文書をフリーにしよう

「フリーウェア」という言葉はソフトだけのものではありません。

文書の引用と改変

リンクの問題やコピーの問題については「勝手にしていいよ」と明記してある場合も多いですが、もう一歩踏み込んで「引用も改変も勝手にしていい」と明記してある所はあまりありません。

その内容を引用・改変したくなるというのは、そのページの内容が良いものである証拠です。「こんな素晴しい文書をただ眠らせておくのは惜しい。手を加えて一覧表の形式に整理すれば、もっと便利に使える素晴しいものになって、もっと多くの人にこの文書の内容を知ってもらえるのではないか?」と誰かが思ったとすれば、それはあなたの文書を高く評価しているからです。

しかし、そう思った人(ここではBさんとします)は一つのカベにぶち当たります。「果たしてそんなことをしていいのだろうか?原作者(ここではAさんとします)は怒らないだろうか?」と。

もともと、Aさんの思惑は「自分の文書を世の中に広めたい」ということであって、Bさんは「Aさんの素晴しい文書をもっと便利に使えるものにしたい」と思っているわけです。2人の利害は一致しています。Aさんは感謝はしても怒ることはないはずです。

しかし、「このサイトの文書はAに著作権があり、無断で使用・改変してはいけません。管理者に許可をとって下さい。」と書いてあると事情は違ってきます。この文を見る限り、Bさんのやりたい事をするとAさんは怒りそうですし、例えメールでお伺いをたてたとしても「ダメだ」と一蹴されそうです。だって文言が何か怖そうですし。趣味でやっていて訴えられでもしたらたまったものではありません。Bさんはそこであきらめてしまうでしょう。

自分のホームページを作る人に考えて欲しいのは、まさにこのことです。あなたがAさんの立場で、Bさんのような人がいたとしたらあなたは喜びますか?それとも断固拒否しますか?

もしあなたの答えが「断固拒否」なら、私にはもう何も言うことはありません[1]。しかし、「喜ぶ」というのがあなたの答えなら、「著作権が云々」という文句は確実にあなたの喜びをフイにします。自分のサイトにはそういう文言は書かないほうがいいでしょう。

では、なぜあなたは著作権が云々という文言を入れたのでしょう?何をされては嫌だから入れたのでしょう?それを考えてみて下さい。きっと、「無断リンク」の話と同じような理由ではないでしょうか?そして、それに対する答えも同じです。心ない一部の行為が問題なのであって、善意での利用者全員に対して著作権を振りかざしたくはないはずです。

もう一度繰り返します。「自分の作ったデータを勝手に使って、他人があたかも自分の作ったもののように見せる」のは常識に外れた行為ですし、それは誰にでも受け入れられないことです。しかし、あなたが受け入れられないのがこのような行為だけだとしたら、「無断で使用・改変するな」ではなく「使用・改変するときは自分の名前と元の文書の名前を明確にせよ」でいいはずです。Bさんが善意の持ち主なら、Bさんが作った一覧表の一番上にはでかでかと「このサイトはAさんの素晴らしい文書があってこそ成立するもので……」と謝辞が書かれるに違いありません。それこそあなたが望むことではありませんか?


  1. ここまで読ませてからこんな事を言うのは悪いのですが、あなたはこの文書の主張の対象外です。ここで言っている事はすべて忘れて、あなた流を貫き通して下さい。 ↩︎