フリーのソフトウェアとは?

「フリーウェア」という曖昧な言葉の意味を考えてみましょう.

無償ソフトウェア

さて, 次は「一般の」無料ソフトウェアについて話をしましょう. 「一般の」とつけたのは, 企業が商用で作っているものではなく個人が趣味で作って皆に使ってもらえるようにWebページなどで配っているものを意図してのことです.

こうしたソフトは日本では一般に「フリーウェア」という言葉が使われていますが, この言葉は「なんとなくタダ」という意味でいい加減に使われているのが実状です. そして後の章で「フリーソフト」という言葉の定義をお話したいと思います. で, まぎらわしいので「フリーウェア」という言葉は使わないことにします.

ここではこうしたソフトを「無償ソフトウェア」とでも名付けておきます.もちろんちょっと語弊があります. ここで述べるソフトウェアにはお金以外の対価を求めている場合もありますから. しかし適当な言葉が見つからないので目をつぶって下さい.

無償ソフトは個人のWebページで配っている場合もあれば, 「窓の杜」や「ベクター」などの商用サイトで配っている場合もあります. どちらにしても, 「利用者が無料で使える」というのが共通点です. ほとんどの作者は「自分の作ったものを人に使ってもらって喜んでもらえればそれで結構」というスタンスでいます. ありがたく使わせてもらいましょう. そして気に入ったら何らかの形でお礼をしましょう. お礼の仕方はソフトにきちんと書いてある場合もありますし書いてない場合もあります.

カンパウェア

「気に入ったらお金を払ってください」というのがカンパウェア, あるいは寄付金付き無料ソフトウェアです. 金額まできちんと書いてあることもあれば,好きな金額でと書いてあることもあります.

これは前述した「シェアウェア」に似ていますがその精神は全く違うものです. シェアウェアは使用者に「お金を払ってないなら泥棒だぞ」と言っているのに対して, 「お金を払ってくれるとは, あなたは神様みたいな良い人だ」と言っているわけです. あなたがそのソフトに対してお金を払ったらあなたは一つ良い事をしたというわけです. 前に述べた「人間は恩を返せないのを不快に思う」理論から言うと, その不快さを解消する手段を提供しているという意味で良心的でもあります.

「シェアウェア」の黎明期はどちらかというと作り手の信条もこちらに近いものでした. ただ最近のシェアウェアはそうではありません. シェアウェアで生計を立てている人もたくさんいます. だから, シェアウェアとカンパウェアの境界ははっきりさせておいてください. 前者は経済活動だし後者は善意で成り立っています.カンパウェアの中には本当にその金額に値するだけの価値のあるソフトがたくさんあります. 作った人もそれがわかってて気に入ってもらえる自信があるから「気に入ったらお金を払って」と書けるし, それで実際にお金を送ってもらえているのです.

ただカンパウェアには一つ問題があります. もし「気に入ったらお金を払って」と書いてあって, 自分が気に入ったのにまだお金を払ってない場合はどうでしょう?律義な人ほど「約束を守っていない」という罪悪感と「お金を払うのは嫌/面倒」という心の葛藤に揺れることになります[^2]. これはシェアウェアの問題点として述べた事柄と同じです. 「気に入ったら」という人の内面に関する事柄に対して「お金を払え」と命令するのがよくないのです. これは善良な人々を苦しめる効果しか発揮しません.

だからカンパウェアの場合は作者も使用者も「お金を払え」ではなく「お金をくれるとうれしいな」程度に解釈すべきです. 自分がお金を払わないからといって気にする必要はありませんが, 「これはすごい. 何とかして謝意を表したい」と思ったらお金を送りましょう.

メールウェア

「お金はいらないけどメールを送って下さい」というのがメールウェアです.単に「感想を聞けるとうれしいなあ」というものから, 「自分のソフトがどれくらい使われているのかを把握したい」というものまで意図は様々です. 単に「感想をメールして下さい」というものもあれば, メールに書く内容の指定があるものもあります.

無償ソフトの作者はせっかく公開するのだから広く皆に使って喜んでもらいたいと思っています. ですから自分のソフトについて他の人から「あなたのソフトを使ってみたよ」とメールをもらえるのはうれしい事です. 感想や不具合, こんな所が使いにくい, あるいは自分の環境では動かなかったという報告はもっと歓迎されます.

「タダで使わせてもらっているのにこのソフトの不満を作者に送るのなんて悪いなあ」と思うかもしれませんが, そんなことは全然ありません. 作者も気がついていなくてちょっと変更しただけで不満点が直ることだってよくありますし, そういう点に気づかせてくれたことを作者は感謝してると思います. 「ここが使いにくい」「ここの所をこうしたら動作が止まってしまった」など,悪かった点も遠慮せずメールしましょう.

「メールウェア」の中にはメールの内容が指定してある場合もあります. その場合はその内容を作者は対価として要求しているのです. ソフトに見合うくらいちゃんとした内容のメールを出しましょう. そうではなくて「なんかメールを下さい」と書いてある場合には, なんでもいいから適当に感想を書いてメールしましょう. しっかり書こうと気構えてしまうとそのうち出し忘れてしまいます. 「なんかメールを下さい」と言う場合はメールを受けることそのものがうれしいのであって, その内容を要求しているわけではありません. もちろん内容もあるに越したことはありませんが, とにかくメールを忘れずに出すようにしましょう.

「メールウェア」と書いてなくてもどこかに「感想や要望は歓迎」と書いてあることがほとんどです. そういう場合には感想や要望を遠慮せずに書いて出しましょう. それがあなたにとって「ソフトをタダで使う対価」なのです. 有名なソフトの作者の場合はいちいち感想なんて受け取ってられないという人もいるかもしれませんが, そういう場合はそう書いてあるはずです. そうでない場合, メールは例え見知らぬ人からだってもらうとうれしいものです.

最後に「メールウェア」を作ろうと思っている人に対して私の意見を. 使用者にしっかりしたメールの内容を要求するのでない限り, 「メールを下さい」を義務にするのはどうかと思います. もしバージョンアップを通知したいとか使われている範囲を把握したいというのであれば, そのように書いたうえで「だからメールを下さい」と書いた方がいいと思います. 使用者も「バージョンアップの通知をくれるならメールしておこう」と, 義務ではなく自分の意思でメールをくれるはずです. 単にメールが欲しいだけなら「メールをくれるとうれしいなあ」くらいに止めておくべきでしょう. 義務でメールをもらうより善意でメールをもらった方がうれしいでしょう?

宣伝ウェア

思想的な宣伝をしたり, そうした何らかの行動を促す条項の入った無償ソフトウェアもあります. 例えば「気に入ったら私に送金するかわりにユニセフに募金して下さい」のような. あるいは「反捕鯨運動を推進しましょう」というような純粋にメッセージだけのものもあります.

こうした無料ソフトウェアは作者の意図を尊重した上で使いましょう, と言いたいところなのですが, 少し問題があることもあります.例えば「反捕鯨運動を推進しましょう」条項の入ったソフトウェアは捕鯨賛成派は使ってはいけないのでしょうか? 難しい問題です.

こうしたソフトの中には「ここにこういう条項を設けたのはこういう問題があることを知ってほしかったからです」と書いてあることもあります. この場合は意図ははっきりしています. その条項を読み, きちんとその問題について自分で考えればそれでいいのです. その結果自分の意見が作者の意見と違ったとしてもそれはそれでいいのではないかと思います.

そういった活動に携わっているとそういう条項を自分のソフトに入れたくなるのもわかります. しかしあくまで「作者の意見を知ってもらう」目的にとどめた方がいいと私は思います. 「盲目的に賛成」より「その問題について深く考えた上で反対」の人が増える方が意義があることではないでしょうか.

パブリックドメインソフト

パブリックドメインソフトは自分のソフトについて本当に何も主張しない「著作権を放棄した」ソフトのことです. 作者が「これは俺の作ったものだとはもう主張しないから, 誰でも自由に使っていいよ」と宣言したソフトのことです. 使う側にしてみればこれほどありがたいソフトもないでしょう. しかし作者にとってみればこれは危険でありかつ無責任な行為です. そしてややこしい法律上の問題も生じます.

一口に「著作権」と言っても, 実は「自分で作った物をどうにかする権利(著作権)」と「自分の作った物だと主張する権利(著作人格権)」の2つがあります.残念ながら日本の法律では「著作権」は放棄できても「著作人格権」は放棄できないことになっています. ですから日本では「パブリックドメインソフト」というものは存在しません.

「著作人格権」は「これは俺が作ったものだと主張する」権利です. それには「公表する権利」「自分の名前を表示する権利」「作者の了承を得ずに中身を変えない権利」が含まれています. 端的に言えば「そのソフトに対して権利を主張する権利」なのです。

この著作人格権を放棄できる国もあります. そういう国では, パブリックドメインソフトウェアはだれかが「これは実は俺のものだ」と主張することすらできるのです. この場合は作者は既にすべての権利を放棄してしまっているために何も主張できなくなってしまいます. 新しい著作権者が「このソフトを公開するのはやめてこれからはお金を取ることにする」と言ってしまえば, たとえ自分の作ったものとはいえ自分で公開するのは違法になってしまいます.

幸いなことに日本ではこうした権利は放棄できないことになっています. 「あなたの作った物を公表する権利」はあなたにしかなく, 誰にも渡すことはできません. 同様に誰も勝手にあなたのソフトを自分の作ったものだと主張することはできないし, あなたの作ったソフトを勝手に変えてしかもあなたが作ったものとして配ることもできません.これは逆に言うとパブリックドメインソフトの作者にも著作者としての権利が残っているということです. あなたがいくら「権利を放棄した」と言っても著作人格権に関わる事をしようとした場合はあなたの許可が必要なのです.こういう意味で私はパブリックドメインソフトウェアを「無責任」と呼びました. 作者は全てを放棄したつもりでいるかもしれませんが著作人格権はしっかりと残っているのです.

もしあなたが自分の作ったものについて権利を主張したくなくてあなたのソフトを誰もが勝手に何とでもしていいようにしたいなら, 「フリーソフト」の条項のどれかを適用することをお勧めします. 「フリーソフト」の長い条項ではあなたのソフトが本当にだれでも自由に使えるようにするために法律的に厳格な定義がなされています.

繰り返し言います. 日本ではパブリックドメインソフトウェアはあり得ません.「このソフトはパブリックドメインです」と言う条項はナンセンスです. そして, その条項より長ったらしい「フリーソフト」の法律条項の方がずっとあなたの権利を放棄したものなのです. 「パブリックドメイン」という言葉を安易に使うのはやめて下さい.

無償ソフトは善意が支える

商用の無料ソフトが「お金」をあなたではないにせよどこかから得ているのに対して, 無償ソフトはまったくの「善意」で成り立っています. ソフトに同梱の作者のドキュメントを読み, できれば作者に恩返しをしましょう.

無償ソフトは「フリーソフト」ではないというのも注意すべきです. 「タダで使わせてもらえる」というだけで, それ以上の許可はあなたはもらっていないのです. 人に勝手に配ったり自分のWebページに置いたりするのは, 作者の許可をもらうかあるいはドキュメントで許可されていない限りしてはいけません.

そして無償ソフトの作者にもお願いがあります. もし, あなたのソフトを本当にフリーの状態に置きたいのなら, 自分のソフトをぜひ後述する「フリーソフト」にしてください. 無償ソフトの問題点は使用者が何をしていいかが曖昧な点にあります. 自分のWebページに置いてもいいのか? CD-Rに焼いて友達にあげてもいいのか? そうした数々のケースを全部自分のドキュメントに書ききるなんてできるわけがありません. 「全部OK. 何をしてもいいよ」というなら, 何をしてもいいかをずらずら書くのはやめて一言「フリーソフトにします」と書いて下さい.


[^2] もう一歩踏み込んで言うと,この葛藤を解消するためには「お金を払う」という手と「そのソフトを嫌いになる」という手があります.具体的に何か行動をしなくてはならない前者より単に自分の感情を変えるだけで済む後者の方が簡単なので,多くの場合人は「このソフトは嫌いだけどタダだから使ってやってるんだ」と思い込むことで葛藤を解決しようとします.要するに, このように書くとそのソフトの評判が落ちるのです.