ボードゲームの長考

ボードゲームにおける、いい長考と悪い長考

今回は突然、ボードゲームの長考についての話を書こうと思い立ちました。特に個人的に何かがあったという訳ではないので、個人的に知っている方、ご心配なさらないよう。


世の中にはボードゲームで誰かが長考するととたんにイライラし出す人もいますが、私は長考も楽しみの一つだと思っています。面白いゲームは、長考したくなるものです。

ボードゲームで長考がいいか悪いかという論争がたまに起きることがありますが、「長考」とひとくくりにしてしまうから変な話になってしまうんであって、いい長考と悪い長考があると考えれば、じゃあどういうのが悪いんだろうと考えるきっかけになります。

ボードゲーム初心者の方はよく長考されますが、慣れてないんだからある程度は仕方ないと思います。しかし、対象のゲームに慣れてないだけじゃなくて、「ボードゲーム」というものそのものに慣れてないことによって引き起こされる長考もあります。長考が容認されることによって、こうした問題のある長考も容認されてしまうと、本人にとっていい結果になりません。

たとえば、こういう長考です。

1. 自分の番にしか考えてない

残念ながらたまに見かける、わかりやすい「悪い長考」です。自分の手番が終わったらすぐスマホをいじったりし始める人。他人に呼ばれてからようやく考え始めるものだから、そりゃ時間がかかって当たり前です。はっきり言ってマナー違反だとは思いますが、そうなってしまうのもわからないではありません。たぶん、他人の手番で何をしていいのかがわかってないんじゃないかと思います。

こういう人は、よく「自分の手番が来るまでに盤面は変わってしまうのだから、考えてもムダ」と言います。そうじゃなくて、自分の手番が来るまでに盤面は変わってしまうのだから、どういう風に変わる可能性があって、それぞれのケースにおいて自分はどうすべきか、というのを考えなくてはならないのです。あと、相手の手を見るというのもとても大事なことです。

そういえば、小さい子供と神経衰弱をやるときも、他人の番でもちゃんと見ていて「あれはあそこにある!」とか言っちゃう子と、自分の番以外では他の事をしてる子といますね。

2. 戦略性がない

長考というよりは、計画がなくて何をやっていいかわからない人。最初に戦略を立てていて、「今はお金を貯める」とか「左のほうへ伸びていく」といった方針を持っていれば、自分の手番が来たらそれをやるだけなのですぐ済みます。しかし、そういった方針がない人は、手番が来るたびに「どうしよう」と考え込まなくてはなりません。

そういう人は、連続性がないので、うんうん考え込んでようやく手を決めたとしても、次の手番でまた同じくらい考え込むことになってしまいます。なんだかもったいないなという感じがします。

3. どうでもいい所で考えている

いついかなる時にもできる限り最善手を見つけるんだ、と意気込んじゃってる人。多くのゲームでは最善手など見つからないからいいんですが、たまに盤面が単純になってて、最善手が見つかりそうなときがあります。しかし、そんな時は得てして、どっちを選んでも大差なかったりします。ある商品を買うのに、あっちの店は998円でこっちの店は996円だ、と比較している感じ。

本人たちは「この2円が勝敗を分けることもあるんだ!」と大真面目なので、周りはなんだかなぁと思ってしまいます。もちろん、プロ同士のシビアな戦いならそれは重要なんですが、それ以外の難しい局面で上手くやれてないのにこういう所だけ変に考え始めちゃうのは困りものです。

4. 迷っている

「下手の考え休むに似たり」と諺にもある通り、考えているんじゃなくて、ただ迷っているだけの人。結局、どっちの手がいいかはわからないという所まで結論は出ていて、さあどうするという段階で迷ってしまうというのは、気持ちはわかりますが、それで皆を待たせるのはどうかと思います。

いわゆる「決断力」でしょうか。ボードゲームをやると、この力は結構鍛えられる気がします。そしてそれは、ボードゲーム以外でもいろんな場面で生きてくるように思います。

場数を踏むというのは一つの方法ではありますが、意識をすることでもだいぶ違ってきます。今の自分は考えているところなのか迷っているところなのかを自分で判別し、迷っているとしたら意識的にそれを中断してえいやっと決めてしまうということです。


ボードゲームをやってるとたまに見かける、他人をイラつかせる悪い長考の話でした。