「世間」が見えづらくなってきている

今見えている情報がどのくらいの範囲で起きている現象なのか、判別がつかなくなってきている

今月はどいろいろありましたが、最近思うのが、いわゆる「世論」が読みにくくなったなぁということです。ネットを見ていて受ける印象と、テレビを見ていて受ける印象、知り合いと話をしていて受ける印象がまるで違うように思うのです(私の場合、知り合いの範囲はとても狭いですが)。

たとえば、最近話題のポケモンGo。本当に流行ってるのか、それとも目立つだけで実際にやってる人はそんなに多くないのか、さっぱりわかりません。しかし、LINEですら風の噂でしか聞いたことがない私ですから、「世間では流行ってるんだよ」と言われたら、よくわからないけどそんなもんなんかなと思いますし、逆に「あれはメディアが騒いでるだけで実際にやってる人はそんなにいない」と言われたら、そうかもなと思います。さらにもう一つ、「メディアが騒いだおかげで流行った」もあるので、結局、本当のところはどちらとも言えないのかもしれません。


ネットのニュースサイトのコメント欄を見てると、わりとみんなポケモンGoには否定的なんだなと感じます。しかしそれには理由があって、たいていは「ゲームで遊んでいて事故を起こした」というニュースに対するコメントなので、否定的なのは当たり前です。そもそも、ポケモンGoにはまってる人はニュース記事にコメントなんて書いてる暇はないのでしょう。

テレビのニュースやワイドショーも傾向は似ていて、否定的な感じを受けます。ただ、テレビの方は「若い子の間で流行ってるものを言葉だけでも知っておこう」というようなおっさん的興味、言い換えると「若い子の遊びに理解のある俺」感があって、もし流行ってなかったらたとえ聞いてもスルーするだろう感じと、真剣でない感じがちょっと鼻につきます。

しかし、実際に街に出てみると、そこそこやってる人も見かけますし、世間話で話題に上ったときも「どんなものなのか知りたい」「ちょっとやってみたい」とわりと肯定的なものに感じます。もちろん、実際に面と向かって話をするときにネガティブな反応はしづらいということもあると思いますけど。


最近、テレビがネットの受け売りになってしまっていることが多くなりました。Youtubeのコンテンツを放送するだけの番組を見ると、テレビも地に落ちたもんだなぁと思います。ただもう一つ気にかかるのは、いまだにネットが新しいものだと思っている、その古臭さです。

端的に言うと、いまだにTwitterとFacebookから見える世界が「世間の人たち」だと思っていて、そこに疑問を感じていない感じがするのです。そして、そこに「若い世代」が集まってると思い込んでいる。Facebookなんてもうおじさんおばさんしかやってないというのに。テレビ画面の下の方にTwitterのコメント欄を出してる番組があるけど、あそこにコメントを書こうと思う人って全視聴者の何%くらいなんだろう、東海ラジオのてれるぜみやーちにFAXを出そうと思う人の割合と比べてどうなんだろう、と思ってしまいます。

たまにmixiをのぞくと、残ってる人たちはまだみんなバリバリ現役でやってて、昔と変わらないように見えてしまうようなものです。一定の傾向の人しかいなくなっているのに、「いろんな人がいる」と思い込んでしまう危険。


以前は一つの大きな「世間」だったものが、たくさんのコミュニティに分かれ、そしてそれが分断され閉じていき、気づいたら大きなところからものを見る手段がなくなってしまっている。細々とした話題はいくらでも手に入るけど、基礎的なこと、大きなものの考え方を手に入れづらくなってきている。そんな危機感があります。

そして、残念ながら、私のスマホはAndroid 2.2なので、ポケモンGoはできないのでありました。そろそろ替え時かなぁ。