JRPGとは何か

日本のRPGは海外のRPGとどこが違うか

#JRPGと戦略

JRPGが海外のRPGに比べて欠けているもの、それは「戦略性」である。こう言うと、JRPGファンからはいろいろと反論が来るだろう。JRPGの宣伝では、「戦略性の高さ」を謳い文句にしているものも多い。

しかし、JRPGの戦略性について考える前に、戦略とは何かということを考えてもらいたい。

戦略性とは何か

「戦略性」という言葉を、単に「考えることが多くて難しい」という意味だと思っている人がいるが、本当はそうではない。だから、「戦略性が低い」ことは決して「お子様向けの単純なゲーム」を意味するわけではないし、戦略性が低いと面白くないわけではない。戦略という言葉は、もっと狭い意味の言葉である。

戦略という言葉を、ここではこう定義したい。

「戦略」とは、自分の行動によって変わっていく不確実な未来を予想して、事前に行動の計画を立て、自分の有利なように未来を動かすことである。

戦略とは、旅行の計画をする楽しさのようなものである。ガイドブックを開いて、最初どこへ行こうか、どこで何時間くらい滞在して、それから何に乗ってどこへ行こうか、天気の都合で行く場所が変わるかもしれないし、場所によっては予想外に時間がとられることがあるかもしれない。そういった諸々のことをあれこれ考えて、最終的には「よし、じゃ最初にここへ行こう」と決める。こういうことをあれこれ考えるのが「戦略」である。

自分が最初にどこに行くかによって、それ以降の状況が大きく変わる。だからこそ、最初の一歩は大きな意味を持つのだし、それを考えるのは面白いのだ。

こう書けば、海外のRPGによくある、スタート時に広い世界に放り出される感覚が、まさにこの「戦略性」であることがわかる。この時点で、持ち物とステータスを見て、「さあ、何から始めよう」と考える。これこそが、戦略なのである。

ルールを変える

RPGの特徴は、ゲームの中にさらにゲームがあるという、多重構造になっているところである。一番小さな単位として行動があり、その積み重ねでステータスが変化し、さらにそこに成長の要素が加わる。そこが、RPGの魅力である。

戦闘などの行動によって、キャラクターのヒットポイントやマジックポイント、アイテムなどが消費される。そして、それによってアイテムやお金が得られる。多くの場合、戦闘によって取得できるお金やアイテムは、そのまま戦闘時に使用できるわけではない。そのため、街にいったん寄って、買い物をする必要が出てくる。これが、RPGの「行動」というゲームだ。最近では、ヒットポイントが消費されることすらない(戦闘後全快する)JRPGも出始めているが。

それに加えて、レベルが上がったり、特別なアイテムを取得したりすることで、キャラクターにある種の能力が与えられる。こうした能力は、ある意味、行動というゲームのルールそのものを作り変えるはたらきをする。たとえば、「忍び足」の能力を取得すれば、戦闘を回避して進むことができるようになる。これによって、「相手を倒して先へ進む」という通常のRPGのルールが変わってしまうことになる。RPGというゲームは、単に戦略を立てることが出来るだけのゲームではない。「どんなルールのゲームにするか」ということを、プレイヤーが設計できるゲームなのだ。

「ルールを変える」ということは、既存の枠組みをぶち壊すということである。これには、数値以外の要素が欠かせない。既にあるパラメータがいくつであろうと、それは「既存の枠組み」の中でしかないからである。だから、スキルや魔法、特殊効果のあるアイテムや会話といった、どんな効果でも付け加えることができる機構を使って、ルール自体が変わるということをルールとして表現する。

RPGの能動性

戦略性という言葉には、能動的な意味合いが含まれている。自分が起こす行動によって未来が変化するという前提のもとに、自分が望む方向へ変化させるためにいろいろと考えることだからだ。「何をするか」を考えることなのだから、能動的な意味合いがあるのは当然のことだ。

JRPGでは、戦闘システムが受動的になっていることが多い。例えば、「この敵は火に弱いから、この魔法がよく効く」というように。敵を見てからそれに対応する行動をするということが、戦略であると勘違いされていることがよくある。また、戦闘しかすることがないから、別の方法でクエストを達成するということもない。結局のところ、「何をするか」を考えようにも、指示された場所へ向かって、途中で出てくる敵をやっつける以外にすることがない。

戦略というのは、自分が行動主体だ。「この敵は火に弱いから、ファイアボールを使う」のではなく、「俺はファイアボールを打てるから、この敵を倒しに行く」と考える。与えられた状況に対応するのではなく、自らが有利になる状況に持っていこうとする。

海外のRPGでは、自分の行動によって世界が変わることを重要視する。善行を続けると街がきれいになって、悪行を積むと街がすさんだりする。街の様子が変わるということが、実際にはゲームの面白さに貢献しているかというと、残念ながら答えはノーだろう。しかしこれは、RPGの「自分の行為によって状況が変わる」ゲーム性をなんとか表現するためには欠かせない。海外のRPGでは住民を皆殺しにできることがよくあるのも同じで、ゲームとしては何の得にもならないことであっても、「何でもできる」ことがRPGの特徴である以上、何でもできるようにしておかなくてはならない。

RPGと世界観

戦略性そのものは、なにもRPGに限ったことではない。他のジャンルにも、戦略性の高いゲームは多い。そうした他のゲームジャンルとRPGとを分ける境は、RPGが言語要素を取り入れているところにある。言語要素を取り入れることで、RPGは「何でもアリ」なゲームになる。これは、カードごとに特殊なルールが設定されているトレーディングカードゲームに近い。

もう一つの特徴は、RPGではゲームのルールが隠されていることである。会話に対するNPCの反応や、特殊アイテムの効果などを、プレイヤーは前もって知ることができない。本来、ゲームであるためには、行動に対する結果が予測できなくてはならない。他の種類のゲームでは、ルールを全部公表することでこれを可能にする。コンピューターゲームでは、面構成が同じで、繰り返し遊ばれることを想定する。しかし、RPGでは、様々な情報が隠されていて、しかもそれはプレイヤーが知らないことを想定する。それでどうしてゲームとして成り立つのかというと、そこにある種の暗黙の了解があるからだ。その世界の常識、言い換えると「世界観」である。

RPGでは、その世界の常識に従って世界が動いていくものだとプレイヤーは考える。たとえば、街で道行く人に「やあこんにちは」と呼びかけたなら、挨拶が返ってくるか、無視されるかするかもしれないが、いきなりキャラクターが石化してゲームオーバーになったりはしない。少なくとも、そういう異常な事態があり得るならば、事前に何らかの形で警告があるはずだ。プレイヤーはそう考えるし、そういう前提がないことには、「何でもあり」のゲームを遊ぶことはできない。

世界観を使うことで、ルールやパラメータを簡潔に伝えることができる。エルフの剣というだけで、なんだか魔法がかかっていて強そうだぞと思わせたり、ドワーフの鍛冶屋というだけで、頑固者で交渉は難しそうだと予測させたりできる。ルールを、数値やシステムではなく、世界観という形であいまいに伝えることが、RPG特有の「言語要素」につながっていく。つまり、RPGにおいては、情報は言葉でそれとなく伝えるのが「かっこいい」のであり、数値であからさまに伝えるのは「無粋」なのだ。それはなぜかというと、現実は数値化されていないからである。

RPGにおいて、世界観は雰囲気を盛り上げるための添え物ではない。プレイヤーにとって、世界観こそがゲームのルールだ。しっかりした世界観がないということは、未来が予測不能だということなので、戦略を練ることができない。JRPGでは、この予測可能性の原則が破られていることが多い。ストーリーが進んだときに、仲間が勝手に死んだり離脱してしまうことがよくある。これでは、その仲間がいるということを前提にして進めたプレイが台無しになってしまう。「仲間が勝手に離脱するのが悪い」と言っているわけではない。それが予想不可能であることと、プレイヤーにとって選択不可であることが悪いのだ。

RPGの戦略性

戦略性を高めるには、次の3要素が必要である。

  1. 未来が予想できること
  2. 未来が完全には予想できないこと
  3. 未来を自分で変えられること

この3要素がただバラバラにあるだけではダメで、一体になっていなくてはならない。展開は予想可能だがそれを変えることはできなかったり、未来を自分で変えられるがそれを事前に予想することができなかったりしてはダメだ。

普通のゲームは、ルールで、予想できる部分と予想できない部分を明確にプレイヤーに提示する。しかしRPGでは、「世界観」というあいまいなものを使って、予想できる部分と予想できない部分をあえて不明確にしている。それによって、何が起きるかわからないけれどゲームになっているという、相反する特徴を兼ね備えているのである。