ここではあまり時事ネタはやらないのだけど、あまりにも面白かったので、行政刷新会議の「事業仕分け」を聞いて思ったことを書く。特に、次世代スーパーコンピュータ(いわゆる京速計算機)の事業仕分けについて書く。
資料として、行政刷新会議ワーキンググループ・資料集と、ニコ動へのリンクで申し訳ないが、事業仕分け【(独)理化学研究所(1)・文科省】(09/11/13・3-17)を挙げておく。
まず一つ、こんな風に事業仕分けの内容をネットで聴けること自体が、事業仕分けの成果の一つだと思う。
次世代スーパーコンピュータ、いわゆる京速計算機の事業仕分けは、いろいろと論議を巻き起こしているようだ。しかし、「次世代スパコンの予算削減」という1文だけ聞いて「これでは日本の科学技術は衰退する」なんて言っている人は、ちゃんと事業仕分けの論議を全部聴いてみろ。問題は、スパコンの有用性ではない。
スパコンにお金を出すことの是非を問題にしているのではなく、今のプロジェクトにそのままお金を出すことを問題にしているのだ。このプロジェクトは、計画からもめにもめて、設計が終わっていよいよ作りはじめようという今年になってNECと日立が撤退したという、いわくつきのドロ沼案件だ。それにもかかわらず、当初の計画通りやると言う。こいつらにそのまま任せていいのか?というのは、当然出てくる疑問である。
この、巨大プロジェクトが時代の流れについていけなくなっても当初の計画を変えないという状況がダム行政などと重なるからこそ、大きな問題となっている。もしかしたら、いったん「失敗でした」と打ち切って、新たに仕切りなおした方がいいのではないか。たくさんの予算を使い込んでしまった巨大プロジェクトは、なかなか自分から「失敗でした」と放り投げることができない。そんなプロジェクトに外部からとどめを刺す機構として、事業仕分けというのはいい仕組みかもしれない。
事業仕分けの議論を実際に聴いてみると(といっても録音を聞いただけだが)、まったくプレゼンがなっていない。それに比べて、質問者はかなり鋭い質問、本質を突いた質問をしてくる。答える側は、できるだけ本質をはぐらかして、結論が出ないほうに持っていこうとする。
いわゆる官僚答弁で、長いわりに中身がない。そして、当たり前で当たり障りのないことを繰り返す。どうしてこうなるかというと、官僚答弁では、結論が出ないことがゴーサインだったからだ。つまり、結論が出ないと「じゃ、議論も尽くしましたから、予定通り進めましょう」となる。それが事業仕分けでは、結論が出ないとストップということになる。これを官僚側は「はじめにストップという結論ありきで話が進んでいる」と批判する。その通りだ。そして、それがこの場のルールだということをわかっていなかった官僚が悪い。
官僚側は、最初にあるストップという結論を、1時間でなんとかひっくり返さないといけない立場なのである。だから、どうでもいい話はできるだけ省いて、要点だけを手短に話さなくてはならない。しかし、官僚側は1分1秒でも惜しいはずなのに、聞く気をなくすようなだらだら答弁を続けて、質問側に反対に「前置きが長い」と言われている。「1時間では短すぎる」という批判もあるが、おそらくこいつらに何時間やっても時間の無駄だ。少なくとも、「1時間では時間が足りない」と思わせることにも失敗している。
そもそも、「はじめにストップという結論ありきで話が進んでいる」ということが「批判」に値すると思っていること自体が、ぬるま湯につかっていた証拠である。企業のプレゼンなら、スタートが「お前んとこの商品なんかいらないよ」であることは、当たり前のことだ。最初にある「いらない」という結論を「欲しい」に変えるために、必死になってプレゼンするのだ。
つまり、本来、官僚側が「攻め」であり、政府側が「守り」のはずなのだ。それを、政府側が攻撃側で、官僚側が守る側だと勘違いしている。相手の質問をすべて的確に答え切れば、要求通りの予算がつくのだと思っている。「攻め」の場合は、相手の質問に答えるという姿勢ではダメで、回答を通じて相手が思いもよらなかった新しい何かを与える必要がある。
質問というのは、それに答えてもらうのが目的なのではない。質問は「私はこういうところを疑問に思っている」という表明に過ぎない。回答者は、「こういう質問が来るということは、質問者はきっとこういうことを知らないんだろうな」と推測し、その知らないであろうことを答えなくてはならない。
つまり、質問に対する答えは、質問者が予想もつかないことであって、形式的には質問に対する答えになっていないことが望ましい。しかしそれでいて、その答えを聞くことで疑問が氷解するようでなくてはならない。もちろんそれは難しいことだが、それこそが「攻めの答弁」である。
私は事業仕分けを全部聞いたわけではないが、私が聞いた中では毛利さんだけがこの「攻めの答弁」をしていたように思う。聞いている人は、「お、この人の言うことはなんか違うぞ」と思ったに違いない。
たとえば、毛利さんは「お前のとこの未来館は赤字じゃないか」と言われて、「その通りです。でも民間じゃないんだから赤字は当たり前だ」と言った。下手な官僚ならば、「いや、経済効果も加味すると赤字じゃない」みたいな言い方をする。相手の否定をするのは、受けの答弁だ。攻めの答弁は、相手の言ったことをいったん「その通りだ」と受けてから、相手の持っている前提自体を崩しにいく。
こういう議論では必ず費用対効果、つまり「それだけのお金をかけた結果どうなるの?」という質問が出る。守りの答弁をする人は、「おいおい、こんな質問どうやって答えればいいんだよ」と頭を抱えてしまうが、攻めの答弁をする人にとっては、これはチャンスボールだ。質問をする人にとっても答えが読みにくいこの質問なら、「おおっ」と思ってもらえる意外性のある答えがしやすいし、何を言ってもそれなりに答えたことになる。
この質問に対して、答える側もおそらくチャンスボールだと認識したようだ。しかし、残念ながら、「サイエンスに費用対効果はなじまない」「ビッグバンや星の誕生の仕組みなどを解析するのにスパコンは欠かせない」という答えしか出せなかった。おそらく答えた本人は、これでおおっと思ってもらえると自信満々だったと思うし、科学を志す人なら、同じように「すげぇ、かっこえぇことを言う」と思ったことだろう。しかし、残念ながら、それは聞き手には響かなかった。
聞き手にしてみれば、「なんでそんなにお金がいるの?」という質問に、「科学はお金では計れない」という答えはない。どこかのニートが「俺の未来は無限大だぜ!」と言うようなもので、カッコつけているがアホっぽく見える。一番の問題は、結局直面している問題の解決(いくらお金を出すかを決めること)には何の役にも立っていないところであり、自分が問題に直面しているということを認識できていないところだ。
さすがに、自分たちのプロジェクトが問題山積であることを認識していないわけはないだろう。しかし、それを必死になって隠そうとするから、余計に叩かれる。自分に都合の悪いことはできるだけ早く言ってしまうことが、プレゼンの基本だ。悪い事→良い事の順番に話をされると、良い事が頭に残る。逆に、悪い事を隠すと、プレゼン後の質疑応答になってそれが明るみに出てしまい、悪い事しか印象に残らないようになってしまう。
どうも、回答側は「こいつをこのまま存続させるかどうかを考える会議」だと思っていたのではないかと考えられる。そこが大間違いで、実際には、「こいつにはいくらなら出してやってもいいかを考える会議」だった。
これは、ゼロベースの議論だ。質問者の頭には、当初予算の270億なんてのは初めから頭にない。こいつらに50億出したら何をしてくれるかな、いや100億だったらどうか、と考えている。だから本来、「50億ならこうなってしまうが、100億ならこれができる。そして今270億出しておけばこんな明るい未来がある。だから今こそ270億なんだ」とプレゼンすべきだったのだ。それが、「270億出して世界一をとらないと、日本は崩壊してしまう」なんて言うから、お前セカイ系に毒されてるだろ、てことになってしまう。
もしかしたら、「270億は無理なら、せめて50億くらいは下さい」と主張したら、「ほぼゼロ」という結論ではなく、少しは通ったかもしれない。しかし、事業仕分けで回答者側が「じゃあ今期は50億でもいいです」なんて言えたかどうかというと、きっとそれは無理だっただろうと推測する。なにせ、「NECのバカ野郎のせいでこうなったんだから、もちろん損害は賠償してもらう」ときちんと言うことすらできない人なのだから(おそらく、真相は違うのだろうと私は推測する)。いや、実際はそれより問題で、「損害賠償を求めるんですか?」という質問に「はい」と小声で言ってしまって、質問側に「いや、契約にちゃんと書いてないとそれ無理なんだけど、本当に大丈夫?」とまで心配される始末だ。
いったい、誰を連れてこれば、その場で何かを決めることができたのだろうか。実は、今の官僚というシステムでは、その場で一人で交渉することが誰にもできないようになっているのではないかと疑う。もしそうなら、紙に書いてあることを読み上げることしかできないわけで、議論にならないのも納得がいく。
今回の事業仕分けは、一部を聴く限り、議論になってないとてもお粗末なものだ。こんな話の結果で数々の施策の運命が決められたんじゃ、たまったものではない。もう一度やり直すべきだ。
これで、官僚の側も何が求められているのかわかっただろうから、次はもう少しまともな議論になると思うのだが。マイナス点のない議論ではなく、プラス点のある議論に。