ネット世代の心の闇を探る

現代社会の様々な特性が、若者の心をむしばんでいる。

中二病とは何か

最近、「中二病」という言葉をよく聞くようになった。この言葉の本当の意味 は「中学二年生くらいの人によく起こる、世間でメジャーなものに反抗し、マ イナーなものをありがたがる傾向」とでも言えばよいだろうか。

まず、「中学二年生が中二病なのは普通であり、むしろ望ましいことである」 ということを理解してほしい。まあ、いつまでも中二病を引きずっているのは 何だかなぁとは思うが、そんなにムチャクチャ悪いことではない。

中に、「中二病」という言葉を間違って使ってしまっている人がいる。中二病 を暖かく見守れない人の方が問題である。

「中二病」の意味

中二病はアウトロー

中二病とは、アウトロー気取りで、いわゆる「ワル」をカッコいいと考え、15 の夜に盗んだバイクで走り出すような人のことを言う。ヤクザ映画やツッパ リ映画に影響を受けたり、ヒップホップをやったり、パンクロックをやったり、 その他もろもろのことをやる。

あるいは、あえてバカをやるというのも、「メジャーなものへの反抗」であり、 中二病の一種である。わけもなく野宿してみたり、ある程度年長になるとイン ドへさすらいの旅に出かけたりする。サブカルチャーにハマったり、マイナー な音楽や趣味を極めようとしたりもする。

青臭いのは中二病とはいわない

中二病に関するよくある勘違いは、単に「青臭い考え」を中二病と呼んでしま うことである。たとえば、友情とか正義といったものを「青臭い」と感じて、 こうした考え方を問題視する人がいる。良いか悪いかはともかく、こういうの (青臭い考えを問題視すること)の方が、どっちかというと「中二病」である。

「友情」とか「正義」といったものは、世の中ではメジャーな価値観、つまり 「良いこと」であるとされているものである。「けっ、正義なんてくだらねえ ぜ」なんて言っているのが、真の中二病なのである。

「カッコ良く見せたがる」のも中二病ではない

中二病を「周囲の目を気にしてカッコ良く見せたがる」という意味に使う人も いるが、それも違う。周囲が見て「カッコいい」と思うということは、それが メジャーな価値観であるということだ。つまり、「カッコ良く見せたがる」と いうのは、メジャーな価値観に迎合することだから、中二病ではなく、むしろ その反対である。

だから、「けっ、カッコつけようと思ってワルぶっても、しょせんはガキの背 伸びなんだよ」と言っている人の方が中二病である。

アンチテーゼ

中二病というのは、社会というテーゼに対して、アンチテーゼを打ち出すこと である。アンチテーゼというのは、「○○である」に対して、「いや、○○で はない」と反論することだ。

テーゼとアンチテーゼには、明確な違いがある。テーゼは普通に主張できるが、 アンチテーゼはテーゼがないと主張できない。例えば、「一流企業に入る」と いうテーゼに対して「いや、フリーターでもいい」とアンチテーゼを主張する のはいいが、テーゼがないのに「フリーターになれ」と主張すると、お前いき なり何を言い出すんだという話になる。

「メジャーなものへの反抗」と書いたが、後述するように今ではこれがだいぶ あやふやになってしまっているので、より正確には「本人がメジャーだと思っ ているものへの反抗」だと理解してほしい。

ジンテーゼ

アンチテーゼ自体は、物事を考える上ではとても重要なことだ。だから、単に アンチテーゼを言い出したというだけで、中二病呼ばわりしてはいけない。中 二病というのは、アンチテーゼを言い出すことではなく、そこから抜け出せな いということなのだから。

テーゼとアンチテーゼを両方とも出した後で、両者を見比べて何らかの結論を 出す。それがジンテーゼである。ジンテーゼは、テーゼやアンチテーゼとは違っ た視点でものを見ることになる。個人的な話だったのが社会分析になったり、 社会の話がこころの話になったりする。きちんと中二の段階を通過できていな い人は、このジンテーゼを見落としがち(あるいは理解できない)で、「なんで 個人的な話からいきなり社会の話に広がるんだ」と文句を言う。 一般化の能力に欠けているのである。

「自己」を形成する過程

中二病というのは、「自己」を形成するための重要な過程である。だから、中 二ごろに中二病になるべきである。中二病になれないと、精神が小学 生のまま大人になってしまう。

中二病というのは、周囲の考えに振り回されるのをやめて、自分の考えを持と うとすることだ。周囲が「正しい」と言っていることの中にも正しくないこと があるし、逆に周囲の人が「正しくない」と言っていることの中に、実は正し いことがあるかもしれない。「正しさ」の判断を人に頼らず、自分でできるよ うになるための第一歩である。

中二病になる前の子供は、「メジャーな価値観」にどっぷり漬かってしまって いて、「お母さんが言っていた」とか「テレビで言っていた」とか「ネットに 書いてあった」ということを鵜呑みにしてしまう。中二病とは、そんな状態か ら何とか抜け出そうと、抜け道を探している状態なのである。

まとめ

つまり、中二病とは何なのかというと、世の中にあふれる様々なものに反抗は するけれど、その先へ進むことができない状態のことである。「反抗する」の が中二病なのではなく、「反抗しかしない(できない)」のが中二病なのである。

そして、中二病は大人への大切なステップであり、乗り越えるべき壁である。 それを乗り越えると、反抗することも反抗しないことも自分の判断で選べるよ うになる。

中二病になれないネット世代

中二病は古い

今までの話の例がどうも古臭いように思った人も多いだろう。そう、確かに古 い。今どきツッパリなんて見かけないし、ヒップホップが「ワル」と評価され ることに違和感を覚える人もいるのではないか。

一方、ある程度以上の年代の人は、今でも中二病的なものを「カッコいい」と 思っている。代表例が「ちょいワルオヤジ」だ。定年を過ぎた人たちがベン チャーズをやったり、一国の首相がプレスリーのファンだったりする。これら はどれも、流行った当時は不良の象徴だった。

「メジャーな価値観」の崩壊

では、現在に目を向けて、中二病にあたるものが何かと考えると、これが実は なかなかない。少し前なら「ルーズソックス」「ガングロ」あたりかな。PTA のオバチャマが「こんなお下品なものは子供の教育上よろしくないザマス」と 言うようなもののことなのだが、今のPTAのオバチャマは、給食費を払わない ことはあっても、「教育上よろしくない」とはあまり言わなくなった。

メジャーな価値観というのは、みのもんたや細木数子あたりがテレビで常々言っ ている価値観のことだ[1]。何もかもがメディア に載るようになると、こうした「メジャーな価値観」の影響力が低下して、す べての価値観が同じ土俵に上がるようになってしまう。

批判を受け止められない

本来、論説ではテーゼとアンチテーゼを両方述べ、そこから違った視点で何か を引き出さなくてはならない。しかし、たいていの場合、テーゼは省略されて アンチテーゼから話が始まる。テーゼは皆知っていることであり、わざわざ話 す必要がないからだ。つまり、何かを話し始める場合には、まず現状への批判 から始まるということだ。皆が知っている暗黙の現状に対して、アンチテーゼ として批判をし、その後に別の観点からの結論を述べる。

ネット世代の人々は、この「暗黙の現状」を共有していないので、数々の批判 をアンチテーゼではなくテーゼとして認識してしまう。そのため、批判を批判 するというトンチンカンなことをしてしまう。なぜ批判への批判がトンチンカ ンなのかというと、批判というものはもともとたいして重要なものではないか らだ。一通り批判した後に述べられていることが話の本筋なのである。

ネット世代は、結論だけが抜き出されて述べられることに慣れてしまっていて、 話の筋を追って流れを理解することが苦手である。そのため、話のマクラを結 論と勘違いしてしまう。

すべての言論が存在する

正しく中二病にかかるためには、アンチテーゼを自分で見つけ出さなくてはな らない。しかし、ネット社会では、ネットを探せばどんな言論でも存在してし まう。だから、ネット世代は中二病になることがとても難しい。

すべての言論がメジャー化してしまったために、「メジャーでないもの」が存 在しなくなったのである。上では「メジャーな価値観の崩壊」と書いた。メ ジャーなものとは、「みんな」が正しいと思っていることだ。今では、「みん な」が正しいと思っているようなことはなくなってしまったが、その代わりに、 どんな主張でも「誰か」が正しいと思っていると言えるようになってしまった。

中二病とは、周囲の考えに振り回されるのをやめて、自分の考えを持つことだっ た。以前は、「周囲の考え」が一つしかなかったから、それを否定することが できた。しかし今では、どんな「周囲の考え」も存在するため、自分の都合の 良い「周囲の考え」を見つけてくることができるようになってしまった。そう なると、周囲の考えを否定することができなくなってしまう。

中二病とは、単にメジャーなものに対して反発することではない。周囲の考え とは独立して、自分の考えを持つということだ。しかし、どんな考えでも周囲 から引っ張ってこれるようになって、自分の考えを持つことが難しくなってし まった。

裏中二病

裏中二病とは

現代は、メジャーな価値観が消失してしまったために、自分の価値観を確立す ることが難しくなってしまった。近所のコンビニへ行けば何でも売っているた めに、自分で作るということができなくなってしまったのである。

中二病を妙に意識して毛嫌いする人のことを、裏中二病と呼ぶことがある。し かし、現象は似ていても、その理由がまったく違う場合がある。状況を正しく 把握するには、「中二病を毛嫌いする」という現象ではなく、その理由を考え なくてはならない。

真の裏中二病

中二病というのは、「俺は他人の評価なんか気にしないんだぜ」という反抗で ある。しかし、中二病であることがプラスに評価されると、中二病になれなく なってしまう。これが裏中二病である。要するに、大人に「大人の言うことに は反抗しろ」と言われると、本当の意味での反抗ができなくなってしまうとい うことだ。こうした矛盾にとらえられてしまい、何もできなくなってしまう。

こうした裏中二病は、中二病の基本は押さえているので、かなり良性だ。しか し、自分でハードルを一つ上げてしまっているので、いろいろと苦労するだろ う。まあ、できる範囲でこつこつと、まずは中二病からなってみるのがいいん じゃないかと思う。

逆中二病

裏中二病と同じように見えて、実際は全然違う人もいる。よくあるのが、ネッ トやら何やらで自分が中二病呼ばわりされるのが恐くて何もできない状態であ る。これをここでは勝手に「逆中二病」と呼ぶことにする。

逆中二病は、他人の評価を恐れている時点で、中二病ではなくむしろその逆 である。裏中二病は、「中二病になると他人はプラスに評価する」という前提 があって、それに対する反発である。それに対して逆中二病は、「中二病にな ると他人はマイナスに評価する」という前提があって、それに従う。裏中二病 は前提に反発しているので中二病の一種だが、逆中二病は前提に迎合している ので中二病ではない。

逆中二病の人は、自分はまだ入口にも達していないということを認識しなくて はならない。

無中二病

裏中二病に見える一番悪性のパターンは、他人の評価を気にすることができな い人だ。これをここでは勝手に「無中二病」と呼ぶことにする。

無中二病は、「評価」という言葉の意味を理解できていないので、結果的に他 人の評価を気にしない。これは、他人の評価を知ってあえてそれに反発する中 二病とは大違いだ。「個性を重んじる教育」だなんだと言われて、自分への評 価をされずに育った子供は、無中二病になりやすい(実際には、「なる」ので はなく、そこから抜け出せないのだが)。

無中二病の人は、「他人がどう評価しようと自分には関係ないね」と、中二病 の人と同じようなことを言っている。しかし、中二病の人は、こんなことを言っ ていると他人は自分をマイナスに評価するということを知っている。しかし、 無中二病の人は、自分がマイナス評価される理由が分からない。それで、無中 二病の人は、必死に自分を弁護し、自分の評価を上げようと試みる。具体的に は、「何で悪いんだ」「人それぞれでいいじゃないか」というように。それに 対して中二病の人は、自分が他人には評価されないようなことをやっていると 知っていて、「大人には分からないんだよ」と言う。

無中二病と中二病を見分けるには、他人の批判に対する態度を見るといい。無 中二病は、他人の批判が無くなるように(あるいは自分の視界から消えるよう に)行動する。それに対して中二病は、むしろ他人から批判されることを誇り に思う。

まとめ

中二病の問題

「中二病」を現象だけでとらえると、問題を見誤ってしまう。中二病とは、 「○○をする」というところに問題の本質があるのではなく、「○○しかでき ない」というところに問題の本質があるのだから。誰かが中二病のような行為 をしていたからといって、中二病だと結論づけられるわけではない。そこに現 れていない諸々のことも考え合わせないと、結論づけられるものではない。

中二病を乗り越えたまともな大人は、時と場合に応じて、小学生の考え方も、 中学生の考え方も、大人の考え方もできる。中二病とは、小学生の考え方を否 定して、中学生の考え方に凝り固まってしまっている状態だ。問題は「中学生 の考え方以外ができなくなってしまうこと」であり、中学生の考え方自体では ない。

中二病とは、他人の考えから独立して自分の考えを持つということだ。その前 段階として、他人とは違った考えを持とうとする。他人とは違った考えを持っ ていれば、それは他人の考えから独立しているという証拠になるからだ。しか し、「他人とは違った考えを」と考える時点で、実は他人の考えから独立して はいない。さらに進めば、「他人の考えから独立している」ということの証拠 をわざわざ求めなくても、自然にそう考えるようになる。

裏中二病の問題

中二の段階に至っていない子供は、中二病とは何なのかを理解することができ ない。そのため、中二病を独自の解釈で否定し、批判する。彼らの言うことは 「独自の解釈で否定・批判」というところはよく似ているが、他人の評価に対 する態度に注目すれば見分けがつく。

逆中二病は、他人の考えに合わせようとする小学生の状態である。彼らは、 「他人に評価されないようなことをしているから」という理由で批判する。 中二病の人は、そんなことは承知の上でやっているのだが、中二病になってい ない人は「他人に評価されないようなことをする」ような人がいることを想像 できない。

逆中二病の中二病批判は、要するに、小学生が「わぁー、いけないんだー。先 生に言ってやろー」とはやし立てている状態である。学校を卒業しているのに まだ抜け出ていない人は、この「先生」が「警察」や「マスコミ」に変わる。 「先生」という外部の権威がすぐ出てくるところがポイントである。

一番進歩のない段階が、無中二病である。まだ自分の考えと他人の考えの区別 がつかない幼児の段階だ。母親が自分の世話をしてくれるように、他人が自分 に合わせてくれるのが当たり前だと考えている。彼らは、中二病を見て「なん でああやっていちいち他人に逆らっているのだろう」と疑問に思う。

彼らは、他人を「自分に合わせてくれる存在」と「切り捨てるべき存在」の2 種類に分け、自分に合わせてくれない人から目をそむけ続ける。彼らにとって、 自分と違う考えは存在しないのと同じだから、他人に逆らうなどあり得ないの である。

言葉の問題

「中二病」という言葉が、いろいろと誤解を招いているのではないだろうか。 10年くらい前までなら、こうした病は中二の頃にかかるものだった。しかし今 では、中二になってもまだ中二病にかかることのできない人の方が多くなって しまった。

中二病にかかったことのない人には、ここで述べた「中二病」の概念を理解す るのは難しいだろう。中二病という言葉を使う前に、自分が本当にこの言葉の 意味を理解しているのかどうかを検討すべきだ。

あと、やたらにナントカ病とつけたがる人もいるが、多くの場合、何かをする ことが問題なのではなく、何かができないことが問題なのである。表に出てき ていないことを考慮に入れることができない人も多いので、気をつけるように。


関連


  1. こんなことを言うと細木数子の言っていることがいかに間違っているかを メールに書いて送ってくるバカがいるかもしれないので念のため先に言ってお くが、「メジャーな価値観」は「正しい価値観」とイコールではない。これが わかっていない人は、おそらくまだ中二の段階を通過していない人だ。 ↩︎