Phantasy Star Onlineでロールプレイをしよう(上級編)

一通りロールプレイができるようになったあなた、さらに上を目指すことを一緒に考えてみましょう。

死について

キャラの話から唐突に話題が変わるが、私がどうしても言っておきたいこと、そ れが「キャラの死」に関する問題である。これは最近のCRPG批判にも結びついて、 語れば延々と長くなる問題である。

CRPGでなぜ死が軽視されるか

CRPGが一般常識に反して最も軽視しているもの、それは「キャラクターの死」で ある。私は、「アニメやゲームが少年の心をむしばんでいる」というPTA的な意 見には基本的には反対だが、ことCRPGについては賛成したくもなる。

そもそもCRPGの元祖であるウィザードリィでは、いつでも死の危険にさらされて いたし、死は確率的にキャラのロストという最悪の事態を招いていた。そのため、 プレイヤーは常に死と闘っていた。RogueやNethackでは、キャラクターは死んだ ら終わりで、 また最初からである。何日もかかって育てたキャラがたった一つの入力ミスで死 んでしまい、また最初からということもよくあった。

しかるに、最近のCRPGは、キャラが死んでもほとんどダメージがないことが多い。 そのままの持ち物で街へ戻され、また元の場所まで行けばいいようになっている。 PSOも同様である。たまにお金が減るゲームもあるが、それでも減るお金は微々 たるもので、それが問題になることはほとんどないことが多い。ロスするものは キャラのステータス(お金とかアイテムとかキャラ自身)ではなく、プレイ時間だ けなのだ。

前者のゲームと後者のゲームの違い、それは「プレイに対する緊張感」である。 前者では、一挙手一投足が常に低確率ではあるが死へと結びつく可能性があり、 常に緊張にさらされる。しかるに、後者では、死は単にプレイ時間がちょっと増 えるだけで、特に気にする必要のない事象になってしまう。

そう、最近のCRPGにないもの、それは「ゲームオーバー」であり、ゲームオーバー を回避するために必要な「プレイヤーの努力と工夫」であり、ゲームオーバーに ならないように常に気をつける「緊張感」である。上まで積み上がってもゲーム オーバーにならないテトリスや、弾に当たっても何ともないシューティングゲー ムを想像してみよ。こんなのが面白いか? 少なくともこんなのはゲームではない。

もちろん、CRPGがここまでメジャーになったのは、ゲームオーバーのないシステ ムを導入したからである。それは、CRPGを普段ゲームをしない人にも広め、売上 げを上げるためのシステムである。事実これは成功し、CRPGは作れば売れるドル 箱ジャンルに成長した。しかし、最近、多くの昔からのゲームファンはCRPGを軽 視し、もう何年も新作をプレイしなくなってしまっている傾向にある。ドラクエ 1,2,3の時 代にさんざんCRPGをやり通した世代が、である。その理由はただ一つ、「ゲーム じゃなくてつまらないから」であろう。

はっきり言おう。もともと、ゲームをする人間はごく一部の「変な」人間である。 大半の人は何の利益にもならない無駄な行為に好きこのんで脳ミソをフル回転さ せるエネルギーを費したりはしないものなのである。大半の人はお金や時間は結 構バカバカしいことに喜んで費す(これらのものはあり余っているのだ)が、 知恵と努力、思考力、緊張感を無駄な行為に費すことができるような人はごく一 部なのである。その意味では、最近のCRPGはマーケットニーズに合った正常な進 化なのである。

結論。一般大衆に売るために、CRPGはゲームではなくなった。ゲーム好きなら CRPGに文句は言うな。する価値のない物は単に無視すればいいのだ。以上。

死は重大な出来事だ

ふぅ、CRPG批判を始めると止まらなくなってしまう。ところで、結局のところ私 が言いたかったのは、「CRPGで死が軽く扱われるのはこれでゲーム性が高くなる からではなく、逆にゲーム性を低くするためなのだ」ということである。「ゲー ム」を楽しむのなら、少しでもゲーム性を高くする方向に、つまり死を重要視す るように心掛けるべきだ。

私がここで言いたいこと、それは「死に対してもっと緊張感を持て」という ことである。死んだらキャラを捨てて作りなおせとか、他人が死んでもリバーサー を使うなとか、そういった極端なことは言わない。しかし、「死にたくない」とい う人間なら当然の欲求をキャラにも持たせてあげてほしいのだ。

具体的には、よくこんな会話を耳にする。


Alex J080: 「ねえねえ、遺跡行こうよ」 Jack J009: 「俺にはまだ無理だ」 Alex J080: 「大丈夫、リバーサー使えるから、いく らでも生き返らせてやるよ」


ひどい話じゃないか。とんでもなく強い敵の中に放り込まれ、さんざん痛い 目に会っ たあげく、死んでも無理矢理復活させられて地獄の責め苦が続くのである。 PSOでは死んでもいくらでも復活できるとはいっても、キャラは死んでうれしい わけがない。しかも、Alexのプレイヤーはよいことをしたと思っている場合もあ るから余計始末に悪い。

「死」をこう解釈しよう

私は、本来「死=ゲームオーバー」だが、それだとオンラインプレイでは都合が 悪いからしかたなく救済措置をつけているものと解釈している。その救済措置を 使うのには異論はないが、これを積極的に利用するのはバグ技を利用するのに等 しいと思う。

私の死に対するスタンスをまとめるとこうだ。

復活を他人に使うことや、自分が死んで街に転送されるのは結構。しかし、死ん でしまった回のプレイは「負け」である。ゲームは負けないように最善をつくす べきだし、負けが分かっているようなところには行くべきではない。そして、万 が一「負け」てしまっても、その回のプレイの残りはこれ以上「負け」が増え ないように最善を尽くすべきである。

ちなみに、チームを組んでいったときには、私は誰か一人が「負け」たら全員が 「負け」だと思っている。なぜなら、チームは同じ目標を目指して共通の困難に 立ち向かう仲間であり、「勝ち負け」に対して共通であると考えるからだ。 他人のHPも自分のHPと同様最大限気を配るし、他人が倒れそうなら自分の目の前 の敵をほうっておいてでも助けに回る、そうしたチームプレイの理論的根拠はこ れである。