スポーツとアマチュアリズム

スポーツは参加する事に意義がある

クーベルタン男爵の「参加する事に意義がある」という言葉は名言だと思う。オリンピックに限らずスポーツはみな参加する事に意義がある。そして参加する事に意義があるならばアマチュアでないといけない。しかし、世の中ではこの言葉の意味を誤解されているような気がする。

「参加する事に意義がある」という言葉は、勝ち負けにこだわる体質の批判である。スポーツでは勝つ事が至上命題であり、何が何でも勝たなければいけないという考え方に対して、「それは違う」と反対意見を出したのだ。スポーツの意義は勝つことではない、参加することだ、と。

これは「スポーツは参加しさえすればよい」という意見ともまた違う。スポーツの目標は勝つ事である。そして目的は参加する事である。目標と目的を取り違えている事が問題なのである。


筆者はスポーツと言えばチェス(これも国際スポーツ連盟にも加入している立派なスポーツだ!)くらいしかやらないが、それでもこの精神はよくわかる。実力が拮抗していて良いゲームであれば勝っても負けても楽しい。しかし、相手が大ポカをしてそのせいで勝ってもあまり楽しくない。むしろ「頼む。待ったをしてくれ。せっかく今までのいいゲームがその悪手で台無しだ」とすら言いたくなる。

つまり、勝つ事は単なる双方の努力目標なのであって、目的は楽しむ事である。相手が勝つために奮闘しているのを見つつ、その上をいくために頑張るのが楽しいのだ。だから、自分が勝つために頑張ってさえいれば、結果として負けてもいいのだ。

「たかが遊びなんだから負けてもいい。勝敗にはこだわらない」というのも違う。徒競走では全力で走る。そうじゃなければ徒競走なんてやる意味がない。しかし全力で走った結果負けてもそれはそれ。相手の健闘を讃えればそれでいいというわけだ。

「参加して楽しめれば勝敗にはこだわらない」という態度はアマチュアだからこそとれる態度だ。だからこそオリンピックは「アマチュアの祭典」なのだ(少なくとも昔はそういう理念だった)。


ではアマチュアスポーツに対するプロスポーツとは何だろうか?プロスポーツでは自分が楽しむ事が目的ではない。お金を稼ぐのが目的であり、お金を出した人(顧客)を満足させるのが目的だ。具体的には3つのパターンがある。

  • うまいプレイを見たい
  • 広告塔にしたい
  • 選手と自分を同一視したい

「うまいプレイを見たい」というのはある意味純粋な見方だ。例えば世の中のおじさんゴルファーがゴルフ中継を見るとき見方だ。彼らはうまい人のスイングを見て自分のスイングの参考にしようと思っている。ゴルフに限らず、そのスポーツのアマチュアプレイヤーがプロの試合を見る時は、多かれ少なかれそのプレイを参考にしようとしている。平たく言えばプロ選手は先生であり、それにお金を払うのは受講料なのだ。

プロレスなどは少し違う。ほとんどの観客は自分ではレスリングはやらないが、それでも見ていて面白い。それは試合がド迫力だからだ。つまりプロレスを見せ物として見ているのである。こうした見方で見ていればどちらが勝ったかは気にならないだろう。すごい技が見られればそれでいいのだ。

しかし、企業が広告塔としてプロ選手を雇う場合は事情が違ってくる。プロ選手は勝てば勝つほど有名になって世間への露出度も増える。だから広告塔として使う場合には選手には勝ってもらわないと困るのだ。ここで「勝つこと」が目標から目的にすり代わってしまう。「全力を出し切れれば勝つ事にはこだわらない」というのでは顧客の満足度を低下させる。つまりはこの態度ではプロ失格だというわけだ。

3つ目は言葉だけではわかりにくいだろうが、要するに野球の特定の球団のファンの事だと思ってもらえればいい。巨人ファンは勝手に自分も巨人というチームの一員だと思っている。そして、自分のチームが勝つとうれしいし負けると悲しい。プロ選手はこうした「ファンの期待に答える」商売だから、いいプレイをするだけではなく勝たなくてはいけない。勝つという事がお客を喜ばせるということなのだから。

つまり、プロ選手の場合は「とにかくうまいプレイを見たい」という人は別格として、勝つ事が顧客を満足させる手段である。プロは「勝負はどうでもいい」ではなく「勝たねばならない」のだ。「勝ち負けはともかく参加して楽しめればそれでいい」というのはアマチュアの考え方であり、プロでは通用しないのだ。


まとめてみよう。アマチュアスポーツならば楽しむ主体は競技をする選手である。そして目的は勝つことではなく競技をすることである。精一杯遊んだ後は酒でも酌みかわしながら仲良く談笑し、勝負なんかは水に流してしまえばいい。

プロスポーツならば楽しむ主体は観客やスポンサーである。選手は彼らの期待に答えるように精一杯試合をして、その対価としてお金をもらう。そして「彼らの期待に答える」というのは大抵「勝つこと」である。

これらの違いが明確であれば、様々な問題も自然に解決する。例えばドーピングの問題も単純な話だ。アマチュアなら自分の体を壊してまでやる事はないし、プロならそのくらいの事はすべきだ。

誤審もアマチュアならさして問題にはならない。小学生が学校の休み時間に校庭でサッカーをして遊んでいる時に審判なんているだろうか?そしてそれで問題が起きるだろうか?たいていはもめたらジャンケンで決めるだろうし、それで後くされもない。それに対してプロなら審判もまたビジネスであり、それぞれがあらゆるビジネス的手段を用いて利潤を追求すべきだ。

つまり、アマチュアとプロでは目的が全然違うのだ。だから一緒に競技はできないし、競技会を開く時にはどちらの目的で開くのかを明確にしなくてはならない。そしてその違いさえ明確であれば色々な問題はすぐ解決する。アマチュアなら「まあそれはそれ」で水に流せばいいのだし、プロならあらゆるビジネス的手段に訴えればよい。


こうした問題が大きく取り上げられるのは、多くの人がアマチュアのスポーツをプロスポーツと勘違いしているからだ。観客の姿勢の問題である。簡単に言えば、人が勝手に楽しく遊んでいる所に横から口を出したり金を出したり大きく取り上げたりするからいけないのだ。

だいたい、知らない人が駆けっこや野球で遊んでいるのをわざわざ金を払って見ても楽しめるわけがない。彼らにとっては自分が楽しければそれでいいのであり、観客の事なんて少しも考えてはいないからだ。勝手に金を払っておいて、楽しめないと文句を言い相手にプロ意識を要求する。こんな身勝手な話があるだろうか。

観客は自分達が好き勝手に見ているだけなのだからつまらなかったり不満だからといって文句を言ってはいけない。そして、選手達も自分達が好きで遊んでいるだけなんだから観客なんて意識しなくていい。スポーツは本来そうあるべきだ。