鎖国とは何だったか

鎖国に間違ったイメージを持ってはいないか?

私は江戸時代の読物が好きだ。昔から落語が好きだったことも影響しているかもしれない。しかし、おそらく一番の原因は、学校でずっと江戸時代が暗黒時代のように教えられてきて、それがよく調べてみるとまったくの間違いだったとわかるからである。

ただ、私は高校では歴史は選択しなかった。だから「今まで持っていたイメージ」というのは小中学校で植えつけられたものであり、その頃は日本史/世界史について詳しい話も聞かなければ深く考えるようなこともなかった。だからここで書く話は専門家からすると常識かもしれない。そういうのをもし発見したら、「ああ素人はこんな風に思ってたんだなぁ」と暖かく見守っていただきたい。


江戸時代で印象に残る出来事といえば、何といってもキリスト教弾圧と鎖国だろう。どちらも「閉鎖的」「時代遅れ」というイメージを植えつける出来事だ。

では、鎖国とは何だったか。そもそもの始まりは朱印船貿易だ。これは将軍が朱印状という許可証を発行し、それを持っていない船の渡航を禁じる、というものだ。この字面だけを見ると、門を閉ざす厳しい措置のように見える。

しかし何のことはない。よくよく考えてみれば、単に貿易や渡航が許可制になっただけに過ぎない。朱印状は今で言えばパスポートのようなものだろう。つまりパスポートを持たない者の入出国を禁じた、というわけだ。こう書くと至極当たり前な話で、厳しい措置でも何でもない。もちろんその主目的は幕府が貿易に対して既得権益を持つことであり、その意図は国民の利益にはなっていないかもしれないがこれも時代遅れでも何でもない巧みな措置である。

当時の朱印船貿易は中国や東南アジアが中心だった。なぜ西欧まで行かなかったのか?理由は簡単、行く理由がなかったのだ。当時の世界最先端はイスラム世界と中国だった。西欧というのは文化的に遅れた地方だったのだ。なぜ西欧がわざわざ喜望峰を回ってまでインドや中国を目指したのか。それはそこが当時一番栄えていたからである。そして、それを考えるとそれまでの日本の貿易相手が中国や朝鮮だったのも納得がいく。わざわざ田舎に出向く必要がなかったからだ。例えて言えば、東京に住む人がほとんど東京近郊から出ないのに対して、田舎の人間は頻繁にあちこちへ移動する、ということだ。

この例えで考えると、いきなり東南アジア貿易が始まったのもわかる。中国を東京、日本を神奈川、東南アジアを千葉に例えてみてほしい。そもそも千葉の人が東京ではなくわざわざ神奈川へ行く用事はほとんどない。しかし仮にあったとしても、いったん東京に出てそこから神奈川へ行くのが普通だろう。そしてそれを誰も疑問に思わなかった。それが、一極集中を是正しようとアクアラインを造った。そのおかげで千葉から直接神奈川にやってくる人達が出てきた。これが朱印船貿易なのである。


そしてそれも徳川幕府が成立してまもなく禁止された。しかし、鎖国とはいってもオランダと中国、朝鮮とはずっと貿易を続けたのである。「オランダと中国、朝鮮だけ」と言うとなんだか狭い世界のように見えるが、1600年頃の世界地図がどうだったかを考えてほしい。当時、オランダは東インド会社を設立し、17世紀中期にはインドネシアを中心とする東南アジア全域を手中に収めていた。

つまり何のことはない。オランダ、中国、朝鮮といえば当時の東アジアと東南アジア全域だったのである。わざわざ遠出をする必要のない日本にとってはそれで十分だった。「鎖国」そして「オランダ、中国、朝鮮とだけ貿易した」というと何となく門を閉ざしたような響きがあるが、逆に考えてみたらどうだろう?「イギリス・スペイン・ポルトガルと断交した」というのが実際のところである。さらに実際にはスペインとは断交ではなく、相手が勝手に来なくなっただけのことだった。そして、当時日本の周囲にはそれ以外に通商相手になるような国はなかったのだ。

やり玉に挙げられた3国は何をやらかしたのか。平和だったアジアに軍艦を持ち込んでドンパチやった、というのが一つめの罪である。そしてもう一つがキリスト教を広めようとしたことである。


教科書では、キリスト教の弾圧というのは悪い出来事のように書かれる。踏み絵の事が書かれ、まるで幕府が民衆にひどい事をしたかのように書かれている。しかし、それは今の人にはキリスト教にポジティブなイメージがあるからだ。当時のキリスト教が何であったかを知れば、その評価も変わるのではないか。

まず、その当時のキリスト教が何だったかを見てみよう。宗教改革が起こったのが16世紀から17世紀にかけてだった。そしてアジアや日本に伝えられたのは改革される前のカトリックだったのだ。世界史の教科書では「宗教改革」当時のカトリックが悪者のように書かれているが、日本に伝えられたのはその悪い部分だったのだ。

例えば、ガリレイが宗教裁判にかけられたのはちょうどこの頃である。キリスト教の下では自由にものを言うことすら許されなかったのだ。キリスト教においては教会の言う事が絶対であり、それに逆らうと不条理な宗教裁判にあって結局は処刑される。教会は「免罪符」を庶民に売りつけて莫大な利益を得ていた。どこかの宗教団体が壷や印鑑や教祖の小便を法外な金で売るように。

当時のキリスト教を今のキリスト教と同じように考えてはいけない。当時のキリスト教は今でいうオウム真理教並みにラディカルでカルトな宗教だったのだ。踏み絵というのもよく考えればカルト的な話だ。「キリストの絵を踏めなかったら死罪」というのは弾圧に見えるが、裏を返せば「キリストの絵を踏みさえすれば無罪」なのである。仏教徒ならば嘘も方便で変なこだわりのために自ら死罪を選びはしないのではないか。「お前らはなぜこんな事すら頑なに拒否するんだ?まったく考えている事がわからない」というのが当時の(普通の)人々だったのではないだろうか。それに、教えの内容も実は浄土真宗とたいして変わりがないから、別にわざわざ学ばねばならないほどのものでもない(浄土真宗もまた弾圧されたが)。

そもそも、当時のキリスト教は「キリスト教にあらねば人にあらず」だった。彼らには異教との共存という概念はなく、異教徒はすべて殺すか奴隷にして構わないのだ。彼らの思考回路は十字軍の話を見ればよくわかる。彼らがなぜアジアにキリスト教を広めようとしたのか?その土地の人々を改宗させて支配にしようとしたのだ。世界史の教科書にはちゃんと「植民地化のためにしたこと」として出てくる。


つまり、時の徳川幕府は実に賢明な対応をしたのだ。キリシタン禁令と鎖国がなかったら、遅かれ早かれ日本だってどこかの植民地になっていただろう。結局、オランダは日本を植民地にするのはあきらめて、キリスト教の布教をしないという条件で貿易だけはできることになった。そして平和な時代が始まったのだ。

結論。教科書はもっと幕府をほめるべきだ。