#ゲームという言葉の意味
最初は「ゲーム」という言葉の意味について話をしよう。これこそが今回の話の中心である。
ゲームの意味
まずは辞書に載っている文字通りの意味の「ゲーム」あるいは「game」について考えよう。辞書を引いてみると、現在我々が「ゲーム」と言われて連想するものよりはるかに広い意味を持っている。辞書を引いてみると、最初に出てくるのが「遊び」「冗談」、そして「競技」「勝負」、さらに「方針」「策略」と続く。
ゲームというのは楽しいものであり、一種の遊びであり冗談だ。本物ではない。しかしそれは勝ち負けを伴う競技である。そしてそれは方針や策略を必要とするものである。これがゲームの本質である。
ゲームというのは勝ち負けを楽しむものである。本物の戦いだったら負けは死や破産を意味するから、勝ち負けを楽しんでいる余裕などない。冗談だからこそ楽しむ余裕がある。これは「ゲームは真剣勝負ではない」という事ではない。ゲームは真剣勝負だ。しかしゲームだから負けても実生活には影響しない。世の中の雑事を頭から追い出して純粋に勝負に勝つためだけに方針や策略を練る。それがゲームだ。
これはスポーツにも共通する。スポーツもまたゲームだ。サッカーでは純粋にゴールにボールを蹴り込むことを楽しむ。そのために策略を練ることもあるし、うまくボールが操れるように練習することもある。このあたりはビデオゲームと全く一緒だ。
それに対して、100m競走はゲームとはあまり呼ばれない。策略が必要ないからだ。これらは自分の能力を出せるかどうかが勝負なのであって、相手との駆け引きは必要ない。100m競走は相手がなくてもできるし相手がいてもあまり変わらない。目的は「相手に勝つ」事ではなく「速く走る」事だからだ。[1]それに対してゲームでは違う。相手の出方に対応しなければならない。あるいは相手より優位に立つように手段を考えなくてはならない。そしてそれは相手がいなくてはできない。陸上競技は良い記録を出そうと頑張るものであるのに対して、ゲームでは相手に勝つ事がすべてだ。
まとめよう。以下の要件を満たすものがゲームである。
相手が必要である。
相手との勝ち負けを争う。相手に勝つことが目的である。
単なる遊びであって、勝ったからといって何かいい事があるわけではない。
相手に勝つために方針や策略を考える。
ゲームの相手
「ゲームは相手が必要である」と書いた。しかしこう定義づけてしまうと世の中には対戦ゲームしかなくなってしまう。人間相手でないものはゲームとは言わないのだろうか?
まず一つ、コンピュータは人間の代理であるという考え方はある。コンピュータ相手のチェスと人間相手のチェスに何ら変わりはないように、コンピュータはゲームの能力という点では人間と同等に扱っていい。しかし、こういったケースを除いても対戦ゲームではないゲームは多数存在する。
例えば、ドラクエではプレイヤーの相手は誰だろう?答えは「魔王」である。よく考えれば当たり前のことだ。そして魔王を操っているのはコンピュータだから、ドラクエではコンピュータ相手に戦っているのである。同様にSTGでは雨あられのように弾を降らせてくる敵機と戦っているのだし、スーパーマリオではカメ達と戦っているのだ。
逆に、相手が必要ない遊びとはどういうものだろうか。例えば登山やロッククライミングは「自然」と戦う。トライアスロンは「自分」と戦う。しかしこれらはゲームではない。相手は自分を負かそうとしていないからである。お互いが相手に勝とうと方針や策略を考えている状態が「ゲーム」なのである。
「自然」を相手と考えて登山をゲームに例えてみよう。登山者はAルートをとるかBルートをとるかどちらかを決める。Aルートは天気が良ければ早く登頂できるが、雪が降ると登れなくなる。Bルートは遠回りだが安全だ。登山者は「Aルート」「Bルート」と書かれたカードのどちらかを伏せてテーブルに置く。相手は「晴れ」「雪」のカードのどちらかを伏せて置く。そして同時に開けて結果を見るという場面を想像しよう。
登山の場合には、「自然」の出すカードは登山者とは無関係だ。相手の顔も見ずにさっさとカードを伏せてテーブルに出してしまい、登山者がその伏せられたカードをあれこれと推測するという形だ。ゲームの場合は違う。お互いが相手の顔色をうかがいながら自分のカードを決める。後者の方がはるかにいろいろと考えることがある。だからゲームは面白いのだ。
まとめよう。「ゲーム」には相手が必要である。相手も同じように自分を負かそうと考えなくてはいけない。現在、そのように「考える」ことができるものといえば人間とコンピュータくらいだろう。それ以外のものはゲームとは言わない。[2]
ゲームと結果
ゲームは「単なる遊びであって、勝ったからといって何かいい事があるわけではない」と書いた。これには補足説明が必要だろう。
ゲームに勝つ事に対して、ゲーム以外の要素が入ってくる事がよくある。良い例が賭け麻雀だ。麻雀に勝つとお金がもらえる。これはゲームを「単なる遊び」から「お金のやりとり」へ変えてしまう。これによって麻雀はゲームから賭けの道具へ変化してしまう。プロスポーツも同じだ。プロは勝つと年俸が上がり、負けると下がる。これによってゲームは単なる遊びではなくなってしまう。
ゲームが単なる遊びでなくなってしまうと楽しむ余裕がなくなってしまう。ゲームを楽しむ事ではなく勝つという結果自体に意味が出てきてしまうからだ。すると現実世界での様々な事柄がゲームの中に入り込んでしまう。イカサマや八百長などがそれだ。「イカサマはよくない」といくら言ってもイカサマを無くすことはできない。「イカサマして勝ってもなんの意味もない」と言えるようでないといけない。
トーナメント大会は境界例だろう。ゲーム大会ではよく優勝者は讃えられ、場合によっては賞品がつく。ここまではいい。しかし参加者が「讃えられたい」「賞品が欲しい」と思ってしまうとこれもまたゲームではなくなってしまい、賞品争奪戦になってしまう。
「単なる遊びである」というのはゲームであるための重要な条件である。これがないとプレイヤーはゲームを目的としてではなく手段として見てしまう。ゲームそのものを楽しむのではなく、賞品や栄誉を得るための手段に成り下がってしまう。ゲームは賞品を得るための苦行であって、ないに越したことはない。これではゲームの楽しみはなくなってしまう。
ゲームは「相手に勝つことが目的」と書いたが、これは同時に「相手に勝つこと以外は目的ではない」とも言える。賞品をもらう事や讃えられる事はゲームの目的ではない。だから、ネット上でトーナメント大会を開いたり賞品を出したりしてゲームを活性化しようとするのは、かえってゲームの面白さを損なう可能性もある。チートやイカサマプレイが横行するのは、プレイヤーがゲームの楽しさよりも賞品をもらう事や上位にランクインされる事を重視する結果である。つまりゲーム自体は面白くないということだ。
まとめよう。ゲームは単なる遊びだ。遊びである以上、遊んで楽しいという以外にやる理由があってはならない。トーナメントや大会を開くのは大いに結構だが、それに優勝する事だけを考えるのはもともとのゲームの楽しみ方から外れた行為である。もちろん、やるからにはゲームに勝ち抜いて優勝することを目指すのだが。
勝ちの程度
ゲームは相手に勝つことが目的である。勝ちの程度にこだわってはいけない。1-0で勝とうと10-0で勝とうと勝ちは勝ちだ。だから、プレイヤーは危険を犯して10-0を狙うより、確実に1-0で勝とうとする。それがゲームの正しい姿だ。
もちろん、大多数のゲームでは点数はたくさん取った方がよい。それは勝つ可能性を高める事につながる。野球、サッカー、麻雀などはそうだ。点を取れば取るほど勝ちやすく負けにくくなるから、野球では1点でも多く取る事を目指す。しかし、最終的には勝てばいいのだから、勝っている時には無理して満塁ホームランを狙わないでスクイズにする。
勝ちの程度にこだわると策略は必要なくなってしまう。野球で常にホームランだけを狙うのではゲームではなくバッティング競争になってしまう。こんな事だったら別にベースも守備も必要なく単にホームランを何本打ったかだけを数えていればいい。これは100m競走と通じるところがある。相手も策略も必要なくなり、とにかくがんばればいいだけになってしまう。
ゲームは得点を最大にすることを目指すものではなく勝つ確率を最大にすることを目指すものだ。得点を最大にするだけなら一番効率のよい事(例えばホームラン)だけを狙っていけばよく、その後は単なる確率勝負になってしまう。相手はいてもいなくても関係なくなってしまう。これはゲームではない。
相手を負かす事以外を考え出すと相手はいてもいなくても関係なくなってしまうのだ。ハンデ戦でも何でもいいからゲーム開始前に客観的な目的を決めなければならない。そしてその目的を達成する事だけを目指さないといけない。
まとめ
ゲームというのは相手がいて、相手との勝ち負けを争うものである。そして純粋に勝負だけを楽しむ。他の要素は一切不要だ。これだけで十分楽しいものなのだ。
相手は人間ではなくコンピュータであってもいいが、お互いに敵を負かそうと策略を練らなければならない。何をやっても同じ反応しかしないのならばそれは相手がいないのと同じだ。これがバッティングセンターと野球の違いであり、パンチングボールとボクシングの違いである。
ゲームはゲームそのものを楽しむものであり、結果にこだわってはいけない。ゲーム中は勝つことだけを考えるが、勝負がついたらそれはもうどうでもいい。勝負にはこだわるべきだが結果にはこだわらない。この微妙な差を体得しないとゲームを楽しめなくなってしまう。
ゲームは勝つことだけを目的にすべきであり、それ以上のことにこだわってはいけない。それは相手を無視して自己満足にひたることになり、結果としてゲームを壊してしまう。
もちろん、ゲームに他の楽しむ要素をくっつけたものも世の中にはたくさんある。しかしゲームの楽しみというのは繊細なもので、余計な要素を付け加えるとかえってだめになってしまうこともある。ここでは純粋にゲームの楽しみについてだけ考える。