日本の伝統

自然と仲間を大切にする和の国

「自分たちの伝統を守る」という態度は、一般に保守と呼ばれる。しかし、日本の「保守」と呼ばれている人たちの主張には、本当に日本の伝統か?と疑うような内容が多いような気がするのだ。

本来、それぞれの国で伝統が違うはずだが、世界中で「保守」と呼ばれるものがひとくくりにされてしまっているように見える。それはなぜか、そしてそれに対する違和感をよくよく考えてみると、日本の特異性が見えてくる。

狩猟民族と農耕民族

「日本人は農耕民族だから戦いは好まない」みたいなことを言う人がたまにいるが、これは二重の意味で間違っている。まず、農耕民族は好戦的である。そして、日本人は農耕民族ではない。

狩猟民族にとって、戦いに負けることは死を意味するが、勝ったからといって特にいいことはない。どうせ相手も放浪の身で、たいしたものは持ってない。それに対して、農耕民族にとって戦いは勢力を拡大する手段だ。相手の土地を奪うために、自分から戦争を起こす。だから、農耕民族の方が好戦的なのである。

ただ、身を守る手段を持っていない狩猟民族にとって、攻撃は最大の防御である。知らない人間を見つけたら、「敵かどうかまだわからない」なんて言っているとこっちがやられるから、先制攻撃をする。いきなり攻撃してくるのを見て好戦的だと勘違いする人がいるのも無理はないが、突然降って沸いた災厄に対して自分の身を守るための行動であり、敵意のなさを確実に伝えることが不可能であるがゆえの悲劇なのだ。

定住生活

日本人は農耕民族ではないが、定住民族である。世界的に見ると、これは非常に特殊なことだ。

世界史の常識では、狩猟採集民族は一か所に定住することはない。周囲の食べ物を食べ尽くしてしまって、別の場所に移住せざるを得なくなるからだ。農耕が始まってようやく定住できるようになる。しかし、日本は幸いなことに食べ尽くせないほど自然が豊かだったため、狩猟採集生活を行いながら定住することができた。

定住には色々なメリットがある。いちいち家を作り直さなくてもいいし、物を簡単に貯蔵できるというメリットは容易に想像できる。しかし、それだけではなく、他の集団との関係性が良くなるというメリットもある。

いくつもの集団が移動しながら生活していると、2つの集団が偶然出会ってしまうこともある。相手がどんな奴だか分からないので、殺される前に殺すしかない。しかし、皆が住んでいる場所から動かなければ、突発的に出会うこともない。長年住んでいれば「あの辺には別の人たちが住んでいる」とわかるから、そこに行かないように注意すればいい。

そのうち、集団間の交流もできるようになる。相手がどんな奴だか分からないから「殺される前に殺す」しかなかったわけで、相手の本隊が別のところにあって、小人数が様子見にやってきただけだとわかっているなら、殺される危険もないから殺す必要もない。そうやってお互いが顔を見知ってくると、ある種の取り決めも出来て、定期的に交流のルートができるようになる。これもまた、相手がいつの間にかどこかに移住してしまうようでは成り立たないので、定住生活だからできることだ。

定住によって、集団同士のネットワークができ、物々交換が始まって、市が立つようになる。そうして、平和に交流ができるようになる。

農業と文明

一方、農業という技術もまた、人間関係に大きな変化をもたらすことになる。世界の多くの地域の人々は、農業によってやっと明日の食べ物を心配する生活から解放された。

農業によって多くの人を養えるようになるのと同時に、出来た収穫物をいったん貯蔵して計画的に消費しなくてはならなくなってくる。そして、食べることとは直接結びつかない日々の仕事も増える。お腹がすいたらとってきて食べる、というだけの生活ではなくなり、規律が必要になってくる。偉い人に皆が従うことによって、人間関係が階層化され、やがて王様が君臨するようになる。

農業が始まると、学問も必要になってくる。種まきをいつすればいいかを知るための天文学、収穫量を数えたり農地の大きさを見積もったりするための数学、記録を保持するための文字などである。幸いなことに、農業で生産量が飛躍的に増えると、こうしたことを専門的に行う人を維持することができるようになる。そうして、文明が生まれる。

多くの場合、文明は戦争や耕作、土木工事などに物理的な力を必要とする。だから、(物理的な)力の強い男性が優位な社会がつくられる。日本は農耕民族ではないから、もともと男性優位な社会ではなかった。

日本人は、反権力指向が強い。強いリーダーシップを持った人物に皆が従うという構図を嫌い、複数人での合議制が好きだ。天災以外で生きるか死ぬかの危機に陥ることが少ない日本では、即断即決なんて必要なかったからだ。毎日毎日、同じ日常が繰り返されればそれでいい。未来を、一直線に進む進歩のイメージではなく、ぐるぐる回る円環のイメージで持っている。

血縁と地縁

男性優位な社会では、特に権力者に一夫多妻制が多くなる。生物学的に言って、男性は機会さえあれば女性よりたくさんの子供をつくれるから、その方が合理的である。男性が余るというデメリットがあるが、余った男性は戦いで死んでいくから問題ない。その逆の一妻多夫は、多くの子供を産む妻側に限界があるから、あまり意味がない。

現代人から見ると「多妻」の方が注目されがちだが、実際に重要でかつ難しいのは「一夫」の方、つまり妻が一人の夫としか関係しないということだ。女性は産んだ子が確実に自分の子だとわかるが、男性は残念ながら妻が産んだ子が本当に自分の子かどうかはわからない。確実に自分の子だという保証を得るには、妻をどこかに隔離して、他の男性との接触を断つしかない。このために、男性が入ることのできないハーレムがつくられる。ハーレムをつくるほどの力がない男性たちは、女性が外に出ないように、他の男性と接触させないように社会的に仕向ける。

それに対して、(昔の)日本ではあまり男性が自分の子であることに固執しなかった。女性の家に男性が通う形式だったから、自分のいない間に女性が誰とヤっててもわからない。それでも、女性が「あなたの子です」と言って来たら、はいそうですかと喜んで受け入れた。一般庶民だったら、子供はみんな「村の子供」であって、誰の子供かということはあまり気にしなかった。子育ては村全体で行い、たまたま遊んでいた近所の家でご飯を食べさせてもらっていた。現代だったら「托卵だ!」と騒がれるかもしれないが、今と違って自分だけに負担が集中するわけじゃないから、まあいいか、と思うのである。

日本人は、血縁ではなく地縁で結ばれている。自分の先祖のことを考えてみるといい。よほどの名家の出でもなければ、たいていの人はおじいちゃんおばあちゃんの代より昔の事はよく知らないんじゃないかと思う。中国や韓国の人みたいに、20代も30代も続く家系図を持っている人は少数だろう。世界の多くの人は名前に自分の家系を示す姓やファミリーネームをつけているが、日本人は住んでいた村の名前あるいは村の中のどのあたりに住んでいたかを示すものを「苗字」として使っていることが多い。

日本には「実家」という概念がある。実家は「どこ?」と尋ねられることからわかるように、実家はあくまで場所であって、人(両親)のことではない。そして、実家の場所も様々で、親の住んでいるところのこともあれば、親の実家がイメージされることもある。ともかく、日本人は皆、どこかに自分の本当の家だと思える場所がある、ということだ。ルーツを人ではなく場所でイメ―ジする。

だから、日本人は「民族」と言われてもピンとこない。日本を「単一民族国家」と言うと怒られるけど、かといって多民族国家でもない。そもそも、民族という意識がないのだ。日本人を「昔からずっと日本に住んでいる人」という定義だと思っていて、日系ブラジル人を外国人だと思ってしまう。

ムラ意識

昔から、日本人の共同体の単位は村だった。朝廷とか幕府というのは次元の違うどこかでやっている話で、一般庶民にとってはどうでもよかった。そういう次元の違う政治体制は、村の上を素通りするだけ。村人にとっては、年貢を納める先が変わるだけのことで、その相手にいい悪いはあっても、そこに帰属関係はなかった。ヨーロッパでは領主は土地と領民を所有するが、日本では領主というのは「その土地にある村から年貢をとる権利」を持っているだけである。

日本人は、村に対して帰属意識と共通の利害関係を持つ。他の村人が喜んでくれると自分もうれしいし、困っていたら助けてあげる。そして、相手にも同じ関係を期待する。話し合いの結論は全員一致でなくてはならない(全員同じ利害関係を持つのだからそうなるはずだ)。村人は、自分の利益だけではなく、常に村人全員の利益を自分のことのように考えなくてはならない。

ただしこれは、村外の人の扱いと表裏一体である。「よそ者」は、それだけで信用できない人として扱う。「困っていたら助けてあげる」のは、自分が困っていたときに助けてくれそうな同じ村の人にだけ適用され、よそ者には適用されない。よそ者が村に入ってくるときには、まずよそ者の側から積極的に無償で「助けてあげる」を実行し、自分の利害関係を捨てて村の利害関係に合わせるようにして、村の中に入ることを認めてもらわなくてはならない。

ムラ社会は、閉鎖性だけではない。いったん「よそ者」を村の中に入れてしまったら、今度はそれを村全体で吸収し同化させる方向にはたらく。新しい考え方を「違う考え方」と放置することはできず、何とか折り合いをつけて自分たちの中に受け入れることになる。外部からやってきてしまったものを積極的に受容する。これもまた、ムラ社会の特徴である。

同質な「ウチ」と異質な「ソト」を明確に線引きする。場所をきっかけとして、そこに集まっている人たちをすべて同質性で包む。それが、日本のムラ意識だ。これは、村が会社などに変わって現代でも引き継がれている。

森の国

世界から見た「古さと新しさが奇妙に同居する国」という日本のイメージは、単に昔のものが残っているというだけではない。文明以前という点で、中華やローマとは別種の古さがある。ネイティブアメリカンやケルト、マオリなどの文化が「先住民」と呼ばれる中、世界の中で日本だけ、先進国の顔をしてそのまま残っている。「文明以前」とはどういうことか。文明は、規模の拡大を目指す。大きくなると、人をまとめるために権威や宗教といった理念が必要になる。どこか作り物っぽい壮大さがある。日本にはそれがなくて、自分の村の中だけ平和にやっていればそれでいいという現状維持指向と素朴さがある。

これは、日本が世界有数の森の国だからだ。森の国というと北欧を思い浮かべるが、日本の森林の割合はスウェーデンより上である。起伏が多いために耕地を増やすことは簡単ではなく、逆に土地をよく知っている先住民にとっては隠れる場所が多い。森は豊かで、先住民同士は既にネットワークで結ばれていて、他の地域のように文明人の圧倒的な優位性がなかった。そのため、文明以前の文化を保ったまま、文明のいいとこ取りをすることに成功した。

日本は至る所が河川や山で分断されている。しかも周りが全部海だ。国(日本という意味ではなく、尾張とか美濃といった)の境、ウチとソトがはっきりしていて、その境を超えることは簡単ではない。そのため、ウチの同質性と、ソトの異質性が際立つ。日本人の感覚では、国の境界は地形によって決まるものであり、地図上で直線になっている国境や州境が不自然で人為的なものに思える。しかしそれは、平原がどこまでも広がっている地域では成り立たない感覚だ。日本人はたまたま、日本が一つのかたまりであるということを自明として、そこに住んでいるというだけでまとまれている。そして、理念でもって自らの領域を広げようとする諸文明に飲み込まれることなく、現代まで生きてこれた。

和の精神

日本人にとっては、「場所」こそが特別であり、神聖である。場所はつまり自然である。そして、そこに集う人々は入れ替わる。しかし、いや、だからこそ、「ここにいる」という以外に関係性のない人々同士で仲良くやることが大切なのだ。そのためには、その場にいる全員が他の全員のことを考え、理解し、意識を合わせて団結しなくてはならない。血筋も家柄も能力も関係なく、そこにいる皆で助け合う。それが「和」である。

「和」は、事を荒立てないで声の大きい人に従うという意味ではない。「場所」を正として、全員が「場所」に従うということだ。「場所」の前ですべての人は平等である。話し合いは合議であり、全員一致したところが結論となる。「和」の中にいれば、安心できる。皆が自分のことを大切にしてくれるし、もちろん自分も皆のことを大切にする。誰かを騙して自分だけ得をしようと思っている悪い奴はここにはいないから、玄関に鍵をかけなくても問題はない。できるだけ人に尽くす、ただそれだけのことで、何の心配もなくそこに居られる。

結局、田舎によくいる、野菜を勝手に持ってきていつの間にか他人の家の縁側でくつろいでる爺さんみたいなのが、日本の伝統なのである。


と考えてみると、なんだか世の中の「保守派」のイメージとはかなり話がずれている感がある。次は、その原因を探っていくことにする。