ゲームとは何か

ゲームとは何か。そしてゲームはなぜ面白いのか。

ゲームの範囲

ここでは、ビデオゲームなどの中からゲームの枠組を抜き出してみよう。どこがゲームの部分でどこが飾りの部分なのかを見極めるためである。それがゲームとして面白いかどうかを見極めるには、まずどこからどこまでがゲームなのかを知ることである。

ゲームに範囲も何も存在しない、と思われる方もあるかもしれない。勝つためには考えつく限りのあらゆる手段を尽くさねばならない、と。これはある意味真であるから余計にやっかいだ。しかし例えば麻雀で積み込みや通しサインは許されるのだろうか?イカサマは発見されるリスクと成功した時の得を考えて選ぶべきなのだろうか?いや違う。イカサマはゲームの範囲外にあり、ゲームではしてはいけない事なのだ。

これは倫理的な観点ではない。ルールにない事はしてはいけないというだけだ。麻雀でハウスルールにもし「イカサマOK」と書いてあれば、華麗なイカサマ技を駆使して勝つべきである。ゲーム内でそれをしていいかどうかは唯一「ルールにあるかどうか」だけで決まり、それ以外の観点で決めるべきではない。

この問題は家庭用ビデオゲームで顕著だ。多くのゲームでは「ゲームスタート」のかけ声の一つもなく、ソフトを立ち上げた時からゲームの世界にどっぷり浸かれるようにできている。明文化されたルールもない。だから考える時には意図的に切り分けをしないといけない。

初期状態

ゲームを分析する上でまず切り出してもらいたいのが、いつがゲームの開始なのかである。ゲームクリエイター達がゲームと呼んでいるものと本物のゲームとはまた違うものであって、この境目をつけるのはなかなか難しい。

例えば、多くのゲームには難易度設定がついている。では、難易度をEASYにするのはゲームの一部だろうか?もしゲームの一部であるとすれば、ゲームとはできるだけ確実に相手を倒すものなのだから、EASYにして勝つ確率を上げる「べき」である。もし難易度設定はゲームの範囲外にあるとすれば、自分の好きな難易度にして遊べばよい。

難易度設定は多くの人が「それはゲームの一部ではない」と言うだろう。ではアクションゲームでたまにある、何回か死ぬと敵の攻撃が緩やかになるというフィーチャはどうだろう?これを「ゲームの一部」として積極的に使っていいのだろうか?それともこれはあくまで救済措置であり、積極的に使ってはいけないのだろうか?

これはその人個人の問題ではない。ゲームの根幹に関わる問題である。なぜなら初期条件というのはルールの一部だからだ。これを「どこからをゲームと呼ぼうが個人の自由」と言ってしまうのは、プレイヤーにサイコロだけを渡して「どう遊ぼうが個人の自由」と言うのと同じだ。これは無責任な行為であり、自分の意図していない遊び方をされて「こんなゲームはつまらない」と言われてしまっても仕方がない。[1]

まとめよう。ゲームをデザインする場合にはまずどこからがゲームなのかをはっきりとさせるべきである。ゲーム開始前はプレイヤーは自分の好みの行動をとってもよいが、ゲームが始まったらプレイヤーは自分勝手な行動をとってはいけない。必ず勝ちに向かって行動しなくてはならない。

終了条件

「どこからがゲームなのか」を見極めたら、次に「どこまでがゲームなのか」を見極めないといけない。この両方を決めることで始めてゲームの範囲が決定される。終了条件というのは、どうなったらゲームはプレイヤーの勝ち(あるいは負け)なのかを明確にすることだ。

終了条件とはすなわちゲームの目的である。ゲームは勝利を目指すものであるが、どうなったら勝利と呼べるのかを定義したものである。だから終了条件がなくてはゲームは成り立たない。例えば、悪の大魔王を倒してもまだ延々とレベル上げできる多くのRPGは、ゲームである事を自分から放棄している。

中には「負けないこと」が勝利条件になっているゲームもある。昔のゲームの多くはそうだ。例えばテトリスでは際限なくブロックが降ってきて、上まで積み上がらない限りいくらでもゲームを続けることができる。このようなゲームでは勝つことは不可能だから、ゲームとしては少し問題がある。しかし「勝つ」ことはできなくても「勝ちを目指す」ことはできるから、まだゲームとしては成立する。

パックマンやインベーダーゲームはまた違う。これは「面」で区切られているからだ。面の始まりがゲームの開始であり、面クリアかゲームオーバーが終了条件である。そして面クリアしたら次のゲームが始まる。このように、ゲームの終わりとビデオゲームの終わりが一致しないこともある。

あるいは、ゲームが入れ子になっている時もある。例えばRPGでは、魔王を倒すという大きなゲームと、個々の戦闘という小さなゲームがある。戦闘は完全に一区切りのゲームになっているが、前回の戦闘によって初期条件や終了条件が微妙に違う。そして、何を目指すかはプレイヤーが「大きなゲーム」の戦略に従って決定する。

コンティニュー

ゲームオーバーになっても、ゲームの途中からまた再開できるシステムが「コンティニュー」である。家庭用ゲームではこれが何回でもできる事が多い。このシステムの問題点は、プレイヤーの勝負がはっきりしない点である。

ゲームオーバーになった時にまた最初からではなく途中から再開するのはなぜだろう。もしそのゲームが本当に面白いのなら、途中を飛ばさずにまた最初からやりたいと思うに違いない。そこまでの道のりが長く単調でつまらないから、それをすっ飛ばして途中からやりたいと思うのだ。コンティニューするということは、そこまでのゲームとしての楽しみを否定することである。

アクションゲームや一部のSTGでは、コンティニューすると面の最初に戻される。この場合、「面」がゲームの単位だ。一つの面をクリアするまでが一つのゲームであり、クリアできたらそれは勝ちである。そして次の面ではまた次のゲームが始まる。このようなシステムであればこれはゲームとして通用する。

しかし、こういうシステムにするなら、面の始まりは常に同じ状態になっていなくてはならない。「ゲーム」の単位が「面」だからだ。どれだけパワーアップアイテムを持っていても面の始まる時にクリアされるか、逆に面の頭で簡単にパワーアップできるようでなくてはならない。同じ条件で始まるから勝負を競えるのであって、始めからハンディがついているのでは何を競っているのかわからなくなる。[2]

もう一つ、コンティニューを繰り返すことで有利になってはならない。これも同様に何を競っているのかわからなくなる。コンティニューをしてゲームが簡単になるのならば、「より確実にクリアできる方法を探す」というゲームの鉄則からすると「コンティニューをした方がよい」という結論になってしまう。これはコンティニューの主旨からしておかしい。もともとコンティニューというのはゲームに負けた時に復活するものだ。「ゲームに勝つにはゲームに負けた方がいい」という意味不明な結論になってしまう。

まとめよう。コンティニューというのはプレイヤーにとってもう面白味のなくなった簡単な面をスキップするためのもので、スキップした事によってゲームが難しくなっても簡単になってもいけない。ゲームオーバーになったら必ず面の始めに戻されなくてはいけない。

これらの条件を満たすものはもはやコンティニューではなく面セレクト機能である。よって結論。コンティニューではなく面セレクトにしろ。そちらの方がプレイヤーにとって便利だ。

プレイヤーの評価

ゲームが終了したら、プレイヤーの勝ちであるか負けであるかが判定されなければならない。しかもそれは優劣があるものでなくてはならない。「どのエンディングにたどりついてもよい」というのではゲームにはならない。必ず「勝ち」が「負け」より良い評価でなくてはならず、それはただ一種類でなくてはならない[3]。ゲームは勝つために考えるものなのだから。

そして、その評価基準は客観的に決められていないといけない。ゲームの目標はルールの一部であり、プレイヤーが自分で決めてはいけないものである。ゲームは「勝ち」を目指すものなのに、その「勝ち」の定義を途中で勝手に変えていいわけはない。どういう状態が「勝ち」なのかはゲームの前に決めなくてはならない。逆に言えば、それが決まってない間はまだゲームではない。

中には勝利に複数の段階を設けているものがある。「大勝利」「勝利」「僅差の勝利」などである。このようになっているとプレイヤーは非常に困る。既に「勝利」の条件は満たしているがまだ「大勝利」の条件を満たしていない時に、果たしてどうすべきだろう?ゲームは安全確実に「勝利」を目指すものであるから今すぐ「勝利」を宣言すべきだろうか。それともあくまで「大勝利」に向かうべきだろうか。プレイヤーに行動の指針が示されていないと、プレイヤーはどうしていいかわからない。だからもし段階を設けるにしても「プレイヤーは大勝利を目指すべきである」と一言書いておくべきだ。この場合、普通は大勝利以外は勝利とは呼ばれない。勝利というのは目指すべきものが達成された状態のことだからだ。

評価は連続ではなく、必ず段階がなくてはいけない。これはなぜ複数の評価が設けられるのかを考えれば理解できる。本来、ゲームには「勝ち」と「それ以外」しか存在しない。そして「勝ち」を目指す。しかしこうすると、勝つ見込みがなくなってしまった時に困る。二人用ゲームならその時は投了すればいいわけだが、プレイヤーが一方的に抜けることができないゲームもある。「勝ちを目指せ」と言われてもそれが不可能な時はどうすればいいのだろう?そんな時、評価が複数あると便利である。「勝ち」は目指せなくともその次の段階(例えば「2位」)を目指すようにできる。目標を段階的に下げていくことで、例え勝つ見込みがなくなってもまだゲームを続行させることができる。

だから、評価は連続ではいけない。勝つ見込みがなくなってしまった時、「次はこれだ」と一意に決定できるものでなくてはならない。でないと、プレイヤーは次の目標をどこに設定していいかわからない。ゲームの目標というものはプレイヤーが勝手に決められるものではないから、結果としてゲームを進められなくなってしまう。あるいは進められたとしてもそれはもはやゲームではなくなっている。

まとめ

ゲームを作る時には、ゲームの範囲を厳密に定めて、何をしようかとプレイヤーが悩まないようにしなくてはならない。ゲームというのは明確な目標に向かって、いかに確実に到達するかを考えるものだ。だから目標が明確になっていなくてはいけない。「勝利」が明確に定義されていないものはゲームではない。

プレイヤーは目標に確実に到達するためには許されるどんな手を使ってもよい。それだけではなく、どんな手でも使わないといけない。勝てる方法があるのにそれをわざとしないというのは、ゲームの大原則である「勝利を目指す」という事に違反することであり、ゲームに対する冒涜だ。だからこそどこまでが許される手なのかをはっきりさせないといけない。

どこからどこまでがゲームなのかを決めることによって、プレイヤーはゲームの間迷わず全力で戦う事ができる。



  1. 逆に自分の意図していない遊び方をされて「面白い」と言われることもあるが、これはゲームデザイナーにとっては屈辱であることを認識すべきだ。へらへら笑っている場合ではない。

  2. 「復活がアツい」といわれるSTGがいくつかあった。「復活」とは、いったん死んでパワーアップのない状態で面の最初に戻されることである。(パワーアップがないから)難易度の高い面に同じ条件でチャレンジできる面白さである。

  3. これは条件が一つでなくてはならないというわけではない。もし勝つ条件が「詩織か沙希か夕子に告白されること」なら一つの条件だ。「詩織エンディングを目指していたけど夕子だった。まあこれでもいいか」というのはよくない。これはゲームに負けたということである。