最近またマンションのくい打ち工事での偽装のニュースがありました。自分に関係のあるニュースじゃないんですが、いろいろと思うことがあります。
インタビューで、住人が「大手だと安心してたのに」と言っていたのが気になりました。東芝が決算を偽装し、フォルクスワーゲンがプログラムに細工をするこの世の中で、大手だと何が安心なのだろうかと。
大手だと安心なことといえば、お金があることと、夜逃げできないことです。今回は偽装がわかって補償もされるのだから、かなり良かったケースではあります。そう考えると、「大手だと安心してたのに」ではなく、逆に「大手だから偽装があってもちゃんと補償するだけの金があって安心だ」となるはずで、それこそが「大手の安心」であるはずです。逆に、それ以外に何の安心があるのか。
たとえば、野菜だと、ちょっと前に「生産者の顔が見える」というのが流行りました。実際に顔が見えたからといってどうだというわけではありませんが、品質については「大手は安心できない」というのが常識なのではないかと思っていました。だからこそ、顔が見える方を信頼するのだと。大手というと、金の亡者で客などカモとしか思っていないか、杓子定規で心の通っていない対応しかできない、という印象があるものだとばかり思っていました。
それがいつの間にか、中小の業者が「悪徳業者だったらどうしよう」という心配にばかり目が行ってしまい、それよりは大手の方が安心と思い込むようになってしまいました。身近な例でいえば、知らない街で謎の定食屋に入るよりは、名前をよく知ってるチェーン店の方がいい、という感覚でしょうか。そういう意味では、「安心」というのもわからないではありません。
確かに、謎の定食屋に入ったら大ハズレってことは実際よくあります。しかし、それを恐れて「チェーン店が安心」と言ってていいのか。それではよくないような気がするのです。
偽装というのは、だいたい、計画と実際が食い違ったとき、計画が優先され、どうしようもなくなったときに起きるものです。だから、どちらかというと大きな組織の方が偽装は起きやすくなるでしょう。なぜなら、組織が硬直的で、計画が絶対視され、融通が利かなくなるからです。小さな組織だったら、偽装する前に計画の方を変えるだけの小回りがききます。だから、小さな組織の場合は、悪徳業者による詐欺はあっても、偽装は少ないでしょう。偽装と詐欺に違いがあるのか?と言う人がいるかもしれませんが、詐欺は始めから相手をだまそうとしているのに対して、偽装は最初はちゃんとやるつもりだったけれど途中でどうしようもなくなってだますことになってしまうところが違います。
最近偽装事件が増えている背景には、現実より計画が優先され、「不可能」という声を上げることができない現状があります。それを防ぐには、現実を見ることと、現実を受け入れて計画の方を変えることが必要だと思うのです。