「ロールプレイ」と「なりきり」

「ロールプレイ」は「なりきり」ではありません。どう違うのかをじっくり見てみましょう。

ゲームの目的

「なりきり」と「ロールプレイ」の違いは先に述べた一言に集約される。つまり「キャラ=プレイヤー」か「キャラ≠プレイヤー」かである。そしてその考え方の違いはゲームのすべての要素に及ぶ。

「なりきり」と「ロールプレイ」とではやりたい事が全然違うのだ。例えて言えば、マラソンに一位を目指して行く人と完走を目指して行く人と派手な衣裳でテレビに出るために行く人くらい違う。

さて、「自分は何を求めてゲームをするのか?」と考えると実は「なりきり」と「ロールプレイ」の2つでは分類できない。分類は2つではなく4つになる[1]

役者タイプ

「普段の自分とは別の人間を演じたい」と思ってゲームをするのは「役者タイプ」と名付けたい。これは、「ロールプレイとは役割を演ずること」という説明によって一般的になった。RPGを演劇に例える人はこのタイプである。

「演ずる」に加えて「感情移入」という言葉を追加する人もいる。キャラと一体になって笑い、泣き、怒り……と、架空の世界のキャラの体験を自分のものとして擬似体験するのが目的である。

役者はしばしその役と一体になって演技中は完全に感情移入してしまうという。このタイプの人にとっては自分や役者であり、キャラは役であり、そこにいかに感情移入できて迫真の演技ができるかが重要なのである。

これが一般に言われる「なりきり」である。

作家タイプ

「異世界での架空の物語を作り上げたい」と思ってゲームをするのが「作家タイプ」である。ストーリーや文章、イラストなどを作るのが目的だ。ストーリーとはシナリオ、文章とはセリフやナレーション、イラストとは文字通りキャライラストや建物の風景画などである。RPGを小説を書くことに例える人はこのタイプである。

このタイプはキャラの台詞や行動がいかに設定されたキャラらしくなるかにこだわる。かっこいいキャラならかっこいい台詞を、かわいいキャラならかわいい台詞を。悪役だったら聞いただけでむかむかするような台詞を。

創作意欲がキャラの設定に行く場合もある。キャラの生い立ちをストーリーの一部としていろいろと考える。時にはそれは小説であったりまた別のゲームの内容であったりする。

そして演出家として感動的なストーリーを演出しようとする。映画や小説の名場面のように、極限状態でなされるキャラのかっこいい決断、壮大なラスト、あっと言わせる結末などをいかに用意できるかがプレイヤーの腕の見せどころだ。

このタイプの人は意外と「キャラはキャラ。プレイヤーはプレイヤー」と醒めた目で見つめていることが多い。キャラは感動的なストーリーを演出するための駒だ、というわけである。

ゲーマータイプ

「目標を効率よく攻略できる戦略を考えたい」と思ってゲームをするのが「ゲーマータイプ」である。与えられた状況下で、いかに危険を犯さず効率的かつ速やかに目標(勝利条件)を満たすか、ということだけを考えている。RPGはゲームだと言い張る筆者のような人がこのタイプである。

ほとんどのコンピュータRPGの場合、勝利条件は「敵を倒してボスの部屋にある宝物を持ち帰る」というものであって、この時には敵に合わせて効率のよい武器に持ち換えるとかMPの残量に応じた魔法の使用回数などに気を配る[2]。調査偵察任務だったら敵に見つからないルートを考える。「お姫様のハートをゲットする」なんて目的だったら最適の口説き方法やデート場所を考える。

キャラというものを一番突き放した目で見ているようにも思えるが、意外なことにキャラが怪我をしたり死んだりすると一番がっかりするのがこのタイプである。なぜなら、キャラが死ぬということは自分の選択が間違っていたということなのだから。

これこそが本来のRPGの遊び方であり筆者が「ロールプレイ」と呼びたいものである。

観客タイプ

「異世界の雰囲気を味わいたい」と思ってゲームをするのが「観客タイプ」である。「重々しい中世の雰囲気を味わいたい」とか「西部劇の雰囲気が好き」とか「ゴシックホラーが大好き」といった人である。こういう人はおそらくRPGを映画やテレビの延長線上にあると認識しているだろう。ただしRPGではただ見るだけでなく自分(のキャラ)が行動を起こすこともできる。

たいていのゲームでは魅力的な舞台設定がなされている。異世界を歩き回りそれらしい台詞を言えば、本当に異世界に迷い込んだのかと思うくらいの没入感が得られる。周囲の人が良ければそれだけ雰囲気を盛り上げてくれるのは言うまでもない。

このタイプはキャラの台詞などにはこだわるがそれはあくまで雰囲気を壊したくないからである。だから役者タイプのように「キャラとプレイヤーは別」という意識はなく、「ふらっとその世界に入ってしまった自分」という意識でゲームをしている。

目的が複合するということ

ここで挙げた4つのタイプはどれも面白い事柄であるから、この中の2つ以上が混ざっているという人もあるだろう。マラソンの例えでいえば「自分は趣味で走っているだけだから完走できれば満足なんだけど、でもやっぱり前回より速く走れるといいな」といった人である。このように、例えば「基本的にゲームとして遊びたいんだけど、臨場感があるとなおよい」というように目的が複合することはあり得る。

こういった場合は必ず「主目的」がある。つまり「これだけは譲れない」という目的である。そしてそれが達成できて始めて「副目的」も楽しむことができる。上の例では「完走する」というのが主目的で「速く走る」というのが副目的だ。だからもし「○時間以内に中継地点を通過できなければ失格」などというルールがついていては困ってしまうわけだ。

残念ながら、毛色の違うすべての目的を同時に満たすことはほとんど不可能だ。だからこうした会では必ず「主目的」を置くわけである。「例えば今日のセッションは雰囲気を主目的にします。だから多少ゲーム性は低いかもしれません」と。こうしたセッションでは雰囲気が味わえればゲーム性を求めてはいけないし、「雰囲気なんてどうでもいい。俺はゲームがしたいんだ」と思っている人は参加してはいけない。

目的はいろいろ

RPGにはこのようにまったく異なる4種類のタイプのプレイヤーが群がっているのが実状だ。そしてお互いの違いをはっきり認識することなく一緒にゲームを始めてしまう。これでは問題が起こるのは当たり前だ。ゲームをする前には、どのタイプの遊びがしたいのかを事前にはっきりさせて同じ目的を持つ者同士で遊ぶべきである[3]

そしてこの文書の目的は「なりきり」と「ロールプレイ」の違いについてだった。「なりきり」というのは「役者」であり、なりきりでないというのはそれに対して脚本を書く作家を意味する、という風に捉えがちである。「自分勝手になりきってないで、周りを見て自分の役柄を考えなさい」と。そうではない。そもそも劇とはまるで関係ないものなのであり、「役柄」なんて言葉が出ることからして間違いなのだ。ロールプレイでは、プレイヤーは役者でも作家でもなく、単にゲームのプレイヤーなのだ。


  1. ここはよく問題となる個所である。たいていは「なりきり」「非なりきり」の2つに分類してしまうから、どちらにもあてはまらないケースが出てきて、それが問題をこじれさせてしまう。 ↩︎

  2. 残念ながら、日本のRPGのほとんどは難易度が低すぎるかあるいは経験値を上げる以外の解がないものしかなく、ゲーマーが楽しめるような出来のいいRPGはめったにない。 ↩︎

  3. それができない事が多いのだが ↩︎