Mary Sueテスト

あなたの小説の自己陶酔度をはかります。

FAQ

きっと非難メールがたくさんやってくると予想して、事前にいくつかの質問に答えておこう。


どんなキャラだってこの条件のいくつかには当てはまっているでしょう。それを批判するのはおかしい。

いくつかが当てはまっていることを問題視しているのではない。たくさん当てはまっているのを問題視しているのだ。私は、24点以下は問題なしとした。このテストは平均してチェック1つにつき2.5点の加算方式だから、10個くらいはチェックが入っていてもかまわない。(私はかなり甘い採点だと思っている)

嘘だと思うなら、もはや古典となっているような有名な(オタク向けでない)小説や映画のキャラでチェックしてみてほしい。それと同じくらいの数しか当てはまっていないのなら、合格といっていいだろう。


XXXだって、YYYだって (XXXやYYYは有名なライトノベルやマンガの名前) このテストにほとんど引っかかる。これらは全部ダメだって言うの?

そのとおり。


古典として絶賛されている小説だって、このテストにほとんど引っかかるんだけど。これらもMary Sueだってこと?

Mary Sueの判定は、読む人の解釈にも依存する。つまり、書き手には全然そんなつもりはなくとも、読む人がMary Sueにどっぷり浸かっている場合は、その人はそれをMary Sueだと受け取ってしまうということだ。

あくまで、「自分で書いた小説をテストする」というのが基本であることを忘れてはならない。さらに言うと、どれもこれもMary Sueに見えてしまう場合は、自分がそれに侵されてしまっていると考えた方がいい。


逆に、このチェックがまったく当てはまらないような小説は面白くないだろう。少しくらいはこういう要素も必要だ。

このテストではキャラの外面的な要素しかテストしていない。主人公の人生観や考え方や意思といった内面の部分に関する項目はまったくない。キャラクターに必要なのは後者であって、前者ではない。

外面的な要素はなくても全然困らない。逆に、外面的な要素を加えないと何も書けないということは、あなたが人をいつも外見だけで判断しているということだ。

古典とされる「ふつうの」小説を読んでみてほしい。19世紀から20世紀初頭あたりに書かれた、国語の教科書に載っているような小説だ。


どんな小説も、主人公には多かれ少なかれ自己が投影されているものだ。

自己投影がダメだと言っているのではない。全然自己が投影されていないのに、それが自己投影だと思ってしまっているところが問題なのだ。それは「自己の投影」ではなく、「自己の願望の投影」ではないのか?本気で小説の主人公に自己を投影させるなら、他人には決して見せたくない部分を書け。「自分のこういうところを皆に見てほしい」と思っていることは書くな。


自分でテストしてみたところ、3点しかありませんでした。私の小説は良く書けているということですね。

あなたの小説はMary Sueではないが、良く書けているとは限らない。もちろん、良く書けているかもしれない。

小説の評価を聞きたいなら、友達か誰かに読んでもらってはどうか。少々恥ずかしいかもしれないが、Mary Sueでないなら人間性まで疑われることはないはずだ。


今の二次創作小説のほとんどはこれにあてはまらないような気がするんだけど。これってSFやファンタジーもの専用?

私がこのページを作ったのは2004年のことで、その当時はまだSF・ファンタジーものは多かった(既にその時点で落ち目ではあったが)。

ライトノベルで学園恋愛ものが主流になって、純粋なMary Sueは減少傾向にあるが、これはMary Sueが治ったわけではない。短く言うと、Mary Sueは「小説」に対してのテストであり、今のライトノベル(的なもの)は小説ではないからだ。


私の書いた小説はかなりの高得点を取ってしまったのですが、公開するのをやめた方がいいでしょうか?

あなたが公開したいのならすればよいし、公開したくなくなったらやめればよい。このテストは単にあなたの小説があなたの精神的な問題点をさらけ出していることを指摘しているだけだ。それがわかった後でどうするかはあなた次第だ。


このテストで高得点を取ってしまいました。このテストで指摘された項目を全部直して点数を下げればOKですか?

このテストの表面的な点数には大した意味はない。だから、点数で一喜一憂するのはあまり意味がない。それより重要なのは、こうしたテスト項目が何を意味しているのかについてだ。

ある考え方のもとに小説を書くと、これらのテストに当てはまるような小説が出来上がる。問題なのは考え方だ。だから、どういう考え方をするとこのテストのような小説ができてしまうのかを考えて、そういう考え方を改めるようにするべきだ。

当初は、採点機能は設けないつもりだった。そうした方が良かったかと思い始めている。


別に私は好きで書いてるんだからいいじゃないか。別にプロになりたいわけじゃないんだし。

あなたがそれでいいと思うのならそれでいい。しかし、より良いものを書きたいと思うのなら考え直した方がいい。


私の小説にはたくさんのファンがいて、毎日山ほどのファンメールがやってくる。あなたの所には来ないでしょう?

類は友を呼ぶ。問題はファンメールの量ではなく質だ。もっとも、ファンメールがまったく来なくても別に困りはしないのだが。


自分で小説を書くこともできないくせに、偉そうに批判するな。

私は自分で小説を書くことはできないが、どんな小説が良くてどんな小説が悪いかを見分けることくらいはできる。そして、偉くなくても批判することはできる。


最初のうちはあまりうまく書けないので、あんな風になってしまうのは当たり前だと思うよ。

私もそう思う。ただ、いつかはそれを卒業しなければならない。問題は、そういう小説しか読まないせいで、小説とはそういうものだと思ってしまうことだ。


「ダメな小説の条件」にこんなものも付け加えたらどうか。

そういうアドバイスをいただけるのは大歓迎だが、このテストは単なる「ダメな小説の条件」ではない。これらの設問の奥に共通するある種の「イタさ」を示すような条件だったら、付け加えるのは大歓迎である。自分で勝手に付け加えて勝手に公開してもらってかまわない。


自分も同じようなのを作ってみたいがいいか。

私も他の海外のMary Sueテストを参考にして作ったし、これを参考にして作るのも全然かまわないと思う。

もし自分が特定のジャンルや小説に詳しいなら、その小説用のMary Sueテストを作ってみるのも面白いだろう。(例えば、指輪物語のMary Sueテスト: あなたのキャラはレゴラスと結婚する。[+5] のように。)海外にはその小説世界専用のMary Sueテストがたくさんある。


こんなDQNの典型みたいな小説、あるわけないじゃないか。

あなたの知らないところに山ほどある。