葛藤
ガートは部屋の隅にうずくまっていた。何をすればよいかわからなかったからだ。逃げることも、隠れることも、戻っていくこともできなかった。足音が近づいても、顔を上げることすらしなかった。
ドラ: どうしたんですか?
ガート: 僕は君にあわす顔がない
ドラ: ガートは命の恩人です。あなたに助けていただかなかったら…。僕の命はあなたのものも同じです。
ガート: そんなことは関係ない!
ドラ: 僕があそこであんなことをしたのが悪かったんです
ガート: 知らずにしたことなら後でどうにでもなる。しかし……
ガートは同じ格好のまま顔だけ上げた。
ガート: 知っていてしたことはとても許されることではないんだ!
ガートはドラをにらみつけた。まるで、ドラが何か悪いことでもしたかのように。
ドラ: 誤解は解けました。一緒に行きましょう。
ガート: そういう問題じゃないんだ!
ドラ: さあ、向こうの方々も待ってますよ
ガート: 君はどうして僕に対してそんな顔ができるんだ! 僕は…耐えられない
ガートはまた顔を両膝の間に埋めた。
無言のままどれだけ経っただろう。不意にドラが何もない方に振り向いた。
ドラ: ラベンダーさんの生命反応が…!?
ドラはさっきの女性の生命反応が消えるのを探知したのだ。ガートはまた頭を上げた。
ドラ: 僕は看護ロボットだけど、重病人は助けられない。助けられるのはフォースのあなただけです。
ガート: 僕が……?
ガートは何かを訴えるような目でドラを見つめた。ドラと一緒に行くのは耐えられなかった。しかし、瀕死の人に何もしないでいるのも耐えられなかった。同じ耐えられないなら、少しでも人のためになる方がいい。彼は、頭を抱えていた手を地面につくと立ち上がった。
ガート: ……わかった。話は後にしよう。
彼は走り出した。駆け足で、などという速さではない。何かから必死で逃げるような、そんな走り方だった。ドラはあわてて後を追いかけた。ガートは場所も知らない筈なのに、一人で駆け出してどうしようというのだろう?ガートより速く走るのは簡単なことではなかったが、ドラはそれをやらなければならなかった。
ガートは、開いた扉の先で、例の二人が立っているのを見た。ドラは彼らに走り寄った。例の女性、元気じゃないか。ガートは足を止めた。と、回れ右をして来た道を戻りはじめた。視線を下に向けて、とぼとぼと。さっきの高揚した気持ちはなんだったのだろうか。
ナリ: おや、どうした?
二人は、ドラがあわてて入ってきたのに気がついた。
ドラ: 生きてたんですか?
ラベンダー: スケープドールのおかげで助かりました。
ドラ: 生命反応が消えたような気がしたので、ガートさんにお願いして助けてもらおうかと……
ナリ: それでわざわざ来てくれたのか?
ドラ: 僕は元々医療介護ロボットです。人様の命を救うのが生きる目的なんです。でも、でも、僕にはリバーサーのような強力な治癒方法を持ってないので…
ドラ: それで、彼に事情を話したんです。そしたら彼は一目散にここまで走ってきてくれたんです。
ナリ: そうだったのか…。さっきあんなことをしたのに。
ラベンダー: まあ恩は恩ですから、お礼を伸べさせてください。ありがとうございました。
ナリ: ワタシからも、ありがとう
二人はドラに向かって頭を下げた。
ドラ: お礼ならガートさんに言ってください!
ナリ: それで、彼は?見たところ姿がないようだけど
ドラは、ガートがまたいないのに気がついた。
ナリ: さて、じゃあ彼を探さないわけにはいかないな。時間、あるかな?
ナリはラベンダーに聞いた。
ラベンダー: 貴女のその行動に対してのお礼ですわ
彼女はにこやかに笑っていたが、やがて、吹き出しそうな笑いをこらえて言った。
ラベンダー: 彼、探さなくても近くにいるみたいですわよ
ガートは、彼らのいる部屋の外の通路で、壁に向かって立っていた。何をしているという訳でもない。三人が部屋から通路に入ってくると、あわてて彼らに背中を向けた。
ドラ: ガートさん!
ガートは首だけをおそるおそる彼らの方に向けた。ナリとラベンダーも入ってきた。彼は入ってきた三人の方に向き直った。あの二人も一緒となると、とても背中を向けたまま話すような失礼な真似はできない。ドラにはそうしたことは気にならなかったのだが。しかし、彼は、向き直ってもまだ目は足元を見ていた。
ドラ: 僕達が心配でついてきてくれてたんですね。
ガート: ど、どうしてそんなことが…
ラベンダー: ありがとうございました
ナリ: ええと…。ガート、だったね。さっきは、すまなかった。
ナリとラベンダーの二人は頭を下げた。そして、ラベンダーは早々に立ち去った。ナリもあわてて後を追った。
ガート: 何しに来たんだよ?笑い者にするのか?
ドラ: ガートさんにお礼を言いたくて戻ってきてくれたんですよ!
ガート: う…
ガートは言い返せなかった。彼はもちろん、自分の言ったことが間違いであることを知っていたからである。彼は、自分の願望を言っただけだったのだから。
ナリ: ガート! そっちのも! 来ないか。ワタシはナリ。新聞社員だ!
ナリは扉をくぐりながら大声で呼び掛けた。
ドラ: ほら、ああ言ってくれてますよ! 一緒に行きましょう
ガート: 僕は行く資格ないよ
そう言うと、ガートはおずおずとドラの顔を見上げた。満面の笑み。慈愛。ガートにはそう見えた。
ドラ: 旅は道連れって言うでしょ
ガート: くそ、ドラ! どうして君はそうやって…。僕を憎めよ! 憎いだろ!?
ガートはまた後ろを向いた。また二人になった以上、前を向いている理由はない。
ドラ: 憎い?どうして?
ガートはドラに背中を向けたまま、前にのびる通路を眺めていた。目の焦点は合っていない。ドラの笑顔(と彼が解釈しているもの)が目の前に浮かんできた。怒った顔の方がどんなに良かったことか。これじゃ一方的すぎるじゃないか。
ガート: もういい。君には理解できないようだ。
ドラ: 早く行きましょう。ね?ね?
ガート: わかったよ。僕の負けだ。
ガートはドラの脇をすり抜けて走っていった。形勢は決定的だった。それは最初からガートもよく分かっていた。彼は、負けを認めるタイミングを探していただけだったのだ。言いたいことを一通り言ってしまった以上、彼に残されていたのは敗北宣言だけだった。
なんで勝ち負けにこだわっていたのだろう?勝ったって何の得にもならないのに。そもそも、勝ち負けってなんだ?