「ロールプレイ」と「なりきり」

「ロールプレイ」は「なりきり」ではありません。どう違うのかをじっくり見てみましょう。

キャラ設定

人によってゲームの目的が違うのだから当然あちこちに違いが生じてくる。ここではまずキャラ設定について見てみよう。そもそもキャラ設定とは何で、何のためにあるのだろう?

演技の対象としてのキャラ設定

「キャラの役割を演ずる」という考え方からすれば、キャラの設定は演ずる対象であって、これに沿った演技をすることが求められているものだ。騎士なら騎士らしく、悪党なら悪党らしく。キャラを演ずることが目的なのだから、当然のごとくキャラ設定は最も重要なデータである。

演技する側から言えば、平凡で単純な戦士を演ずるより裏があったり宿敵がいたり小さい頃に心に残る出来事があったりした方が面白い。何より感情表現に幅が出る。だから生まれてから今に至るまでの経緯を事細かに考える。それがよりドラマチックなものであるほど、作家タイプの人の琴線にも触れることとなる。

プレイ中はキャラ設定は絶対でありそれを逸脱したプレイは許されない。何度も言うようにキャラ設定にあった演技をするのが目的だからだ。事前に設定されたキャライメージから逸脱したとすればそれは下手な証拠なのである。

ロールプレイにおけるキャラ設定

ロールプレイにおいてはキャラ設定の意味合いは少し違う。キャラに何ができて何ができないのかを規定するのがキャラ設定である。

剣のボーナスが+20で弓のボーナス+5と書いてあったら、このキャラは剣の方が弓より得意なことになる。信仰する神によって使える呪文の種類が変わったり行動に制限がついたりする。旧来の知人は時にはアイテムのようにキャラに特別な恩典を与える役割をする。あるいは宿敵の存在が行動の制約になるかもしれない。

演技の対象としてのキャラ設定との違いは、具体的な条件とそれに違反した場合の罰則が同時に規定されていることだ。例えば、大地母神の神官は「無益な殺生をしてはいけない」と決められているとしよう。しかし、神官であっても物理的には無益な殺生をすることは可能である。この場合、きちんとしたルールでは天罰が下るとか神殿から追放されるとか神聖魔法が使えなくなるといったデメリットが規定されている。つまり、「無益な殺生をしてはいけない」という規定は行動を直接しばるものではなく、プレイヤーはその規定を破るメリットとそれに対して起きるデメリットを天秤にかけてどちらが得かを考えて行動する。

結局のところ、ロールプレイにおいてキャラ設定とは「どういう行動にどういったメリットがありどういう行動にどういうデメリットがあるか」を記載したものである。ロールプレイは損得勘定で動くものなのである。キャラとして一番得なのはどれか?それが行動原理である。

ロールプレイには客観性が必要

「なりきり」は「演技」であるから、キャラ設定は演技の指針であり演技の目標である。キャラのイメージが大切であり、それに外れない演技をすることが求められる。それに対しロールプレイの時にはキャラ設定には客観性が必要だ。このキャラがどう行動するとどうなるかが明確に書かれていなければならない。そうでないとどっちが得かを判断できなくなってしまうからだ。そしてロールプレイはつまるところどっちが得かを判断するものなのである。

ロールプレイの方が客観的である分だけ指針も明確だ。ゲームの目標(ボスを倒す)があってそれに利用できるキャラがいる。そして各自が一番近道だと思う方法で(時には話し合って)目標達成を目指す。そしてその判断の元になるのがキャラ設定だ。

一方「なりきり」では基準ははっきりしていない。「きちんと演技できてるか?」なんてのは客観的に判定できないからだ。だからこそ演技の腕や見る目を磨くわけだしある種の経験が必要なのである。

ロールプレイには性格は不要か

さて、上でロールプレイにおいてはキャラ設定は「メリットとデメリット」だと言った。では「気弱」とか「勇敢」といった性格設定は不要か?

極論を言えば不要だ。性格なんてものは客観的に記述できるものではないから、客観的に考慮できるものでもない。それにロールプレイは自分が有利だと思う行動をするゲームだから行動を縛って自らを不利にするような事はすべきではない。

ただし性格設定は3つの意味で役立つ。キャラの雰囲気をつかむ役割、理由づけをする役割、そして嗜好を決定する役割だ。

キャラ設定には多くの数字が書かれているから、ぱっと見ただけではそのキャラの特徴がわかりづらい。そのためにそこに書かれている数字を要約して一言で言い表したのが「性格」だ。例えば、力が強く、斧に長け、防御が弱く、しかも少し知性が足りないキャラだったらこれは「勇敢だが向こう見ずな所あり」な性格だ。このキャラは敵を見つけたらとにかく先制攻撃で殴るべきである。そして治療師のサポートが必要だろう。こういったことをいちいち数字で読み取らなくても、一言で書かれた性格から判断できる。

そしてこの例のようにステータスから性格を導き出すのが「理由付け」である。性格があってステータスがあるのではなく、ステータスがあって性格があるのだ。

さらに、性格が決まっていれば判断に迷うようなささいな出来事を性格で判断できる。例えば昼飯にそばを食おうか豚カツを食おうか、というような事である。例えば先に例に出したキャラだったらおそらくそばより豚カツの方が好きに違いない。「どっちでもかまわない」というと意外と人は判断に困るものだが、そうした場合に判断の基準になる。

キャラの性格は前提か結果か

さて、これらの事をまとめて比較してみよう。「なりきり」の場合はキャラの性格がまず決まっていてその通りに行動するのが目的である。それに対して「ロールプレイ」の場合はキャラの持つ得手不得手を考慮して行動すると、結果として性格が見えてくる。同じ結果に見えてもその思考回路は全く違うのだ。

例えば次の例を考えてみよう。リタという女の子とドーガという青年の二人がプレイヤーキャラクタだとして見てほしい。

夜、眠れなくて街をふらふらと散歩していたリタは、ふと街の市長の姿を見かけた。なんと、市長は道で寝ている乞食の頭をぐいとひっ掴むとそのまま首根っこにがぶりと食いついた。噂の吸血鬼の正体は市長その人だったのだ!

リタはあわてて家の中にとって返した。きっと見つかってはいないだろう。これは街の人に通報しなければならない大問題だけれど、自分は人前に出るとあがってしまう性格だから、とても大勢の人の前でこんな恐しい体験の報告なんてできやしない。

次の日、リタは街の人が集まっている公園の中央にある演台の上に立った。公園にいた人が皆注目する。結局何も言わないままそこを逃げるように去ってしまう。

しかし、逃げる途中で知り合いのドーガという青年に会った。彼に話をすると、彼は公園の真中まで行き、その事を大声で街の人みんなに話してくれたのだ。かくして、街を震撼させた吸血鬼は無事捕えられた。

リタを例えば「正義感が強いが内気で人前で話をするのが苦手」と設定して、その通りに話を進めるのが「なりきり」だ。リタのプレイヤーはこう思って話を進めるだろう。

リタは正義感が強いからきっと何かしなければと思う。だけど内気だから演説なんて真似はとてもできない。演台に立った瞬間顔が真赤になって足ががくがくしそのまま逃げ帰ってきてしまうだろう。でもそこには運よくドーガが通りかかる。この二人はきっと赤い糸で結ばれているに違いないのです。そして、彼の力で一件落着、と。

リタに「演説に-40ボーナス(つまり演説が苦手)」という設定があったら「ロールプレイ」でも同じような話になる。しかしプレイヤーが考えている事は全然違う。

街のため、ひいては自分の安全のためには吸血鬼の秘密をぜひ暴かなくてはならない。どうしたらいいだろう?公園で演説することにしようか。でもリタは演説に-40ボーナスなんだよなー。難易度は?周囲の状況によるから演台に立って見るまでわからない?うーん、じゃあ演台に立ってみて……え?目標値が130?それじゃほとんど成功の見込みはないじゃないか。ちょっと待てよ。もし例の吸血鬼かその手下が聞いていたらどうなるんだ?そして演説が失敗したら。街の人はだれも相手にしてくれなくて、しかも吸血鬼は自分が正体を見抜いているのを知っている、そんな状況は極めて危険だ。まずい。とにかくこの場は退散だ。

おっ、逃げる途中でドーガを発見。ラッキー。ドーガならできるよね。かくかくしかじかということで、ここはおまかせします。

つまり、「なりきり」の場合は「リタは内気だから演説なんてできない」というのが前提にあって、それに基づいて「演説しようとしたけどできなかった」というのを演じなくてはならない。それに対して「ロールプレイ」では「リタは演説が苦手だから失敗する確率が高い」という前提の上で、失敗した時のリスクが高いから演説はしない方が得策だと判断した、というわけだ。もし失敗のリスクが低ければ(あるいは敵が聞いていたら……というのを思いつかなかったら)苦手だけどやってみたかもしれない。そしてもしかしたらダイスの目が良くて成功したかもしれない。

「ロールプレイ」の場合はキャラ設定に「内気」というのはない。しかし「演説が苦手」というのはある。そして「演説が苦手だということは内気なんだろうな」という推論によって「このキャラは内気だ」と言うことはある。この「内気」という性格は前提として存在しているものではなく、得意不得意というパラメータから推論した結果としてのみ存在するものだ。

得意な事を進んでやって苦手なことをやらなかったり人に任せるように行動していると、いかにも事前に設定された性格の通り行動しているように見えることがある。しかしこれは設定された性格の通り行動しようとしているのではなく、結果としてそう見えるだけのことだ。そしてそう見えたものを性格と呼んでいるだけにすぎない。そもそも性格というのはそういうものだ。

生い立ち

キャラを作る時にもう一つ決められる要素として「生い立ち」がある。これも「なりきり」と「ロールプレイ」ではずいぶんと扱いが違う。

「なりきり」において、生い立ちは現在のキャラの心理状況や思考を考えるための重要な手がかりである。「昔こんな事があったとしたら、彼はこの状況ではこう考えるのではないか」という手がかりだ。それに対して「ロールプレイ」における生い立ちとは、なぜ今のキャラがこのような能力を持っているのか、そしてなぜこの状況にあるのかを説明するためのものである。「性格」と同様に現在の能力値やスキルの理由となるものである。

ロールプレイにおいて「性格」は能力値やスキルから推論される物であるのに対して、「生い立ち」は逆にそれらを推論するものである。「貴族出身だから金持ち」とか「猟師の子供だから弓が得意」というようにである。多くのTRPGでは生い立ちはダイスを振って決め、それによって所持金や所持アイテムが決まったり、あるスキルをもらえたり、特殊能力がついたりする。つまるところ生い立ちというのはそういった物を決めるだけのものである。

理想論を言えばロールプレイでは生い立ちはキャラを作る時だけに必要で能力がすべて決まってしまったらもう必要ない。しかし実際には事前に人間の能力をすべて列挙するなんてことはできっこないから、キャラ作成時に思いもよらなかったような判定が必要になった場合にキャラの生い立ちからその能力を決定する。例えば「このキャラは先々代の国王の名前を知っているか?」なんて判定が必要になった場合である。こういった場合に知力だけで成功判定をするのもいいが、生い立ちを参照して「貴族の子供だからこういう事には詳しいはずだ」とか「先々代の国王の下賜品が家宝になっているのだから、きっと名前くらい知っているはずだ」といって、成功判定の難易度を下げることができる。

「ロールプレイ」においても「こういう生い立ちだからこのキャラはこうするだろう」と行動を決めることがある。しかしこれは「なりきり」におけるそれとは違う。正しくは「こういう生い立ちだからこのキャラにはこういう能力があるだろう。だからこうするのが有利だ。」と2段階の手順を踏んで決定しているのである。

キャラ設定まとめ

「なりきり」の場合、キャラ設定はこの通りに動かなくてはならないという「行動の規範」である。それに対して「ロールプレイ」の場合はキャラ設定はメリットでありデメリットだ。プレイヤーはデメリットを避けメリットを最大限に生かすように行動する。

「なりきり」は物語を作るのが目的だからキャラ設定は「お話」である。それは性格であったり生い立ちであったりする。「ロールプレイ」の場合には有利な行動を考えるのが目的だから、どんな行動がとれてどのくらい成功するか、その成功率だけが問題なのである。性格や生い立ちなどの要素はその成功率を決めるためだけに存在しているのである。

ある行動をした時に「なぜそんな行動を取ったのか?」と自問してみよう。「このキャラはこう行動しそうだから」と答えた場合は「なりきり」だ。そして、「このキャラの場合こう行動した方がよさそうだから」と答えるのが「ロールプレイ」だ。