一極集中

奈良へ行ってきました。

先日、奈良へ観光に行きました。

奈良へ行ったのは小学校の修学旅行以来です。かすかに覚えていた、夜にお土産物を買った売店の風景と同じものを見ることができてうれしく思いました(猿沢池です)。

結局、近鉄の奈良駅から歩いて行ける範囲のところしか行きませんでしたが、とても感じよく観光できました。逆に、駅から歩いて行ける範囲で十分観光になるところがよかったです。


奈良へ行く途中、京都駅で乗り換えでした。帰りの夕飯時、京都でご飯を食べようと思っていましたが、あまりの人の多さにあきらめて、結局弁当にしてしまいました。

最近たまに、観光やイベントに行くとき、あまりの人の多さにうんざりすることがあります。残念ながら、自分もその一人なので文句を言うことはできませんが。奈良ではそういう感じがまったくなかったのが、うれしかったところです。

私は個人的に「キャパシティを超えている」と表現していますが、あの人の多さ、なんとかなりませんかねぇ。とてもいい場所で人が多いのならまだ納得もするのですが、休日のイオンなんかでそんな感じだと、自分に情けない感じも出てきたりします。

普段、何もないときに急に「よし、○○へ行こう」とはなかなかならないもので、たいていは何かのイベントごとや、ちょうどいいタイミングのときに行こうと思い立つわけですが、そうするとどうしても人が集中してしまいます。このへんが、なんだか矛盾を感じます。

本当は、いろんな時にいろんな所へ行くのがいいのでしょう。事前情報には頼らずに。しかし、それで失敗したときのがっかり感を考えると、やはり事前情報を集めて一番評判のいい選択をしたいというのも道理です。そして、この道理が集中を生み、いい選択にはならなくなってしまいます。


話は変わりますが、奈良の街が心地いいと感じた点の1つに、ごった煮的な感じがあります。おしゃれなカフェ雑貨屋から、庶民的な居酒屋や昔からやってる老舗、はてはマックやダイソーまで、商店街にはいろんな店がありました。名古屋では、大須がそんな感じです。

こういう街だと、庶民が気軽に行って、いろんな店を見ながら、結局ご飯は手の届く安いチェーン店で食べる、というようなことができます。そしてだんだん街に慣れると、ちょっといいお店でご飯を食べてみたり、たまにはいい物を買ってみたり、ということにつながると思うのです。レベルが下の場所がないと、新しい人が入ってこられなくなります。

東京はそれほど詳しくはありませんが、特に都心では街ごとにカラーが決まってしまっていて、「ここはお前の来る場所じゃない」的なものを感じるところがたまにあります。人が多すぎると、特定の人だけを相手にするだけで十分街が成立してしまい、そうなると特化した方が効率的になってしまいます。人が少ないと、特殊な店は成立しなくなり、マックやダイソーみたいな大手チェーンだけの面白くない街になってしまいます。バラエティのある街というのは、なかなか成立条件が難しいのかもしれません。


なんだかまとまりのない話になってしまいましたが、鷹揚さが大事なんじゃないかなぁという話です。あと、失敗を恐れずに、あるいは失敗も楽しみながら、いろんな時にいろんな所へ行ける余裕を持ちたいものです。