ロールプレイとは何か

テーブルトークRPGを取り上げ、「ロールプレイとは何か」を大真面目に考察しました

まとめ

テーブルトークRPGは分厚いルールブックと細い文字のびっしり書かれたキャラクターシートを使って行う、情報量のとても多いゲームだ。それだけにルールが理解できた時はうれしいし、上級ルールの片隅に書いてある今まで使ったこともない表を使って解決するような状況になったらわくわくする。キャラ設定の片隅に書いてあった特殊能力が使える場面になるとうれしい。でもロールプレイングゲームの本当の楽しみはそうじゃない。そういったルールを知った上で「ではどうするか」を考えるのが楽しみなのだ。

そういう意味ではテーブルトークRPGは難しい。しかし、難しいのは何もテーブルトークRPGだけではない。将棋だって囲碁だってチェスだって定跡を覚えてからが本当の面白さだ。トレーディングカードゲームだったら世の中に存在するすべてのカードの種類と効果を熟知してからが本当の戦いだ。何度やっても飽きない面白いゲームは難しいものなのだ。これは「考える」ことが主体である「ゲーム」では当たり前のことだ。

しかしテーブルトークRPGはそういう売られ方をされなかった。難しいのでは売れなかったからだ。代わりにこれは「考えるゲームではない」という宣伝がされた。「想像力のゲーム」「感性が重要」「物語をつくる」「疑似体験」などなど。消費者は「難しい理屈や思考能力は必要ない、お手軽で楽しいゲーム」であると勘違いした。そんなものが奥の深い「ゲーム」であるはずがない。

心ある人々は「そうじゃない。ロールプレイングゲームは考えるゲームなんだ」とさかんに主張した。そしてそれは「そんなのは自分達の勝手だ。楽しければそれでいいじゃないか」とつっぱねられた。ちょうど「定跡なんてくそ面倒なものを覚えたくない。将棋盤の前で何分もじっと考えているのも疲れるから嫌だ。僕は駒が動かせればそれで面白いんだ」と言わんかのように。

もちろんそういう遊び方も、当人が面白いのなら結構だ。「考える楽しさ」を伝えるのは大いに結構だが、そんなことをしたくない人にそれを強制するのは間違っている。逆に「考える楽しさ」がわかる人間は少数派だと思っている。別にいいじゃないか。それで。

ただ、そういう遊びを「ゲーム」と呼んで欲しくないだけなのである。

そして最後に、次の文書について

さて、ここまで書いたところで、「皆でわいわいと騒ぎながらノリノリでプレイするのがなりきり」で「将棋のようなボードゲームをやるみたいに、むっつりと顔を突き合わせて黙々とプレイするのがロールプレイ」だと勘違いした人も多いと思う。しかし実際にはそうではない。

上の文のどこが間違っているのか。「ボードゲームはむっつりと顔を突き合わせてプレイする」というのが間違っているのだ。戦争もののシミュレーションゲームでもその他のボードゲームでもわいわいと楽しめるし、将棋でも友達同士でやる時なら「あっ!!なんてこった!!」「ふふふ、待ったは禁止っていってたよなぁ。にやり」などと、楽しく話しながら遊ぶものだ。[1]

特に抽象的でないマルチプレイヤーゲームでは顕著だ。「人生ゲーム」を例に挙げればわかるだろうか。「出産」のマスに止まったら皆の拍手のうちに車にピンが差されるだろうし、お祝い金は「出産おめでと〜」といって手渡されるだろう。これはなりきりではない。真似をする事を目的としてやっているわけではないのだから。

というあたりの事を「なりきり」と「ロールプレイ」に書いた。こちらも参照していただけると幸いである。


  1. もちろん黙々とプレイすることもあるし、それはそれで楽しい。「ゲームの楽しさ」と「わいわいやる楽しさ」は別種のものだ。 ↩︎