たまたまテレビでみのもんた司会の「サムズアップ」という番組を見た。あまりにも???な出来だった。世の中の人はあんな番組を真面目に見ているのだろうか?
一応記しておくと、「サムズアップ」という番組でメインとなっているのは「予告ジャンケン」である。これは次のように行われる。
- 二人の対戦者が、まず「予告」としてジャンケンの手を出す
- その後、本戦が行われる。「予告」の手と同じものを出してもいいし、出さなくてもいい。
- 勝負は二本先取
このジャンケン勝負で勝ち残った人がみのもんたとまた別のルールで勝負をするわけだが、内容は似たりよったりである。
不思議に思ったのは、出場者がみな真剣だったことだ。勝負の後でのコメントを聞く限り、一生懸命何かを考えている。相手の出方を読むことだったり、相手の裏をかくことだったり。「相手の手を出す」とか「常に予告の手に勝つように出す」とか、いろんな作戦もあるみたいだ。
この人達は、自分たちのやっている行為の間抜けさに気がつかないのだろうか?
必ず勝つという意味ではジャンケンに必勝法はない。しかし、必ず相手より不利にならないという意味ではジャンケンには必勝法がある。それは、何も考えずにランダムに出すことだ。いくら相手が複雑な作戦を持ってこようと、自分が何も考えない事によって勝率は必ず五分五分になる。つまり、相手と対等になるわけだ。
もちろん、相手の手を見て何か法則を見破ることができれば勝率は半分より上がるのだから、ランダムに出すことは勝率を上げる機会を逃がしていることでもある。しかし、あなたにはそんな事ができる自信があるだろうか?下手に何かを考えてそれを相手に読まれてしまったら勝率は下がってしまうのだ。そう思えば、何も考えなくて五分五分の勝負というのは割のいい話だ。
そして逆に、相手が何も考えていないとわかってしまうと、こちらが何を考えても無駄だとわかってしまう。そして、ジャンケンはお互いが何も考えないで運だけの勝負になってしまう。だから皆ジャンケンをゲームとしては遊ばないのだ。小学校低学年の子供しか三目並べを遊ばないように。結果がわかりきっているからである。
おそらく、「ただのジャンケンでは運だけの勝負になってしまってつまらない」というのは番組を作った人達もわかっているのだろう。だから「予告」という要素を入れたのだと思う。相手は○○を出すと予告しているから……と考える要素になると思ったのだろう。
しかし、ルールによると、「予告」の手と同じものを出してもいいし違う手を出してもいい。すなわち予告には何の意味もないのだ。だから、予告の手を参考にしてあれこれ考えても無駄だ。もしかしたら次に出す手は予告の手とは無関係かもしれないからだ。いや、ジャンケンの必勝法であるランダム戦略をとるならば、次に出す手は予告の手とは無関係なのだ。
このシステムは、ロト6の過去の当選番号から次の当選番号を割り出すという「当選番号予想機」のようなものだ。番組中で出てくるジャンケン勝負に対するすべてのコメントは、この機械のように何の根拠もない無駄なものだ。それをわかっていてやっているのかどうかは知らないが。
なんでこんな事を思ったかというと、最近、普通の人から「ゲーム」の常識が抜けていってしまっているような気がしているからだ。昔は男の子だったらほとんどの人は将棋やオセロといった思考型ゲームをやったことがあった。しかし今ではどうだろう?ゲームといえばテレビゲームを指すようになってしまっている。
そして、こうしたゲームのレビューでは「じゃんけんの要素を取り入れる」というのがゲーム性を高めるものとして評価される。おいおい、お前はまだじゃんけんを面白いと思っているのか?そんな子供だましは卒業して、もっと知的で面白いゲームをやりなさい。