大衆の無責任

その場その場に流され、一貫性のない大衆が引き起こす問題

安部総理が、消費税率引き上げをさらに延期すると言っていました。これに対して、あまり反対の声が聞かれないような気がするのが不思議です。

なぜなら、2年前はこう言っていたからです。

消費税の引上げ延期は野党がみんな同意している。だから、選挙の争点ではないといった声があります。しかし、それは違います。野党の人たちは、ではいつから10%へ引き上げるのでしょうか。その時期を明確にしているという話を、私は聞いたことがありません。そこは極めて大切な点であります。財政を立て直し、世界に誇るべき社会保障制度を次世代へと引き渡していく責任が私たちにはあります。私たち自民党・公明党、連立与党はその責任をしっかりと果たしてまいります。

そのために、平成29年4月から確実に消費税を引き上げることといたします。今回のような景気判断による延期を可能とする景気判断条項は削除いたします。本当にあと3年で景気が良くなるのか。それをやり抜くのが私たちの使命であり、私たちの経済政策であります。

平成26年11月21日安倍内閣総理大臣記者会見(http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/1121kaiken.html)より

いつの間にか「今の景気がリーマンショック級かどうか」という話になってますが、そもそも景気判断で延期を可能とする条項は削除したはずです。「景気が悪いから延期」という言い訳はできないようにしたはずなのに、今それをやっている。信を問うとかどうこう言う前に、2年前のあれは何だったんだという話になります。今回こんな理由で再延期できるんだったら、景気判断条項の削除っていったい何の意味があったのかと。

もちろん、同じことは、以前消費税を上げることを自分たちで決定したのに、今になってしれっと消費税反対を唱えている誰かさんにも言えます。


2年前は、税率引き上げの延期について、政治不信に端を発する懸念の声がありました。政治家ってやつはどうせ次の選挙のことしか考えてないから、選挙前になると何だかんだと理由をつけて増税延期だと言い出すに違いない。痛みを伴う改革はそうやっていつも先延ばしになり、手遅れになるまで放置され、後の世代に禍根を残す。そして後になって、「あのときやっといてくれればこんなことにはならなかったのに」と言われるようになるのだと。

そんな懸念があったからこそ、そしてその自覚もあったからこそ、「確実に引き上げる」と2年前には言っていたのです。なのに、残念ながらその懸念は現実になってしまいました。「引き上げの時期を明確にしない」より、「引き上げの時期を明確にしておきながらその時がきたらひっくり返す」方が、ずっと不誠実です。結局、自身の言葉に何の重みもなく、将来のことを語る言葉に何の意味もないということになるからです。これでは、総理が「○○はしない」と約束しても、「そんな口約束信用できるか」となるわけです。

以前にも書きましたが、日本人はどうも、ルールを決めて自分自身を縛ることが苦手な傾向にあるように思います。「泣いて馬謖を斬る」というような話を良しとしない。選択肢を自分から狭めることで、かえって実現できることもあるんだということを知らないように思うんですよ。


ただ、今回の問題は、安倍総理自身の問題ではないように思います。どちらかと言うと、自民党内では延期反対論が根強いのに、世論が延期賛成に偏っているように感じるからです。だから、結局はこの「世論」というものの問題だと思うんです。

ぶっちゃけた話、今、読者がそこそこいる個人ブログで「消費税は延期せず予定通り上げるべきだ」などと書こうものなら、「日本経済がどうなってもいいのか」「売国奴め」みたいなコメントが大量につくことが想像されます。しかも、ここでこう書いていても「消費税延期なんて当たり前だろ。経済を一から勉強しろ」みたいなコメントで埋まらないか心配する。恐ろしい世の中だなぁと思うわけです。

匿名である世論の怖いところは、一貫性のないところです。少し前に言われていたことと、今言われていることが違う。もっとも、匿名だから、同じ人が言っているとは限りません。先に述べたように、危険を感じ取って反対意見は書かないようにしているだけかもしれません。たとえそうであっても、一方の意見のみで埋め尽くされることによって、勘違いする人は増えてしまいます。

過剰な同調圧力が存在するネット社会では、その場の雰囲気で全体の意見がすぐに変わってしまいます。そうなると、長い時間をかけて行うべきことが実行できなくなります。政府やマスコミですら過剰な同調圧力に太刀打ちできないこの社会、どうしたもんじゃろうのう、と答えは出せずにいます。