「ロールプレイ」と「なりきり」

「ロールプレイ」は「なりきり」ではありません。どう違うのかをじっくり見てみましょう。

はじめに

ネットワークRPGが普及しだして「ロールプレイ」がまた注目されるようになった。「また」と書いたのは15年くらい前のテーブルトークRPGブームの時に一度注目されたことがあるからだ。しかしこのブームは悪い影響を残して今では見る影もなく消え去っている。

悪い影響とは具体的に言えば「ロールプレイ=なりきり」という図式のことだ。具体的に言うと次の(間違った)説明に集約される。

「ロールプレイ」とは台本のない「即興演劇」のようなものです。各プレイヤーは「魅力的なキャラクターを創造」し、そのキャラクターを「演じ」、そして「感動的な物語を皆で作り上げる」ものです。

これはロールプレイの説明ではなく「なりきり」や「即興演劇」の説明である。本当は以下のようであるべきなのだ。

「ロールプレイ」とは、あなたが架空の冒険世界に生きる「一人の人間として」、さまざまな「使命を達成」するために「仲間と協力」して行動する事です。

残念ながら「ロールプレイ」の説明で後者の(正しい)説明をしている場所は非常に少ない。それはなぜかというと説明が難しいからだ。前者の説明では「演劇です」という例えがあるからイメージが沸くのだが、後者の説明では具体的なイメージが沸かない。

具体的なイメージが沸かないのは「ロールプレイ」というものが画期的で他に例えるものがないからに他ならない。「ロールプレイは即興演劇です」と説明する人はロールプレイなんて言葉は使わずに即興演劇、あるいは「なりきり」と呼んでいればいいのだ。

ここでは色々な側面について「なりきり」と「ロールプレイ」を対比することでそれぞれがどう違うのかを明確にしたいと思う。

まず注意

この文章を読んで「なりきり」に否定的だと感じたなら、それは単に筆者の好みの問題にすぎないことを初めに申し上げておく。筆者は「なりきり」好きの人は「なりきり」をやっていればいいと思うし、それについてとやかく言うつもりはない。

筆者が問題視しているのは、「なりきり」を「ロールプレイ」と称しているところである。これは詐欺だ。このせいで「ロールプレイ」は好きだけど「なりきり」は嫌いな人が、偽物をつかまされたおかげで二度とロールプレイに目を向けなくなってしまっている。「なりきり」をやりたいなら堂々と「なりきり」と言えばいい。それを勝手に「ロールプレイ」と称さないでほしい、というのが筆者の願いだ。[1]

それから、心理学用語としての「ロールプレイ」や英単語としての「ロールプレイ」とは若干ずれてきているかもしれない。本当は本文中での「ロールプレイ」は「ロールプレイングゲーム」と書くべきところかもしれない。しかし「ロールプレイングゲーム」というのがまた別の意味で定着してしまっている現状を考えご容赦願いたい。そしてもっといい言葉があったら教えていただきたい。

対象読者

この文書は「ロールプレイはなりきりのことです」と教えられて「ふーんそうか」と思っている、テーブルトークRPGをやったことのない読者を対象とした(つもりである)。そう教えられてロールプレイを少々かじってみたものの「何か違う」「なじめない」と思っている人に一番読んでほしい。

ここで記載している事実の間違いや感想などは大歓迎である。そして、よくわからない個所の指摘も大歓迎である。要するにたいていのものは大歓迎である。でもウィルスメールはお断わり。


  1. 中には「ロールプレイはもうあなたが思っているような昔のものとは違うんですよ」と言う人もいる。変えてしまったのは誰だ!自分たちで勝手に嘘を広めておいて、それを既成事実にするとは何たることだ! ↩︎