悪いキャラクタープレイ
ここまでは「キャラクタープレイ」の重要性について話をした。しかしキャラクタープレイはすべて素晴らしいというつもりは毛頭ない。筆者自身「こいつ困った奴だなぁ」という例はよく見かけるし、普通の人が「なんだか気味悪い」と思うのももっともだと思う。正直に言うと、世の中で「キャラクタープレイ」と呼ばれているもの、あるいは「RP」とか「なりきり」とか「演技」と呼ばれているもの[1]の90%は筆者から見ても気味の悪いものである。普通の人がそう思うのも当然のことだ。
ここでは、どんなキャラクタープレイが気味悪いのか、そしてそれはなぜなのかについて考えてみよう。
気味悪いキャラクター
MORPGを少しでもやった人ならきっとヘンなキャラクタープレイに出会った事があるだろう。呪文を唱える時にいちいち「我が信仰する水の精霊ウンディーネよ……」とわけのわからない発言をする人とか、挨拶をすると「わしは本来ならお前のような一般庶民に気安く声をかけられる存在ではないのだ。わしは本来王家を継ぐ者であって……」と小一時間妄想を語り出す人とか。こんな人に出会うと、例えその場を直ちに逃げ出したとしてもその日一日はブルーな気分になる。
キャラクタープレイ反対派の中には、こうした例をもってきて「だからキャラクタープレイが悪い」と言う人がいる。しかしこれはキャラクタープレイが悪いのではない。キャラクターが悪いのだ。妄想デンパ系の気味悪いキャラクターをよく見かけるから、そしてそういう人々が「これはキャラクタープレイだ」[2]と言うから、キャラクタープレイが妄想デンパ系に見られてしまうのだ。
以前に、「キャラクタープレイは行動の内容ではない。どう行動するかだ」と言った。こうした問題事例の根本は行動の仕方に問題があるのではなく、行動の内容そのものに問題がある。つまり、キャラクタープレイが悪いのではなくて(それも悪いかもしれないが)、それ以前の問題なのだ。
異性キャラ
この手の問題でもう一つ言われる気持ち悪い事例として「異性キャラ」が挙げられる。「プレイヤーが男のくせに女言葉を使うのは気持ちが悪い」というものである。これに否定的な意見を前に述べたので筆者もこうした気持ち悪いプレイヤーの一人に見られたかもしれない[3]。しかしこの意見ももっともだと思う。単に問題を正確に表していないだけだ。この意見は代わりにこう言うべきなのだ。「気持ち悪い女言葉を使うプレイヤーが男性プレイヤーに多く、それはやっぱり気持ち悪い」と。要するに、「やっほ〜!! ミカちゃんだよ〜!! きゃは☆」とやるから気持ち悪いのだ。もしこんな女性が現実にいたらどうだろう?やっぱり気持ち悪いと思うだろう。これもキャラクタープレイが悪いのではない。キャラクターそのものが悪いのだ。
こうした非現実的な「女性キャラ」を見かけると、ついそれを操るプレイヤーに想像がいってしまう。こんなヘンなしゃべり方を女性の標準的しゃべり方だと思っている人はどんな人だろう?きっと美少女アニメと同人マンガだけで女性との接点もまったくなく育ってきたに違いない。そしてプレイヤーは現実の女性よりこういう美少女キャラの方が好きなのに違いない、とここまで想像できてしまうからこそ「気持ち悪い」のだ。
この事情は程度の差こそあれ「女性が男性キャラ」でも同じだ。こちらの場合は逆にヘンにキザなセリフだったり、格式ばった話し方だったり、妙にバカ丁寧だったりする。これも世のおねえさま方が愛読するやおいマンガの影響だ。そしてそれに対して抱く気持ちも同じである。
つまり、「キャラクターが現実にその世界に住んでいるとしたらどう言うだろうか?」と考えた時、無意識のうちに現実世界ではなく美少女アニメややおいマンガを思い浮かべてしまうのが悪いのだ。「現実に」と言ったのに特定のジャンルのマンガやアニメを思い浮かべてしまうようなプレイヤーは、「きっとこいつはこういうマンガやアニメしか見たことのないオタクに違いない」と気味悪がられるのも当然のことだ。
ゲームの雰囲気に合わせるということ
マンガ/アニメ/小説/ドラマなどでよく出てくる典型的な話し方の多くは、そこの世界でしか通用しない現実離れした話し方だ。美少女アニメの主人公の話し方はトレンディドラマでは通用しないし、ハードボイルドの話し方はサザエさんみたいなほのぼのファミリーマンガでは通用しない。かといってサザエさんの方が美少女アニメより現実に近いかというとそうでもない。どういったジャンルであっても、現実のある面を強調しある面を単純化するせいでどこか虚構になるのである。
もしゲームの方でそうした雰囲気がきちんと決められているのなら、キャラの行動や話し方はその雰囲気に合わせるべきだ。「ときめきメモリアルオンライン」なるものができたら、そこでされる会話がいかにギャルゲー的な会話であっても文句は言えない。逆に「おめーら、会話が気色悪いんだよ、このオタが」と文句を言う人がいたら、「これはそういうゲームだ。このゲームにそれ以外の何を期待してるんだ?」と逆に言い返す。
しかし一般受けを狙ったゲームでそういった色付けをしている所は少ないだろう。例えメーカーがその手の人を集めようと妙なアイテムや武器防具を揃えたとしても[4]、あくまでも一般の人にもプレイしてもらえるようにあまりディープな味付けにはしないはずだ。そしてそういう場所ではそういう特定のジャンルに詳しくない一般の人が多く入ってくる。そういう人はある特定のジャンルに特化した話し方を(それがどんなものであっても)奇異の目で見るだろう。
不特定多数の人が集まる場所では不特定多数の人が受け入れられる事をすべきだ。そしてそうするためにはそこに参加する全ての人の共通認識だけを使った「標準的な」話し方をしなくてはならない。標準的な話し方をしなくてはならない場所でヘンな話し方をするのなら、それが無意識であろうと意識的であろうと、「標準」の基準が普通と違うヘンな人だと思われても仕方がない。
念のため言っておくが「標準的=現実世界」と言いたいのではない。ファンタジー世界だったら標準的なファンタジー世界の雰囲気に合わせなさいということだ。そして「標準的なファンタジー世界の雰囲気」と言われた時に「指輪物語」ではなく「スレイヤーズ」なんかを連想する人はアニメオタクだと思われてもしょうがないですよ、ということだ。
小説/マンガ/アニメの既存キャラ
趣味が偏ったキャラの際たるものが、特定の小説やマンガやアニメのキャラをそのまま持ってきたものだ。名前がそのものだしそのキャラの名セリフを言うからすぐわかる。こうしたキャラが問題であることは今までの論理を適用すればすぐわかるだろう。
例えば名前が「アムロ」で、敵に攻撃されると「殴ったな!?親父にもぶたれたことないのに」というようなキャラクターがいたとしよう。ガンダムを知らない人は「何言ってんだ、こいつ?何ワケのわからない事を言ってるのだろう?」と気味悪く思うし、ガンダムを知っている人には「こいつ、自分の事をアムロだと信じ込んでる。典型な妄想系勘違いオタクだな」とやっぱり気味悪く思う。そしてそのプレイヤーが「君は『ガンダム』も知らないのか?」と不思議そうな顔をするのを見て、「日本人全員がガンダムを知っていると思っているのか。ガンダムオタクの典型だな」とさらにあきれる。
キャラクタープレイは対象となる世界の現実感を出すためのものだと言ったはずだ。もしかしてこの人はファンタジー世界であろうとどこだろうと「アムロ」が住んでいるとでも思っているのだろうか?ガンダムの世界はその人にとってそこまで普遍的で現実的なものなのだろうか?本気でそう考えるとうすら寒くなってくる。
ちょっとオーバーに言いすぎた。おそらく彼らはそんな意図は持ってないだろう。彼らは単にガンダムごっこがしたいのであり、これが縁となってガンダム好きな友人を見つけられたらいいなと思っているだけだろう。あるいはちょっとしたパロディのつもりだったかもしれない[5]。要するに彼らはゲームとは関係ない事をやっているのであり、キャラクタープレイとも関係ない話なのである。だからやるのは別にかまわない。ここでの話とは全く無関係なことだ。
オリジナルキャラ
小説やマンガやアニメのキャラが「キャラクタープレイとして」問題だと述べた。じゃあオリジナルならいいのか?というとそうでもない。いや、事態はもっと悪い。ガンダムのキャラなら知っている人もたくさんいようが、オリジナルのキャラを知っている人は一人だけだからだ。
多くの人はここを勘違いしている。対象となるRPGの世界観を元にして書いたオリジナル小説のキャラならばゲームの雰囲気を壊さないのではないかと思っている。そこまではまあ正しい。しかし彼らはそれだけでとどまらず、そこで書いた内容を他人に発表しようとする。自分の出生の秘密とか特徴とかを誰彼ともなく言いふらすのだ。これが間違いなのだ。
現実にもこういう人はいる。駅の構内に毛布を敷いてワンカップを片手に座り、通行人に向かって自分の事をわめき散らしている人。あるいはそこまで極端ではなくても、飲み会で自分の子供の時の自慢話を延々とする人。こんな人は現実では「困った人」のレッテルを貼られる。そしてこれまで主張してきたように、現実で困った人のレッテルを貼られるようなキャラクターはやっぱりゲームの中でも同じなのである。
「じゃあ、せっかく書いたオリジナルの小説はキャラクタープレイには何の役にも立たないのか?生年月日とか生い立ちとか性格なんかを一生懸命考えてもまったくの無駄なのか?」と疑問に思う人もいるだろう。その通り。無駄だ。なぜならゲームの雰囲気作りにそれは不要だからだ。
例えば、現実世界の話で「電車の車掌さん」の雰囲気を形づくっているものは何だろうか?リーゼントにグラサン、アロハシャツ姿の車掌さんが検札に回ってきたら皆びっくりするに違いない。制服を着て白い手袋をはめ、あの独特の口調でアナウンスをするから皆「あ、車掌さんだ」と思うのである。これが「雰囲気」だ。ではその車掌の誕生日が4月11日だったり昔ガキ大将だったり実は内気な性格であることなどは雰囲気に関係するだろうか?
例え小説という形式をとっていなくても、性格設定とか独自の物語を加えた時点でそれはその人の「オリジナルの物語」であり、「ゲームとは別の世界のキャラクター」なのである。そしてそれを語ろうとすれば「既存キャラ」と同じ目で見られる。さらに悪いことに、ガンダムネタならばわかってくれる人に遭遇するかもしれないが、オリジナル物語の場合はその可能性はゼロなのだ。
既存キャラをそのままゲームに持ってこない限り、すべてのキャラクターはオリジナルキャラクターだ。だからオリジナルキャラを作るのはいい。そしてそのキャラでゲーム世界の雰囲気を壊さないようにするにはどうすればいいかを考えるのもいい。しかしそれはオリジナル小説を書くこととは違うのだ。
悪人キャラ
「なんとなく気持ち悪い」ではなく確実に嫌がられるキャラに「悪人キャラ」がある。「盗賊」とか「詐欺師」とか「人殺しをなんとも思わない冷血漢」とか、あるいはダークでないキャラでも「女性にすぐちょっかいをかける」といったキャラである。今までに何度も言ってきたように、現実世界にいて問題のあるキャラはやっぱりゲーム内世界でも問題がある。
また、悪人ではないが「勝手に制限をつけたキャラ」も迷惑な存在だ。例えば神官のくせに「私は回復魔法が使えません」とか戦士のくせに「武器は嫌いだから素手で戦う」と勝手に決めている人のことだ。もちろんスキル配分や経験値の問題でこうなってしまったのなら仕方がないが、本来ならできるくせに好き嫌いの問題だけで敢えてやらない人がいる。なぜできることを敢えてやろうとしない?皆で協力して敵を倒すために集まったんじゃないのか?一人だけ手抜きじゃないか?
こういうキャラを使う人はよく「このキャラはこういう設定なんだから仕方がない」と問題行動をキャラクタープレイのせいにし、このせいで「キャラクタープレイ」全般の評判が落ちる。この問題は「キャラクタープレイ」にあるのではなく、その背後にあるのだ。つまり「何をするか」という問題である。
ゲーム内のキャラクターはゲーム内の目標を達成するために精一杯がんばらなくてはならない。もしゲームの目的が盗賊行為だったり人殺しだったりしたらそれはそれでいいのだが、本来助け合うべきキャラクター間で必要もないいざこざを勝手に起こすから悪いのだ。そしてそれは本来のゲームの目的を外れてしまっているから起きることなのである。
もし「このキャラクターはこういう設定だから仕方がない」と言い訳するのならこう反論しよう。「そういう設定のキャラクターは嫌われたりやっつけられたり無視されたりしても仕方がない」と。ゲーム内世界でも悪人は嫌がられるし排除される。これは当然のことだ。
まとめ
まとめてみよう。「キャラクタープレイ」(と呼ばれているもの)はよく気味悪がられ敬遠される。しかしそれはキャラクタープレイが悪いのではない。キャラクターが悪いのだ。そしてキャラクタープレイを標傍する人にはそうした悪いキャラクターが多いから、人はそういうものなのだと思い込んでしまったのだ。
悪い例を見つけたら、キャラクタープレイを非難する前に「もし現実にそういうキャラクターがいたら?」と考えてみてほしい。そして「こんな人、現実にいるわけないじゃん」とか「こんな人が現実にいたら困るよね」と思ったら、それはキャラクタープレイではなくキャラクターが悪いのだ。
現実にいるはずのないヘンなキャラクターを見せられると人はいいようのない違和感を感じる。そしてこの違和感は何だろうと考える。それはプレイヤーがもともとヘンだからか、あるいはプレイヤーはそういういかにも虚構的なキャラクターを現実だと思い込んでいるオタクだからだろう。そしてどっちにしろ「要するにプレイヤーが気持ち悪い奴だからだ」という結論に落ち着く。
ここで言った事はおそらく誤解を招く表現だと思うので重ねて説明したい。ここでは「キャラクタープレイが気持ち悪いとしたら、それはキャラクターが気持ち悪いからだ」と言った。しかしここでは解決法について述べていない事に注意してほしい。「だから気持ち悪いキャラクターにならないように考えるべきだ」と言いたいわけではないのだ。キャラクタープレイの目的はあくまでゲーム世界の雰囲気を出すためである。もっと的確に言えば、ゲーム世界の雰囲気を壊さないためである。「作ろう」とすると気構えたり凝ったりしがちだが、「壊さないようにしよう」と考えたらどうだろう?壊さないための最低限の努力さえすれば、あとの努力は不要なのだ。
世の中ではこれらの単語はほぼ同じ意味にとられているのではないか?本当は一緒くたにしてほしくはないのだが。 ↩︎
正確にはこのようには言わず、「ロールプレイ」「なりきり」「演技」のどれかの単語を使う。しかし彼らはこれらの言葉の意味をよく知らないのだ。彼らが言わんとしているのは、この文書で「キャラクタープレイ」と呼ぶものである。そして実際のところはキャラクタープレイではなく後述する「なりきり」である。 ↩︎
事実異性キャラは使うし、それを気持ち悪く見られていないという自信はないのだが。 ↩︎
例えばブルマとかスクール水着を服装に加えるというようなことだ。 ↩︎
こうした、「他の人や本の名セリフを借りてくる」という事は清少納言の時代からやっていた事で、別に珍しい事でも変な事でも何でもない。パロディの場合はわかる人にだけわかればいいのだ。 ↩︎