nerdとgeek

日本ではどちらもオタクと訳されるが、実際は違う2つの概念

nerdという英単語とgeekという英単語は、日本語ではどちらもオタクと訳されてしまうが、細かいニュアンスを見ていくと、両者はかなり意味が違う。

なお、ここでの話は単に言葉の意味について話をしているだけで、実際にそういう人がいるかどうかは問題にしていないし、現実の人がどちらかの特徴にすっぱり分けられるなんてことも主張していないということを念のため書いておく。

興味の範囲

違いを端的に言うなら、広さを求めるのがnerdで、深さを求めるのがgeekだ。図で描くとこんな感じだ。

nerdとgeekの違い

geekは、普通の人より興味が狭く、その分深い。そして多くの場合、中心軸は普通の興味対象からずれている。

それに対してnerdは、興味が広く浅い。しかし、浅いといっても、普通の人は興味を持たない分野について見れば、それよりは深いと言える。また、人間の当然の限界として、すべての分野を知ることは不可能だ。だから、これは実際の知識や行動ではなく、あくまで興味を持つ対象が広く浅いということだ。結果として、日常生活においてどうでもいいことはよく知っているのに、重要な知識はそれほどないということになる。

オタクはどちらも興味の範囲が狭いと思われがちだが、geekは実際に興味の範囲が狭いのに対して、nerdは興味の対象が広い。nerdの場合は、逆にあまりに広すぎてどれも一般人の興味の範囲から外れているだけなのだ。

nerdは、一般人の話題にはそれほど食いつかないが、オタク的な話となると(程度の差はあれ)どの分野であっても食いついてくる。ミリタリーであっても、ゲーム・アニメであっても、音楽であっても、スポーツであっても、映画であっても。それに対してgeekは、自分の守備範囲が決まっていて、たとえばアニメgeekであればスポーツなんかまったく興味ない。一つの分野の中でもこの傾向は同じで、たとえばアニメであれば、geekは深夜アニメしか対象にしないが、nerdはサザエさんやアンパンマンまで同列に扱う。

ただ、nerdの場合は、かじってる分野がどれも主流から外れたマイナー指向なので、普通に見るととても幅広いようには見えない。たとえば、野球やサッカーの話にはあまり興味がないが、アメフトやアイスホッケーの話を知っていたりする。一般人は野球やサッカーの話はしてもアメフトの話はしないから、「野球やサッカーみたいなスポーツにはそれほど興味はないんだね」という認識しかされない、ということだ。

服装の違い

街での服装を見ると、geekはヨレヨレのTシャツにはき古したジャージなのに対して、nerdはチェックのシャツで裾をズボンにインしている。どちらも同じようにひどいファッションに見えるが、そこに至るまでの思考回路には違いがある。

geekは、服装を気にしない。家にいるときの服装のままで街に出る。だからひどい服装なのだ。ただ、しまむらもGUもある現在では、そのへんの店で安いものを買えばそこそこ普通の格好になるから、それほど世の中とはかけ離れた服装にはならない。しかし、たまたま自分の興味が服装方面に向いている場合は、その軸に沿った奇抜なファッション(異性装やゴスロリなど)もためらわずにする。そしてそれを一種の誇りに思いもする。

それに対してnerdは、服装を一応気にしている。失礼のないような服装にしようと思う。nerdは、ラフな格好があまり好きではなく、どんな場所でもそこそこフォーマルなものを好む。だから、襟付きのチェックのシャツやポロシャツを着て、裾をズボンの中に入れる。それがダメな原因なんだが、適度にくずすみたいな難しいことができるほどレベルが高くないから仕方ない、と思っている。

新しいもの好きのgeekと古いもの好きのnerd

geekは新しい物を好み、nerdは古い物を好む。両者を見分けるには、この点が最もわかりやすいだろう。

たとえば、電子書籍について聞いてみるといい。「紙の本なんてもう時代遅れだから持ってないよ。電子書籍で充分」という人はgeekで、逆に「紙の手触りや匂いをどうしても捨てられない」という人はnerdだ。相手がマンガ好きなら、本棚を見ればわかる。最新刊がずらりと並んでいるのがgeekで、手塚治虫や藤子不二雄が大事に並べてあるのがnerdだ。あるいは、好きな本を聞いてみるといい。geekは最新刊を挙げるが、nerdは自分が生まれる前に既にあったような本を挙げる。

ある分野で情報を求めるとき、geekは最新情報を得ようとするのに対して、nerdは昔からあるその分野での基礎的な教科書を読もうと考える。「深く狭く」と「広く浅く」の違いである。

情報を知りたいgeekと構造を知りたいnerd

geekとnerdはどちらも知識欲が旺盛だが、geekは応用や実践を重視するのに対して、nerdは基礎や構造を重視する。そのため、得ようとする情報のタイプが違ってくる。

たとえば、対象がコンピュータだと、geekはコンピュータを使って何かをしたい、作りたいと思っている。だから、ソフトウェアを作ったり、PCを使ってゲームやアプリなどを作ったりする。それに対してnerdの場合は、コンピュータを理解することが目的である。だから、プログラム言語の作り方とか、OSの構成とか、あるいはCPUがどんな風に動いているのかを知りたいと思う。

あるいは、ゲームをやり込む場合、nerdはゲームをよく知りたいと思う。だから、すぐにゲームの解析を始め、ダメ―ジの計算式なんかを調べ出す。で、それがわかったところで飽きてしまってゲームは途中で放り投げたりする。geekがこういうことをやる場合は方向性がちょっと違って、武器の全リストとかダメージリストを作り始める。彼らは「本質を知る」ことより「表を作る」ことの方が好きだからだ。

子供の頃、自動車の図鑑を見て、たくさん並んだ車の写真の車種やメーカーを覚えた子はgeek寄り、エンジンの吸気・排気サイクルやデフギヤ・トランスミッションの仕組みなんかを見ていた子はnerd寄りである。

価値観

そもそも、geekとnerdでは、「価値観」という言葉の意味するところが違っている。

geekの場合、「価値観」とは、その人がどこに価値を置くかを決めるものである。自分はこれが好きだ、というのが自分の「価値観」である。そして、人はそれぞれ自分の価値観を持っていると考える。

それに対してnerdの場合は、「価値観」というのは客観的に定まっているものである。誰がどう見ようと、価値があるものは価値があるのだし、価値がないものは価値がない。客観的に価値があるものを「価値がない」とみなすのは、単にその人に見る目がないというだけのことだ。そして、自分も「見る目のある人」になりたいと考える。

もちろん、特定の人にとっては価値のあるものが、他の人にとっては全然価値がないことはある。朝から何も食べてない人にとっての牛丼と、さっきお昼ご飯を食べたばかりの人にとっての牛丼は、感じる価値が全然違う。しかし、nerdはこれを「価値観の違い」ではなく「状況の違い」であると考える。「私はお腹がいっぱいだから牛丼には価値がない」と考えるのではなく、「お腹が減っている人にとって牛丼は価値がある」と考える。

個人の好みについても同じだ。「私は怖いのが嫌いだからホラー映画は私にとって価値がない」と考えるのがgeekで、「私は怖いのは苦手だけど、怖いのが平気な人にとってはホラー映画は価値があるのかな」と考えるのがnerdだ。そして、怖いのが苦手なせいで面白さを味わえなくて残念だなぁ、初心者向きのものから少しずつ見てみようかな、と思う。

価値観の相違

geekは、自分で興味の範囲を定める。そして、そこから外れたものは切り捨てられ、存在しないものとして扱われる。それに対してnerdは、様々なものを自分の興味の範囲に取り込もうと考える。

しかしこれは、「nerdは何でもかんでも価値があると考える」という意味ではない。前に述べたように、nerdの考える価値は客観的である。つまり、「客観的に見て価値がない」ものもあると考える。「誰が食べてもまずい食べ物」や「誰が見ても面白くない駄作映画」があると考える。

geekはその点もう少し穏便に、「こんなまずい食べ物でも誰か好きな人はいるんじゃないかな」と思う。しかしnerdは、「こんなまずい食べ物が好きな人は味オンチのバカ」と考えてしまう(もう少し穏やかに言うと「こんなまずい食べ物をありがたがってるとは。本当に美味しいとはどういうことか、教えてあげますよ」という感じか)。

geekにとって、価値観の相違とは、興味のある分野が違っているというだけのものだ。だから、他の分野のgeekを「価値観が違うね」と言うだけで放っておく。また逆に、自分も「価値観が違うね」と言われるだけで放っておかれれば、それで問題ない。

しかしnerdにとって、価値観とは「客観的な価値観が存在する」という考え方そのものだ。本当の価値を知らないのは「無知」であり、価値観の客観性を否定するということは、その自分の無知から目をそらしているということだ。そういう考えだから、「nerdの価値観」は1つしかなく、それ以外の価値観を持った人はすべて「価値観が違う」だけでなく「物事の本当の価値を知らない哀れな人たち」という扱いになってしまう。

理性と情熱

geekは、自分の興味があるものに対しては情熱的に振る舞い、興味のないものには合理的に振る舞う。言い換えると、好きなことに対しては「好きだから」という理由だけで動くくせに、好きでないことに対しては「それは理屈に合わないからやらない」みたいなことを言う。それに対してnerdは、理性を大事にし、いつでも理性的に振る舞おうとする。そして、理性的であることに対して情熱を傾ける。

geekとnerdの大きな違いは、geekは嫌いなことに対して理屈をこねようとするのに対して、nerdは好きなことに対して理屈をこねようとすることだ。ここが原因ですれ違いが起きることがよくある。nerdが面白がって理屈をこねていると、geekは不快に感じたり、「あの人はあれが好きじゃないのか」と勘違いしたりする。geekにとって理屈は「嫌なこと」であるのに対して、nerdにとっては理屈は「面白いもの」であるからだ。

なお、nerdの言う「理性的」と、geekの言う「合理的」はちょっと違う。geekの「合理的」には、知らないことに対する意識が存在しない。彼らの「合理的な結論」には、「もしかしたら自分の知らない何かがあってそのせいでこの結論は間違っているかもしれない」という前提が存在しない。しかし、geekにとってはそんなことはどうでもいい。結局、好きなことをやって、好きではないことはやらないというのが彼らだからだ。彼らの出す「合理的な結論」が間違っていたとしても、別の理屈をこねくり回して結局やらないだけだ。

nerdは逆に、「自分が知らない何か」を探し求め、それを知ろうとする。その対象は、理性に属する学問的な対象だけではなく、芸術などのような感性が重要な対象であることもある。彼らは、理性的ではない対象こそ面白がって、何とか理解しようと努める。

geekは「好き」で動き、nerdは「面白い」で動く。

さいごに

さいごに、と言っても結論も何もないのだが、意味の違いを意識して使い分けてみると、「geek的なもの」「nerd的なもの」の特徴がわかって面白いんじゃないかな、と思う。

というあたりで、今日はおしまい。