「ロールプレイ」と「なりきり」

「ロールプレイ」は「なりきり」ではありません。どう違うのかをじっくり見てみましょう。

ゲームマスター

TRPGをやったことのない人にはなじみが薄いかもしれないが、テーブルトークRPGではゲームマスターという人が存在して、ゲームの一切を取りしきる。

コンピュータRPGにおいてコンピュータがやっている役割である、という説明がTRPGを知らない人にはわかりやすいだろう。しかしここで一つ問題がある。今のコンピュータRPGでコンピュータはどんな役割を担っているのだろう?

「なりきり」と「ロールプレイ」ではこの解釈もまた違う。

なりきりにおけるゲームマスターの役割

「なりきり」においてはゲームマスターの役割とはストーリーを提供してプレイヤーをそれに誘導する役割である。お話の発端を提示し、ヒントを出してプレイヤーをラスボスまで誘導し、ところどころでドラマティックなビジュアルシーンを挿入しながら、最後に感動的なエンディングへと持っていく。

たまにはカジノやクイズなどのミニゲームを提供するのもよい。変わったNPCを登場させて笑いを取るのもよい。そしてそれらがストーリー上の伏線となっているとなおよい。

確かに、今のロールプレイングゲームやアドベンチャーゲームはみなこんな作りになっている。そしてゲームマスターがこれらを真似して同じような事をやればこれらのゲームと同じ楽しみを味わうことができる。

本来のロールプレイングゲーム

しかし本来はコンピュータロールプレイングゲームやアドベンチャーゲームはこんな作りではなかった。WizardryやZorkを見れば一目瞭然だ[1]

例えばZorkの場合はコマンドが入力式だ。選択式ですらなく自分で行動をキーで入力するのだ。「見る」とか「前へ進む」とか「刀を拾う」のように[2]。最初にコンピュータは「あなたは森の中の開けた場所にいる。そして、片方に深い谷がある」というようにキャラの置かれている状況を説明し、それに対してコマンド入力を待つ。そして入力された行動に対してどうなったかをまた説明する。

Wizardryの場合はもっとグラフィカルだ。キャラ(達)から見えるダンジョンの風景が描かれコマンドを待つ。コマンドはどちらへ進むか、あるいはキャンプを張るかといった命令だ。そしてその結果としえ敵が出たり罠にはまったりなぞなぞを出す扉の前に出たりする。

つまり、こうしたゲームにおけるマスターの役割はプレイヤー達にどう行動するかを聞いてその結果を提示するというものなのである。

プレイヤーは聴き手ではない

本来、ロールプレイングゲームにおいてはプレイヤーが行動を決めてマスターはその結果を提示する。つまりプレイヤーが主体でマスターは聴き手である。しかし「なりきり」の場合、往々にしてマスターがとうとうとストーリーを語りプレイヤーはその聴き手になってしまうことがある。

これは日本のコンピュータRPGにビジュアルシーンが登場した事によるものだろう。ビジュアルシーンでは、本来プレイヤーが行動を決めるはずのキャラが勝手に操作され、プレイヤーはそれをぼけっと見る事しかできなくなってしまっている。これはロールプレイではあってはならないことだ。

そしてこれを正当化するように「なりきり」の基本原理が現われた。性格や生い立ちを設定してそれをビジュアルシーンで見せる。「ほら、このキャラはこう動くんですよ。これが模範解答です。これを見本にしてやってみましょう。」というのだ。そしてプレイヤーにはその通りに動くように要求する。そのキャラにふさわしくない行動をとると「その行動は間違いです」と言い[3]、やり直しになったりひどい時にはゲームオーバーになったりする。だからプレイヤーはマスターが設定した「解答」を探すことを目的にする。その「解答」はストーリーが進展する方向、つまりはよりドラマチックになる方向である。かくして「キャラの性格や生い立ちをもとに、ゲームマスターが設定したよりドラマチックになる話の筋に向かってキャラを動かすゲーム」になったのだ。

ロールプレイにおいては、「こうしなければいけない」というのはない。「こうすればいいんじゃないか」というのがあるだけだ。キャラの行動を決めるのはゲームマスターではなくプレイヤーなのだ。

例えば、「なりきり」はストーリーを楽しむものだから、見え見えの敵の罠があっても自分からはまりに行く。周囲の雰囲気がそう要求するし、しばしばプレイヤーが自分でそうする。しかし、ロールプレイでは「こいつバカだなぁ。自分なら絶対にこんな事はしない」とプレイヤーは思うし、そう思っているプレイヤーを無視して勝手にプレイヤーキャラを動かしてはならない。そして、プレイヤーが「見えすいた罠は回避して敵陣に乗り込む」と宣言した場合にはそのようにできなくてはならないのだ。

マスターは何をするのか

上で述べたように、ロールプレイではマスターの役割はプレイヤーの行動の結果を決めるものである。マスターはキャラの行動を聞いて「キャラがこう動いたとしたらこうなる」というのを決定する。

では何に基いて決定するのか?もちろんルールに基づいてであるが、根本的には「世界法則」に基づいてである。この世界ではこう動いたらこうなる、というルールにのみ基づいて決定するのだ。NPCを除けばマスターの仕事は純粋に機械的なものだ。

「なりきり」ではよりストーリーが面白くなるように結果を決める。それに対して「ロールプレイ」では客観的な世界法則と常識で決める。これは大きな違いだ。「なりきり」では面白い展開が予想される場合はその展開にしなくてはならない。しかし「ロールプレイ」では展開の面白さと判定は無関係だ。いくら「ここで敵が急に引き返すと面白い展開になるのに」と思っても、理由がない限りそういうことはしない。

まとめ:マスターは審判だ

ロールプレイではマスターは「審判」だ[4]。プレイヤーのプレイに対して判定をする役割なのである。審判は客観的で公正でなくてはならない。

野球はドラマだ、とよく言われる。劇的なサヨナラアーチを放ったり、正確なピッチングで完投勝利を飾ったり。しかしこれらのドラマはプレイヤーがゲームをプレイすることによって自然にできてくるものである。間違っても審判がつくるものではない。

9回裏の逆転のチャンスだからといって、審判がファウルを勝手にホームランにしてはいけないのだ。


  1. 「火吹き山の魔法使い」のようなゲームブックも参照してほしい。 ↩︎

  2. なんだかこちらの方が先進的に見えるが、歴史をひもとくとコマンドが選択式になったのは随分後の話だ。それまではすべてのアドベンチャーゲームはこうだったのだ。 ↩︎

  3. 具体的には「そんな事をしたらこの国は滅んでしまうぞ!」とか「あなたらしくない弱気な意見ですのね」とかNPCが答えて、そして何もなかったように同じ質問を繰り返す。 ↩︎

  4. ゲームによってはマスターに当たる役割の人を文字通り「レフェリー」と呼んでいるものもある。 ↩︎