現実と幻想の境

最近のマンガやアニメって、何かがおかしいと思いませんか?

今回は前々回の話の続きである。ジャンルは本当は「文学」と書きたい所だが、ここで話題としたいのは主にマンガやアニメ、そしてジュブナイル小説(お子様向け小説)だから、あえて文学と呼ぶのはやめにした。

前々回の最後で言いかけたのは、最近のマンガやアニメやジュブナイル小説(以降はアニメで代表する)が、普通の世界にファンタジーの殻をかぶせようとしている、ということだ。そして、それは見事に失敗している。

もちろん、SFやファンタジー調のアニメは昔からあった。鉄腕アトムの時代からである。そして、その時代からこのジャンルはアニメの主流である。しかし、いつの頃からか、ファンタジーは変容を遂げている。それを見ていきたいと思う。


ファンタジーの分野は大きく2つに分類できる。ハイファンタジーとロゥファンタジーだ。ハイファンタジーとは完全なる異世界物を指し、ロゥファンタジーは現在を舞台にしたファンタジーを指す。

ハイファンタジーは「今この場とは全く別の世界のお話」である。遠い未来の話であったり、異国の話であったり、神話的な過去の話であったりする。実際のところ、どこの話なのかが問題ではない。読者が「この世界は自分達の世界とは違う場所なんだ」と認識するかどうかが問題なのだ。

例を挙げるとキリがないが一部挙げてみよう。「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」などは正統派ハイファンタジーである。「北斗の拳」なども舞台は19XX年(もう過去の話だ!)にはなっているが、誰も現在とのつながりなんて気にはしていないだろう。「宇宙戦艦ヤマト」も「ガンダム」もそうだ。逆に過去の話でも、「陰陽師」などはほとんど異世界といってもいいだろう。現在との接点がないからだ。

それに対して、ロゥファンタジーは「今自分達の住んでいるこの世界に起きた不思議な話」である。不思議な異世界人がやってきて魔法の何かをくれたり、あるいはどこかに異世界への扉が開いたりして、ごく限られた人々だけがその不思議な体験をする。

これもまた例を挙げるとキリがない。魔法少女ものはほとんどそうだ。ジブリでいえば「となりのトトロ」が挙げられる。「ドラえもん」もそうだ。

一つ注意をしておくが、単に舞台設定の年代だけで異世界かどうかを判断してほしくはない。「そこが現代とかけ離れているかどうか」が問題なのである。ぶっちゃけた話、とんがったビルがいくつも建っていてそれらの間を透明なチューブが行き来しているのが異世界SFだ。20XX年に人間そっくりのアンドロイドが開発されたというお話でも、街の風景が現在と変わらないなら、そして人々の生活様式も変わっていないのなら、それはロゥファンタジーに分類すべきなのである。


さて、自分の知っている話を、上の二つのどちらかに分類してみてほしい。最近の物にハイファンタジーが少なくなっていることに気づくだろう。昔流行ったSFロボット物はほとんどが異世界物だった。それなのに今はどうだ?

「エヴァンゲリオン」?多少SF的な小細工は入ってはいるが、学校の様子といい、街の風景といい、アパートの中の様子といい、今とほとんど変わらないではないか。そして、これより異世界的なアニメって最近他にあったっけ?筆者が考えついたのは「ガンダム」シリーズと「ブレンパワード」くらいだが、どちらも旧世代(監督が)に属する作品である。

というわけで、ハイファンタジーは絶滅寸前の状態なのである。


では、ロゥファンタジーは安泰だろうか?いや、決してそうではない。ロゥファンタジーで絶対守られていなければならない「規則」が根幹が崩されているものが多いからだ。

ロゥファンタジーにおけるその規則とは「ファンタジーは局所的でなければならない」というものである。不思議な力を持つ者は限られた人でなくてはならないし、それを人に見られてはいけないのである。そういったファンタジーはあくまで個人的な体験であり、世界に広まってはいけないのだ。上の規則を見て誰もが思い浮かべたと思うが、昔の魔法少女物ではこの規則はしっかり守られていた。しかるに今の主人公はこうした事に無頓着なのではないか?

筆者が一番問題視したいのが、こうした魔法的な小道具を、同じ世界に住む誰かが作成した、という場合である。○○研究所が作り出したすごい兵器だったり、極秘の施設で超能力を(無理やり)開発された少女だったりする。これはファンタジーの規則違反である。本来、ロゥファンタジーにおける魔法的な力は異世界からやってくるべきものだ。昔の作品でこの規則を守っていないものがあったか?

この規則を破るとどうなるか。世界観に矛盾が起きるのである。例えば、ある研究所で開発されたすごい性能の人型ロボットがあるとしよう。それなら、それで使われている技術(小型強力なエネルギー源とか、操縦のためのヒューマンインターフェースとか)は当然別の場所でも応用されているはずなのだ。そして、それは当然のことながら世界を変える。もはやそこは自分達の住んでいる世界ではなく、素晴らしい技術が隅々まで入り込んだ異世界になっていなくてはならない。

「極秘の研究所だから民間には技術が漏れない」なんていう言い訳は通用しない。そりゃ、その研究所では確かに民間より進んだ技術が開発されているかもしれない。しかし、それより少し劣った技術は民間にあるはずなのだ。同様の理由で、「この世界に一人(一つ)しかない」という類いの設定もおかしい。本当に超能力があるとしたら、確かにすごい超能力を持った人は一人しかいないにしても、それよりちょっと劣った能力の人は何人もいるはずだ。だから、その人達が力を合わせれば何とかできるはずだ。

ロゥファンタジーは魔法がその世界に影響を広めないからファンタジーなのであって、その枠を破るとそれは従来の世界観では通用しなくなってしまう。その場合にはロゥファンタジーではなくハイファンタジーを書かなくてはならない。そしてそれには才能と労力が必要だ。


最近のファンタジー作品を見ていると、どうもそれが作り手の想像力の欠如に思えてくる。想像力というのは「主人公にどんな力を持たせるか」ではなく、「そういう力を持った主人公がいたらどうなるか」を考えるということだ。そしてその影響を考えるには「その力はどんな原理で動いているのか」を考えることも欠かせない。それができていない作品のなんと多いことか。

そして、これが視聴者に合わせた結果だとすればそれはもっと問題である。昔のヒーローは大人であり、自分達とは違ったすごいヤツだった。それが今は自分達の目線にまで降りてきている。あるいは自分達の目線に降ろさないとついていけなくなってしまっているのか。後者だとすれば大きな問題だと思う。