おたくと創造
おたくは初め勝ったが、その後負けた。ちょうどバブルの崩壊の頃である。以前は一生懸命面白いものを作った。そして次に面白いものの作り方を発明した。面白いもの製造機にかければどんどん面白いものが出来てきた。はたしてこれでいいのだろうか。自分の目指しているものが自分でわからなくなった。
そんな中、一般の人達が見てるより作る方が面白いということに気がついた。文化というのはもともとそういうものなのだが、今まで消費文化に慣れすぎていてそこに気がつかなかったのだ。一般の人達が作ることができるようになったのはなぜかというと、面白いもの製造機ができたからだ。彼らは面白いものを自分で作るほどの力はなかったが、面白いもの製造機のスイッチを入れることぐらいはできた。
作る方が面白いのはわかっているんだけど作るのは大変すぎる、そんな人達を助けて創作に向かわせたのがマッドテープとアニパロとテーブルトークRPGである。なお、これらはまだ性の問題とは関係がないので気をつけよ。
おたく創作活動の原型
アニパロとはアニメのパロディのことである。自分の好きなアニメをもじった絵や小説を描くことだ。アニパロ自体は前回の「燃え」の時代からある、おたく第二世代の産物である。
1980年代のコミケの主流は、評論と創作、そして若干のアニパロだった。これはなぜコミケが出来たかを考えてみればわかる。前回話したように、コミケはおたく自身の交流と情報交換の場である。その時のおたくの目的は何だったのかというと、「今面白いアニメは何か」を知ることだった。何が面白くて、なぜ面白いのかといったことである。こうなると当然主流は評論である。次に来るのが「自分でも面白いものを作ってみたけどどう?」という創作である。この当時の創作はほとんどがオリジナルだった。今でいう二次創作の概念がなかったからである。そして交流といえば、皆でアニソンを歌ったのである。
皆が共通に知っているものがあれば、それを茶化すパロティはいつの世も当然出てくるものである。マッドテープがそれだ。マッドテープとは、既存のアニメの主題歌やセリフを切り貼りして面白おかしくつなげ合わせたものである。まさに抱腹絶倒の面白いものがいくつも作られた。
マッドテープは、今と違って当時は作るのも大変だったが、それでも素人にできる作業だった。マッドテープの面白さは、よく知っているものが全然別のものにいきなりつながったり、つながっているようで実は全然つながっていなかったりする意外性である。だから、マッドテープは元ネタを知っていないと面白くない。
元ネタが共通言語であるからこそできるパロディの手法をマンガに応用したのがアニパロである。マンガの名場面のセリフを変えてみたり、違うマンガや違うコマを並べてみたりする。今でもよく行われている手法である。これらは、今マッドビデオとかフラッシュとしてよく出回っているものと考え方は同じである。
特筆すべきは、当時はセリフだけ変えるのでも今のように本物をまるごとコピーして吹き出しの部分だけ変えたりすることはせず、すべて手で模写していた。それは今のようにコピー機がなかったからである。印刷物は原紙に鉄筆で書かなければならなかった。だから、アニパロでも純粋な創作でも同じように手書きされて同じような見た目だった。
蛇足ではあるが、アニメは「燃えの文法」があったせいで茶化しやすいということもあっただろう。主題歌はほとんど同じ人が歌っていた同じような曲調のものだったからつなげやすかったし、「シチュエーションが似ている」「キャラが似ている」アニパロネタはたくさんあった。ただ、その頃はまだそれがどういう意味を持つのかまではわかっていなかった。
ここで言いたかったのは、当時のアニパロは現在のアニパロとは似ても似つかないもので、どちらかというと今でいうバカフラッシュやパロディ合成画像だった、ということである。みんなこういうもので「創作の楽しみ」をお手軽に味わっていた(といっても今に比べれば全然お手軽ではなかったのだが)。
ファミコンゲームの登場
そうこうしているのと並列に、もう一つのおたくアイテムが生まれた。パソコンゲームである。パソコンゲーム自体は70年代後半から80年代前半の、いわゆるおたく第二世代である。ここで述べようとしているおたく第三世代はファミコンになってからの世代だ。
おたく第二世代と第三世代の差は、物心がついたときにゲームがあったか否かである。おたく第二世代の時にあったパソコンゲームはバカな小学生ができるような代物じゃなかった。高いパソコンを買った後に高い金を出してゲームを買うか、あるいは雑誌に載っている何十ページもあるプログラムリストを全部手で打ち込まなくてはいけなかった。打ち込み間違えるとエラーメッセージで止まってしまうから、そのエラーメッセージを見てどこを修正しなければいけないのかを判断しなくてはいけなかった。そうやって、ゲームをしようとするだけでプログラミングのスキルが上がっていったのである。そういうことをしないでゲームだけしようとする奴はロードランナー(LoadとRunしかしない奴という意味)と呼ばれてバカにされた。
当時、すでにパソコンゲームは今あるゲームジャンルのほとんどを網羅していた。シューティング、横歩きアクション、パズル、格闘もの、RPG、アドベンチャーなどである。ただ、当時のゲームはすべて理不尽なほど難しかった。パソコンゲームは子供がやるものではなかったし、当時のゲームは「難しい」というのが売り文句だったからだ。「誰にも解けない謎」「君への挑戦」が合言葉だった。ゲームは挑戦されるもので、軟弱な奴にはできないものだった。
それに対して、誰でも簡単にいろんなゲームができるようになったのがファミコン世代だ。安かったこともあって爆発的に普及した。最初は単純なゲームやアーケードゲームの移植などが多かったが、そのうち「スーパーマリオ」や「ドラクエ」が発売されて、ファミコンの黄金時代が始まる。ファミコンは子供がターゲットだったので、パソコンゲームより難易度は低めだった。そして結果的にはその方がよかった。当時のパソコンゲームは理不尽に難しすぎてやる気が失せるものばかりだったからだ。
ゲームの消耗品化
そして、パソコンゲームでエポックメイキングな「イース」が発売された。イースは難易度設定が絶妙だった。レベル上げにあまり時間がかからず、レベル上げをしてボスを倒してまたレベルを上げて……の繰り返しで一度も飽きなかったし一度も嫌になることがなかった。次が気になってどうしてもやめられなかった。「これは面白い」と思いながらエンディングを迎えた。
気がつくと、一日徹夜してイースを解いていた。今ならそう驚かないかもしれないが、昔にしてみれば常識外れのことだった。昔の常識では、ゲームは同じものを毎日毎日繰り返し遊ぶものだった。マイトアンドマジックは毎日何時間もやってもクリアするまでに一年かかった。それに対して、イースは一日で遊び終えてしまう。そして、もう一度やってもあの興奮はもう二度と味わえない。
イースはパソコンゲームだったが、「ゲームは難しくて何度でも挑戦していつまでも遊べるものでなくてはならない」という掟を破った。一日で遊び終えてしまえるようなゲームは底の浅いクソゲーであるという認識をひっくり返した。楽しければゲームの底が浅くてもいい。これは大きな発想の転換である。
そして、RPGの全盛期が始まった。ドラクエとファイナルファンタジー、そしてそれを真似したいくつもの同じようなゲームである。今まで、ゲームは一本買ったら飽きるまで遊び倒すものだった。それが、RPGによってゲームはアニメを見るように一度体験したらおしまいのものになった。そのうちアクションゲームもそうなった。昔はスーパーマリオを一日一回クリアしていたものだが、今のアクションゲームは一度クリアしたらもう二度とやらない人が多いだろう。
テーブルトークRPG
RPGが乱立した時、その元祖として宣伝されたものがテーブルトークRPGである。皆でテーブルを囲んで紙と鉛筆とサイコロでわいわいやるゲームである。本当はドラクエやFFはテーブルトークRPGをお手本としたコンピュータRPGをさらにお手本としたまったくの別物だったのだが、当時はそんなことはよくわからなかった。遊び手がよくわかってなかっただけでなく、作り手もよくわかってなかった。
ここでは、本当のテーブルトークRPGの遊び方ではなく、当時遊ばれていたテーブルトークRPGの遊び方を説明しよう。誰か一人がゲームマスターとなって、ストーリーのあらすじを作成する。他の人は一人ずつお話の主人公となるヒーローキャラクターを作る。ゲームマスターはそれにやられる悪役を担当する。そして、ゲームマスターが作ったあらすじに従って、プレイヤーはヒーローを気取ってせりふを言ったり行動を決めたりする。ゲームマスターは悪役側のせりふを言ったり行動を決めたりする。そして複数のアイデアが浮かんでどちらにしようか決めかねた時にはサイコロを振って決める。このようにしてあらすじに肉をつけていき、最後に敵の親玉を倒して終わりになる。アドリブでお話をつくっていく演劇が一番近いものだろう。
これは、アニメで開発された「面白い物語製造機」の原理の応用である。ゲームマスターはベースとなる抽象化されたストーリーを選ぶ。そしてそこに皆で面白い要素を肉付けしていく。従来はアニメ製作者や同人でなくてはできなかった「燃え要素のつぎはぎによる面白い物語の制作」を数人の仲間と紙と鉛筆だけで簡単にできるようにしたのが(勘違いの)テーブルトークRPGである。そしてその結果はリプレイ小説として形に残ることになった。
アニメは自分たちで燃えの方法論を適用して結果だけを見せていたのに対して、テーブルトークRPGは燃えの方法論自体をオープンにしたのだ。「燃えるお話の作り方」自体を提示し、観客にそれに従って自由に作ってもらうことにした。実際やってみるとかなり簡単に面白いリプレイ小説が作成できる。プロの作家に負けないレベルのものができた。なぜなら、この方法はプロの作家が使っていた方法と同じものだったからである。皆この作業に夢中になった。
ここの話は年代的には前回の話と少しオーバーラップする。実際には、面白いアニメの文法ができ、その方法論自体がテーブルトークRPGによって公開され、それによってワンパターンなアニメが氾濫するようになり、それによってこの仕組みの矛盾に皆が気づき出したという順番である。
物語製造機の発明
おたくは新しい方向性を見つけた。面白い要素がつぎはぎされただけのアニメを見るのはもう飽きたが、それを作るのは面白いということを知ったのである。彼らは相変わらずワンパターンなアニメを喜んで見た。見て楽しむためではなく、面白い話の研究をするためである。ここから面白い要素を採集して自分の作品に生かそうとした。
彼らはしばらくして気がついた。要点は「面白いお話に方法論があること」である。別に全員集まってやらなければならないという理由はないし、皆で一人ずつキャラクターを担当する必要もない。皆でやるとそれぞれの人で思惑が違ってよく喧嘩になったが、全部一人でやればより自分の思い通りの物語ができる。実際、数人が集まらなければいけないテーブルトークRPGはかなり開催に手間がかかるものだった。自分で勝手に自分の話をつくれば楽でいい。
燃えるお話を作ることを楽しむことを純粋に追及し出したのである。「燃えるお話を作る」楽しみはどこにあって、それだけを純粋に楽しむにはどうすればいいか。テーブルトークRPGのルールブックやサイコロがいらないことははっきりした。面白いのは、自分でキャラクターを創造してそれを動かしてお話にすることである。小説を書くことは無から有を作り出すことで非常に難しいことなのだが、それをテーブルトークRPGが解決してくれた。
テーブルトークRPGが提示した小説の書き方は次のようなものである。
既に発表されているテーブルトークRPGのルールブックを選ぶ。
敵と味方が戦う理由を作る。「お姫様を助け出す」「敵の親玉を倒す」「武闘会」など。
敵と味方のキャラクターを用意する。
戦わせる。
ところどころにかっこいいセリフやお約束のシーンを入れる。
この方法を使えば、上から順番に選ぶだけで小説が書ける。非常にとっつき易いやり方だ。
当時、リプレイ小説なるものが世の中に多く出回った。「ロードス島戦記」が有名どころだ。これらは、上の方法に従って書かれた小説であり、上の方法で書かれたということが明記されていて、それでいて面白かった。小説の書かれるプロセスまでオープンにされた小説ということで画期的だったのだ。
ロードス島戦記はアニメ化されたし、他の同じようなリプレイ小説もどんどんアニメ化された。そして本当にテーブルトークRPGをやって作られたのかどうかよくわからないけれど同じようなテイストを持つアニメがたくさん出てきた。
なお、これらのリプレイ小説は現在「ライトノベル」と呼ばれているものの祖先である。それ以前のジュブナイル小説は、図書館に入っているような教育的な本を除けばアニメのノベライズばかりだった。これは当時まだビデオが普及してなかったせいで、同じアニメを何回も見るということは貧乏人には不可能だったから、その代わりとして用意されたものである。それ以外のおたくは小説なんか読まないでマンガばかり読んでいた。
二次創作の発明
「物語製造機」の仕組みと威力をまざまざと見せつけられて、以前からアニメを見ていた人はもう飽きてしまった。しかし今からアニメを見始めたという若い世代はまだ飽きるほどには見てはいなかった。アニメからリプレイ小説を知り、テーブルトークRPGを知った人達である。
彼らは、本来の成立の筋を逆にたどることで、テーブルトークRPGについて今までの人は思ってもいなかった解釈をした。テーブルトークRPGがアニメになったのではなく、アニメがテーブルトークRPGになったのだと勘違いした。実はこれはあながち勘違いとも言えない。テーブルトークRPGの多くは既存の小説から世界を借りてくることが多かったからだ。ただ、もともとはこれは借りてきただけで、小説を再現するためのものではなかった。
結局、彼らは「テーブルトークRPG」を「アニメ」に変えて次のように解釈した。
好きなアニメを選ぶ。
戦う理由となるお話の骨格を選ぶ。「お姫様を助け出す」「敵の親玉を倒す」「武闘会」など。
アニメに出てくるキャラクターを戦わせる。
ところどころにかっこいいセリフやお約束のシーンを入れる。
テーブルトークRPGを「アニメに出てくるキャラクターになったつもりで戦うごっこ遊び」だととらえたのだ。自分がキャラクターとなったつもりになって、その結果を小説に残す。そして絵が描ける人ならそれをマンガなりアニメなりにする。
これが、従来のアニパロとは違う新しい意味でのアニパロだ。従来は本当にパロディだったのに対して、今のアニパロはまったくパロディではない。表現形態は同じだが中身はまったく違うのである。「二次創作」という言葉が一番適当だ。
メディアミックス
自分がすごいと思ったものが実は半自動的に生成されるものだということを知って、おたくはショックを受けた。当時のおたく達は物語製造装置が許せなかった。それに対して、もう少し新しい世代は物語製造装置を喜んで使い始めた。創造する喜びを知ったのである。
古い世代にとって、創造というのはもっと難しく奥が深いものだった。現在のそれはただの大量生産のカスだ。ただし、そう言っただけで自分達は何も創造しなかったのだが。古い世代と新しい世代のどっちが偉いのかという議論は無意味だ。「偉い」などという言葉はここに適用はできない。ただ古い世代はそう思って、新しい世代はこうしたというだけだ。
新しい世代は、物語は物語製造装置から出てくるのが当たり前だと思ってしまった。そして、物語というのは自分で部品に分解して好きなように再構成するための土台だと考えた。古い世代は、アニメのキャラクターが自分の思ったカッコいい行動をとらないと「こう作ればもっとカッコよくなるのに、作り手はなんてバカなんだ」と思ってもう見るのはやめた。新しい世代は、そう思ったら自分でカッコよくなるように作り変えた。物語は自分で作り変えるものだからである。
ここで「メディアミックス」という手法が出現する。アニメのキャラクターが小説やマンガなどいろんな所に出没するようになる。今まではアニメが最高の形態で、アニメ化されることは高い評価の象徴だった。アニメは小説やマンガより上の表現形態だった。これは前回で述べたように、アニメが人間の視覚と聴覚を完全にコントロールする究極のメディアだったからだ。しかし、もはやメディアは視覚や聴覚に訴えるものではなく、受け手が作る物語の材料を提供するものとなった。つまり、重要なのは「キャラクター」であり「世界」であり、つきつめていえばその設定である。それがどう表現されるのかはどうでもいいことだ。本来アニメをマンガ化すると何か大事なものを削らなくてはならなくなるのだが、もうアニメという表現形態自体に大事なものは残っていなかったので、削っても問題はなくなった。
メディアミックスの特徴は、キャラクターや世界というものを全面に出し、ストーリーをその付属品と考えたことだ。「アニメ/マンガ/小説はストーリーを見るもの」という前提が崩れたのだ。こうしたものに時系列の概念がなくなった。アニメについているストーリーは単に「彼はこういう状況に陥ったらこういうことをするキャラです」という説明に過ぎない。ある場所で語られたストーリーは別の場所ではなかったことになる。ストーリーは単にキャラクターを引きたたせるという役割しかない。
新しい世代が書く小説に対する誉め言葉は「キャラが立ってます」「キャラがよく描写されています」「○○さんの気持がよく表現されています」である。誉められるのはキャラクターであってストーリーではない。これを作者はストーリーを語るためにキャラクターを用意するのだと考えると間違った結論になってしまう。
創造の価値
おたくの行動原理が「批評」から「創造」に変わった。アニメやマンガなどの作品への批評は無意味になった。なぜなら、それらは自分で創造をするための部品にすぎないのだから。
作品への批評をすると「そんな事を言うなら自分で書いてみろ」と言われるようになった。批評の意味合いが変わったのだ。昔は批評というのは良いものと悪いものを区別するために必要なものだった。みな批評を欲した。他の人がそれをどう評価しているかというのは重要な情報だった。自分が良いと思っているもがクソミソにけなされていたら、素直に自分が無知だったのだと思った。それだけ自分の無知が不安だったのだ。
物語の両輪であったストーリーとキャラクターが分離すると、キャラクターそのものを批評することはできなくなる。人を使うというのは「適材適所」であって、どの人もその人自身が良いとか悪いとかいうことはない。作品の良し悪しは部品そのもので決まるのではなく、部品の組み合わせ方で決まるのだ。メディアミックスは、部品を組み合わせて提示するのではなく、部品を単体で提示する。組み合わさっているように見えるのはただの参考例なのだ。だからこれらを批評することはできない。
昔は人に向かって「自分で作ってみろ」とはとても言えなかった。それはほぼ不可能だったからである。物語を作れるのはプロと呼ばれる特殊な人種だけで、普通の人にはそれは不可能だった。アマチュアはただ「プロは偉いなぁ」と思いながらそれを批評することしかできなかった。それが、アマチュアにもものが作れるようになった。「物語を作る方が偉い」という価値観は昔からあったが、作る側と見る側には厳然とした壁があった。
今では、不満があったらいくらでも自分で書いてみることができる。「文句があるなら自分で書け」はまさにその通りの意味だ。自分で勝手に修正版を(頭の中にでも)作って、それで喜んでいればいいのである。それを他人と共有する必要はどこにもない。
キャラクターという概念の発明
「テーブルトークRPGはそんなに時代の主流じゃなかった」と言う意見ももっともかもしれないが、わかりやすい流れということでここでは取り上げた。最終的には、ここで述べた一連の流れは「キャラクターの発明」という言葉でくくることができる。ストーリーという文脈から抜き出された「キャラクター」が単独で存在できるようになり、ストーリーではなくキャラクターを消費するという構図ができたのである。
仮面ライダーやウルトラマンのように昔からキャラクターというものはあったじゃないかと思うかもしれない。しかしそれが今のものとは違うのは、皆が見たかったのはキャラクターではなくそれが登場するストーリーだったということである。ウルトラマンを見たかったのではなく、ウルトラマンの活躍を見たかったのだ。重要なのはウルトラマンが怪獣を倒すところであって、ウルトラマンそのものではない。怪獣あってのウルトラマンだったのだ。
どっちの世代に属するかは、「昔のアニメで覚えていること」を思い出してもらうとわかる。キャラクターの名前が次々に出てくる人と、名場面や名ポーズや名ゼリフ[1]が出てくる人である。後者は、キャラクターがシーンやシチュエーションや絵と切り離しては存在できなかった時代の人であり、前者はシーンを見ても頭の中でそれをキャラクターに分離して考えていた人だ。
キャラクターがその文脈から切り離されて存在できるようになると、価値という概念はなくなった。価値は個々のものに対して付くものではなく、ものとものとの組み合わせ方にに対して付くものである。そして、ものとものとを組み合わせるのは自分自身にしかできない仕事だ。
一時期忘れていたおたくの基本理念である「主観的価値の肯定」がやっとまた出てきた。客観的な価値は存在しない。物は使いようだからだ。価値のないものを「価値がない」と言わずに、それをどう利用するかを考えなくてはならない。いや、価値というのはものではなく利用のしかたにあるのだ。
おたくは実はおたくではなくなっていた。自分達のコミュニティを作ると、おたくはそこでの一般大衆になった。そのコミュニティで同じものを見、同じものを評価し、そしてそれを評価しない人を批判した。それは自分の中だけにしかない価値が本当に価値なのか心配になって始めた行為だったが、結論から言うと本当に価値だった。そしてそれがわかった時にコミュニティも批判も客観性も役目を終えたのだ。
なお、一つ補足しておくと、冒頭で述べた「狭い意味でのおたく」とは、ここでいう「(アニメの)キャラクターを独立した存在として扱う人」の意味だ。彼らは既存のアニメおたくとは交流を持たず、変人の彼らからさらに変人扱いされていた。交流を持たなかったのは上述のように交流を持つ必要がなくなったせいであり、変人扱いは一般大衆がおたくを変人扱いしたのと同じ構図だ。「狭い意味でのおたく」はおたくの中のおたくなのである。
コスプレ
キャラクターというものが独立に存在するようになると、おたくは自分をキャラクターと同一化させようとするようになった。以前は自分を同一化させようとしたのは作品世界である。この違いによって、コスプレは大きな変化を見せるようになる。
「コスプレ」という表現形態は、欧米で大昔からある形態である。中世風の甲胄を着てみたり、あるいはギリシャ風のトーガを着てみたりと、今とは違う時代や国の衣裳を着て楽しむというものである。このように、もともとのコスプレは「その世界に自分が入り込む」という感覚だった。こうしたコスプレの概念は、異世界を作り出すジャンルであるSFで特に流行った。そして、SFを踏襲したアニメでも同様に流行った。
キャラクターという概念が存在しないうちは、コスプレの意義も今までの延長線上だった。「ウルトラ警備隊」や「ジオン公国軍人」のコスプレをした。特にその中の誰というわけではなかった。自分は物語世界の一員になりたかったのであり、それはキャラクターそのものとは別だった。仮面ライダーごっこにしても、本郷猛そのものになりたかったのではなく、自分も改造されて仮面ライダーのように強くなりたかったのである。
コスプレの転機が、「うる星やつら」のラムちゃん[2]のコスプレである。今までのコスプレは役割のコスプレだったから、ジオンの軍服さえ着れば誰にでもなれるものだった。もともとジオン軍人という特定の人はいないからである。しかしラムちゃんはそれなりのスタイルの人でないとなることができない。ラムちゃんは世界に一人しかいないはずのものである。ラムちゃんから遠く外れたスタイルの人間がラムちゃんを名乗ることはできない。[3]
ラムちゃんのコスプレはその格好が衝撃的(そりゃそうだわな)だったこともあって、いっぺんに注目を浴びた。世界観や雰囲気ではなく、一人の女性として注目を浴びたのである。普通なら抵抗がないわけはない行為であるが、コミュニティの仲間感とおたく的カミングアウトの法則から、それなりにやる人がいた。その娘はそこでは完全にラムちゃんが空想の世界からこの世に舞い降りたものとしてちやほやされた。そう考えてみると、思い切ってなっただけの甲斐はあるものだったのかもしれない。
ラムちゃんのコスプレはしかし一つ問題があった。二人が同じコスプレをすると困るのである。ジオン公国軍人のコスプレは反対だった。自分と同じコスプレをする人がいると喜ぶ。彼らは集まって、敬礼をし、「ジークジオン」と叫び、お互い肩を叩いて励まし合った。彼らは仲間だった。しかしラムちゃんのコスプレは違う。ラムちゃんはこの世には一人しかいないので、どちらかは偽物のはずだ(本当は両方とも偽物なのだが)。互いに自分の正当性を訴え、同じ趣味を持つはずの相手といがみ合った。
問題は、世界にただ一人しかいないものに自分がなるという矛盾だ。そして、それが今まで述べた「キャラクターという概念」と矛盾しないかという疑問だ。旧世代的な考え方でいくと、ラムちゃんは(架空の)世界にただ一人いるものであり、決して現実にはいないものである。だから、現実の世界でラムちゃんを名乗るものは一人残らず偽物だ。
しかし、よくよく考えれば、存在とは現実の世界にあるということである。つまりラムちゃんは存在しないのだ。存在しないものの偽物などあるはずがない。存在しない架空のラムちゃんと存在するラムちゃん(コスプレをした自分)のどちらが本当に存在するかといったら、現実に存在する自分の方に軍配が上がる。
キャラクターとは何だろう。今まで見てきた話によれば、見た目と振舞いの特徴の集合である。緑色の髪の毛でツノを生やし、虎柄のビキニを着て、語尾に「だっちゃ」をつけ、自分の許嫁が浮気をすると怒って電撃を飛ばすのが「ラムちゃん」である。とすれば、自分も同じことをすればラムちゃんである条件を満たすことができる。さすがに空を飛んだり電撃を飛ばしたりはできないが、かなりの部分はコスプレによって満たすことができる。「ラムちゃん」というのは厳然と存在するものではなく、様々な特徴を持ったコスプレによって人はラムちゃんに「なれる」のである。
もし二人のラムちゃん(のコスプレイヤー)が現実に存在してしまったとしたら、本物はよりラムちゃんの特徴を備えた方である。だから必死に相手をけなす。相手がラムちゃんらしくないことを示すことで、自分が本物のラムちゃんであるということを認めさせる。
おたくと自我
「自分探し」という言葉がある。この言葉に違和感を持つか持たないかはここでの話と密接に関係がある。今まで述べた「キャラクター」の概念、特に「コスプレ」で述べた話に納得のいく人は自分探しをする。どうもしっくりこない人は自分探しをしない。
しっくりこない人はなぜ自分探しをしないかというと、別に探さなくてもここにあるからである。「我考える、故に我有り」である。はっきりと有るものをなぜ探すのか理解できない。それに対して自分探しをする人は、自分というものは自分が持つ特徴の集合体だと思っている。だから、自分の特徴を一つ探すたびに「新しい自分を見つけた」と思うわけである。そして、「自分探し」とは、自分の隠された特徴をすべて探し出すことである。
キャラクター設定とは、キャラクターの外見と、ストーリー上でのそのキャラクターの動きのパターンである。外見は見たまんまだからいいとして、あとはどういう場面でどう考えどう行動するかの集合である。外見は絵が決めていて、内面はストーリーが決めている。これが新しい自我の概念でいうところのキャラクターである。
おたく原理は「自我」の古い考え方の上に成り立っている。自我は自分がいる限り存在し、当然その内面も存在する。自分で正しいと思ったということは、自分というものがあるということである。だからそれを追及することに意味があった。
新しい考え方では、個々の自我というものは存在しない。自我とは自分と自分以外のものとの関係において存在する。自分が正しいと思ったことは、自分が今まで生きてきた過程において積み重なったものである。つまり、自分の経験から導き出されたことである。自分以外のものが存在しなければ自分もまた存在しなくなってしまう。
SFアニメは、もし自分がまったくの異世界に生まれたらどのように考えどのように行動するだろうというという思考実験だった。そしてその答えは、異世界に生まれたら自分は自分ではなくなる、という答えだった。自分はこの世界に生まれたからこそこんな自分になったわけで、まったく違う世界に生まれたらまったく違う考え方をするまったく違う人間になっていただろう。それはもはや自分ではない。
自我と関係
おたくの思考実験は終わった。自我とは単独で存在する「もの」ではなく「関係」だった。「関係」は結ばれたり切れたりする。自分が関係である以上、変わらない「自分」というものは存在しない。おたくが探し求めて来た「価値」は客観的なものだと思ったが、実はそれは簡単に変わってしまうあやふやなものだった。おたくは世間とは違う「価値」があると信じていたが、自分は世間から作られたものである以上、自分から出てきたものは何であってもそれは世間から出てきたものである。世間を否定しては価値もなく自分も存在しないのだ。
おたくは自分の中の価値を探した。そうしたらそれはいつか客観的なものになっていた。なぜ主観的なものが客観的になったかというと、自分というものは客観的なものによってできているからだ。自分の主観などなかったのだ。