掲示板によく「○○を教えてください」と書かれるのを見かける。その多くは本当に初歩的で、ちょっと調べればすぐわかりそうな質問だ。世の中にはこういう人に対して困っている人がたくさんいるらしい。「教えて君」で検索すると多くのサイトがひっかかる。
この問題に関する私の意見は「どっちもどっち」である。聞く方も悪いが、答える方も悪い。答えるのが面倒なら放置しておけばいいのである。もちろん、逆ギレされようと文句を言われようと放置だ。「それでウチの掲示板を荒らされたらどうするんだ」と思うかもしれないが、それは相手が荒らしだから荒らされたのであって、自分の対応が悪かったから荒らされたのではない。
今回は、聞く方ではなく教える方の問題について考えたい。聞く方に問題があるのはわかりきった事だし、彼らは単にバカなだけだからだ。バカであることを非難してはいけない。私が問題に思うのはむしろバカへの対応である。
私が不思議に思うのは、教えて君を相手にしてまいってしまう人だ。相手にしなければいいのに、と思う。すべてのことにかかわりを持ちたいと思う人、言い替えれば無視することができない人が多すぎる。「不思議に思う」とは書いたが、なんとなく心境はわかる。特に自分のサイトの掲示板にそんなそんなバカが来たら私だってうれしい気分にはならない。問題はバカの言うことを真に受けることだ(と言うと話がずれるのでこれはまた別の機会にする)。
しかし、教えて君の気持ちもわかる。ある事がわからない時に「人に聞く」というのは悪い解決法ではない。小学校の頃から「わからないことは先生に聞きなさい」と教えられてきた。大人になっても、会社の先輩はきっと「わからないことは何でも俺に聞いてくれ」と言うだろう。親や友達に聞いたらどうだろうか。きっと知っていることなら教えてくれるだろうし、知らないことなら「他の人に聞いたら?」と言われるだろう。
教えて君に対して「まず調べろ」と言う人は多い。マニュアルを読んだり検索エンジンで調べるのが基本だと言う。もちろん、それが有用であることを否定するわけではない。しかし残念ながら、それは「普通」ではない。テレビを買ってきたらまずマニュアルを読むのが普通だ、なんて主張する人はいないだろう。3年間普通に使ってきたテレビが突然映らなくなったら?そこでそのテレビのマニュアルの「困った時には」を読む人がそんなにいるとは思えない。その前にマニュアルすら保管していない人が大半だろうし、多くの人はマニュアルがあってもサービスセンターの電話番号を調べるためにしか利用しないだろう。
現実をよくよく考えてみると、「まず調べろ」という規則はどちらかというと少数派である。普通の人(子供)は「まず聞け」と教えられている。教えて君はそんなに常識外れのことをしているわけではないのだ。
教えて君は現実にもいる。子供が「どうして?どうして?」とうるさいのに親が閉口するという構図は昔からある。その時に皆はどうしていたか。
「忙しいから後にしてね」と言うのはあまりよい返答ではない。質問したことを忘れてしまうことはあまりなく、忙しくなくなった時にまた質問するだけだ。だからこれは質問に答える覚悟がないなら使ってはいけない。これは「忙しくなくなった時に教えてあげる」という返答と同等だ。
「先生に聞きなさい」と言う逃げ方もある。他に権威的な誰かがいるならかなり有効だ。ネットで言うなら「ユーザサポートに電話したら?」である。これは逃げ口上なので、これ以外のことは一切言ってはいけない。もちろん、たとえユーザサポートで受け付けていなさそうな質問でもかまわない。これは相手に情報を与えるためのものではなく、自分が逃げるためのものだからだ。困った質問を受ける人のことは知ったこっちゃない。振りかかる火の粉は自分で払え。
「図書館で調べなさい」という答え方もある。しかし子供にとってこれはかなり酷な答え方である。「調べ方がわからない」と言われるのが関の山だ。そして、今度は調べ方を教える羽目になるわけである。しかし、ここで「図書館の人に聞きなさい」と逃げる手はある。
実世界でよく使われるのにネットであまり見かけないのが、「知らない」という答えである。相手も「知らない」と言われてしまったらそれ以上取りつく島がないはずだ。何を言われても「知らないものは教えられない」で返せるはずだ。ただ、ネットの世界では知らない人はそもそも発言しない。だから「知らない」という答えを見かけないのは当然である。
教えて君がトラブルを起こすのは、誰かが最初は真面目に答えているのに途中から答えるのを放棄する場合が多い。子供の「なぜ?なぜ?」に対して最初のうちは答えてやるものの、そのうちうっとうしくなって「あーうるさい!あっち行け!」となるわけだ。そりゃ子供もふくれっ面になるだろう。
子供からすれば、「やった!教えてくれる!」と喜んで話を聞いていると、途中でいきなり「やっぱ教えるのやーめた」になるわけだ。子供にしてみれば裏切られたと思うだろう。教えてくれないのなら最初からそう言えば時間を無駄にせずに済んだのに。
こんな時、子供の側に立ってどうしたらいいのかを考えてみよう。「先生に聞きなさい」と言われたら先生に聞きに行けばよい。「知らない」と言われたらどうしようもなく途方にくれるしかない。しかし、「あっち行け」と言われたら望みはまだある。相手は知っているわけだから、しつこくねだるという方法がまだ残されている。だから「あっち行け」と言われてもしつこくつきまとうのがよい。
問題は「しつこくねだる」というのが合理的な解法だというところにある。ついでに言えば「わからないことを人に聞く」というのも合理的な解法だ。合理的な解法だからなくならないのだ。
あるいは「知らない」と答えても「そんなこと言わないで教えてよ」とか「じゃあ代わりに調べてよ」と言うかもしれない。そんなことを言われれば「なんで私が調べなきゃいけないの。自分で調べなさい」と言いたくもなる。しかし相手は傲慢なのではなく途方に暮れているということを理解すべきだ。「代わりに調べてよ」というのが無茶な要求だということはわかっている。しかし他に手を思いつかないのだ。目の前にぶら下がっているかすかな望みにかけるしかない。
教えて君がなんでもすぐ質問をするのは、質問は簡単にできるからであり、それ以外の解決方法を知らないからだ。聞く以外にどうすればよいかわからないのだから、たとえそれが少々理不尽だったり相手に迷惑がかかると思ってもやるしかない。相手も迷惑だと思ったら見なければいいだけだ。逆に、答えたということはそれは迷惑に思っていないということだ。それなのに途中でいきなり文句を言うのはおかしい。
教えて君をなくすには、「わからない事をすぐ人に聞くな」と言うだけではいけない。すぐ聞くのは合理的な方法でないようにしなければいけない。これには、聞くコストを上げて調べるコストを下げればよい。つまり、聞いても教えてやらないこと、そして何をされても教えてやらないとわからせること、そしてその代わりに調べ方を教えてやることだ。
教えて君に対して「とりあえず検索すればこんなのが出てくるけど」といってリンク先を示す人は多い。これはよくない答え方だ。本人は教えたつもりにはなっていないかもしれないけれど、聞いた方は教えられたつもりになっている。
答えた人はたいていその問題をよく知らず、興味本位でgoogleで調べてみてそれらしきページをピックアップしただけだろう。つまりこれは「○○さんに聞きなさい」にあたる。しかしリンクが示されていれば、聞いた方はそうはとらない。相手はその問題の答えを知っていて解決の手がかりを教えてくれたのだと思う。この思い違いがトラブルの元だ。答えた方にしてみれば他の人に振ったつもりが、聞いた方は教えてもらえると期待してしまう。
リンクを示すのではなく、直接「○○というキーワードでググれ」と言うべきだ。そして、そのキーワードはできるだけ本人がすぐ連想できそうなキーワードがよい。もし「ホームページに画像を貼る方法教えて!」と言われたら「HTML IMGタグでググれ」とは言ってはいけない。「ホームページ 画像 貼り方でググれ」と言わなくてはならない。前者には相手の知らない情報が入っているから、これは答えを直接教えていることにあたる。後者は相手の知らない情報は入っていないから、これは答えを教えているのではなく調べかたを教えていることになる。
相手の身になって、自分が相手程度の知識しかなかったとしたらどこから手をつけるかを教えてあげるべきだ。答えを直接教えるのではなく、答えの見つけ方を教えてあげないといけない。
もしこれで「調べたけどわかりませんでした」と言ってくる強者には、「どこかそれっぽいページは見つかった?」と聞いてみよう。そして、見つかったのならそいつにたらい回ししてしまえ。「そのページの管理人さんに聞いてみたら?」と言えばよい。見つからなかったのなら、キーワードを減らすかちょっと変えることを勧めよ。例えば「ホームページ」で検索させ、それらしきものが見つかったらそこの管理人にたらい回ししてしまえ。
もちろん何度も言うようにたらい回しではあまり問題の解決にはならないが、それは知ったことではない。知識は魔法のように簡単に手に入るものではないということを教えたことになる。そしてもっと重要なのは、知識は魔法のような手段がなくても自分の力だけで手に入るものだと教えてやることだ。
最近ではネットに子供も多くアクセスする。自分の子供時代を思い出してみれば、自分も同じように数々のトラブルを起こしていたような気がする。ただその頃にはネットがなかっただけのことだ。ネットで起こる数々のトラブルも、現実世界に置き換えてみればそんなに珍しいことでもない。
ネットにおけるトラブルでは、大人がガキ相手にムキになっているという構図がよく見られる。「ネットでは誰もが対等」という幻想が原因だ。現実に比べてネットでは自分とは異質な人に出会いやすい。それを自分と同じだと思ってしまうことがそもそもの原因である。