日興とライブドア

なぜライブドアは上場廃止になったのか

今回は時事ネタ。どこかの豚がもしかしたら大手を振って株式市場に舞い戻ってくるんじゃないかと0.1%くらい危惧していたが、とりあえず一安心。執行猶予がつかなかったのはちょっと意外に思ったけど、よくよく考えてみたら、あんなに悪い態度でつくわけがないよな。弁護士がかわいそうだ。

それはそれとして、「なんで日興は良くてライブドアがダメなんだ」なんて言っている奴が思ったよりたくさんいるようなので、そこを書いておきたい。もちろん、日興も「良い」わけでは全然ないんだけど、さすがにこの両者を比較対象にするのは日興に失礼だ。


ライブドア擁護派の皆さんには、まず「悪事がなければライブドアという会社は最初から存在しなかった」ということを認識していただきたい。ほころびをウソで塗り固めたのではなく、最初からウソだけでできた会社、まさに虚業だった。ライブドアという会社自体が蜃気楼だった。

こんなことを言うと、「そんなことはない。ライブドアはいろんな事業を展開していた」と反論する人がいるかもしれない。だけど、それはアムウェイ信者が「でも洗剤自体はすばらしい」と言うのと一緒だ。実はライブドア本体は赤字だったなんていう話をしても、あまり的を射ているとはいえない。「アムウェイの洗剤は市販の洗剤に比べてもたいして良いわけではない」なんて言うと問題の中心がずれてしまうのと同じように。

問題は、「価値」がどこから作られたかである。捏造された価値が価値を呼び、実体がないまま価値だけが膨らんでいくことが問題なのだ。ライブドアは、ウソを売って儲けた。だから問題なのである。まあ、この点では日興もかなりビミョーなのだけれど。


日興は、定価100円のリンゴを定価200円と書いて、大安売り!とやっていた。もちろん悪いことなんだけど、ライブドアは単なる紙切れをさも価値があるように見せかけて売っていたわけだから、はるかに罪は大きい。「粉飾もした」企業と「粉飾しかしていない」企業とでは、さすがに比較対象にならない。カネボウや西武と比べるのならともかく。

カネボウは実質債務超過だったわけで、つまりは腐り切ってとても食べられないリンゴを定価100円!なんて言ってたわけだから、ある意味ライブドア並みと言えないこともない。しかし、粉飾をしなくても、結局は上場廃止になっている可能性が大きい。西武は、もともと上場ができなかったはずの企業だ。これらの企業は、未上場の状態がいわば「正しい状態」なわけだから、上場廃止というのは罰則ではなく、間違った情報に基づいた状態を正しい状態に戻したというだけのことだ。そう考えると、やっぱり日興のケースはちょっと違う。

西武の状態はかなりレアケースとしても、カネボウにしろライブドアにしろ、一時バカがマネーゲームをしたかもしれないけれど、放っておけば結局は1円になっただろうと予想されるわけで、わざわざ東証が退場宣告をしなくても自然に退場になってただろう。「死ね」と言ったのではなく、「お前はもう死んでいる」と言ったにすぎない。

というわけで、なぜ日興は良くてライブドアはダメなのか、ついでにカネボウと西武も上場廃止なのか、簡潔に書いておこう。ライブドアは、粉飾しなければ上場を続けられなかったはずの企業だ。上場していたこと自体が何かの間違いだったのだ。


さて、次に「悪質性」という話をしよう。「まちがっていました。ごめんなさい」と言って総退陣するのと、いまだに「何が悪いんだかわからない」と言っているのでは、悪質性が天と地ほど違う。少なくとも、何が悪いんだかわからない時点で野に放すときっとまた同じようなことをやるから、2年ちょっとなどと言わず、相当期間隔離しておくべきだ。エンロンやワールドコムがどちらも20年以上なのに比べると軽すぎる。

東証が問題にするのは、「会社が悪いかどうか」ではない。「会社がつぶれないかどうか」である。「ごめんなさい。もうしません」と関係者みんなに対してきちんと謝罪をして、弁償をして、そしてまたいつものように業務を始められるのなら、別に上場廃止にする必要はない。上場廃止というのは、「投資不適格」つまりは「いつ倒産して紙クズになるかわかりませんよ」という警告であり、それ以上の意味はない。

そう考えると、「なぜ日興は良くてライブドアは悪いのか」という問い自体が間違っていることがわかる。誰も、日興を「良い」と言ってはいない。「つぶれる危険性は大きくない」と言っているだけだ。問いを「なぜ日興はつぶれる危険性が大きくないのにライブドアはその危険性が大きいのか」と言い換えてみろ。そりゃ聞かなくてもわかるだろう。

なんか「悪質性」という言葉からずれてきたのでちょっと戻して、上場廃止がどうこうという問題の対象は人ではなく会社であることを思い出してほしい。「悪い」という評価の対象は、会社ではなく人である。会社が「悪質」であるかどうかは、会社が自分達でそういう悪い人を追い出せるかどうかにある。悪事が露見した時に、それに関わった人が総退陣して膿を出し切って、前経営陣の責任問題をきちんと追求することができれば、それはそれで「会社としては」健全であると言える。

なお、たまに「こんなことじゃ粉飾決算をやった者勝ちじゃないか」なんて言う、会社を人か何かと勘違いしている人がいる。粉飾決算をやるのは上の文章でいう「前経営陣」で、彼らは責任を追求されるのだから、ぜんぜん勝ってないだろ。


さて、ここらあたりからいつもの調子になるのだが、「日興とライブドアはどこが違うのかわからん」と言っている人々には、いくつかの共通点がある。

  • 金額の大きさを絶対値で比較する。(せめて、真の売上との相対値で比較しようよ)
  • なぜ悪いのか、何が悪いのかを考えない。
  • 問題を「許される/許されない」にすり換える。
  • 罪の軽重を比較できない。
  • 「日興は大企業だから潰されなかったのだ」と考えてしまう。

つまり、「ルールに違反したから叩かれた」としか思っていないのだ。目に見える現象を追うことしかできなくて、その裏に隠れる本質を考えることができない。理由を考えないどころか、「理由」という言葉の意味すら実はよくわかっていないかもしれない。

ルールに対してこんな意識でいるから、許されるとか許されないとかいう問題になる。本来、問題は善いか悪いかであり、悪ければきっちり罪を償って再出発する、でいいのだ。いつかも言ったが、日本人はルールを破った時の後始末が下手だ(現実には、実務者はそう下手ではなく、それを傍観している人がわかっていないだけなのだが)。

「ルールの明確化を」なんて言う人もいるが、理由を考えられないバカに対しては、ルールを明確化するのは逆効果だ。逆に、ルールさえ従っていれば何をやってもいいと思ってしまう。そういう奴は、明らかにルールを破っているのに、「自分はルールを破っていない」と思い込んでしまう。ルールを「明確なもの」にしてしまうと、こういうバカの頭を無理やり押さえつける手段を失ってしまうのだ。

上場廃止の話にからめて言うと、虚偽記載などで上場廃止になった他の企業を見てみると、実体としてはとっくに潰れている会社が、様々な会計上のテクニックを使って「うちはまだ潰れていない」と言い張っているケースばかりだ。それに対して「お前の会社は帳簿の見かけ上まともに見えるが実質上は倒産している」と死刑宣告をするのも、東証の役目である。だからこそ、ルールの明確化は良くない。見かけさえ条件さえ満たしていれば、実体はどんなムチャクチャであってもOKせざるを得なくなってしまうからだ。


日興の件だけを見て、「上場廃止が適切では」とか「ルールの明確化を」と言うならまだいい。たしかに、日興はけっこう重大な違反をした。しかし、日興の件とライブドアの件を混同してしまってはいけない。なぜなら、ライブドアの件を同等に考えてしまっている時点で、「ルール」という言葉の意味がわかっていない証拠だから。

それと、民事と刑事は別だから、損をした人は泣き寝入りをせず、ちゃんと訴訟を起こしていくらかでも取り返してほしい。「株を買ったのは自己責任」なんて勘違いしている人がいるけれど、だまされたのは自己責任とは言わないから。ただ、全額弁償するだけの財力は相手にはないから、返ってこなかった分については「バカに踊らされた」と反省するように。