懲りずにまた政治の話を続けます。
アメリカの大統領選関連のニュースを見ていると、日本と違うなと思うのが、ああやって論戦している相手が同じ党内だということです。日本であれをやったらどうなるでしょうか。ニュースでは、民主党なんかで賛成派と反対派に分かれていると「党分裂の危機」みたいに言われて、いかにもそれが悪いことのように思われてしまいます。しかし、本来、二大政党制というのはそういうものなんですね。
政治家を大ざっぱに2つのグループだけに分けると、どうしてもその中にはいろんな人がいて、考え方の違いが出てきます。それは悪いことではなく、むしろ好ましいことです。そうやって、いろんな人がいる政党の中で活発にまず議論する。党の中だったら、体面を取り繕うこともなく、腹を割った議論ができるはずです。そこで議論を尽くしてからようやく国会の場に持っていくことで、全体の場である国会では初めからレベルの高い議論ができる。本来はそういうもののはずです。
そう考えると、ある問題に対して同じ考えの人しかいない政党と、いろんな考えの人がいる政党とでは、後者の方がいい、ということになります。前者の政党では一方的な意見しか反映されていないが、後者の政党だといろんな意見が反映されているからです。
国によって、小さい複数の政党が連立して政権を運営する国と、政党が2つしかなくてどちらかが政権を担当する国とあります。日本は後者を目指すことにして、そのように選挙制度を変えたのですが、そのことを政治家たちはすっかり忘れてしまっているようです。その証拠に、今ごろになって一強多弱などと言っています。わざわざそうなるような制度にしたのに、今更なにを言ってるんだ。
日本の野党がすぐ分裂してしまうのは、「和」を重視する風潮にありそうです。本来、意見は違っていていいはずなのに、党の意見を無理やり一本化し、それに従わない人間は「和を乱す」とみなす。それでは、まとまれるはずもありません。
これは、政治家の問題ではなく、むしろ有権者の問題です。有権者が「頑固に自分の意見を曲げない政治家」を好み、党の中で自分の考えを少しでも入れ込もうとする政治家より、党から出て行ってしまう政治家の方を支援する。アメリカのように内輪での議論をオープンにしようとすると「内輪もめ」と言って批判する。だから、政治家がああなってしまうのです。
一方、一強の方はどうかというと、どうも先ほど述べた「いろんな意見が反映される政党」からかけ離れつつあるようです。昔は派閥というものがあって、それはそれで問題もいろいろ抱えていましたが、タカ派からハト派まで、多様な考え方がありました。それが、二大政党制を目指したあたりから、逆に内部の動きが全然ニュースにならなくなって、偏った考え方の人しかいないように見えるようになってしまいました。
あと、野党を「反対しかしない」と言って批判している人もいますが、議論というのはそもそも賛成と反対に分かれて言い合うところなのだということを考えると、反対しかしないのは当たり前です。むしろ、賛成していては議論になりません。
あそこは、原案に対していろいろと問題点を出してもらって、それへの対応策を考えることによってより案を良くしていこうとする場なのですから、問題点を指摘することこそが野党の仕事です。国会中継でたまに(与党が)質問とは名ばかりの賞賛意見を述べることがありますが、それこそ時間の無駄でしかありません。
本当の問題は、反対しかしないことではありません。案を良くしていこうという態度がないことです。残念なことに、反対派だけでなく、賛成派にもありません。
やはり、日本で二大政党制というのは無理なんでしょうかね。とは言っても、政治家自身が自分の選ばれ方を決めるというシステムで、まともな制度が出来上がるとは思えませんが。
最高裁判所に一度違憲判決を出してもらう、というあたりが、最後のチャンスでしょうか。