「世界の中心で愛をさけぶ」がベストセラーを通り越してすごいことになっているが、このタイトルを問題視する人は(特にSFファンに)多い。その理由として多くの人は、このタイトルはパクリであることを挙げる。しかし本当にSFファンが怒る理由はそこではない。このタイトルが「孫引き」のパクリだからである。
ほとんどの人にとっては常識だろうが、一応事実を挙げておこう。元ネタはハーラン・エリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの」であり、それをエヴァがパクって最終話のサブタイトルに「世界の中心でアイを叫んだケモノ」とつけ、それをさらに例の小説の編集者がパクったというわけである(*1)。
今回言いたい事は次の2点。
- 非難する人は、「パクりだ」と言って非難するのではなく、「孫引きだ」と言って非難すべきだ。
- 元ネタを知らずに孫引きをしてしまうというのは、元ネタへの愛が足りない証拠である。
パクりであることをを非難する人には、こんな事を考えてほしい。そもそもエヴァだってタイトルをパクったというのに、なぜこれについては誰も何も言わないのか。これは庵野作品をいくつか知っている人ならわかる。自作品の最後のサブタイトルにSF作品のタイトルをパクってくるのはお約束なのだ。ナディアは「星を継ぐ者」だったし、トップは「果てし無き流れの果てに」だった。
SFファンはガイナックスに対しては「次はどんなタイトルをパクってくるかな。わくわく」と期待の目で見るのに対して、「世界の中心で、愛をさけぶ」についてはクソミソにけなす。なぜなら、庵野氏はきっと原典を知っててやっていると思うからだし、例の小説の編集者は原典を知らないんじゃないかと疑っているからだ。
パクること自体が悪いのではない。中身をよく知らないものを引っぱってきて、まったく関係ないものに仕立て上げる事が悪いのだ。
パロディの場合は、作者は元ネタに敬意を払っている。どんなに茶化そうが笑いものにしようが、「元ネタは有名である」ことを作者は認めている。これが敬意である。そして、多少バカにしても許してくれる器の大きい人だと思っているし、笑いの裏にある敬意を読み取る能力のある人だとも思っている。だから偉い人は何を言われても笑ってすませられるのだし、「有名税」と呼ばれるのだ。
しかし、孫引きのパクりは反対に元ネタを軽蔑している。エヴァは「ハーラン・エリスンは有名だ」と言っているのに対して、「世界の中心で、愛をさけぶ」は「ハーラン・エリスン?普通の人は知らんよな」と言っているのだから。後者はハーラン・エリスンを侮辱しただけではなく、「ハーラン・エリスンは有名だ」と言っているエヴァをも否定したことになる。
元ネタがある事に気づかなかったのならある意味仕方がない。しかし、単にエヴァのTVシリーズを見ただけなら気がつかなかったかもしれないが、エヴァを少しでも知ろうといろんなWebページを回ってみればどこにでも書いてある話のはずだ。要するに、元ネタへの愛と情熱と敬意が足りないのである。
ついでと言っては何だが、私が勝手にSF界3大誤用と呼んでいるものを挙げよう。
- 政府の盗聴法案などで挙げられる「1984年」
- コンピュータの反乱として捉えられている「2001年宇宙の旅」
- ロボットに対する法律として紹介される「ロボット工学三原則」
この3つを例えとして出す前に、ちゃんと原典を最後まで読め。この3つにはどれも深い思想が隠れている。それを知りもせず言葉を自分勝手に解釈してこういう事を言う人の中には、原典で言っていることと正反対のことを主張している人も見受けられる。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」の批評でもバカさが露見した人が何人かいた。これの原作(指輪物語)が超有名作品だということを知らない輩が(さすがにプロではほとんどいなかったが、素人のネット批評ではあちこちに)見受けられた。(米国の)アマゾンで行われた「この1000年で一番の本」で1位に選ばれ、「聖書の次に売れた」とも言われるこの本を、「読んだことはない」ならまだしも「そんな本はフツー知らない」などと言うのは無知だと言われても仕方がない。
「映画を見るまで原作を読むことはしない」なんてバカもいた。ハリウッド映画のノベライズか何かと勘違いしてるんじゃないのか?フツーの人はもう何十年も前に読んでしまっているんだって。ま、バカであることは罪ではなく、罪はそういうものだと言わなかった映画配給会社にあるのだが。もしかして配給会社も原作のことを知らなかったのではないか?と思えるほどのお粗末さだった。原作をプッシュして他の出版社を儲けさせるわけにはいかない、という都合だったのだろうか。(おっと、指輪のことになると多少暴走ぎみになってしまう)
ある物を世の中に広めるからには、その対象についてよく知った上で、その対象が良いものであるから広めるという態度がなくてはならない。「よく知った」は基準が難しいので、これは「よく知りたいと思う」に変えよう。つまりこれは対象に対する愛と敬意である。
とはいうものの、古典を読むというのはなかなか難しいことである。時がたつにつれて読むべき良書もだんだん増えていくからだ。かくいう私も、タイトルだけ知っていて中身を読んだことのない有名な本はいくらでもある。
ただ、今回の問題はどちらかというとジャンルのクロスオーバーの話としてとらえるべきだ。昔はSF界で閉じていたから「知る人ぞ知る」で済んだ。しかしそれが基礎知識を持たない一般の人にまで広がった。しかもそれを広めたのが基礎知識を持たない人間だった。だから中身をよく知らないまま、元ネタへの敬意もないままに広まってしまう。広めた人間に敬意がないものだから、当然受けとる一般の方々は敬意を持つはずがない。これが問題なのである。
コアなジャンルのものを一般に広めるのは難しい。狭いジャンルというのはそれだけ特殊であり、特殊な土台の上に成り立っている。だから、そのジャンルに対する深い知識なしに簡単に一般に紹介できるようなものではない。紹介するなら、土台ごと全部紹介しなければいけない。そして、もしそんな大変な努力はとてもできないと思うなら、せめて「元ネタをあたって深く知りたい」と思わせるような紹介でなくてはならない。
「愛と敬意」と呼んだのはここである。知識までは要求しない。ただ、知識を得ようという意思と、それは素晴らしいものであるという認識を持ってほしいのだ。
もともと、パクりは元ネタが素晴らしいからこそ行われる。元ネタに深く感銘を受けたからこそパクるのである。深く感銘を受けたからには元ネタを大事にしなければならない。正確に言えばこれは義務ではなく、感銘を受けていれば自然になされることだ。逆に、大事にする心があれば多少何をやってもファンは許してくれる。
要は、マーケティングの都合だけで人様のものをパクってくるな、ということだ。パクってくるからには元ネタへの愛と敬意を持て。
念のため申し添えておきますが、私は内容は読んでいないのでまったく知りません。ここで述べているのはタイトルだけの話で、中身については今のところノーコメントです。
「本当にこのタイトルはハーラン・エリスンのパクりじゃなくてエヴァのパクりなのか?」という疑問は当然出るところです。はっきりした所はわかりませんが、他のソースを見て内容を検討したりする限り真実ではないかと思われます。