする人が いるでしょうか?
当然、依頼主は履歴を表にして出すとか相手先ごとの一覧を出すといった何ら かの統計処理を必要としているはずです。そしてそれは「伝票をプリントアウ トする」というだけの話とは全く次元が異なった話なのです。一般の人は「伝 票をきれいに出力する」という作業は難しく、「集計する」という作業は簡単 だと思っています。しかし実際は逆です。もっと言えば、一番難しいのは「後 から集計できるような伝票データを入力する」という作業なのです。
「今まで紙でやってたこの○○伝票をパソコンで出力したいんだ」という話が きたら注意して下さい。単なるワープロ代わりのソフトならモデルとかスキー マ定義とかプロセスといった難しい話は一切必要ありません。極論すれば、 Wordでその伝票を罫線などを使って書いて「この文書をその都度書き替えて 印刷して下さい」で済む話です。そしてそういう簡単な話だと思って喜んでソ フトを作っていると、後から「実は集計もしたいんだ」と言われてしまい、 プロジェクトはまた振り出しからやり直しになってしまいます。
まず「やりたい事」をはっきりさせましょう。そしてビジネスプロセスを構築 しましょう。相手が「ビジネスプロセス分析なんて面倒な事はいらないよ」と 言ったとしても、それはほとんどの場合間違っています。もし本当に面倒な事 はいらないのなら、ソフトウェアを作る事すら必要なくWordやExcelなどの市 販ソフトで十分な作業なのですから。