議論のしかた

ネットで議論をするにはルールがあります。いえ、ネット以外で議論する場合も同じですが。

様々な話題

さて、議論についての話もだいたい終わりました。ここからはトピック的な話を少しすることにしましょう。

引用

議論では、相手の意見を引用してその下にそれに対する自分の意見を書くというスタイルが一般的に使われています。しかしそれは危険の多いやり方です。相手の意見の字面だけを追いかけ、言った言わないの意味のない論争になってしまいがちだからです。

相手の文章をそのまま引用せず、相手の主張を自分の言葉で書いてみましょう。そして「あなたの言いたい事はこういう事ですね?」と聞いてみましょう。そしてもし「俺はそんな事を言いたいのではない」と相手が言ってきたら、じゃあどういう事を言いたいんだろう、とまた考えればいいのです。それがどうしてもわからなかったら「あなたの言いたい事は私にはさっぱりわかりません」と正直に言いましょう。

しかし、最初から「さっぱりわかりません」では相手も困ってしまいます。何がわからないのかがわからないからです。相手の言いたい事を何度も推測してみて、推測できるすべてのパターンを出しつくしてからギブアップすべきです。すると今度は相手が「あなたが私の意見を理解できないのは、実はここの点がわからないからじゃないでしょうか?」と推測を始めるのです。これの繰り返しによって相手の意見を理解するのです。

相手の言葉をそのまま自分の手で書くと、それで何となくその言葉をわかったような気になってしまいます。しかしそれだけではあなたがわかったつもりになっているのが本当に相手の意見であるという保証はありません。その後に書いたあなたの反論は、相手に対する反論ではなくあなたが相手の意見だと勝手に思い込んでいる虚像に対する反論になっているかもしれないのです。相手そのものではなく相手が残した文章という虚像に立ち向かい、それを見事な論理で打ち砕き、それで満足してしまいがちです。そういう人を他人は滑稽なドンキホーテとしか見ていません。

ドンキホーテにならないためにはまず相手を見定めることです。相手の意見を自分の言葉で書き、相手から「確かに私の言っているのはそういう事だ」と確認をとることです。剣をとるのはそれからです。しかしそうする事によって、相手は本当は敵ではなく剣を持って立ち向かう必要なんて始めからなかったのだとわかるでしょう。

また、相手の書いている事に対して「その通りだ」と言うのに慣れていない人もいます。議論を討論と勘違いしているとそうなりがちです。相手が確認しているのは自分の意見なのですから、自分の意見すら自分で「その通りだ」と言えないようではあきれられても仕方ありません。

反証可能性

意見には反論がつきものです。しかし日本人は反論を「和を乱すもの」として嫌います。これではまともな議論は成り立ちません。人の意見に異を唱えるのは議論では良い事であり、必要不可欠なものなのです。

反論を恐れないで下さい。むしろ反論を呼ぶようにしましょう。なぜなら反論というのはあなたとは違う別の考え方を教えてもらう事だからです。議論の目的は「そうだね」と言ってもらう事ではなく、「いやそれは違う」と言ってもらう事だからです。あなたの意見に皆が「そうだね」と同意したのではそこで議論は終わってしまい、あなたには何ら得る物がありません。「いやそれは違う」と言う人がいて初めてあなたは自分とは違う意見を聞くことができるのです。

自分が意見を書く時はそれが反論を呼べるかどうかをまず考えましょう。反論を呼べない意見の代表的なものが、先程例に挙げた主観的な文です。「私は○○と思う」と書いてあったとしたら、何を言われても「これは単に私が思い込んでるだけですから」と言えば反論をはね返す事ができます。「私は○○は好きだ」という意見なら、「どんな欠点があろうと私は好きなんだからしょうがない」と言えば一切の反論を受け付けません。こうした意見を「反証可能性がない」といいます。

「反証可能性」とは、もともと「科学とは何か」という問いの答えとして提案されたものです。実験によって「○○の説は間違っている」と言えるという事が反証可能性です。例えば超能力の実験では、例え失敗しても「今日は調子が悪い」とか「私を非難する科学者の悪いオーラが影響している」といってごまかされてしまいます。うまくいったら「やっぱり超能力はある」と言い、うまくいかなかったら「オーラが悪い」と言う、これではその説を否定することができません。だからこういった説は科学的ではないのです。

反論できない意見は有害です。それは非科学的だからです。科学的な意見には反論できるポイント、言葉を変えれば「突っ込みどころ」があります。それを回りくどい言葉で隠さないようにして下さい。突っ込みどころは「さあ突っ込んで下さい」とわかりやすくオープンにしましょう。そしてそれに皆で突っ込む事こそが議論なのです。

議論と匿名

2ちゃんねるに代表される匿名掲示板で議論をすることについて少し話をしましょう。匿名掲示板では罵詈雑言が多すぎて議論には向かないと思われる向きもあるかもしれません。しかし、全員が議論のルールを守っていれば匿名掲示板は案外効力を発揮します。

匿名でない議論では発言者によってどうしても意見の受け取り方が偏ってしまいます。「こいつは以前俺の意見とは反対の事を言っていた奴だ。こいつの言う事は信用できない」というような事です。本来なら出された意見の字面だけを見て判断すべきなのに、相手が見えてしまうとどうしてもそこに偏りができてしまいます。だから匿名の方が望ましいのです。

ただ、議論の場にルール違反者が混じってしまっても判別できないという欠点があります。顔が見えていればその人を退場させればいいだけですが、匿名の場合は誰が誰だかわかりませんので、退場処分になった人がまた戻ってきても判別できません。これが匿名の問題点です。

そのため匿名掲示板には暗黙のルールがあります。「荒らしは放置」つまりルール違反の人は相手にしないということです。発言がルール違反であることは見ればわかりますから、その人をわざわざ追い払おうとしないで単に見ないようにすればいいのです。

ではどういう基準で「荒らし」を認定すればよいのでしょう?それは単純で、自分が「荒らし」だと思った意見は「荒らし」なのです。そしてそれに対して注意したり追い払ったりせず単に無視します。もしかしたら他の人はその意見を「荒らし」ではなく「重要な意見」だと思って相手するかもしれませんが、それはあなたには関係ありません。あなたが無価値だと思う意見は見ないようにしましょう。そして他人がその意見に対してどう思おうと放っておきましょう。それが荒らしに対する簡単確実な対処法です。