「ロールプレイ」と「なりきり」

「ロールプレイ」は「なりきり」ではありません。どう違うのかをじっくり見てみましょう。

「キャラになる」とは

たいていのRPGの説明の出だしには「あなたは○○世界の主人公になって」と書いてある。「ロールプレイ=なりきり」の図式はまさにこの出だしの文章から来ているものと思われる。しかし「主人公になる」と「主人公になりきる」とは大きな違いがある。では「主人公になる」とはいったいどういうことだろう?

仮に自分のキャラがギャロウェイというとある王国の騎士で山奥の洞穴へモンスター退治に行くものとして考えてみよう。

「役割を演ずる」説

ロールプレイの説明として「役割を演ずる」という言葉がよく使われる。プレイヤーは役者で、与えられたキャラの役を演じなくてはならない、というのだ。この場合では与えられたギャロウェイという役になりきって、言動を考えるのだ。

ギャロウェイが洞穴に入った。そこは真っ暗で、頼りになるのはたいまつの明り一つだけ。正面にぼうっと照らし出されるモンスターの姿が。モンスター!?

そこで、プレイヤーはギャロウェイを動かさなくてはならない。ギャロウェイはこんな場合にどういう行動をとるだろうか。王国の騎士にふさわしい行動を考えるのだ。こういう場面では王国の騎士はかっこいいセリフを言い、剣を抜いて突撃しなければいけない。どういうセリフがこの場面に合っているだろうか。そして、どう突撃するだろうか。

場面場面でそのキャラにふさわしい行動を考えること、それが「役割を演ずる」ということなのである。

「あなたが主人公」説

しかし、「あなたが主人公になる」という言葉を文字通りとると、次のように解釈できる。

気がついてみると、あなたはなぜか甲胄に身を包んで立っていた。片手には剣、もう片手には大きな盾を持っている。横にいた中世風の衣裳をまとった男が自分のことをギャロウェイと呼んでいるのに気づく。

「ギャロウェイ殿、どうされました?恐ろしいモンスター退治なのだからぼうっとしていては困りますぞ。あなたの活躍に王国の平和がかかっているのですから。」

どういうわけかは知らないが、自分は意識ごとこのギャロウェイという男に乗り移ってしまったらしい。そして自分がモンスターを退治しなければならないという。なんと恐しいことか。

しかし手の中の剣を一振りしてほっと一安心した。どうやら剣の振り方は身体が覚えているらしい。そしてなぜか神への祈りの言葉も知っている。よしこの自分がギャロウェイになり代わって見事モンスターを退治してやろうじゃないか。

真っ暗な洞窟に入ってしばらく歩いた。たいまつの明かりに照らされて向こうにぼうっとモンスターの姿が見える。どうやらこの身体は目も相当いいようだ。さあ、どうする?

ここで、プレイヤーは自分の行動を決めなければならない。普段の自分ならもちろん叫び声を上げて逃げる一手だが、幸いなことに自分は実力のある騎士だ。剣を抜いて飛びかかれば勝てるかもしれない。それとも身を潜めて待ち構えた方が危険が少ないだろうか?あるいは神聖魔法とやらを試してみた方がいいだろうか?

自分が一番いいと思ったことをする、それが「あなたが主人公になる」ということなのである。

行動決定の指針は?

つまり、行動の指針が問題なのである。「このキャラだったらどうするだろうか?」というのと「自分ならどうするか?」の違いである。あるいは「キャラ≠プレイヤー」か「キャラ=プレイヤー」かと言い換えてもよい。

筆者は前者が「なりきり」だと言いたいのである。文字通りとれば後者こそ「なりきり」の究極の姿だと言えるが、実際のところ「なりきり」と称している人のほとんどは前者のスタンスであり、キャラクターの行動とプレイヤーの考えを分けて考えている。「キャラ≠プレイヤー」だからこそ「キャラになりきる」必要があるわけで、はじめから「キャラ=プレイヤーだよ」と言われてしまうとそれが必要なくなってしまうからだ。

ロールプレイでは「キャラ=プレイヤー」だ。キャラの意思とプレイヤーの意思を分けて考える必要なんてない。自分がすべきだと思った行動をすればいいのだ。