MORPGにおけるロールプレイ

MORPGで「ロールプレイ」とか「なりきり」と呼ばれているものの本質について考えます。

最後に

キャラクタープレイとは何で、どのくらい重要で、そしてなぜ軽視されているかだいたいわかっただろうか?「ゲームの雰囲気を守れ」と叫んでも、大抵のRPGではもともとそこにゲームの雰囲気なんてあったもんじゃないし、もしあったとしても2週間でしゃぶりつくせる程度の内容しかない。その結果、プレイヤーはゲーム自体にはすぐに飽きてそれからは別の楽しみを追求し始める。

キャラクタープレイは「キャラクターがそのゲーム内世界にいるように振舞うこと」だ。だから、プレイヤーがゲーム内世界を離れてチャットやレベル上げ作業を始めるとキャラクタープレイの出番はなくなる。そんな中でキャラクタープレイの出番がある遊び方が一つあった。それが「なりきり」だ。「なりきり」と「キャラクタープレイ」は同じものではないが、現状のほとんどのMORPGではキャラクタープレイをしようとすればなりきりをするしかない。だからよく同一視されてしまうのだ。そしてそれはなぜかというとMORPGがゲームとして奥が浅すぎるからである。

ロールプレイとは

最後の機会に少し補足をしよう。他の文書でこだわった「ロールプレイの本来の意味」について、今までできるだけ話をしないように努めた。しかしその意識は端々に出ていたのではなかろうか? この文書で「ゲーム」と呼んだものが、「本来のロールプレイ」である。そしてそれは決して珍しいものでも何でもない。RPGを本来の方法で普通に遊ぶのが「ロールプレイ」なのだ。「チャット」も「ネタバレ会話」も「レアアイテム探し」もそして「なりきり」もMORPGの本来の遊び方ではない。ロールプレイをするゲームだからこそロールプレイングゲームと呼ばれるのだ。

残念なことに、ほとんどのMORPGはロールプレイングゲームとして見るとどうしようもなくつまらない。よくもって2週間で飽きる。だから普通の人は「ロールプレイ」なんてしないのだ。そしてそれはプレイヤーが悪いのではなくゲームの出来が悪いのである。残念ながら「本来の遊び方以外はするな」とは言えない。本来の遊び方以外の要素をはぎとってしまったらほとんど何も残らないゲームばかりだからだ。

MORPGの限界

「RPGをゲームとして遊ぼう。そしてその時には雰囲気を壊さないようにキャラクタープレイをしよう」というのが筆者の主張だ。そしてMORPGでこれをやろうとすると次の意見も追加される。「そしてそのゲームをやり尽して飽きたら次のゲームをやろう」と。おそらくこれを正直に実行したらお金がいくらあっても足りない。だからこれは正論ではあるが実現不可能だ。

現状では、MORPGでとにかくキャラクタープレイをしようとするとなりきりに走る以外に解はない。しかし、だからといってなりきりをすべきだと言うつもりはない。キャラクタープレイは本来の目的を曲げてまでやり通さなければならないものでもなく、あくまでおまけなのである。「キャラクタープレイ」をしたいがためにわざわざ「なりきり」をするというのは本末転倒だ。なりきりが好きならキャラクタープレイでなりきりをすればいい。そしてなりきりが嫌いならキャラクタープレイのために無理してなりきりをする必要はない。そういう意味で「キャラクタープレイはおまけ」なのだ。

とMORPGに否定的な意見で終わってしまったが、某MORPGでどうやったらこの限界を越えられるかをいろいろ考えたり試したりしたつもりだし、一定の成果はあったと思っているからだ。それについて少し次に述べたいと思う。

シナリオ提供型キャラクタープレイ

本来のMORPGに「ゲーム」が存在しないのならそれを勝手に補ってやろうという発想が、「シナリオ」を自分たちで提供する遊び方である。ゲームメーカーが用意してくれているクエストがあまりにも少ないので、自分たちでそれを作ってしまおう、というのがそもそもの発想だ。あるいはTRPGを知っている人なら「チャット機能と戦闘解決システムを利用してTRPGのように遊ぼう」という方向性だと思ってもらってもいいだろう。

この方法では、ゲームを開始する前にメンバー全員にシナリオという名の「仮定」が示される。例えば「本来は『洞窟の一番奥にいるドラゴンを倒す』というのがこのゲームの目的なんだけど、今回は『風景のよい場所で写真を撮る[1]という目的にしましょう」と決め、全員そのつもりでゲームを始める。「ドラゴンを倒す」という目的は相談なんてしなくても無意識のうちにできるようになっているかもしれないが、「風景のよい場所で写真を撮る」という目的を達成するためにはどこで写真を撮ればいいか相談したり実際にフィールドを歩き回っていい場所を探したりする必要があるだろう。これによって目的を達成するためにいろいろ考えたり相談したりするというMORPG本来の「ゲーム」が復活するのだ。

これを円滑に行うには、プレイヤーの一人がTRPGでいうゲームマスター相当の役割を持った方がいいだろう。戦闘の解決はソフトが勝手にやってくれるが、それ以外の判定(例えば上の例では写真がきれいに撮れたかどうか)はゲームマスターが行うのだ。プレイヤーの一人が「クエスト依頼者」となって同行することにするのが一番簡単であり、この場合は依頼者がクエストの成功/失敗を判定する。

この方法はある意味無理やりな方法であり、あくまで妥協の産物である。やってみるといくつも問題やあいまいな点が発生するだろう。ある程度の経験と慣れ、そして(ゲームへの)寛容さ[2]が必要である。それでもこの方法によってMORPGを本来の「ゲーム」として遊んでいくことができる。

MORPGの限界を越えて

MORPGは楽しい。しかし目的を見失いやすいゲームだ。ゲームメーカーが「何をしても自由だ」と宣伝するのがその理由の一つだろう[3]。しかし「何をしても自由」なものがゲームであるはずがない。ゲームとは目的を達成するために知恵をしぼるものだからだ。

「MORPGにゲームなんて求めちゃいけないよ」というのは正論だ。しかしそれで終わらせてしまってはさびしい。何だかんだ言ってもゲーム好きなのだから。


  1. 筆者のPSO関連ページのリプレイにある、ガイドブックで大儲けのことだ。 ↩︎

  2. MORPGはこんな遊び方を想定して作られているのではないから多少の不都合には目をつぶるということだ。 ↩︎

  3. 「自由」と「自由度」は全然違う。RPGにあるのは「自由度」であって「自由」ではないのだ。これについてはまた別の機会に述べたいと思う。 ↩︎