パズル、戦術、そして戦略

面白いゲームに含まれるもの、よく「ゲーム性」と言われるものの正体を探ります。

パズル性

まず「パズル性」について話をしよう。パズルとは何だろうか?パズルという言葉を辞書で引いてみると「謎」とか「難問」とかいう意味らしい。要するに「問題」のことだ。

パズルを論理的に定義づけようとすると、「○○という条件に当てはまる解を見つけ出す」という定義になるだろう。条件というのはジグソーパズルだったらピースの辺と辺の形がぴったり一致して一枚の絵になることだし、クロスワードパズルだったらすべてのマスに文字が埋まっていて、それがタテヨコのカギとして書いてある文章の答えになっていることだ。あるいはルービックキューブだったら、バラバラな状態から6面全部が揃った状態になるような操作手順を見つけ出すことだ。なぞなぞだったら「上は大水、下は大火事」にあてはまるものを見つけ出すことだ。

パズルの解き方の3要素

では、人がパズルを解く時にはどうしているだろうか。もちろん個々のパズルでいろいろな解き方があるわけだが、定性的に言えばパズルの解き方は3つのタイプにわけられる。

  • ひらめき

  • 試行錯誤

  • 論理的思考

「ひらめき」を重要視したパズルは「なぞなぞ」とか「ひっかけ問題」とか「とんちパズル」と呼ばれる。試行錯誤がメインのパズルは宝探し系である。「間違い探し」「シークワーズ」などなど。そして論理的指向を重要視したパズルは数理パズルであり、それが高度になるとパズルというより東大の数学の入試問題みたいな問題になる。

そして面白いパズルにはこの3要素がバランスよく混ざっている。例えば次の覆面算のようにだ。

各文字に0から9までの数字をあてはめて式を完成させよ。(ちなみに下の式中のOはゼロではなくアルファベットのオーだ。)[1]

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この例はパズルの古典なのでどこかで見た覚えがあるだろうが、この問題に初めて出会うとまずどうやっていいのか見当もつかないだろう[2]。しかしじっくり見れば解の糸口が見つけ出せる。これが「ひらめき」だ。するとそこから「論理的思考」でいくつかの文字が埋まる。しかし途中でどうしても論理だけでは追いきれない面が出てくる。そこを「試行錯誤」でカバーする。3つの要素が程よく混じった良質なパズルだ。[3]

そしてこれからはこの3要素がバランスよく混じった良質なパズルを「パズル性が高い」と呼ぼう。この3要素がパズル性だというわけではなく、「ほどよく混じっていること」がパズル性なのだ。

なぞなぞの面白さと欠点

パズルの解き方に3要素をバランス良く混ぜるというのは非常に難しい。あちらを立てるとこちらが立たずという状態になりやすいからだ。まずここではひらめきだけを重要視するとどうなってしまうか?という話をしよう。

ひらめきというのは、人がぱっと思いつかないような事を解の中に盛り込むということである。意外性があってしかも「ああなるほど」と思わせることができたら成功だ。こうしたひらめきを人は面白いと思い、そして人にも試してみたくなる。

「ひらめき」系のパズルの代表的なものとして「なぞなぞ」がある。面白いなぞなぞをを作る難しさは一見すると「意外性」にあるように見える。しかし本当のところはそうではなく、「ああなるほど」の要素が重要なのである。例えば「上は大水下は大火事なーんだ?」というなぞなぞにどんな意外性のある答えをもってきたとしても、それは「ああなるほど」にはならず、「ああそうだね。それもあてはまるね。」で終わってしまう。別に感心もしないしそれを他人にも出題してみたいとは思わないだろう。「ああなるほど」というのは論理性だ。つまり論理性がない意外性だけのパズルを人は面白いとは思わないのだ。

「なぞなぞ」に対して「試行錯誤」の要素もまた重要である。これはパズルのとっかかりに影響する。「上は大水下は大火事なーんだ?」と言われて、何もひらめかなかったとしたら人はどうするだろうか?きっと「わからない」と投げ出して終わってしまうだろう。問題を考えようにもとっかかりがどこにもない。しかし「家にあるもの」とヒントを出されると話は違ってくる。「家にあるものねぇ……何だろう」と思いながら、家にあるものを片っ端からあてはめてみるに違いない。試行錯誤によって考える糸口ができるわけだ。

試行錯誤系パズルの面白さと欠点

一昔流行った「ウォーリーをさがせ」のように、たくさんある解の候補をとにかく条件にあてはめてみて答えを探すタイプのパズルが「探索系」あるいは「試行錯誤系」である。「間違い探し」や「シークワーズ」、「ジグソーパズル」などもこのタイプといえよう。

この手のパズルは暇つぶしにはもってこいである[4]。頭脳より根気がモノをいう、気楽にできるパズルだ。時間を忘れてパズルに没頭できるし、比較的容易に達成感が得られる。一度やってみれば、大きなジグソーパズルが完成したら額に入れて飾りたい気持ちもわかるだろう。

「頭脳より根気がモノをいう」というのは利点と同時に欠点でもある。「なんだそんなの、単に暇を持て余してるだけじゃないか」と言われると元も子もない。梱包材をプチプチつぶしている時の楽しさと、つぶし終わった時の何ともいえないむなしさに共通するものだろう。

数理系パズルの面白さと欠点

論理を重要視するのが「数理系」パズルである。数理系パズルでは数と論理が主題である。先に示した覆面算もそうだし、「うそつきパズル」[5]もそうだ。そして「パズルとは難問という意味だ」というのをそのまま取ると、数学の問題はみな数理パズルだ。

この系統のパズルの面白さはすなわち「数学の面白さ」だ。数学を面白いと思う人には面白いだろうし、数学なんて嫌いだと思う人には面白くない。数学好きの人にしてみたら「大学の数学の入試問題って何かパズルみたいで面白いよね」となるし、数学嫌いの人にしてみたら「なんで自由時間を削ってわざわざ数学の勉強をするんだ」となる。このあたりは個人の主観になってくるから、もはや人それぞれとしか言えない。

解の定義域

さて、パズルのそれぞれの要素について話をした後で、面白いパズルが持っていなくてはならない性質について話をしよう。つまりはすべての要素を欠かすことなく持つにはどうすればいいかという話である。まずは「解の定義域」について話をしよう。

解の定義域とは、「どんな解があり得るか」というルールのことである。クロスワードであれば「それぞれのマスにカナ一文字が入る」とか、覆面算なら「それぞれの英字が0から9までの数字に対応する」というのが「定義域」だ。それに対して「上は大水下は大火事なーんだ?」というなぞなぞでは定義域は決まっていない。およそどんなものでも答になり得るからだ[6]

解に定義域が決まっていないと試行錯誤をすることができない。「なんでも解になり得る」と言われるとどこから手をつけていいのかさっぱりわからなくなってしまうのだ。そして論理性も失われる。「○○という前提で△△という条件を考えると□□しかあり得ない」と考えていくには、まず前提が明確でないといけないからだ。

定義域が決まっていないパズルはなぞなぞやひっかけ問題に多い。そして出来の悪い問題は解答を見た時に「なるほど。それは面白い」とはならず「ああそうだね」とか「そんなの卑怯だ」で終わってしまう。良いパズルには考える範囲が決まっている事が重要なのだ。

解の意外性と解法の意外性

パズルにひらめきや意外性の要素を入れようとすると、どうしても意外な解答を用意しようとしてしまう。すると問題の中で解の定義域を言うとネタバレになってしまうので、「どんな方法でもいいから」と定義域が決まっていないパズルになってしまう。

良いパズルで意外なのでは解ではなく解法である。「なるほど。そうやれば簡単に解けるのか!」というパズルである。例えば「1から100までを順に足し算すると答えは?」という問題[7]がこの典型である。がんばって順番に足し算をすれば答えは出るという意味では答えは時間さえかければだれにでもわかる。しかしそれがこの問題の意図するところではない。解の定義域が決まっていて、一目見ただけでは答を順番にあてはめて試行錯誤を繰り返すしか方法がないように見える。しかし解法がわかればそんな面倒なことをしなくても論理展開だけで簡単に解くことができる。そんなパズルが「意外性のある面白いパズル」として後世まで語り継がれていくことになる。

解の唯一性

パズル好きは重要視するのに他の人はあまり重要視しない(ように思われる)要素に「解の唯一性」がある。「答えはこれだ」というとき「これ以外は答えではない」といえるかどうか、これが解の唯一性である。先に例に出した覆面算の問題は解が1つしかない。実際に解いてみた人にはわかるだろうが、答えがわかった時には同時に「これ以外は答えではあり得ない」とわかるのである。見事なパズルだ。

答えが一パターンだけであるというのは確かに魅力的だが、すべてのパズルにそれを要求するのは行き過ぎかもしれない。しかし「これ以外は答えではあり得ない」と言えるかどうかは重要な要素だ。答が複数あるのなら複数の答えを全部見つけた上で「答はこれで全部だ」と言えるということである。

数理パズル以外では注意しないと唯一性を保てない場合がある。例えば「ウォーリーをさがせ」でもし「この絵の中にウォーリーは何人いるでしょう?」という問題だったらどうだろう?例え自分が見つけられたのが5人だったとしても、それが答である保障はどこにもない。だれがこんな問題に自信をもって答えを出せるだろう?この問題に答えるのは不可能だ。もし「自分で答えがわかるまでは決して解答欄を見ない」という(健全な)パズリストがいたら、この問題の解答欄を見る日は永久に来ないだろう。

なぞなぞ系ではもっと始末に悪い。「上は大水下は大火事なーんだ?」という問題の答はそれこそ無限にある。そしてなぞなぞではそのうちの「出題者が意図した答え」だけが正解なのである。これは明らかにおかしい。「その答えは不正解」と言うなら、なぜそれは不正解なのかという理由が言えなくてはいけない。そして「解答」と書くからには、解答が全部そこに書いてなくてはならない。

パズルは解けなくてはならない

一般の人には「パズルは難しい方がいい」という誤解が広まっている。これは間違いだ。パズルは解けなければならない。パズルは解いて楽しむものなのだから。

クロスワードパズルはいい例だ。これは「解いて楽しむ」パズルである。パズルを難しくするなら、タテのカギとヨコのカギはできるだけ交差していない方がいい。しかしそれではクロスワードパズルの意味がない。クロスワードパズルの意義は、一見難しい問題をタテヨコのカギの連携で「解ける」ようにしているところにあるのだ。

なぜこれを強調するかというと、素人が作るパズルは往々にして解けないパズルになりがちだからである。一般の人は誰にも解けないようなパズルを作るのは難しいと思っているが、実際は逆だ。解けないパズルを作るのは簡単で、単に問題の規模を大きくて解の範囲を広げ、そしてヒントを一切出さなければよい。しかしそんなパズルより、誰にでも解けるようなパズルを作る方がずっと難しいのだ。

もちろん、単に規模が大きいだけのパズルは手間がかかるだけで「解ける」パズルだ。ここで問題にしているのは解けないパズル、つまり前提条件が少なすぎて考えるとっかかりのないパズルのことだ。こういうパズルは解答を見ても「ふーん、そんなのわかるわけないじゃん」で終わってしまう。こう思わせてしまうのが悪いパズルなのである。

まとめ

さてまとめよう。面白いパズルには「ひらめき」「試行錯誤」「論理性」の要素がほどよく混ざっている必要がある。それには解の定義域が決まっていて、解が意外なのではなく解法に意外性があり、そして解の唯一性が保障されていないといけない。そして当たり前のことだが、パズルは解けなくてはならない。

コンピュータのパズルゲーム

「パズル性」とは何かを考えた後で、コンピュータゲームについて補足しよう。コンピュータゲームでは「パズルゲーム」という一大ジャンルがある。その中にここで言う「面白い」パズルゲームがあるだろうか?

最近の例では「ことばのパズルもじぴったん」などはこれらの要素がバランス良く混ざった良質のパズルだ。例が古くなるが「ぷよぷよ」[8]なども3つの要素が混ざっているいいパズルだと思う。[9]

しかしコンピュータのパズルゲームで一つ考えて欲しい事がある。「中毒性」についてだ。テトリス[10]やマインスイーパーなどのゲームは「中毒性が高い」と評される。時としてゲームレビューではこれは「面白い」と同義に使われたりするのだが、それは本当だろうか?

パズルとしての面白さと中毒性は別に考える必要がある。「パズル中毒」とは時間を忘れて梱包材をプチプチつぶしているような状態だ。ふと我に返って「なんで自分はこんな時間までこんな事をしてるのだろう」と疑問と後悔の念を持ったことはないだろうか?あるいは「このゲームは別にたいして面白いとは思わないんだけど、でもやめられない」と思ったことは?これが「中毒」だ。

コンピュータのパズルゲームで特徴的なのはスピードである。普通のパズルでは制限時間は決められていず、同じ問題をゆっくりと考えていられる。しかしテトリスではブロックが落ちてくるまえに置く場所を考えないといけない。そしてそんな短時間にひらめきや論理性なんて期待できるはずもないから、どうしても問題自体はごく簡単になってしまうのである。単純作業をスピードに追いたてられながら何度も繰り返していると、人は催眠状態に陥ってだんだん頭の中が真っ白になってくる。これが中毒の正体だ。そしてそれは単純作業をしているだけで「難しい問題を考えている」わけではない。そんな暇はないはずだからだ。パズルとは難しい問題を考えることだったはずだ。だからこれはパズルではないのだ。

パズル中毒に陥らないためにはどうしたらいいか?「ゆっくり考えて楽しみながらパズルを解くこと」これに尽きる。そしてそれでもなお面白いと思えるものが本当に面白いパズルなのである。


  1. 念のために覆面算のルールを記しておく。同じ文字には同じ数字を入れ、違う文字には違う数字を入れなくてはならない。これがルールだ。

  2. 「そんなの簡単だよ」と言う人は頭が良すぎるのだ。

  3. 余談になるが、このパズルが面白いのはパズルの形式が面白いからではない。その証拠に、適当な数式をもってきてそこに文字を当てはめただけでは面白いパズルにならないのだ。このパズルがどのくらい奥が深いものなのか、どれだけよく出来ているものなのかはやってみればわかる。

  4. このへんの利点は皮肉や辛口批評に聞こえてしまうかもしれないが、まったく非難の意図はない。時間を忘れて単純作業に没頭するというのもいいものだ。

  5. 「Aさん, Bさん,Cさんの3人のうち誰かが嘘をついています。その人はだれでしょう?」という類のパズルのことだ。

  6. 本当は「単語一つで」という暗黙のルールがあり、それが定義域である。しかしこの暗黙のルールは世の中ではあまり守られていないようだ。

  7. この問題は「等差級数の公式を使って……」というのも的外れな解答である。そんな難しい公式を知らないはずの小学生のガウス君がどうやってこれを導き出したのか?というのが問題の骨子だからだ。

  8. 5連鎖くらいで喜んでいるうちは、という条件付きで。階段積みで十何連鎖というレベルになってしまったらもうパズルではない。

  9. 他にも面白いパズルはいくつもやったと思うがとっさにはタイトルが出てこない。

  10. パズルゲームに「中毒性」という言葉が初めて使われたのがこのテトリスじゃないだろうか。どうだろうか?