JRPGとは何か

日本のRPGは海外のRPGとどこが違うか

JRPGと戦闘

JRPGの特徴といえば、ウィザードリィの時代から変わらないコマンド戦闘であろう。海外のRPGがほぼリアルタイム戦闘ばかりになった現在、このことがより時代遅れ感を目立たせることになる。

一方、リアルタイムじゃなく、考える時間がたっぷりとれるコマンド戦闘のほうがRPGには向いているんだという意見もある。RPGには考える時間がたっぷりとれることが必要だというのはその通りだが、だからコマンド戦闘なのかというと、そこには疑問が残る。なぜなら、RPGのリアルタイム戦闘は、アクションゲームではないからだ。

RPGのリアルタイム戦闘

最近のRPGは、戦闘がリアルタイムで展開されることが多くなってきている。しかし、そうであっても、アクションゲームとRPGには厳然とした違いがある。

アクションゲーム、あるいはアクションRPGと称されるものとは違って、普通のRPGでは、たとえそれがリアルタイム戦闘であっても、操作の速度が結果に直結しないような工夫がなされている。たとえば、画面上の敵に素早く正確に照準を合わせなくてはならないFPSとは違って、だいたい照準があっていればよい、という具合である。

普通のRPGにおけるリアルタイム戦闘は、コマンド戦闘の延長であると考えたほうがよい。「たたかう」「ぼうぎょ」「まほう」のコマンドをメニュー形式で選ぶ代わりに、Aボタンが「たたかう」でBボタンが「ぼうぎょ」、Xボタンを押すと登録されていた「まほう」が発動する、という具合にだ。そして、その行動は瞬時に解決され、結果が表示される。

RPGでは、アクションゲームとは違って、たいてい時間を止める機構が用意されている。ポーズボタンを押すと、たとえリアルタイム戦闘であっても進行が停止し、あまり頻繁には実行しない様々なコマンドが実行できるようになる。だから、「リアルタイム戦闘だと考える時間がとれない」というのは間違いだ。

RPGにおけるリアルタイム戦闘は、コマンド戦闘の1ターンが極端に短くなったものである。そして、たくさんのボタンの一つ一つに違うコマンドが割り振られていて、ボタンを押すだけでコマンドが入力できるようになっている。このように、コマンドの入力と結果のサイクルがずっと短くなっているのがリアルタイム戦闘だと考えると、JRPGのコマンド戦闘に対して「戦闘が長すぎて飽き飽きする」という感想を持つのは当然のことである。

このことは、昔のRPGを引っ張り出してもう一度やってみるとよくわかる。ドラクエ1の場合、敵が出たらコマンド戦闘になるが、そのままAボタンを1,2回押せばすぐ「たたかう」コマンドを選択したことになる。そして、バシッと音がしてダメージが表示されて、すぐまたコマンド選択に戻る。そのサイクルはせいぜい数秒だ。Aボタンを連打していれば、今のRPGのリアルタイム戦闘並みのスピードで、主人公は剣を振ってくれる。コマンド戦闘だからいけないのではなく、コマンドを入力してから次のコマンドを入力するまでの間が長すぎるのだ。

しかしこれは、「コマンドに対して結果が返ってくる」のが基本の海外RPGだから言えることだ。とにかく、コマンドを入れて結果を見たいのだから、その周期は短いほうがいい。しかし、JRPGはそうではないのだと考えると、JRPGがなぜいまだに「コマンド戦闘」なのかという理由がわかってくる。

ダメージの数値表記

ファイナルファンタジーでおなじみの、攻撃をするとダメージが数字で表記される方式も、JRPG独特のものとして揶揄の対象になる。海外の人にとっては、本来、ダメージは見た目で表記されるべきものであって、数値で表記されるべきものではない。もちろん大昔のRPGでは海外のものも含めて数値表記だったのだが、それはそれ以外に表記のしようがなかったからそうなっていただけで、今の時代ならグラフィックで表現できるのだから、それで表現すべきなのだと彼らは考える。だから、「古臭い」という印象を持つ。

ここが、JRPGと海外のRPGで観点の違うところだ。JRPGにおいては、ダメージの数値こそが戦闘の華である。ダメージの数値が大きいと、プレイヤーはなんだかうれしくなる。だからこそ、ダメージは数値で表示されなければならないのだし、その数値が出る瞬間を手を止めてゆっくりと見ることができなくてはならないのだ。それに対して、海外のRPGでは、以前は十回殴らないと倒せなかった敵を一発殴っただけで倒せるようになったということで、強さを実感する。だから、ダメージ表記などはなくてもいい。

JRPGではまさに戦闘の1ターン1ターンこそが行動の選択であり、その行動の結果として表示されるダメージの数値を確認する。そして、様々なコマンドを駆使して、そのダメージが最大になる方法を考える。これは、一種のパズルだ。

JRPGはパズルゲームだ

JRPGでは、海外のRPGにおいては本筋ではない戦闘を、様々なシステムを追加することで無理やり引き伸ばしている。ここが、JRPGをRPGではなくパズルゲームにしている。戦闘を複雑にするため、新しく名前をつけた様々なシステムを導入する。それによって、ダメージ算出式は複雑になり、その式の値を最大化するために考えることが多くなる。これが、JRPGのパズルゲームとしての進化だ。

JRPGがパズルゲームである証拠に、戦闘の開始後に、状況への対応という形でプレイヤーに問題を解かせることがほとんどである。例えば、○○の敵は水の属性を持っているから、火の魔法で攻撃するとダメージが大きい、というように。そういうゲームシステムがあることを知っていて、その通りに行動することを、「頭を使う」ことだと思っている。プレイヤーは事前に情報をすべて知っていて、コマンドの組み合わせによって解を求めるという構造だから、パズルゲームなのである。

だからこそ、JRPGには攻略本が必要だ。パズルゲームでは、与えられていない情報があってはならない。情報をすべてゲーム内で提示するととんでもなく情報が多くなってしまうから、それを攻略本という形で示す。こうしたゲームを攻略本も見ずにやるなら、パズルゲームでルールもわからずただブロックを落としていくのと同じで、面白くないのも当たり前だ。

パズルゲームなのだから、リアルタイム戦闘ではいけないし、ダメージは数値で表されなくてはならない。JRPGは、複雑なシステムを理解して、数値を最大化するコマンドを見つけ出すことを楽しむゲームなのだ。普通のゲームではルールをきちんと把握してからがゲームの始まりであるのに対して、JRPGはルールをきちんと把握するまでがゲームなのである。

戦闘システムと成長システム

JRPGでは、戦闘に重点を置いて、いかに複雑な戦闘システムを導入するかということに苦心する。しかし、海外のRPGの戦闘場面で搭載される○○システムは逆に、入力を簡単にしたり、処理を自動化することで、プレイヤーの負担の軽くするシステムであることが多い。その反面、海外のRPGは成長システムに手が込んでいる。キャラクター育成の選択肢が広く、様々な方向性が考えられる。

JRPGでは戦闘こそがゲームの主題であるのに対して、海外のRPGは成長こそがゲームの主題である。こう考えると、今までの話は納得がいくだろう。海外のRPGでは、戦闘は成長の方向性を確かめるための手段の一つに過ぎない。だから、戦闘場面であれこれ考える必要はないのだ。成長の段階で、どのような方法で敵を倒そうかと考え、それに合うようにキャラクターを成長させる。戦闘場面は、あらかじめ計画した敵を倒す方法を実行するだけの段階であり、その結果、敵を倒せればそれでいい。途中にダメージの数値が出てくる必要はないのだ。

たとえば、「このキャラクターは剣士にしよう」と思う。そして、剣のスキルを上げ、強い剣を装備させる。すると、戦闘時にすることはもう決まっている。剣を振るしかない。戦闘時に考えることはほとんどないので、Aボタンを連打することでザクザク剣を振ってくれればそれでいいのだ。

だが、数値が必要ないのはあくまで戦闘中だけの話で、武器の攻撃力やステータスといったパラメータは、逆に数値であってもよい。数値で表示されるのがいけないのではなく、どうでもいい部分が数値で細かく表示されることが問題なのである。

JRPGでは、経験値を積むと勝手にレベルが上がって、勝手にステータスが強化されるゲームも多い。どのように成長させるかをプレイヤーが決められないのは、JRPGでコマンドを入れなくても戦闘が自動で進行するくらい、本来の意義を無視したことである。海外のRPGでは、経験値がたまった後、「レベルを上げる」という操作が必要なことが多い。それは、レベルが上がったときにどう成長させるかが重要だからだ。

RPGにおける戦闘

RPGには、戦闘にはつきものである。しかし、戦闘だけが面白いのではない。むしろ、戦闘は結果表示だ。

ターン制ストラテジー(もっと単純に言えばスパロボ)を考えてみてほしい。ユニットを動かして、相手のユニットにぶつけると、戦闘が始まる。JRPGでは、この戦闘の中でユニットをいろいろと操作できるようにして、なんとか面白いゲームにしようとしているようなものなのだ。

ストラテジーゲームの中にも、戦闘の中でアクションを取り入れたり、戦闘の勝敗が別の要素で決まったりするゲームがあるが、そういうのはたいてい失敗作となる。もし、アクションの腕があれば戦闘に勝てるのであれば、戦略を考える必要はまったく無くなる。別の要素を加えることで、本来の要素が薄まってしまう。

JRPGは、戦闘にパズルの要素を組み込んで、パズル部分で楽しめるようにしようとしている。こうしたゲームは、よく「詰将棋のようだ」と言われる。「将棋のようだ」とは言われないところが、パズルである証拠だ。